グルプージャ

今日はグルプージャとやらの代行をしてきました。
(正確にはブラーマナ何とかというみたいですけど忘れました。またあとで確認してきて訂正します)

これは、過去生でグルを怒らせて、追放されたような出来事があった場合、その影響で今生の人生が不安定になりがちということで、

ではどんなプージャをするかというと、聖者とかハイスピリチュアルな人とか、僧侶階級の人へのプージャをして祝福をもらう必要がある(グルとの仲直り!?)ということで、実際は7人の僧侶階級の人に来てもらって、

一人一人に代行を頼んだ人の名前と生まれ星を入れてマントラ?を唱えてもらい、黄色いお米(ターメリックの色がついたお米?)を振りかけてもらい、祝福を与えてもらいました。

そしてドーティ、タオル、マンゴー、バナナ、葉っぱ、赤い実、米、101ルピーの現金をお盆にのせて捧げて一人一人に受け取ってもらいました。

最初、9人かと思ってたのですが、
このプージャの場合、グルの数は7なので、7人に対してプージャをするそうです。

それと同時に、毎週木曜日に木星に対してのアルチャナ(火を捧げる儀式)も9週間連続で進行中です。

これら全部で料金は4500ルピー(一万円弱)だったのですが、
私はプージャからは自分の分のお金はとらないようにしてるのですが、

占星術師のバラティさんもかなり実費に近いんじゃないかなと思いました。

つい計算してしまったのですが、

僧侶階級の人へ捧げる物品は現金の101ルピーを入れて、400ルピーくらいかかってそうですし、

てことは、400×7=2800ルピーとして、

アルチャナは9週間で1800ルピーなので、

合計4600ルピー。。。

赤字にはならないようにすると思うので、僧侶階級の人に捧げる物品は一人当たり400ルピー弱なんでしょうけど、

それらを用意してそろえたりの手間もあるし、

奉仕精神、もしくはバラティさん自身の修行の一環としての占星術鑑定やプージャ代行というのが基本なんだろうと思います。


いや、でも、グルプージャ、どんな人たちが来るのかと、ちょっと緊張しました(笑)

最初は一人の僧侶がプージャを行った鑑定の部屋の祭壇へプージャを行ってくれて、ヴェーダを唱えてたのですが、

そこに後からやって来た僧侶階級の人が部屋に入ってくるなり挨拶もせずに、おもむろにヴェーダのチャンティングに加わっていく様子がここはどこ?この部屋で何が起こってるの?っていうような。
(ドッキリテレビみたいでした)

その意外な事の成り行きに、部屋の中に座っていた私と主名はびっくりして、
思わず顔を見合わせてニヤついてしまいました。

サイババの祝福

ババがブレスをして祝福するということは、その人がモクシャ(解脱)にいたるまで、神が面倒を見る、ということだそうです。

占星術鑑定とかで他の人の人生を垣間見ていると、
短期的にはいろいろ大変だったりしても、長期的にみるとみんながいつかは神に近づいてひとつになる、
そのプロセスのようで、

いつかはみんな再び神に還ることになっている、ということは大きな救いだなあと思います。

占星術はその道程を読む立体的な地図のようです。

占星術系ブログ再開

とりあえず集中する用事も終ったので、また、ネットショップやショップブログに少しずつ手を加えていこうと思います。

最近人にいわれて気がついたのですが、ショップの占星術鑑定をお願いしている占星術師のバラティさんを、わたしはMさんとか、Sさんとか、Bさんとか、その都度違うイニシャルで書いていました。

指摘されるまでま〜〜〜ったく気がつきませんでした。
(大丈夫か〜〜?笑)

でもこれらはみんなバラティさん(サイバラティ)さんのことです。

ネットショップのインド占星術鑑定をお願いしてるのはこのバラティさん一人だけですので、私と一緒に、皆さん混乱しないでください(笑)

Sai Ram!

神への宣誓、、、、、術?

Sさんことバラティさんの鑑定を受けた人はご存知だと思いますが、けっこう褒めてくれます。

これはいい気分にさせて人を操ろうとか信用させようとかそういうのもちょっとはあるのかもしれませんが(笑)別の側面もあって、

バラティさんの占星術のグルがいて、その先生に横についてもらいながら実際の鑑定をして練習をつんだそうなのですが、
あるとき、そのグルに

「今後は君の口から出る言葉はほんとうになる。君はそのようになった。だから安心して鑑定しなさい」
と言われたそうです。

だから悪口とかは言えないし、なるべくいい言葉を使うように気をつけているそうです。

そんな彼の決め文句?は
「You can enjoy your life !!」ラブおてんきラブおてんきラブ
写真では固いですが(インド人はカメラを向けると固まるので)かなりテンション高いです。
時には自分の子供にもそう言ってます(笑)

そしてそのような言葉の力を持つと言うことは内面が純粋であると言うことだそうです。

バラティさんも修行中の身ですから
わたしなんか接してて
「このおっさん〜〜〜!」
と思うこともあり、あえて指示に従わないこともありますが、

そのような純粋性を保つことが生きていくうえで、そして神とともにあるためにはどんなに大事なことかは彼はよく自覚しているんだろうと思います。

そしてバラティさんの口から出る依頼人への褒め言葉は、彼にとっては褒め言葉ではなく、単にチャートを見て読み取れる事実を述べていると言うだけのことなのかもしれません。

時には依頼人の望む未来ではない鑑定結果がバラティさんの口から出てくるときも、それはあります。

それにたいして依頼人が異議を唱えることもありますが、

バラティさんは怒りはしないですけど、けっこう興奮します(笑)

自分はこのチャートを見てここにあることを読んでるだけなのに、どうしろというんだ!!
うそを言えと言うのか?喜ぶことだけを言えと言うのか?
そんなのは自分には出来るわけがない!!

みたいな。


でも、少ない経験からですが、
大筋では変わらないものの、結局は依頼人の望む方向に鑑定結果が微妙に色合いを変えていく事が多いです。

見ていると、依頼人とバラティさんが依頼人の未来を共同想像して好ましい未来にエネルギーを与えて形作っていっているようにも思えます。

しかしここは聖地プッタパルティ、思いが現実化しやすいエネルギーの場所ですから、
それもありで、なんだか自由度が高い部分があるのかもしれないと思います。

それはもしかすると人生を生きていくうえでの神への選手宣誓のようなもので、それを神が受け取っているのかもしれません。聞き耳を立てる ←聞いてる、聞いてる。。。?

3つの人生で

聞いた話ですが、

サイババは言ったそうです。

人間は3つの人生で同じことをすると。

どういうことかというと、

例えば医者をした人だったら次とその人生でも医者になりたい気持ちになって、医者になったりするそうです。

もちろん毎回同じ人せいなわけはなく、
少しずつ欲望を減らし、少しずつ神に近づいてついにはモクシャに至るわけですが、

そのように、人間の性向というのはいくつもの人生を通して少しずつ変わっていく、ということなんでしょう。

医者というので言えば、日本でインド占星術師に鑑定してもらったときに、私とだんなは過去生では医者仲間だったということを占星術師は言っていました。

で、占星術師はだんなに「医者になろうと思ったことはあるか?」と聞いて、だんなは「あります」と言ったので私は驚きました。

そんなことは全く聞いていなかったので。


同時に、夢で、プッタパルティでだんなと歩いていて、その時彼は医者で、2人で彼の診療所のようなところに行った夢をみたことがあったので、あれは過去生を夢で見ていたのかな?と思いました。

占星術師は私には「医者になろうと思ったことはあるか」
とは聞きませんでした。

その占星術師の言うことには、
私が過去生で医者だったときは、医療で人を助けるのではなく、もっと霊的な方面で助けたいと思ったんだそうです。

それがほんとかどうかはだれにもわかりませんが、
私は一時期極度に医者とか病院とかが嫌いで、
すごく不信感というか憎しみに近い感情を持っていた時期があったので、

その不信感と言うのはあるいは、霊性をともなわない西洋医療の権威を認めたくないからそういう不信感を抱いていたのかもしれないと思いました。

そういう気持ちも自分でもわからなくもないですが、なにしろその嫌悪感が極端だったので、それはプッタパルティで子供が喘息で入院するということで正されました。

それ以降は、出された薬もそれなりに飲むようになったし、お医者さんに対する信頼感もそれなりに持てるようになりました。

以前は、医者に万能な人格や、聖者を求めていたんだと思います。


わたしはこの人生で医者になりたいと思ったことは一度もなくて、
医療関係に対する憧れとかも全くなくて、

医者としての3回の人生はもう終了して次のターンに入ったんだろうと思います。


ちなみにだんなはその後、一時期だけですが、病院の急患の受付をして働いたりもしていました。


私はそんな仕事は絶対無理と思いますが、やっぱり人それぞれ向き不向きと言うか、綿々と続く?性向があるんだなあと改めて思いました。



私自身で言えば、近い過去生ではよく、ヴェーダの学者とか学生だった(アドヴァイタの研究とか?)といわれることはあって、
唱えてると今の私じゃなくて過去生のそのヴェーダの勉強をしてたおっさん?が唱えてるのが見えるとか言われたこともありました。

まあ、それはあるだろうなと思います。

ヴェーダをちゃんと習ったのは日本で2年くらい、インドで2年くらいのほんの4年くらいだけですが、
その間はなかなか情熱的に勉強しました。

ヴェーダは非常に楽しいものなのですが、
もうよいカルマが尽きたのか!?

今は先生もいなくて、練習もほとんどしてない状況です。

歌とか習ってるのですが、歌とヴェーダではバイブレーションが別物なので、歌を習えば習うほどヴェーダのノリが忘れられていく感じもあって、ちょっとジレンマですが、状況がそういう風になってるので、しょうがないのかなとも思います。


今はけっこうのんべんだらりと暮らしてると言えば暮らしてるので、
来世がもしあるなら、どのような性向がのこっていて、どのようなものに惹かれるのでしょうか。

アドヴァイタだとかヴェーダだとかいうわりには、だいぶ享楽的なところもあると思うので、
神も人生もどちらも楽しめたらいいなと思います。