今日、夕方6時くらいに行くと言っておきながら、7時半くらいにおばーちゃん先生のとこに行きました。笑
でもアメリカの孫娘とスカイプしてたみたいだったから遅く行ってちょうどよかった。
今日もなんかいっぱい唱えました。
書くの面倒なので書かないですが。
おばーちゃん先生は、今日はスローカ?みたいなのも教えてくれました。歌みたいなマントラ。
さすが音楽教師でもあるので(一応現役)なんというか、よい歌声。
品があるというか格調も高い感じで。
そういうのって、CDではなかなか、、、ムードとか表情とか空気感とか、そういういろんな情報がいっぺんにくるのはやっぱ、直接接触だと思います。
今日は金曜だったので女神系のヴェーダ中心に唱えました。
そんで、新しいやつとして、デーヴィースークタムを教えてもらいました。
これもずっと習いたかったやつだったので嬉しかったです。
短いんだけど、CDとかで覚えてしまわずに、とっておいた。笑
途中、節回しが歌みたいなとこがあって、不思議なんですよね、このヴェーダ。
これはおばあちゃん先生が言うには、パールバティのヴェーダだそうですが、そうなの?
またよく練習しよう。
自分では練習しないから、誰かに無理やり教えよう。
そしたら自分が覚えるから。
ナバグラハスークタムは、昨日やった太陽の部分を復習しただけでした。
でも、デーヴィースークタム習えて嬉しいです。
明日あさっては、おばあちゃん先生の長女と孫娘が立ち上げた音楽学校に教えに行く日なので、
私もそろそろプッタに帰ろうかなと思うし、
じゃあ今回はこれで、、、というかんじなんですが、
そしたら引き止められていろいろ話を聞かされた。
半分くらいは全くわからなかったんですが、へえとか、あははとかいって聞きました。
プッタでヴェーダを習ってたとき、いつも傍若無人なかんじでやってきては練習を中断させてプラサードを傍若無人に配る傍若無人なおばあさんがいたんですが(もらってもあまり嬉しくなかった)、彼女のだんなさんがババの学校の最初の学長らしいということが今日の話から明らかになりましたが
(もし私の聞き取りが合ってればの話しだけど)
なんか、部屋の前に学位みたいなのとか書いて張ってあるし、だんなさん地位のある人なんだろうくらいには思っていたけど。
なるほどそれであの傍若無人ぶりだったのか、それとももともとああゆうキャラなのか。
今もプッタで出会ったら少し立ち話位しますけど、向うはテルグ語だけなので、やっぱりさっぱりわからんという。
で、昔は学校に新入生として入学してきた小さい子供たち(5歳半くらいで寮に入ってくる)がなーーーんにも身の回りのことができなかったので、
ババは1日3回くらい、朝昼晩と学校に来て、子供らに、どうやって髪の毛をとかすかとか(アフロのババが教えるのが思い浮かばんのだけど)
歯ブラシにどうやっては磨き粉をどのくらい出して、どうやって歯を磨くのかとか、どうやって顔を洗うのかとか、
すべての子供たちにいちいち直接付きっ切りで教えてたそうです。
前チェンナイに来たときもおばあちゃん先生はその話をしてて、
「実際にそういうババの姿を見てたんですか?」と聞いたら「見てた」というけどほんとかどうかは私は謎と思ってます。
でもその思いではおばあちゃん先生の中でとっても甘い、ババへの愛とか尊敬とか、そういうのが掻き立てられる思い出らしく、すごく熱心に話します。
で、傍若無人なおばあさんのだんなはものっすごく厳しい教師だったけど、自分は全然だめだったとか、そういう話もしてました。
たしかに、昔は怒りっぽいとことかあったけど、基本すごくやさしいです。おばあちゃん先生。
まず、できのいい長女には逆らえないし。
いわれるがままにいろんな薬を飲んで、スケジュールも全部長女が決めてるという。
長女が来たら抑制がかかるのか、ヴェーダ声もちっさくなるし。笑
あとなんか誰かの話をしてたけど、誰のことを話してるのかぜんぜんわからないまま聞いてました。
なんか生徒がたくさんいて工場もいくつももってる人の話。
できのいい生徒はにかどうにかして、あんまり出来のよくない生徒は何かするとかいってて、
何いってるのかさっぱりわからなかったけど、なんか面白い気がしたので爆笑しといた。笑
おばあちゃん先生もたぶん英語を使わない生活で、英語を忘れていってるんじゃなかろうかと思います。
チェンナイはタミルで、母語はテルグだから。
でもいつものようにおばあちゃん先生は「スワミがいる」と、ババの臨在に感謝して、練習を終えました。
オートでホテルに帰るとき、まだまだ習えることがたくさんあることを思うと、
空白の過去数年間が惜しまれて涙が出ました。
でも、おばあちゃん先生がチェンナイに引っ越したとき、
わたしはチェンナイまで追っかけて習いに押しかけようかとも思ったんですが、
なんかそれはしてはだめだと思って、練習を放り出していってしまったおばあちゃん先生に対して失意と虚脱の日々だったんですが、
おばあちゃん先生のほうも1年半だか泣き暮らして病気みたいになってたという話で、
でも、ここしばらくようやく、自分で独りでもヴェーダの練習をしようと決めて、
毎日数時間するようになって、
そういうふうにおばあちゃん先生が自分の中に光を据えたことで、
わたしもそんなおばあちゃん先生のところに、チェンナイに習いに行けるようになったんだろう、この空白期間は必然だったんだろう、と思いました。
でも願わくばあと10年くらいは生きて、知ってるヴェーダ全部教えてもらいたい。
(音楽は全部習うの無理だからあきらめてます。でも、ミーナクシ女神の歌は習いたかったな。)
ヴェーダを習ったあとはいつも深い感情が大きく掻き立てられます。
ヴェーダのことだけ考えて、ヴェーダだけに集中して習いたいものだなとか思います。
ヴェーダチャンティングは面白い。
おばあちゃん先生がチェンナイに引っ越していったとき、たくさんの人が残念がって、「あんな先生は他にはいない」と、惜しんでいたのですが、
本当にそう思います。
ヴェーダの細かいとことかは怪しかったり自己流になったり、忘れてたりとかもするのですが、
この、ちっちゃくて、気高くてにこにこしてるおばあちゃん先生から学べるところはあまりにも多すぎます。
練習が終わったあと、おばあちゃん先生は閉じたヴェーダの本をぽんとたたいて、「これだけに興味がある」と言っていました。