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【新着商品】ちっちゃいシルディババ像2点

(※ちっちゃいシルディババ像は3点ともSOLD OUTです。ありがとうございます)

  • 2017.09.27 Wednesday
  • 20:04

JUGEMテーマ:神像・仏像

 

こんなに放置してても見ててくれてる人がいるみたいで、ありがとうございます。

 

2番目のもとだんなさん(籍を外したけど同居中)ののぶあきさんのマッサージの集客やらのアドバイスをしてたんだけど、

(長野県茅野市で足圧マッサージしてます)

https://www.facebook.com/namashibaya/

 

いいな〜、私もそんなアドバイスしてくれる人欲しい〜

と思って。

なんか誰かがちょっとなんか言ってくれたり見ててくれたらやる気も出るんだけど、

私はあんまり一人でコツコツタイプではないわけで。

 

でも、人(のぶあきさん)にあれやれこれやれとアドバイスしまくってたらさすがに自分もやろうと思って、久しぶりのブログ更新です。

 

そういえば、わたし、姉妹サイトのプレマサイジョ〜ティ〜のFBページは作ってるんですけど、

(↓↓↓いいね押してフォローしてくれたらタイムラインに新着情報が流れます ※要FBアカウント)

https://www.facebook.com/premasaijyoti/

 

ちなみに秘密のグループページも作ってます。

個人的に何か聞きたい人とかにはいいかも。

プレマサイジョ〜ティ〜やダッタートレーヤードットコムのお客さんになったことある方限定です。

↓↓↓

https://www.facebook.com/groups/251539775014468/

 

この、ダッタートレーヤードットコムのFBページは作ってなかったですよね。

 

ダッタートレーヤードットコムとプレマサイジョ〜ティ〜は統合してもいいかなと思ったりもしてたんですが、

 

どうしよう〜?

 

でもダッタートレーヤードットコムを目指してきてくれる人も案外いるんですよね。

問い合わせも結構コンスタントにある状況。

 

 

ちなみにわたしのやってるネットショップは改善点ありすぎなのでいっそのこと放置してる状態で・・・。笑

 

この夏、3ヶ月インドのプッタパルティに滞在してて、1週間前の9月20日に日本に戻ってきて、また1ヶ月くらいでインドに行くつもりなのですが、(長野寒くなるし)

 

インドにいたらかなりわたし動き回ってて、今回は1歳の息子2も連れて行って一人で世話してたこともあり、

かなりいっぱいいっぱいですよね!

 

思えばすごい活動量です。

 

一応できるだけ朝夕のアシュラムのバジャンには行くように心がけてるし、

子供を毎日外で何時間か遊ばせたり、3度のご飯もアシュラムや外の食堂に食べに行って、

 

2回ほどスペシャルプージャ実施のために列車に乗って南インドの別の場所にも行きました。

 

そして新しく個人的にがっつりヴェーダチャンティングを教えてくれる先生(超正統派のパンディットです)も現れて、すごくハッピーです。ほぼ毎日2時間くらい相手してもらってます。(解説や話を聞くだけになってる時も多いけど)

 

そんなわけで、インドではじっさいまともに仕事してる暇があんまりない。笑

 

 

日本に帰ってきて、行くとこもあんまりないし、子供は暇なもとだんなさんにある程度見てもらえるので(家事は基本的に彼がします)ようやく落ち着いて仕事でもするかという感じになれてる状況です。

 

だからダッタートレーヤードットコムのブログにまで手が回ってきた。笑

 

 

とりあえずいくつか商品情報載せときますね。

 

姉妹サイト(メインショップ)プレマサイジョ〜ティ〜の方もよかったら覗いてみてください。

 

http://premasai-jyoti.shop-pro.jp

 

 

めずらしく、ちいさなシルディババ像も販売中です。

出荷前の占星術師バラティさんによる入魂プージャとインドからの送料込みで非常に手頃な値段です。

現品限り。

 

欲しい方は直接メールください。

miminohi333✨yahoo.co.jp(✨を@に変えてください)

 

 

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アガスティアハーバルペーストは現在6万円のものが用意できます。

 

 

 

 

 

 

購入される方は下記リンクよりどうぞ。

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また戻ってきますね〜w

 

サイラム

 

松岡佐和

 

 

JUGEMテーマ:ネットショップ

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JUGEMテーマ:ネットショップ

疲れる日本。日本に生きる。

3ヶ月ほどプッタパルティに滞在し、9月20日に日本に戻ってきました。

一ヶ月ほどでまたインドに行く予定ですが、今回本当に戻ってきたくなかった。

 

いやあ、2番目の元だんなさんになったのぶあきさんと私、ほんと合わないんですよね。

 

ちなみにインド占星術でみても全然相性良くないです。

 

だから、のぶあきさんの「普通」で接して来られることが私にはすごく不愉快だし、わたしの「普通」がのぶあきさんには邪悪としか思えないらしく。

 

折り合わないのです。

 

わたしの方はもうすでに愛想をつかしてますから、言いたい放題です。

 

 

じゃあなんで結婚したのかって話ですが、わたしは子種と、私と子供のケアをする男手が欲しかったのだと思います。

もう一人子供に来て欲しかったから。

 

あと、のぶあきさんの方でも私といることで修行になると思うとか進化したいみたいなことを言っていたので、十分覚悟があるかと思ったんですけど数日であきらめたみたいです。

ちなみにのぶあきさんは、インドのプッタパルティで10数年前に会った知り合いです。

 

今回20日に日本に戻ってきて、空港まで迎えに来てくれたのですが、私はインドを発つ直前までのぶあきさんにぼろかすに言ってて、顔も見たくなかったのですが、会うなりどんなに自分が甘えていたか分かったとかなんとか涙目で言ってきたのですが、これもいつものことで全く真に受ける気にはならなかったので、

私に同じことばっかり言うより、文章にして形にしてブログにでも上げろ、と言ったら「わかった」と言ってましたが、案の定書いてません。想定内。

 

まともに相手にしたら私の精神的負担が大きすぎて。

 

そんな負担を自分にかけるのは自分への虐待なので、この人のことはもう、あんまりまともに考えないようにしてます。

 

私はのぶあきさんのことがうらやましいとこもあって、自分が正しいし、普通だと無邪気に信じて疑わないとこです。

 

私はそれがいつも自分で自分に対して疑問なので、お前がおかしい、とか言われたら、そんなことないような気がするんだけど・・・と思いつつも、そうなのかも?という気がしてきてグラグラして沈んでしまいがちで。

 

今日は9月25日でしたが、すでに2〜3回、2時間ずつくらいもめました。

 

小さなことかもしれないので、(そうじゃないのかもだけど)

ぐっと我慢すればいいようなこと。

気にしなければいいようなこと。

 

でもその小さなところにすべてが集約されてるってことも多いですよね。

 

だから私は妥協せずに違和感を叫びます。

 

感覚が頼りなので、なんでそう感じたのかということを理性でとらえて、それを自分で理解するのもスムーズにいかないことも多いのだけれど、

 

でも違和感があるところには必ず何かそう感じる根拠があるのです。

 

昨日も、その違和感や嫌な感じをうけて、嫌だということをのぶあきさんに伝えたら速攻反撃してきたので、その状況を細かく紐解いて行って、分解して行ったら最終的にはのぶあきさんから来てた変なエネルギーみたいなのは抜けました。

 

のぶあきさんも一応私が言わんとすることを理解したようで、その私が嫌な気持ちになったシーンに対して客観視できて、理性的にも体感的にも変化したようでした。

のぶあきさんはそのシーンに完全に反射的に巻き込まれて一体化していたのが、別のパラレルな自分に移行して、元いた場所を、誰も幸せにしないあり方の世界の一つとして眺めることができたのだと、思います。

 

なんで私こんなグダグダなことして人生無駄にしてるんだろとか心底うんざり思いつつ。

 

 

長野に住むことはとりあえずまだ終わってないと思うので、

自分が心地よくいられるために、ただそれだけに私は責任を持つ必要があると思います。

ほんと、大事なのはそれしかないとつくづく思う。

 

のぶあきさんに私が意識を向けてたら合わなくって気分も下がるししんどいので、私は自分の気分が良くなる物事に意識を向けるように心がけるからそれを応援してちょうだい、ということへの同意は得ました。

 

わたしは神聖な活動をする社会性を持った開かれた場に暮らしたいというのがあって、

 

そのためにのぶあきさんは働いてもらいたい。

もしわたしの人生から出て行く気がないのなら。

 

そしたら、あーいてくれてありがたいなと思えますやんね?

身近にいる人に対してはそう思いたいのです。

不愉快な人は近くに居て欲しくない。

 

息子たちとかは存在してくれるだけでわたしの生きる力になるし、来てくれてありがとうという気持ちがあります。

その上わたしの気持ちに対する思いやりがあるし。

たとえ1歳児でもやっぱりわたしが悲しんでたらどうしたのかなと気にして心配します。

そしてやさしいし、わたしが幸せに感じることを嬉しく思ってるのがわかります。

 

のぶあきさんはまずわたしが幸せな気持ちでいるかどうかは気にするほどの価値がないと思ってるし、わたしの幸せを望んでるかと聞かれれば答えられない。

わたしのことは何も良いと思ってない(いいところがあると思えない)し、尊ぶ価値がある存在と思ってません。

むしろ邪悪な存在と思ってます。

だから、他にもわたしのことを悪い人間だと評する人がいたら、その人のことを信用して重んじます。

それはそういう人なので、そのことをわたしものぶあきさんもまずはお互い確認して、認めることにしました。

 

その上で、どうしたらみんなが幸せに生きていけるかを考えてます。

 

そういうわけで、わたしは全然のぶあきさんと一緒にいたくないし、いる意味がないと思ってます。常にわたしのことを邪悪な存在として否定的に扱う人間を近くにおいても不愉快なので。しかもめっちゃ依存してきます。笑 意味不明。

 

結局は自分軸がないから攻撃したり否定したりして絡んでくるしかわたしとの関わり方がわからないんだと思います。

 

でもそんなことはどうでも良くて、わたしの人生から消える気がないんだったら、わたしが気分が悪いところから気分良くいられるようにのぶあきさんには協力してもらわないといけないので、わたしがそこで遠慮しないことが大切だなと思ってます。

 

とりあえず今日は彼はわたしにかなり気を使っていろいろ働いていました。

今日はほとんど不愉快ではなかった。

 

どうしたらもっと自分が幸せな喜びの人生を生きることができるのか、それを妥協せずに追求する責任が、わたし自身にあると思います。

 

自分に我慢させたり、自分の口を封じるようなことをしてはいけないなと。

 

そして喜びを自粛しないように。

 

(日本では渋い顔w)

 

(今日見えた彩雲)

JUGEMテーマ:日記・一般

投影のカリスマと本当のカリスマ

投影のカリスマと本当のカリスマ

 

今朝見た夢では、海辺の開放的で気持ちいい半戸外の建物で大勢が集まってアルティをしていました。

 

そこで、最後に3回「ナラヤナナラヤナ........」とするところで、最初の2回をわたしが単独でするように言われ、最後の1回をみんなでするように言われました。

 

それには、エゴのある人が最初の2回をし、そして最後に全員で統合するというそんな象徴的な意味があるそうでした。

 

そうは言われたものの、わたしはひとりで朗々と歌うのが気持ちよく、高らかに歌ってアルティの火を掲げ、みんなに見えるように回しました。

 

楽しくアルティが終わり、

わたしが過去に好感を持っていた人やわたしに好感を持っていた人が話しかけてきて、楽しく受け答えしました。

 

 

主にそんな夢を見ました。

 

 

その後まだ布団の中でウトウトとまどろんでいると、人が投影によりカリスマ化される仕組みが情報として入ってきました。

 

カリスマ化される対象と、投影によってそれを起こす群衆側の意識状態のプロセスが情報として入ってきました。

 

その情報についてしばらく考えるともなく考えて、布団から出ました。

 

 

カリスマはつまり、群衆をまとめるアイコンなのですね。

 

 

群衆の意識状態の中のある側面をつなぐアイコン。

 

カリスマという外部に特定の投影対象を見ることによって、群衆の中にはそれぞれある好ましく陶酔的な意識状態が固定されるし、そこに心地よさがあるからカリスマは群衆に求められるし熱狂的に支持され、依存されるみたいです。

 

依存対象であるとも言えるし、文字通りカリスマによって群衆一人一人の存在が意識面から支えられているとも言える。

 

群衆はそのためにカリスマを使用しているとも言える。

 

そしてその好ましい意識状態というのはすでに群衆それぞれの中に元々あったものではあるのだけれど、彼らは自分でそれに集中し続けることができず、でもその意識状態に留まりたいとどこかで思っている。

 

そんな時に、その心地いい意識状態に固定してくれるカリスマの存在は非常に心地よく好ましいものになります。

 

これは個人レベルでも常に起こっていて、ある人を思うと明るい気持ちになるとか、その素敵な人の世界の中では自分にも力があるのを感じられたりとか。

 

お互いに完全を投影して愛し合っている恋愛関係初期ではそういうのも顕著かなと思います。

実際その時、お互いの最も良い部分をお互いに固定することが起こっているからこそ陶酔的で心地いいのだと思います。

わたしはそういうわけで、それが完全な幻だとは思いません。

 

そしてこれが複数の人が関わるようになればなるほど、その投影対象はカリスマと呼ばれるようになっていきます。

 

つまり、ひとりの人にみんなが恋しているような状態です。

 

そしてそこには投影する人の自分自身の空洞化が現れます。

 

言い換えれば、恋している時にはそれまでの自分を忘れて心地よい世界に逃げることができます。

 

それでもしかし一人一人の人の持つ意識の力は健在で、その力は投影先のカリスマによってまとまって、そこに大きな使用可能なエネルギーの集積を生み出します。

 

それが当のカリスマ以外の権力を持つものによって嫉妬され、恐れられ、攻撃される対象になる理由だと思います。

 

しかしわたしの興味はそこではなくて、

カリスマ本人はどうなのかということです。

 

わたし自身、これまでに時々カリスマ性があると言われることもありました。

 

わたし自身は自分のことを個性も中身もない空っぽな人間だとずっと感じていたので(今もですが)

 

そのカリスマ性とは、他の人の期待や投影を感知して受け取る力、という部分によるところも大きかったと思います。

 

そして自分が希薄なわたしなので、わたしという存在にアクセスする時に必然的に人は潜在意識とか超意識とかそういうレベルのものが刺激されることも多いのかなと思います。

 

わたし自身、そういう部分で生きてきたことが多かったと思います。

顕在意識が上手く働いていないまま生きていた。

 

だから、わたしが自分自身に関してずっと感じていた、わたしは個性も中身もない人間だというのは、自分の顕在意識の部分の欠落を感じての印象だったかもしれません。一般的に機能する顕在意識の波長をわたしは持ち合わせてなくて、他人とその部分でコミュニケーションをとること自体意味不明で途方に暮れていました。

 

だから、どうやったら普通に機能できるようになれるのかなと、困惑していました。

 

わたしを最初に投影対象として使用し、カリスマ化したのは母だったと思います。

 

母にとってのカリスマとしてわたしはとてもよく機能しました。

 

 

 

親子関係の特に初期には赤ん坊は非常に受容的ですし、そういう親にとって楽しい投影が起こりやすいので、一種の美しい恋愛関係のような陶酔的な楽しさのある時だと思います。

 

それがあるから、投影対象の好ましくない言動も好ましく受け止めたり解釈したりもできるかと思います。

 

そしてそういう陶酔的な関係の外にある人から見ると、それはまた違った感情を起こさせるもので、共鳴して、好意的にほほえましく受け取る場合もあれば、シラーっと冷めた感じで受け取る場合もあるかと思います。

 

なんにしろ、そのような陶酔的な関係性、投影が起こり、それを受け止める関係性においてはなんらかの空洞が必要な気がします。

 

外部に良いものを投影して陶酔する人は内面に空洞を抱えていて、そのような良いものを自分の中に保持できないなんらかの理由があるから投影します。

 

もしくは、投影した相手に夢中になるという依存形式を単純に好む、という、単なる好みの場合もあるかもしれません。

 

そしてわたし自身で言えば、投影される側は内面が空洞だからこそ、他人からの良い投影で自分の本質を満たすことが自然です。

そうされることが苦しくないし、それが自分なのかな?と他人からの投影にすぐに乗れます。

 

つまりこれは完全な共依存とも言えますし、

べつにこれを病んでる扱いしなくとも、

それは単に陶酔的で心地よいレクリエーション形式としてもいいのかもしれません。

 

何も、なんでも断罪する必要はないと思うので。

 

でも、他人からの良い投影を受けて自分は良いものなんだと思えると同時に、自分の中には何もない、他人はわたし自身を見ているのではない、という気持ちはわたしの場合は消えませんでした。

 

そしてたまに悪い投影をされるときには、それにもそのまま真実味を感じで、わたしは悪いものなのかも、と思って大きく動揺しました。

 

つまりこの世界で他人に自分の存在をものすごく依存していたのはわたし自身でもあったのです。

 

わたしは他人の気分を害さない限り、空っぽなわたしのことを良く扱ってくれるものだ(良く扱う義務がある)という前提のもとで、他人の投影を受け止め、意向を最大限に汲むという処世術で生きていました。

 

そうする自分はまるで善の化身のようだったし、自分でもそれを信じきるようにしていました。

 

そしてそれがなんであっても、信じきるというのは人を純化します。

 

その意識状態が極まり、ある種の圧が十分高まると、どんな分野であっても、どんな状況であっても、人は突然個人の枠を超えて宇宙全体の意識に衝撃的に解き放たれ、しかしそれを既知のものとして体感する瞬間が訪れるものなのだろうと思います。

 

わたしにその瞬間が訪れたのは21歳の時でした。

 

そして不思議なことに、それ以降わたしはそれまで取りこぼしてきた負の部分をいちいち丁寧に拾い集めるような人生になりました。

 

人の期待に応え、他人の感情の世話をするよりも、自分自身にもっと注目してそれを知り、それに応えるようにこころがけました。

 

ですから実際生活では悪く思われることや非難されることがすごく増えました。

 

そしてそれは心地いいことではないので、

そのたびにそれ(わたしは邪悪な存在であるという他人の評価)を信じてしまっては、なぜだろう?と苦悶しました。

 

実際は、良い投影がわたし自身を見て言われたものではなかったように、

悪い投影も、わたし自身を見て言われたものではなかったのです。

 

つまりわたしは他人からの投影を、いいものもそうでないものも、受け取って自分に適用するのをやめました。

 

他人からの投影を自分理解に流用するような空洞の関係性の連鎖にない人、つまり本当に自分自身を生きている、地に足のついた実力のある人は、他人がその人をカリスマと呼びたくて呼んだとしても、たんに実力のある、中身のある人なんだと思います。

 

投影することもされることも、自分自身の中にいないということだと思います。

 

それは個を超えるからこそ、時に合わさって、宗教的な熱狂のような大きな力を生みます。

 

そしてそこにはいつも陶酔があります。

 

わたしはそれは決して悪いものだとは思いませんし、純粋な生きる力、生命力そのもののあらわれだとも思います。

 

しかしそれは人間として生きるということではないと思う。

 

個人が凌駕される熱狂の中にいることほど最高な気分のことはないと思います。

 

でもそれは、人間として生きることでは、ないのだと思います。

 

それは実は自然の一部として生きるということにも似た状態だと思います。

 

だから決して悪いものではないし、とても自然な本来的な状態だと思います。

 

激しくエネルギー交流が起こっているため、とても気持ちいいものでもある。

 

 

ここからは個人の好みだと思うのですが、

わたしは人間として生きてみたいなと思うのです。

 

あんた人間でしょ?笑

 

と言われるかもしれないけど、

そうでもなかったと自分の感覚は言うのです。

 

人間としての、最良の人生を経験したいと思います。

 

そのときもし人がわたしをよく思ってくれるなら、それはその人が自分自身の良さを知ってるからこそ、自分のことのようにわたしを認識できるのであって、投影ではないのだと思います。

 

そしたらわたしもその人を尊敬できるが故に、そういう評価はとても嬉しいし受け入れられると思う。

 

右から左へ価値や評価を投げつけ合うような空洞の関係性、投影の連鎖ではなく、そのような、それぞれの場所にいながらともに響き合う愛の連鎖がわたしは欲しい。

 

まだそれを希求しているわたしがいます。

 

 

つまり何かがまだ外に漏れている、いろんなことを外側に投影しているわたしがいるということです。

 

 

夢でアルティの3度の繰り返すフレーズのうち、エゴのあるものが行う最初の2回をさせられたことは嬉しかった。

 

わたしは少なくとも自分自身の場所にいる。

 

そんな気がしました。

 

 

そうするとわたしは自分が好ましく思うひととも、自分を好ましく思うひととも関わることもできます。

 

3回目のフレーズをみんなで歌ったように、最終的にはそれらの個人的な好みを超えた世界で統合されてしまうことはおそらく予定調和として必然のことかもしれません。

 

 

そうなると、投影し合う小さなつながりも押し流されて切れてしまい、

投影されるカリスマと投影するものたちの間で行われていたお互いの空洞の中を行き来していた閉じたエネルギーも解体され、解き放たれて、宇宙全体の歓喜のエネルギーの中に溺れます。

 

そうなると、もう、わやです。

 

 

終了させないように長く遊ぶ、これはそういうゲームなのかなと思います。

 

本当のカリスマとは、このあらゆる意味で豊かなゲームが終わらないように、この興奮や悲しみの陶酔を長く楽しめるように、一つ一つのプロセスをあらゆる角度から複雑に楽しみつつ、芯では永遠に明晰で醒めている、わたしやあなた自身の姿形を超えた本質そのものなのだと思います。

 

同時に人間としてのわたしたちはみんな、誰よりも密やかなその静寂のカリスマに拠っている、空虚だけど豊かな存在なのだと思います。

 

そのとき静寂のカリスマもまた、私たちに魅せられている。

JUGEMテーマ:日記・一般

日本に帰国しました。

スリランカに行くか日本に帰るかでギリギリまで迷ってましたが、今日無事日本に帰国しました。

(1ヶ月くらいでまだインドに行く予定です)

 

ひとつの座席で1歳8ヶ月の子と7時間過ごすのはちょっと何かの罰ゲームのようでしたが、とにかく長野に戻りました〜。

わたしの方は明日から業務再開します。

 

成田空港でリラックス中の息子2

 

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