今日は楽しみにしていたUAの八ヶ岳ライブでした。
だんなさんと、息子1&2とわたしとで参加。
完全自由席のこのライブ
午後1時半スタートですけど、朝9時すぎくらいに行こうかなと思って8時半に目覚ましをかけました。
ちなみに自宅から今回の会場の八ヶ岳自然文化園までは車で20分ほどです。
結局11時くらいに家を出ました。
遅くなったけど、ま、いいやと思って会場に着いたら整理券はすでに配り終わったということで、
一般の開場の12時半前に普通に並ぶことにしました。
それまで息子1はポケモンGO。
息子1が持ってるタブレットはWiFi接続でしかネットに繋がれないので、
今までは家にいながらずっとポケモンGOをしてました。
家にいても雑魚のポケモンが向こうから勝手にやって来るそうです。
完全にポケモンCOMEです。
なので彼は今日はじめての戸外でのポケモン「GO」にすげーすげーと興奮していました。
12時半に4人で会場に入り、どこの席がいいのかな〜と見渡すと、
いわゆるステージ前のアリーナ席にまだ十分座れるスペースが空いていました。
でもその時点ですでに暑かったので、
樹木でぎりぎり日陰になりそうな中程にレジャーシートを敷いて座りました。
赤ちゃん(息子2)がいますのでね。
息子1は中学のテニス部ですでに真っ黒けですけどそれでも暑そうにしてました。
(黒いのと暑いのはあまり関係ないですか。。)
そして会場の子供率の高さよ!
少子化どこ吹く風です。
今回のライブはUAも授乳中ということもあってか、
子供づれママ歓迎モードで、
チケットの種類にも子連れママ割がありました。
会場内にもキッズスペースや授乳スペースがあり、
でっかいトランポリンとか、子供すごい並んでました。
託児(有料)もあって。
でも子供と一緒に座って普通にライブ参加してもぜんぜん可能。
半分ピクニックみたいな感じでした。
日差しはめちゃくちゃきつかったですが。。
ライブが始まってから、日差しのきつさや子供の多さも相まって、
多少散漫な雰囲気だったかも。
それと観客がマイペース。笑
暑いし途中で抜けて飲み物を買いに行く人も多数。
しかし実際、場合によっては生命の危機レベルで暑かったですしね。
UAさんはアバンギャルドな出で立ちで。
なんじゃらほい、という印象でした。笑
そして目の前で動く姿を拝見すると懐かしささえ感じる関西独特のノリ。むか〜し、ダウンタウンの松っちゃんの追っかけをしてたそうです。
でもすごいなと思うのは、CDで聞くのと声の印象がぜんぜん変わらない。
20年前と比べても、変わらない!
前も書きましたが、わたしは20代前半に八重山の波照間島で民家を借りて住んでいた時にCDをすっごく聞いてました。
いつもちょっとつらくって、そのつらさに酔ってたあの頃。
UAのCDを聞いてたらそういう甘さとつらさが3倍増しに感じられて、とっても良かったんです。
今日ご本人のMCで聞きましたが、彼女のお母さんは奄美の加計呂麻島出身らしく、だから八重山の波照間島のあの頃の空気ともよく溶け合っていたのかなと思います。
わたしがまだ行ってなくて行きたいと思ってる島がいくつかあって、加計呂麻島も20年くらい行きたいと思い続けてまだ行っていない島です。
そうして南国大好きなわたしが、加計呂麻島の血を引くUAのライブに、長野一寒い地域の八ヶ岳山麓の野外ステージで参加できるってなんかすごいなと思ってたんですが、どうも彼女も今はこの辺りに住んでるらしく。
あんまりそんなことばっかり書くとキモい感じになってきますが、
わたしは念が強いのか、そういうことって少なくなくて、
以前「横尾忠則くらい美術界でメジャーになろうキャンペーン」を自分の中でしていた時、
東京現代美術館で開催されていた横尾忠則の個展に行って出し物の狂言を見ていたら、あいていた隣の席に横尾忠則本人が座ってきたこともありました。
ダライ・ラマに会いたいと思っていた頃に、インドの空港の廊下で会った時もありました。
(握手してもらって少し話しました)
自分と似た要素や考えてエネルギーを注いでることってやっぱりどうしても引き合うというか。
あっちの世界からこっちの世界に物質化するのか?
それは不思議ではないことなんでしょうね。
今日ライブが行われていた八ヶ岳の会場では、少し前にネット上で絵を見て「素敵な絵!」と思ってた東京の作家さんにもお会いしてもうびっくり!!
と言いたいとこですけど、そんなわけで、全然びっくりはしませんでした。
先日も、東京の大学の構内のベンチでご飯を食べていたら、インドでいつもすれちがっていた顔見知りが横を通りがかりました。
そんなとき、驚くというより、純粋に、再会した運命のようなものを感じて単純に嬉しくなりますよね。
だからインドでは声をかけなかったのに、日本では思わず声をかけて話しをしました。
ライブは途中一回休憩が入り、その後会場もどんどん積極的になったきました。
沖縄の八重山でよく聞いてて好きだった曲のうちの一つに「水色」があります。
この静かな曲を最後の方で歌ってくれてすごーく嬉しかったです。
知りませんでしたが、この曲をつくった頃は彼女は最初の男の子を妊娠してた時だったらしく、
それを聞いてこの曲の特別研ぎ澄まされてるけどふわっとしている理由がわかった気がしました。
https://youtu.be/RprZKjU-Ul8
「水色」
このあたりからもう、泣いてますよね、わたし。笑
沖縄にいた頃のことはとっくの昔に全て昇華しきったように思っていたのですが、
今回のライブでは本当に深くから過去をリセットしたような気がしました。
脳から、残った記憶が気化してシューシューと飛び立っていくのを感じました。
音楽の、人を特定の場所へ連れていく力をまざまざと見せつけられた気分です。
ホ・オポノポノっぽい歌も今日のライブでは歌われていました。
ありがとう
ごめんなさい
ゆるしてね
あいしてる
そしてわたしが住む街「茅野市」で近年発見された「縄文の女神(ヴィーナス)」という土偶がダンスしたらこんな感じ、という奇妙なダンスでミュージックビデオを撮影した最新曲も。
このミュージックビデオを撮影した時も彼女は妊娠中だったそうです。
このときは第4子ですが。
この「縄文の女神(ヴィーナス)」も妊娠中の女性を表しているそうです。
わたしもこれをはじめて見に行ったときは息子2を妊娠中でした。
そして今はヴィーナスライン沿いの通称「ヴィーナスハウス」に住んでいます。
そんなのばっかり自分の周りに現れる、ってことは、
わたしにヴィーナス要素の開発が不足してて必要なのかも。
ヴィーナス要素活性化キャンペーン中です。
目覚めよ女神。
そんな、妊娠話やヴィーナス話にわたしの脳が忙しく反応しているとき、
だんなさんとわたしに共通の知人の訃報が飛び込んできました。
わたしと同じくらいの年齢だった、仕事もできて美しかった彼女。
「UA」には、スワヒリ語で「花」と「死」という意味があるそうですね。
一人の人が亡くなるのは決して小さなことではないし、その影響は全宇宙の隅々の塵の一つをも震わせていると思います。
でも人はだれでも、生まれた時から死んでます。
赤ちゃんでさえその成長はすなわち死に直結しています。
この世界に一つの宇宙として現れた一つの人格は、生まれた瞬間から亡くなるその瞬間まで死に抱きかかえられているように思います。
そのような母なる死の手の中で、私たちは伸び上がり、花を咲かせ、そして必ずまた死の母に溶け込みます。
そんな当たり前のこと、
その当たり前がわたしたちにとって恐れと感じられるのか、安らぎと感じられるのか、
その違いはただ、私たちが死の母を愛しているかいないかの違いによるものだろうと思います。
完全な安らぎをもたらしてくれる死の母を愛して彼女の支えがあればこそ、私たちは完全な狂乱の花をも咲かせることができる。
死の母を愛さず、その存在を恐れから否定してしまったなら、私たちは代わりに生きていることの中に安らぎと安定を見出そうとするでしょう。
それは決して訪れないのに。
生きながら死んでいる私たち。
生きながら死んでいることを完全にうけとめて愛した人はたくさんの人の内側に溶け込んで、中から涙をあふれさせるのです。
UAもおそらくそんな涙を得て咲く死の花の一人なのでしょう。
そういえばわたしも生きている間に死に続け、咲きほこるはずだったんでした。
いつのまにやら生きることが努力を伴うようになり、生きる目的のためにだけ生きていました。
死の母から優しく送り出されて来たたくさんの赤子や子供達、忘れていた死の温もりに渾然一体となって安らぎ酔う大人たち。
再び母の胸にやわらかく抱きとめられた知人女性。
UAの存在感で思い出したのは、生きているわたしたちが気づいていてもいなくても、すべてのひとが焦がれている共通のみなもと、
死の母のことでした。