効率の悪さが示すもの。

元からやる気のない人でしたが、最近それにますます拍車がかかっている古野サワコです。

最近1年近く自分で抱えてて、ずっとやらなきゃやらなきゃと思い続けてた案件を、とうとうあきらめて、スタッフのみどりさんに託したら数日でできました。

つくづく、自分では仕事しない方がいいなと改めて思ったと言うか。

しかも、今残された僅かな自分の分担分でまた滞るという。

ニューだんなさんに「わたしは仕事せずに絵でも描いてた方がいいのかも。」というと
「引き継ぎが出来るまでもうちょっと待って」
とか言うので一応引き継いでやる気はあるらしい。

3月か4月くらいからやっていくつもりはあるらしい。
ほんとに出来るかどうかは半信半疑なんですけども。。。。。

少なくともお客さんにとっては希望ではなかろうか。


あ、バラティさんはアティルッドラマハヤグニャやる気満々です。

じきにまた追加案内送ってくるそうです。
日本語訳するのを私がめんどくさがって情報を私のとこで握りつぶさないように、ですね。

なわけで、
予算出す人いたら喜ぶと思う。

もし誰か出すならあんまりキチキチやらなくて済むように、多めでお願い・・・。



4月に東京にとんでもない超絶規模の地震が来るというゲリーの予告は、集合意識がちょっと変化したり別次元の存在のサポートとかでそんなに前見えてたほどの規模ではなくなって、M7くらいになったらしい。笑?

で、震源が内陸かつ来たから南まで広範囲に移動・分散したので、現況で見える感じは311のような津波の様子ではなくなってるらしいです。

あと、日本にたまってる地震のエネルギー散らしてよその国に行ったりもしてるらしく。
地震ワープ?ってことらしいです。


まあ、それにしてもそのうちどこかで何かは起こる感じなんでしょうけど、
原発が壊れて北半球がだめになるのを避けるのをとりあえず第一にしてるらしいです。
その、別次元の災害を小さいものにするようにサポートしてる存在とかいう人たち?は。


日本は地震国なのに原発あり過ぎですからね!!!

わけわかんないですね。


入籍とか離籍とか死とか誕生とか

しかしなんで、一般に入籍とかってめでたいこととされてるんですかね?
誰か知り合いが入籍したら私もおめでとうと言う時もあるし言わない時もあるかも。

たぶん、集合意識に入るってことは、(夫婦2人であっても複数の人がいたらそこに集合意識が生まれるから)一般人の仲間に入ることみたいな感じで、そしてそういう一般人のしきたりの中に招かれる感じがあるのかもしれないですね。

ちょっとわけわかんないなとか思うしどっちかと言うとはぐれもののひねくれ者のわたしとしては、入籍でたぶん起こりがちな集団幻想に入るようなことはバカバカしい感じもして正直「ばかじゃね?」と思ってしまうんですけど、

逆に言うと仮の姿、一般に見せるための姿としての入籍もアリかなと言う気もします。

家族や集団意識の一員である人のことを他人は容易に信用するから。

それって投影なんですけど、つまりは集団意識の中に入っていて集団にコントロールされてる人のことを他人は畏れる必要がない存在だと見なすということだと思います。つまり予測可能な存在だと思い込む。

そう、思わせるためにはいいのかもしれないなと思います。

めんどくさくないから。

同様に、私が絵を描いて美術家を名乗ってた時はある意味それが自分を説明して護ってくれるレッテルの機能も果たしてくれていたから、楽でした。

そういうかたちで集団意識の一員であると思わせるのもいいのかなと思います。

人はその人そのものを自分で単独認識することってほとんどできない気がします。

だいたいがその相手の周りの人がどういう人だとか、どういうとこに属してるとか、そういうので判断して安心する。

だから入籍とかって言うのも、周りの人にとってそういう意味で安心感を与えるからめでたいとされるんじゃないのかな。


なんか私、肝心なとこが抜け落ちてる!?笑




しかしなんで人は入籍、結婚するのか、とよく分からない気持ちですし、
それに対する印象、持ってるイメージや意味するところなんかも人によって違うみたいだからなおさらわけわかんね、と、思います。

私なんか相当気楽なもんで、

紙を窓口に出すだけのことくらいに思ってないんですけど、
結婚も離婚も。


でも実際、大して意味なんかないですよね。


私はそう思う。



そう思ってものすごくなんも考えなしに、こんなもので実質何も変わらないだろうと思って離婚届出したら、そうでもなくて1回目の結婚では痛い目にあったんですけど、

しょうこりもなく、全然何も考えずにまた入籍してみました、みたいな。


わけわかんない世界ですよね。


でも一般にはそんな軽いもんじゃないみたいですね。なんで?



まあたぶんわたしこんな感じで何も考えずにやっちゃうからこそ赤ん坊を連れてインドに移住したりとかそういうことになったんでしょうけど。

何も考えないからこそ、大規模プージャの真ん中でえらそうに座ってたりとか平気な厚顔さを持ち合わせてるんでしょうけど。

思い立ったらすぐになんでもできると思っててそのように動くんだけど、
できちゃう時もあるし、できない時もあって、ほんとなんにも考えてないでしょう?とか言われるんですけどほんとなんにも考えてない。


人生でそんなに大層なことってないと思うし、
大層に考えなくてもいいと思う。

どうせ遅かれ早かれ100年くらいしたら舞台からおりるし。


赤ちゃんが生まれた時は私はおめでとうと言います。
やっぱ生まれるのは大変だから。そんで、赤ちゃんとか子供ってやっぱ世界を明るくするから。
赤ちゃんにとっては地上に生まれるのは泣きたいことだったりするのかもしれないけども?


そして誰かがなくなったとき、問題は残された人たちとの状況にある時が多いと思います。
亡くなった人と残された人の間にやりきった感があったらそれは祝祭であるのだと思う。

母方のおばあちゃんが亡くなったとき、おばあちゃんは死んだあとのことに一抹の不安があったみたいだったけど、残された人たちは思い思いにやれるだけのことはやっていたからきっと仕事を終えて完了した、やりきったような感じがあったんじゃないかなと思いました。

色んななくなり方があるとは思うけど、少なくとも肉体にとってそれはいつも救いで解放なような気がします。

死に対するあこがれが私は中学生のころからあって、
それは体外離脱をひんぱんにするようになって、あ、きもちいいな、と思って、死んで肉体を離れるのっていいもんだな、と思ったので、その時(死のとき)を楽しみにするようになりました。


しかし実際、死の時に喜んで逝けるかどうか、それをいつも思うと、まだやらなきゃいけないことがあるみたいだな〜、と、思うのでした。


この肉体を持っているからこそ体験できるこの地球の次元を、私たちは飽きるまでやりこんで、もう全部わかった、もういい、さよなら〜〜〜って、できるように。


先月のスペシャルプージャの感想

ようやく冬眠のような期間から脱して、朝までメール対応などしていました。

先月行われた土星の移動対策のスペシャルプージャへの感想を発見したのでシェアしておきます。
たぶんまだ出してない感想だと思うんですけど。。。



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サイラム

今回のプージャ、面白かったです。プージャの事全然又忘れてて、前日、何だかお寺に行きたくなって、遠いんですけど、初めて行くシヴァテンプルに何だか行ってしまい、アルチャナをしてもらってきたその夜、ジョーティのサイトを見て、あああ、シヴァテンプルでプージャだった!気がつきました。当日は朝起きたときにどうしようもなく機嫌が悪くって、自分でも不思議だったんだけど、今考えると、、、、、。その後夕方くらいにいつものようにエネルギーがどおーっと来始め、一時的に、とても至福に近い状態になってしまいました。そしてとんでもなく頭がすっきり!このまま続いて欲しかった。。。でも、翌日も結構気分が良かったし、今日も気分がいい。このまま毎日気分良く過ごせたらいいな。ありがとうございました。

余談ですが、今日、何だかお寺に又行きたくなって、いつも行ってる所は結構遠いので、どうしようかなって思って、ババに聞いてみたら(ダウジングの方法でいつもしつこく質問をしてます)、この近くにあるという最近聞いたお寺に行けと言うので行ったら、なんと偶然、、、アフリカ人のサイババの信者にあってしまった。又この二人がかなりサイキックで、(2人のうち一人はかなり有名な人の生まれ変わりらしい、今言うなと言われてるので誰だか言えないですが)、「早く!今ババがちょうど中にいる」と言われたんですが、私には見えませんでした。ちなみに南インド式のカラフルでアットホームなシャクティテンプルでした。ムルガンもいました。ご飯もおいしく、又行かなければ。さわこさんのおかげで、プージャ、テンプル好きになってしまいました。。。。。癖になりそう、。。

何だか長くなってしまいましたが、一応プージャありがとうございました、と言うお礼まで。

M


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海外在住の方ですけど、ていうか翻訳担当みどりさんですけど、
イギリスにはインド人がたくさん住んでるからヒンズー教のお寺も多いみたいですね。
お寺参り楽しいですよね。

エネルギーが来てその後スッキリ!というのはわりとすごくよくあるパターンです。
みどりさんヒーリングしたりもするし敏感みたいで。

私はみどりさんほどではないけどやっぱりプージャのたびに、なにか来てるというのは感じます。

ときにはこの場合のようにものすごくわかりやすく至福感が来たりスッキリしたり、ものすごい怒りがわいて来たりなどもあります。(怒ったあとはしばらくするとすごくスッキリ。正に詰まってたとこが流れが良くなってスースーするみたいなかんじになったり)


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Om Sri Sai Ram

さわこ様

お世話になりましてありがとうございます。

昨日は、プージャをしていただきまして、
ありがとうございました。

お蔭さまで、なんだかとても元気になりました。

今朝は予定もしていなかったのに、
台所の普段していなかったところの掃除を楽しんで済ませることができました。

気持ちも明るく前向きな感じで、その変化に自分でも驚いています。

お世話になりまして、誠にありがとうございました。

これからも、よろしくお願いいたします。


サイラム

              K


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正月なのに春眠

まだ1月なのに春眠暁を覚えず状態。

そういえば山本千春さんいわく1月くらいにぱちんと私のスイッチが切り替わるみたいなことを言っていたような。。。

実は12月にサクッと入籍しておいたんですけど、それでちょっと様々な面においてバランス取り直すみたいなことはどうしても必要になって来てるかなとも思うし、ある意味ほっとして気が抜けたようなとこもあるのかもしれません。

わたしがあまりにもうだうだすぎなので、今自分が担当してるプージャの受付とかももう人にまかせた方がいいのかなと思って、入籍相手に「しないよね〜」と思いながらも「やる?」と聞いたら、今の仕事(スキー場で圧雪車に乗る仕事)が終わる5月以降くらいからならサポートしていってもいい。やる。とのことだったので、
もしかしたら私が担当してる事務処理系はそっちに分担していって、
私は気ままに記事書いたりとかそういうポジションでいれるようになるかも。

ちなみに20年くらい前から毎年、1年のうち半年インドに滞在してマザーテレサの施設で孤児の障がい児のとこでボランティアしてた人です。(あまり他の人に言って欲しくないみたいですけど)
サイババのインタビューは3回くらいうけて、物質化されたシヴァリンガムデザインの指輪ももらっている。
みなさんのプージャ申し込みの依頼を受ける担当者の条件としてそう悪くはないんじゃないかと。
(やっぱ、エネルギーを扱う仕事なので)
まだ少し先の話ですけど。

神像販売やアガスティアの葉、インド占星術などは他の人にすでに分担してるのですごく助かってます。(私が受けた分だけ滞ってます・・・)

そういえば翻訳チームのひとりの、イギリス在住のみどりさんも12月に長年のパートナーと入籍したことが数日前にわかって、お互い奇遇ですね、というかんじで。
なんか、状況が似てる。


明日は年が明けて1回目のガネーシャアビシェーカム(サンケシュタチャトゥルティ)の日になります。

近年の猛烈な円安なので、料金改定しないとな〜と思いつつそのままにしてたのですが、
今だったらまだ元の値段の1回4800円でお受けします。
良かったら6回分や12回分などまとめてのお申し込みもこの機会にどうぞ。

お申し込みはこちらから。
http://premasai-jyoti.shop-pro.jp/?pid=21584240

今年前半のガネーシャアビシェーカムの実施日程はこちらです。

2015年1月8日 
     2月7日
     3月9日
     4月7日
     5月7日
     6月5日
時間はすべて日本時間の午後7時半〜午後10時半です。

よろしくおねがいいたします。

サイラム☆

自分が

しばらく、自分がどうなってるのかさっぱりわからなかったのですが、ちょっとわかって来ました。
この、恐ろしいほどのやる気のなさ。

色んな人にそれはやらなくていいということだとか言われてるんですけど、そうはいってもな〜、というかんじで。

でも同じような状況が結婚前にもあったような。

その時は岐阜での仕事を辞めて(大雪が降った時に、私はもうこんなとこにいてはいけない、と思ったという。今もっと寒いとこにいますけど。)

絵を描いてたのかな、でもまあ平行して派遣で働きに行ったんですけど結局、交通事故をきっかけにやめました。

事故の影響があるわけではほとんどなかったんですけど、その時間だけわりきって、と、イヤイヤなんとか働いてたのが、事故で衝撃与えられたらそれ以上我慢できなくなった感じ。

大した事故じゃなかったんですけど私は助手席に乗っていて、運転手からも相手の車からも保険金が入って来たという。
弟にインドへの卒業旅行費用として上げちゃいましたけど。

そのころも、もう、ちょっと、完全に自分の中を浄化する必要があると思って働きに出るのも外出するのも一切やめて家にこもって紙に書きまくって(まだPCつかえなかった)自分の内面の状態を見える化する作業を毎日してて。そういう状態を半年続けて自分の中の物を全部出し切ってもう動くものがなくなった状態になって。

それに近いことを今またやる必要があるんだなというのが何となくわかって来ました。
自分自身に集中すること。


(でもやることはやっていきます)

星座の配置のような

なんてことないけどちょっときれいな動画。




2人の間が星座のように「みゅんっ」てなるとこが面白いです。

いまさらですが、クラウドアトラス ちょっとレビュー

昨日の晩に、見ようと思ってずっと見てなかった映画の「クラウドアトラス」を見ました。
インド占星術もそうだけど、アカシックレコードのリーディングをするならこの感覚はけっこう参考になるかも。



輪廻転生がテーマの映画という理解で大きく外れてはいないと思うんですけど、
6つのストーリーが並列で描かれていて、同じ役者さんが色んな役柄で出て来るのが面白い、、、とはいっても映画が終わった後のネタばらしで、観てる時にはほんの一部しか認識できてなかったことがわかったので、そこを頭に入れて、時間が取れる時にもういっぺん観ると思います。たぶん。

純粋に映画の評価としては、中の上くらいなかんじでしょうか。
様々なエピソードの描写が6つ並列で描かれているだけに中途半端で浅いというレビューも多いみたいですけど、
どぎつい描写や残酷描写もそんなに深く入って来ない利点もあって、むしろ助かる。

ちょこちょこ引っかかる設定とかもあって、いつも穿った見方をしてしまう自分なので、ン?と、警戒音が自分の中で鳴るときもあったけど、
様々な人生や人格でも失われない永遠のものを扱う映画なだけに、案外後味も良くて、立体的な構成を楽しめました。

ソンミ役の韓国人の女の子は深津恵理をちょっと思い出した。

ただ、西洋人のへんてこな東洋人風特殊メイクは何とかならんもんか。
それか別の設定が?

この映画は三島由紀夫の「豊穣の海」にインスパイアーされているという話も。
http://blog.livedoor.jp/y0780121/archives/50750975.html




こういう生命に通底する永遠のもの、みたいなテーマとしては「ツリーオブライフ」も自分の中ではちょっと共通する映画なんですけど、
「ツリーオブライフ」はもっと美しく耽美で繊細で支離滅裂。
でも最後のシーンでは何らかの納得と幸福なカタルシスを感じました。

古いけど、いくつもの時代にまたがって生きる映画の「オルランド」も美しくて良かったです。
「オルランド」の場合はすべての人生を主人公が意識を分断させず通しで自覚しているように見えて、その永遠の存在としての美しさがより強く伝わってくる爽快な映画でした。

単純に映画としては個人的には私はNZが舞台の「ピアノレッスン」が音楽のマイケルナイマンとともにはまって3回映画館に足を運びました。マイケルナイマンが来日した時に彼が音楽を担当したオペラまで見に行って、そしたら本人がいたので握手してもらって激うれしかったです。

「ベティーブルー」もはまったけれど、それらの思い詰めたようなある種の狂気はあんまり潜在意識に入れるとヤバいと、それらが自分の人生で現実化したような後になってから思いました。もともと潜在意識にあったからはまったのかもしれないけど。
ビョーク主演の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」なんかは下手なホラーよりもよっぽどトラウマレベルの後味の悪さで、さすがに観たのを後悔した。

今観るならもう、「オルランド」のような後味のいい朗らかなのがいいですね。

以前は耽美かホラーか狂気の要素がない映画は興味をそそられなくて観る気がしなかったけど、潜在意識にたまってたそういうのが全部きっと人生に現実化して出て行ったので、もういいです。

今現在、楽しみとして映画を観るなら何らかの超越のあるものや幸福感のあるものや永遠の要素をそこに求めている気がします。


そして観るときもすでに映画のストーリーの中にはあまりはまり込めなくなってて、映画の中に展開される世界感やコンセプトをチェックするくらいな感じで観ています。
映画の発するメッセージも無防備に潜在意識に取り込みすぎないように気をつけてるくらいなもんで。


。。。ただ、最近観た中では高畑勲監督の「かぐや姫の物語」でまさかの号泣。



やられた。笑



なんで?

とつぜん、「なんで体の中に空気が出入りし続けてるんだろう?」とか、
鼻をいじって、「なにこれこの変な形状」
とか思うんですけど、

まあ、そこそこ楽しく暮らせてるしまあいいか、って。


でも、あらためて観てみるとこういう奇妙なことが普通ってことになってますよね。
どうなっとんや!?

ちょっと冴えない気分。

正月早々済みませんけど、何となくちょっと冴えない気分です。

客観的に見たらたぶん全然冴えないことないと思うんですけど、具体的な問題があるわけでなし。

気分的になんか、もっさりした気分です。

新鮮さが自分に失われてる感じ。


生きるモチベーションが。。。ない。。。



テンションあがらないというか。


ちょっと鬱屈した感じ。


内省期?


あけまして。つれづれ。

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

といいつつ、正月気分皆無の元日を終えました。


ここしばらくはなんだかんだとやることが多くていつもにも増して気が散っていて、
その集中できてなさに多少気がめいってたりしました。

色んなことを断捨離してスッキリしていたいなという感じです。


けっこうわたし今方向性見失ってるかなという感じがするのですが、
2012年までは自分の人生のシナリオの方向性がものすごくはっきりしていました。

(それがその通り行くかどうかは別として)


様々な予定されてる人生のイベントごとの時期とかも結構きちんと予定を自分で把握していた感じで。
まあだいだいですけど。

今は日本にいすぎてるかなという感じもなきにしもあらずなのですが、
2012年以降ほんとに方向性が、今までのようなカチッとした感じの手触りではなくなって来て、
超行き当たりばったりで自分でも確信がないままさまよってる感が。

ここ1〜2年、他の人のセッションを受ける機会も多かったのですが
だいたいがさわこさんはそのままでいい、そのままで行け、みたいに言われることも多くって、

でも、肝心の、わたしが、自分が何だかよく分からないし、
ふらふら〜、ふらふら〜、としてます。


でもそういう自己認識と、他の人から見た自分というのがかなり一致してないので、
そういう意味でもやっぱり私は自分のことがさっぱりわかってないのかなという気もします。

今後どうしたいかというビジョンやモチベーションも特にないし、
特にすごく興味があることもないし、
言ってみれば自由にフラフラしてたいというのと、楽しい人間や環境の中で喜んでいたいみたいなのはあるかなと思います。

どのように生きることが自分にとっての喜びなのか、やっぱりよくわからない。
とりあえず制限がない状態をあらわしていたいというのはあります。


いうても、わたしも40歳になってますし、
そろそろ人生のシメについて考えてそこから逆算して、みたいなこともしやすくなって来るお年頃。


しかし20代くらいの頃からずっとわたしは「時間がない」という感覚があって、

後数十年でどれだけのことができるというのだろう、みたいなことを良く考えていました。


とりあえず、荷物整理だな。

物がなくなるとそのあいたスペースにインスピレーションも降りて来るのが容易だから。


ん?それって年末の大掃除にするようなことなんでしょうか。


何かスッキリしない年初のご挨拶でした。失礼!


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