サホードラドーシャムプージャについて

サホードラドーシャム(兄弟姉妹のカルマ)プージャについてのお問い合わせがありましたので、

わたしからお客様への返信を貼り付けます。



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サホードラドーシャムプージャについて問い合わせましたところ、

実施は可能で、料金はマートゥルピットゥルドーシャムプージャと同じく1回4800円です。

(9回などまとめて複数回お申し込みされる場合もあります)


実施場所はどちらも南インドババー二のトリベニサンガマムです。


次は10月4日がインドの新月なので、そのときに実施するのが適しているそうです。



お申し込みの際はプージャを受けられる方のバーススター(ナクシャットラ)もしくは、生誕情報(生年月日、生まれた時間、生まれた場所(市くらいまで))を、お知らせください。


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マートゥルピットゥルプージャ(両親のカルマのプージャ)も、サホードラドーシャムプージャも、新月の日に実施するのが最も適しているらしく、

次のインドの新月は10月4日なので、それまでにお申し込みいただくと10月4日に実施いたします。

お申し込みはこちらから(サホードラドーシャムプージャなどのプージャもこのページからのお申し込みで結構です。)

http://premasai-jyoti.shop-pro.jp/?pid=23132183

同様のプージャ(やはりババーニで実施)には配偶者のカルマの解消のためのプージャ(カラットラドーシャム)や子供のカルマ(過去生での子供との関係に由来)の解消のためのプージャもあります。(プットラドーシャム)

これは火星のプージャ(火星のプージャは結婚などに関するメジャーなプージャ)とはまた違う効き方をするんでしょうねぇ?



ルッドラムと那智大社の清めの砂

日本に来てからいちおう様子を見ていたというのもあるけど、もやもやしたものが今日の朝ルッドラムを唱えたこともあって我慢できなくなってきた。

限界なのでちょっと出すことにしました。


で、なにを出したんだっけ?



あ、わすれた。





ということは、きれいに出て行ったということか。




母に何か言ったのは覚えてるけどなにを言ったかは忘れた。



何やねんそれ!とかは言ってたけど。



ほちゃほちゃと母の意図のとおりに表面でまとまり完結しつつあるこのうわっつらの場に我慢がならなくなって、


あーきもいきもいきもい、なにもかもがきもい


と思って、(母には私が人格障害と思われてるけど)





で、限界だ、と思って荷物整理してたら那智大社の清めの砂が2袋出てきたので、


家の周りにまいた。


そしたら周辺から少し軽くなった気がしました。


ビブーティーがどこかにあったらそれもまいたらいいんだけど。



で、家の中の小さな祭壇でも少しミニプージャをして、
(ベルを鳴らしてるとき母が嫌がってるのがよく伝わってきたけど)

線香や灯りをつけたら落ち着いた。



祭壇いちおうあって、そこに母が買って来たシヴァは置いてあるんですけど、完全にインテリアなので、

今回私が帰ってきてからシルディババとかダッタートレーヤーなんかも加えて、何回か花とか供えたり気がついたときはできるだけ灯りをつけたりしてて、

でも名古屋のサーダナキャンプから帰ってきたら全部撤去されてたのでめげずにまた設置した。


仏壇も、線香を立てるものすら置いてなくて、
完全にインテリアもしくは貴重品をしまうための単なる引き出しになってるので、

仏壇用の線香たてとか花とか置いたらそれもすぐにどけられた。

(子供は知らないうちに拾ってきたどんぐりをひとつ仏壇に供えてたけどそれもどこかにやられてた)


花とか、3番目の弟の嫁さんに上げようとしてた。
断られてたけど。(賢明)


仏壇には、あの、「チーン」て鳴らすやつとか絶対必要だと思うんだけど。




KRさんの講演会で、いいなと思ったアイデアで、

お店とかやってたら、そのお店にも固有のアイデンティティがあるから、お店と話をして、なにが望みかとか、どうなりたいのかとか聞いたらいいというのがありました。


アーなるほどなと思って、

そのアイデアいただいた。



いま3つネットショップかかわってますけど、

それぞれのショップに希望を聞いてみた結果、それぞれの特色に特化していく方向でいい感じかもと思いました。


それもあって、実家の家とも会話してみようと思ってやってみたんだけど、

うまくいきませんでした。



シーンて感じ。

気絶してるの?


と思って、インドにキープしてる2つの部屋でもやってみたら、

1つはOkだったけど


もうひとつのほうはやっぱりあんまりうまくいかなかったので、

わたしに少し練習が必要なのかも。




最近周辺の霧が深くなったような気がしてて、

でもそう感じてるということは自分の晴れた状態により集中してるということなのかもしれないなと思います。



遠慮しがちだけど、

遠慮せずにいこうと思います。



きっとそれでなにか通る人もいるかもしれないから。







あ、そうそう、それで、清めの砂をまいた後にさらに

前回大阪で広島の木村さんに整体とセッションしてもらったときにもらった四方切りの法と八方祓いの法のやり方のプリントが出てきた。

ちょっと家も清めたほうがいいのでみたいなことを言われてたの忘れてた。

というか、あんまり好みじゃないのであえて放置していた。



このプリント見てたら、

八方祓いの法、、、これは土地に沈みこんでる邪気邪霊、他人霊、動物霊を祓い、清め、治め、土地を澄み切った状態に致します。

と、書いてます。



この、八方祓いのほうがなんか今ここに必要というか、やったほうがいいような気がするなあと思いました。

やり方を読んでるだけで少し浄化されたような気がしたから。



もういっこの四方切りの法の方は、
家の中の邪気邪霊を払う方法みたいです。


こっちより、八方祓いかなと思う。
なんか妙なもやもやしたのがある感じがするので。

動物霊とかかも。

林を切り開いて建てた家だから。



どっちもやればいいでしょうけど。







スダルシャナホーマム(ゴープージャつき)

今日はあんまり仕事してないです。

仕事とは真逆のブログ記事とか書いたぐらい。

ごめんなさい〜。


いろんな物事を全部まとめてすっきりとした展望が見える気がするときもあるし、

もやもやして脳が休眠状態のときもあります。

実家はやっぱ自分のやりたいことと関係ない要素が多すぎて集中しにくいというのはあります。

テレビもしょっちゅうついてるし。


集中するのって、物も音も何もないからっぽの部屋にいるのが一番ですよね。


結婚前に一時期実家にいたときは部屋をそんな風にして、気が散りようがなくして集中して作業したり、絵を描いてました。


環境って大事です。わたしにとって。


今は部屋が割り当てられてないのでキッチンの端の椅子に座ってるという。

もしくは食卓。



もっと、ものすごく集中したいです。
何らかの策を練って。


集中するのって深いきもちよさがあるから。



スダルシャナホーマムを受けられた方から感想をいただきました。



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Subject: スダルシャナホーマムありがとうございました。


サイラム
古野SAWAKO様



本日、スダルシャナホーマム(ゴープージャつき)をしていただきました

Kです。

どうもありがとうございました。




申し込みをして受ける前から、イライラした感じが浮上していたのですが、

スダルシャナホーマムをしていただいている時間帯の半ば辺りから

スッキリしてきました。

今は眠たい感じが強くて、今夜は深く眠れそうです。

これから徐々に自覚してくると思いますが、気持ちが以前より軽くなったようです。

受けて本当によかったです。

心より感謝いたします。

機会がありましたら、プージャ、ホーマムをしていただいた僧侶の方にも、

ありがとうございましたとお伝えいただけましたら幸いです。


(略)

またよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。


K


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ホーマムとか、わりとわかりやすく効果を感じられる方も多いです。

不思議なもんですねえ。




こちらスダルシャナホーマム(ゴープージャつき)


http://premasai-jyoti.shop-pro.jp/?pid=45850829

今この瞬間はちょっと料金体系が変わってるので、

この料金(50000円)で、ゴープージャを5回お付けできます。
(毎週行って5週にわたって5回)


またしばらくしたら変えると思いますが。(数日後とか?)





全然関係ないですが、先日、ティルパティで一般の人もプージャを予約しできるんですか?と、聞かれました。

できるみたいですが、少なくとも3ヶ月前に予約する必要があるみたいです。




今日はこれでちょっと寝ます。


返事まだの人すみません。。。


家族ぐるみのお見合い風引き合わせの様子に違和感とこわさを感じたわたしの精神がやられた。疲れた。笑



なんか、そういうの、意味不明。。。

こわい。

ショック。


人身売買?


ちょっときもいと思ってしまった。


えー、ショック。



何のために人って結婚するんだろう?




思わず子供に話してしまった。


子供は「あれ(私の弟)は誰とでも結婚できるな」とかわかったように言っていた。

「まあ男はそうかも知れへんな」と私は答え、


何で結婚とかしようと思うんやろう?

と子供に聞いてみたら、


子供は考えたものの答えが出なかったらしい。




あれかな、それもひとつの表舞台のレールってかんじ?思考停止のための。


こわいわー。

世界ってそういうものの寄せ集めでできてる感じがした。


本質にはどうやったらたどりつけるのってかんじ。



全員が表の顔しか出してないでにこやかに浮かれてるのに目的がなんつーの、下品でごめんですけどまぐわわせるため、親の力を借りてまぐわうためって、奇形の柿よりグロくないか?

世界ってそういう風にできてるのね。こわいよー。きもいよー。


そりゃ、そういう表の顔できれいに会話できない子供な私と私の子供が食事に声もかけてももらえないわけだ。


雰囲気ぶちこわすから。


(子供はたぶん私のとばっちりと思うけど)



介護がどうとか

もやもやすることがいっぱいで


吐きそう。

と母に言ったら


吐けば


と言われた。



今日は一番下の弟のお見合いがてら、先方のお嬢さんとお母さん?を父の演奏会に呼んだ?みたいで。

前回も大きな演奏会のときにそのようにセッティングして母は相当浮かれていた。


で、今日は家にも呼んでいた。


相手の方たちは「おおきいわー」と言っていた。(家が)



私は今日は出かけようかと思ってたんだけど、

インスピレーション?に、今日は家にいるようにということだったのでいたらこんな羽目に。



なるほど、まだ充分きれいに思えるのだけど、畳やふすまの張替えを計画してたのはそういうこともあってのことかと。

たぶんまだ張り替えてなくてあんまりきれいじゃないということでか、仏間は閉め切られて隠されてたんですが、


全開にして、隠されてたサイババの写真も出しておいた。笑

帰ってきた母は「なんでっ!?」

とかいってたけど。


そういう風に隠すの私嫌い。



今までで一番母は浮かれていて、

なぜかと言うと父と母の息のかかったお嬢さんなので、弟と結婚して家に入ってもらった後もすべて母の思い通りになる可能性が非常に高い。



弟たちに嫁さんが来るたびに、母は自分たちの介護の担い手としてのシュミレーションをしてるみたいで、

今度のお嬢さんなら従順にその役目を果たすでしょう。


2番目の弟の彼女が家に出入りしてたときも母はそればっかり考えてたみたいで、

なので、自分や父の老後の世話をしてもらうかもしれないからと、彼女の暴挙のすべてに目をつぶって許してました。

なんかでも、母くらいの年になるとそうなってくるのかもしれないですね。

わたしならそれこそ行き倒れるほうがましだけど。


結局その彼女は両親との同居に耐えられずに(家の集団意識の求めに応じられず)家を立たんですが、その後弟とも離婚もして、

そしたら向こうの親に、自分の娘に介護させようとしていたと言われたと言って母はプンスカ怒っていたんですが、

いやいや、完全にそのつもりやった(介護させることを視野に入れていた)やん?


と思い、嫁さんも、同居の時点で、同居後も結婚前のみんなが彼女を中心に盛り立ててちやほやしてる状態が続くと思っていたのもすごいなと思ったんですが、

そう思わせるほどの家族総出の彼女への合わせぶりで、

いい幻想だけを見させて同居させたうちの親にも責任はあると私は思いました。


でもそれは普通のことなのかも。


鳥がきれいな羽を見せてメスをうっとりさせるように。


人間もきっと同じことをしてる。



父の演奏会に親同士が子供をつれてきて会わせるというのもすごいなと思ったんですが、いやな言い方だけど、先方の期待と幻想を膨らませて、詳細への疑念に触れさせないようにするのには実に効果的。


だめだ、私そういうのすでに怖くなってる。



でもそのお見合いセッティング劇の参加者全員が利益を得る感じなのでそのようにみんな深みには一切触れず、表面でつながって演じてる。

こわいよー。



とかいったら、また母に「インドに帰れ」と言われるでしょうけど。笑


よく言われます。

母からしたら母ワールドの調和を乱すので。

私自身、母の自慢できる子ではなくなってるし。むしろすでに隠したい感じ。



ちなみにその2番目の弟の嫁さんのときは私は一瞬もポジティブな感じで合わなかったので(視界に入るとお互いの間に嫌悪の電撃がビリビリ流れた)、彼女が家に入った時点で、私は二度と実家に足を踏み入れないと心に誓いました。

私だけ彼女中心の輪に加わらなかったので私は家族にもいやなものを見る目で見られていて暗部扱いだったし。


出て行ったのでまた来てますけど。


2番目の弟の次の嫁さんはかなり普通だけど、
保険の勧誘の人なので、空気がどこかしら勧誘されてる感じになってちょっと怖いからやっぱりあんまり安心できない。

彼女は仕事の休みのときに来て、がんばって母のやらせること(畑の畝を作ったり)喜んでやったり、
実家に食材を持ち込んでご飯を作って実家の家族みんなに振舞ったりしててかなりがんばってるけど。

仕事をやめて同居したいのかもしれない。

(私はそういう頑張りが怖いから逃げる。時には子供もつれて。)



3番目の弟の奥さんはニュートラルな感じで話すことがないからほとんど話さない。
彼女はある意味賢明と思う。

基本的に弟たちの奥さんとかと私は気が合うはずもなく。


というのは、奥さんや彼女を連れてくるときに、実家世界の主である母の気に入るかどうかだけみんな気にしてるので、

母は母の気に入られようとしない私がどっかに行ってるほうが都合がいいし、

弟たちもそんな母に同調してるから、

普段から私に警戒して話さなくなってるし、

ましてやそんな弟たちの嫁さんや彼女が私を母以上にポジティブに認識できるはずもなく。

ニコニコして見せるんだけど向こうも私もどうしていいやら戸惑ってます。


接点があるような場ではないとこで会ってるので残念ながら、必然的に何も話せない。



唯一、1番目の弟の彼女とはいつも私は気が合った。

世界も近くて、その弟の友達の中には時々わたしも普通にしゃべれる人がいた。

なんか宇宙語をしゃべり続ける美術家の変わった女の子とか。バイブレーションの調整の必要なく普通にしゃべれた。爆

でもその弟は残念ながらよく振られてあんまり長続きしない。笑


1番目の弟はコントロールがきついから。たぶん。

そんな弟の彼女になるような女の子はお人よしで、どこかゆるい子が多かったんだと思います。


母に従順で普通っぽくてまっとうな暮らしをしているほかの3人の弟たちの彼女はいつもきついか隙がないか、非常にそつがない。





1番目の弟は、母にも私同様よくダメだしをするので母の評価も相当低い。

母はわたしに何か指図して言うけど私は聞き流すことが多くて、弟は逆に母にいろいろ指図しまくる。

母は結構嫌がってるし、よくけんかみたいになってます。

その弟はなんかよく母と一緒にスウェットロッジとかはいってたけど。

バラティさんに言わせれば彼はヴェリースピリチュアルボーイ!でもクレイジー。

ちなみにこの弟だけ2番目の弟の彼女の傍若無人を注意したので、彼女はこの弟は避けていた。

でも実はこの弟は彼自身中学生のころからもっとめちゃくちゃ。


長男長女は母の言うことを母の望むとおりに満たさないし、従順じゃなくて好き放題してるのでダメー。


(私も1番目の弟もいつもみんなのためを思ってはいるんですが評価はされない)


末っ子の4番目の弟はその点破綻なく失敗しないようにしてて、

母も満足していて、母は彼に「あんたにこの家をやるわ」と言ってます。笑

当の弟はそう言われてもいつも楽しくなさそうな重苦しい顔をしてたけど。


そして今回その弟の嫁さん候補は母の友達の娘。

母の影響力を増すつもりだ!キタ!


少し前までは2番目と3番目の弟(双子)が家に入れば家が安定すると言いまくってその線ですすめて一生懸命だった母なんだけど、双子の嫁さんは母とはあんまり同居できる感じではない。

なのでターゲットは4番目の弟に。彼は母の人柱。


今度は母のすべて思い通りになるでしょう。


母ワールドついに完成。



母の友達の娘の若い嫁さんは母とうまくやって、母の管理下で母の干渉も喜んで受け入れて、よい孫も生みそうだ。


ちなみに私はプロセスの途中で干渉されたら気が狂うので、
生まれてから母に連絡しました。

生まれた子供は3ヶ月目くらいからアトピーがひどくて肌がズルズルだったので、よく泣くし、

母は孫幻想が満たされず、「こんなの楽しくない!」とぶち切れてたのを聞いて悲しい気持ちになったのは切ない思い出。



だからわたしは私の家庭を母に干渉させたくない、母の手の届かないところで自分の世界を守りたいというのは切なる思いだったんですけど、結局、もってかれてしもうた。



4番目の弟が完全に母の手に落ちて、母ワールドが完成したら、あとはいかに私と1番目の弟という自己主張ばかり強い雑音をやり過ごすかという感じか。


私もだからさっさともっと経済力つけて誰にも嫌がられないところに、気兼ねなく生きれるところに子供をつれてでも行きたいです正直。

ここは私が受け入れてもらえるような、いて喜ばれるような場所ではないから。
(それでも私がいることで実は活性化されてる部分はすごくあるとは思う。みんなのマスコットみたいな存在になってる?お客さんにも評判のいい犬や子供は私を通じてやってきたものだし。)


1番目の弟って、この前まで奄美で農業やってた弟です。今タイ。

5人姉弟の中で唯一ぐれた、土方・とび・大工系。

彼がなんか行き詰ってたころに、母は「ねーちゃんとこにいけ」と、沖縄の離島の仕事に送り込んできたので一緒に働いたことがある。

その後移動生活に味を占めて世界中で踊ったりしながらうろうろし続けてます。

この弟と一緒に働いてるときに、
女子寮になってた一軒家でみんなで飲んで、そのときにどうも自分たちが育ったうちの家は変な家だったなあということを確認しあったのはいい思い出です。

一言で言うと同調圧力でみんな自動的に動いていた。会話とか全然なかったんです。


ほかの3人の弟たちは無難に生きてて、家を疑うこともなく、母の世界で喜んで生きているように見える。母に気に入られるように。


そうできるならそれは楽でいいなと多少うらやましく思います。


いろんなものを見すぎると夢が見れなくなってしまって、この世界からは外れてしまって、この世界の求めに応えることを通して世界に守られて生きることが難しくなってしまうんだろうなと思います。


穏やかに生きるには世界を疑わず、世界の求めに従うことを自分の指針として生きれるように、賢明にも臆病で、視界が狭いほうがいいのかもしれない。



でもきっとそうしようと思ってもできるもんじゃないし、

こうなってしまった私や1番目の弟はさまよい続ける運命なのかも〜?



それでもいいと思います。


そういう知り合いいっぱいいるし。


何の保証もなくともみんな軽やかに生きている。


そしてみんなとてもやさしい。


策を張り巡らし、仮面をかぶり、必死こいて介護の手を確保しようとする必要もないと普通に思えます。


むしろ私ももっとしっかりしたらいろんな人の助けになりたいと思い、


だって、やっぱり家族に頼みごととかできないからとホントに一人で生きてる知人も少なくないので。


郵便の受け取りすら家族に頼むのも気兼ねして、クレジットカードの継続を打ち切ったから不便だわやっぱりー。とか言ってて。



でもまだわたしは人の役に立てるほどこの世界での実力が伴ってないから、この世界でしっかり生きようと思えます。

いろんな人のためにも自分の場所を確保して。


そんな感じに思って自由な気持ちで、できる限りほかの人の支えになってる知り合いも多いです。


そんなもんでいいんじゃないかなと思う。




お客さんたちに挨拶されて、帰っていったのをみんなで送っていったのかと思ったら帰ってこなかったので私と子供とで夕食を食べた。


「うちらほったらかしかい。食事に行ったの知らんかったで」と言ったら

「だって肉食べに行ってたし。」と、母。


どうも、みんなで肉食べにいってたらしい。



昔は実家もマクロビだったのにな〜〜〜。



家も、宮司さんに見てもらって、神社並みの格式で建てたのに、サイババの写真とか神様とか隠す家になっちゃったし。意味ないし。


仏壇に私が花とか子供がどんぐりとか供えてもうっとおしいからとすぐ撤去されるし。


広さを見せて自分を飾るための見せ家じゃあ、そんな家、どっちにしろ長くは持たないよ。


詰まりの排出作業3

周りには合わせられないから、

100%完全に一人でやっていくのが基本ということで、OK.



あとはなるようになるでしょ。

詰まりの排出作業2

(つづき)


あ、というか、カルマ的な表れに価値を置いて、もとだんな自身のエネルギーを分割したために器というか容量が減ってもとのわたしと組み合わさらなくなったというほうがたぶん正解。


わたしはけっこういろんなとこで持てあまされるんですが、


なのでインドに隔離しておくほうがいろんな人に迷惑がかからなくていいらしい。



でもほんとはそうじゃなくて、

そういう私も抱合することで広がる場というのもあると思うのはやっぱり傲慢でしょうか?



私が生きれたらほかの人にとっても居心地のいい場所と思うんだけど。



そうでもないか。


みんなが言うように、誰にも迷惑がかからないところに消えるのが一番か、もしくは


みんな(のエゴ)に都合のいいように合わせるか。


てことなんで、


後者は無理だし、

いろんな人も私には消えてもらいたがってるので、



たぶん求められないとこにはいないほうがいいんだろうなーと思いますけど。


それならそれでいいけど。



存在形態がいまの日本の社会の成り立ちのしくみとどうも逆らしいので、


どうしても摩擦が起きる。



私をポジティブな存在と見てくれる人は相当頭が開いてしまってる(それは現代日本ではまだちょっと危険)


もしくは女性であることによってもたらされた悲しみを受けてきた人なのかも。



詰まりの排出作業。

昨日くらいからまた強烈な憎しみと悲しみの感情がもりもり力を盛り返してきてます。

相当根深いなこれは。

というか、存在の根幹のところのものみたいなので、

底の底からひっくり返さないと単に消しても何度でもまた戻ってくる感じが。



しかし私の体にもよくないと思うので、

一時的・表面的なだましにしても、とりあえず今切り替えられるように

今は先日KRさんが講演中に提供した新しいツールでクールダウンさせてます。




同時に、ここで吐き出すことで自分の思いを客観視して浄化しようとしている。




根本的な解決はどこにあるのかなあ。



「世界の完全否定」にあるのかも。




というのが今インスピレーションとしてもたらされた私への解決策。



ふむ。



天上天下唯我独尊ですか。笑



確かに、私の自分自身の課題としても、

自分で自分に与える以上に周囲にエネルギーを与えてしまうというのがあるから。


それがOKな世界もあると思うけど(お互いを大事にして責任を持ち合う完全にツーカーなエゴのない世界とか)

今の世界やわたしの状況では

前、手相見のウマちゃんにも言われたように、


http://ameblo.jp/premasaibaba/entry-11363019896.html



・他人に対しては思ったことをはっきり言ったほうがいいです。

・SAWAKOさんが他人に気を使って合わせると、その人は敵になります。


・SAWAKOさんの場合、無理して相手に合わせずに、本当のことを言ったほうがいいです。

・そうしたら、本当のことなのかどうか、人に伝わるから。



わたしが自分を消すような形で合わせて大事にする相手にエゴがあるとそのエゴにも力を与えるので、

そのエゴの浄化が不十分な場合、関わりの中で充分力を得ると翻って私を否定し、つぶしにかかってくるみたい。


エゴ、という言い方が適切かどうかはわからないけど、つまりは個人としてのその人。



エゴ・個人が反撃してくるのは私自身が個人としてやっぱりぼんやりしてるからかな。

私のそれがしっかり表現できていて、この世界での共通認識にできていたらそういう攻撃の気持ちも起こらないだろうから。


攻撃はよくわからないものへの恐れとエゴにとっての利益をを守るために排除したい気持ちなんだろうと思います。





エゴは個人の人間として生きるには必要だけど、

じゃないと肉体保持できないし。


しかしそれはどんどん変容させて全体との調和・全体の平安と矛盾しないよう浄化・教育される必要が。

エゴはコントロールなしにすべての保護者・守護者であるときにのみ有効で、全体の益になるのだと思います。





別の人はそれを、そのような形で私と関わる人にはその人自身のカルマアタックが起こるというような感じで言ってたけど。


つまり猛烈な浄化→大飛躍の機会が与えられるんだと思いますが、大体成功しない。笑




で、それは自分を消して相手に力を与えていた私にもダメージを与える。



そういうのを統制するパターンで生きてる人ならブレーキが効くしエゴを浄化・変容させる道が見えるけど、

だいたいがもう、持っていかれてカルマとともに去りぬみたいな感じに。


というのはそれはエゴに自殺を強要するようなものだから、しくみをこの世界を離れて観れる意識状態にもいけて、心底理解できてるか、もしくは霊的な才能といっていいと思うんだけど、ゆだねる才能、ゆだねる先を見極める才能がないと難しい。

ゆだねるのは生まれ変わる才能といってもいいと思います。


エゴは何かにゆだねるときに一度死んで、ゆだねた先の世界で生まれしかしそう変わるから。


しかしそうではなくてエゴをさらに固く強化するほうが好ましく力強く感じられてしまうのは、世界の価値観自体がそうなってるからこの世界に生きてる限りはしょうがないと思います。

もしくはよっぽどしっかりした人格のエネルギー(本当の意味でのいわゆるグル)と魂レベルでつながっていて、そのグルを自分自身としているかどうか。

それなら美しい飛躍的な導きがもたらされるけど、


そうでない場合は導きではなく囚われの身となってそのグルの世界でぐるぐる。



何度かそういう飛躍が自分に起こったように私は感じてるんですが、


毎回死ぬ気。


はまれば驚きの展開がおこるんだけど、

自分が当事者のときはそれはどうなるかは見せてもらえなくて、ただ自分がそれであるかどうかだけ求められて、しかも相当厳しく。


ああ、そういうのは自分の場合はたぶん2001年の暮れくらいにそういう自分自身であることに厳格であるパターンでのすすみ方は終わったみたいで


それからは存在パターンがシフトして、もうちょっと保護者や導き手としての厳しさやいやなかんじを体感させられてるのかな。


それってかなりボディーブロー的ないや〜なかんじのしんどさかも。



本当の意味で自分が保護者や導き手とは思ってないですが、

そんな責任負えないし。



でもぽんと配置されて置かれるときがあって、


あ、これは、こうこうこういうシナリオか、なるほどなるほど


と、自分の中では考えずとも瞬時にデーター処理は行われるんですが、


実際そのプログラムが動くときにスムーズにいけない要因がたくさん起こってくる。



そういうのがすごく不思議なんですが、

場が統一されてないことが要因なんでしょうね。



そんなの当たり前だしそれはあなたの他人を尊重しない傲慢さやエゴだという人がほとんどで、

今まで私はそういわれ続けてきましたけど、


人格障害とまでいわれたりそう扱われることも常で。



一方で多くの人が最大級に尊重してくれて、他からの影響を排除した自分自身である時の私の尊さを外からも告げて支えてくれようとした。


私はたぶん完全に自分自身でいることができてないんだと思うんですが、


この世界でそうあるのはなかなか難しくないか!?笑



この二元性の世界では、というか、すでにこの世界において二元化してる私が再びその一元性を取り戻してあらわすには、

そういう私を認識できるこの世界での器が必要な気がします。


子供は後にそうなるかもしれないけど



今は期待してない。





もとだんなもうまくすればその可能性は充分あったんだけど、

自ら「器が違うから無理」と、カルマかき集めてエスケープしたし、




※ごはんつくるから中断。









放射能市民測定所に行ってきました。



測定後には近くの西宮えびす神社(えべっさん)に行きました。




今日は西宮の、放射能市民測定所に行ってきました。


と、書くのは実は3回目。


がんばって詳しく書くたびに消えた。



えーん。



今日は検体として、普段使ってる、北海道産昆布が原料の昆布だしと、変わった形の柿を持っていきました。


今日は昆布だしの測定を1時間かけてして、問題なしだった。


柿は、明日無料測定会らしく、そのときに測定するといってました。

なので置いてきた。



測定所の人の感じでは、柿の変形は放射能が原因ではないのではと思ったみたいです。


しかし、昨日の時点で測定所の人はツイッターでこの柿の写真をすでに見てたらしく、

かばんから柿を出したら、「この柿昨日見た」と言われた。笑


けっこう拡散されてたみたいだけど、ツイッターの拡散力すごいなー。



いっぱい、思う存分放射脳な話ができて、この件に関しては家族なんかよりもよほど話が通じるので気持ちよかった。


なんだか測定所の人たち初めてあった気がしないくらいな。笑


それくらい、関西で放射能気にする人はマイノリティなのかも。



測定も理科実験みたいですごく面白かったです。


面白かった。


みんなも近くの測定所に行ったらいいですよー!


全国市民測定所リスト


楽しかったー。




なので長居してしまった。笑






実家に帰ったら子供と母がけんか中だった。


遠く離れた部屋でそれぞれもくもくと一人でご飯を食べていた。






これはふざけ中。

神様トーク(サイババ編)



昨日の私の地味な昼ごはん。



よきにつけあしきにつけ、子供は暗示が入りやすいし、

心が開いているだけに、注ぎ込まれた価値観をいともたやすく自分のものにしますから、

でも、態度も伴って教えないと効果が無いから、
(態度と言ってる事が食い違ってたら、そういう状況全体を吸収する)


多少無理してでも体現するよう心がけて神様トークを幼いころから子供としてたんですが、


もともと子供はそういう感覚を持ってるから、

そのような話のできる場と知るとすぐにそういうのを体現します。


そして自分でも試したりして自分で発見していくようになる。



子供は親に喜んでもらいたい気持ちが絶対あるから、

親の興味の方向や意向に無意識で沿おうとする傾向はあるにしても。


プッタパルティに子供といたときは、

子供はよく目をつぶったまま歩いてました。


「危ないで」

とわたしは言うんだけど、

「目の中に宇宙があるから」

といって。

なんか面白かったらしい。


そういうのは、

私が、ほんとは自分の中に全部があるんやで、全部の宇宙があんたの中に入ってるんやでみたいなトークをしたりしてたらそんなことになった。

具体的には

誰かのことを考えたりしたらその人が頭の中に見えるし、

どこかの場所を考えたらその場所が思い浮かぶし、

それは自分の中にその人や場所があるからだし、

それは実際にその場所にいってることと変わらないというようなことや、

だから、心はどこでもいけるし、どこかに行くのに時間もかからない


ものすごい遠い宇宙も考えれるやろ?

そしたらもう心はそこにいってるんや。

すごくない?


昨日にもいけるし明日にもいける。

自分の中にババもシヴァも全部の神様もいるやろ?


みたいな。



子供はまだ現実から自由なとこがあるから、

そういうのすぐにわかって、

「わあっ、ほんまや〜っ!!(にやにや)」

と、すぐに体感を伴って感じるみたい。



それとか、日常の中で、

自分はさておきですが、


子供が何かのことでむかついてギリギリくやしがったりしてたら、

あの人はそういう劇をしてるんやで。

ほんまはみんなババやねんけど、

劇を面白くするためにババが演じてるんやで。

だまされるなよ。


とか、4〜5才の子に言っていた。爆


子供「そうなん!?」 





子供って面白いですよね。いい意味でバカで。



え、じゃあ、あれもババ?


「そうやで」


あれも?


「そう」


これも?(私を指差して)


「・・・(汗)そう」


「あんたもやで(子供を指差して)」


え〜〜〜!笑


みたいな。



それからしばらくは、子供は世界をそういう劇場としてみていた。

あれもほんまはババなんか〜。。。みたいな。


コップとか、

そういうのもいちいち「これもババ?」「ババが劇してるの?」とか聞いてくるので

「そうやで」

と、答えておいた。



セロテープとか、石とか、木とか、犬とか、セバダルとか、いやなおじさんとか、


「ババやのになんであんなことするの?」

とかいうネガティブな状況では(そういう状況はよくあった)


あの人の中のババは自分が劇してるって知ってるけど、

あの人は自分がババって気がついてへんねん

ほんまはババやのになあ。


とかいったら

ほんまやなあと思ったらしい。


でも石ころのふりして私たちを、これは石だと信じさせてだまそうとしてるサイババとかいうのもビジョン化してみたらけっこう笑える


子供もなんか笑えると思って面白かったみたい。



そのうち、いちいち

「あれも劇やで」


とか、「あの人もほんまはババやのに気がついてへんのかなあ。どうして?」

とかことあるごとに言ってきて、しまいにわたしが

「・・・もうええっちゅーねん」

みたいにめんどくさくなってたけど。




月日は流れ、



数日前に、実家の母がたたみの張替えのために畳屋さんを呼んで見積もりをしてもらってました。


普段はインドがえりの子供のためや、サイババ関係者が来るときのためにもてなしとして大きなサイババの写真を仏壇のところにおいてるんですが、

あれ?

と気がついたらその写真が別の部屋の目に付かないところに移動されていました。


畳屋さんがくるから。って。

こんどふすま屋さんもくるから、しばらくは写真は隠しておくらしい。


なんだそりゃ、と、多少もやっしつつもふ〜んと言ってたんですが、

子供も学校から帰ってきたら

「あれ?写真は!?」

と言っていた。



寝て起きた翌朝、子供は日課にしてるヴェーダを仏壇に向かって唱えて、

唱え終わったら畳に額をつけてババの写真に向けて礼をするんですが、


仏壇のサイババの写真が移動されて空っぽなので、



前の日からもやっとしてたわたしは

「ババがいない〜。なんで〜〜〜」


と言ったら


子供に



「えっ!?」




「あなたはなにを言っているんですか?」風に切り返されたので、



「あ、写真のやけどな」

「ババはどこでもいるけどな」


と、多少言い訳っぽくいったら


「これもババやし」

と、ニヤリとして指をさされた。。



人に指をさすのはどうかと思うけど、

ちょっとしてやられたというか、


やっぱ幼いころにインプットしたものは残っとんやなーと、

あのころにタイムスリップしたような心地がしました。





そのあと子供は少林寺の教室だったので、

私の4番目の弟に車で練習場所まで送ってもらう手はずになってて、



母がさっさと用意しろと子供にワーワー言ってて、

4番目の弟が子供のときはこんなに丁寧に育ててもらってへんねんから4番目の弟にありがとうございますと言えと子供に言ってて、

そしたら子供は一瞬考えて、

「ばあちゃんがもうちょっと丁寧に育てたらよかったんちゃうん?」

と、思ったことそのまま素で言ったら


母はさらにテンション上げて

「そんな口答えするような子もおらへんかったわ!」

とか言ってたので面白かった。


確かに、私が子供のころは家庭内で発言できるような場ができてなかったから、

口答えどころか会話するということの意味すらつかめてなかった。


別に育ち方に不満があるわけでは全然無くて、充分大事にしてもらっていたと思ってますが、

子供の個性を積極的に受け入れるような場ではなかったので、

20代になって紆余曲折後、ようやく自分の中心と自分が一致したかんじだったので、

子供には積極的に発言させたり、考えを聞いたりするようにしてたら

えらく独立してて口の立つ子になってしまった。笑


でも私が接する今の子供たちの多くはそんな感じで、自分が何をどう、感じているかに自覚的な子供が多く、それを表現することにも思いやりはあっても気兼ねは無く、やっぱり時代だな〜と思います。


言いたいことを邪気なくそのままスッと言えるということは健全なことだと思う。




子供のリクエストで昨日の晩はカレー。
この日もおいしくできた。
市販のルーなしでも全然問題ないな。




小松菜の麻の実あえ。
これはヒット。
おいしくてぺろり。




某金玉サイトから購入した麻の実ナッツ。
ピーナツと松の実の中間みたいな味がします。おいしい。

放射能測定所

昨日キッチンにおいてあった変わった形の柿を、放射能測定所に明日持って行ってみようかしら、と思って、近畿の測定所をいくつか見てみてるんですけど、



うむ?


キタッ!

。。。なんか知り合いの知り合いがいかにもやってそうな会社名。。。。のとこでやってる測定所。



おそらく間違いないなこれは。




せっかくだからここに行ってみようかな。


知り合いの知り合いという間接的な知り合いのとこ。



でもその間接的な知り合いは社長家族なので測定所にはいないだろうけど。笑

しかも直接面識ないし。



でも、検体はみじん切りにして1リットル必要って、、、柿、そんなないで?


こんぶだしだったらまさか粉のだしを1リットル!!!???

1リットルの水に溶かしてもいいかね。



西宮の測定所だったらそんなにいっぱい持っていかなくてもなんか大丈夫そう。。。


なつかしいのう。西宮。




しかし、今日は変わった形の柿の写真がアクセスを呼んだらしく、現時点でプレマサイジョ〜ティ〜ショップブログ最多の3000数百アクセス。。。


どこかで拡散されてるのかねえ。




ずーっと、放射能測定所のサイト見てますけど、

むやみにびびるより、ちゃんと測定して不検出だったら安心できていいですよね。

でも2箇所の測定所の予約状況見てもどっちもがらがら。。。


関西はやっぱそんなにみんな興味ないんでしょうね。


関東でさえほとんどの人がな〜〜〜んとも思ってないくらいだから。



こういうの、ホント行政がどんどん調べて公表しまくるのが役割だよねぇ。



産地偽装の話も普通に聞くし、


民間の人たちですよね、こういうのやってるの。


がんばってるな〜。


検体を持ってくるのも保育所の調理担当の方とか。。。泣けるのお。



子供の学校でもだ〜れも気にしてなさそうなので、

とりあえず牛乳は飲まんほうがいいでと昨日言ったら、

子供は律儀に今日は飲まなかったらしい。


そういうとこ、えらいのお。
(なぜか、じじい化)


で、産地も気にするように言って、子供は素直に従ってて、

そしたらおかんが、「外では言うなよ」と子供に言ってたので、

「子供が言ってたら気がついて、気にするようになる人おるかもしれんやん」

と私は言ったんだけど、


昨日の変わった形と一緒に買ってきた柿を子供と、子供の友達に出して食べさせて、

私にも「おいしいで」と勧めてきたけど

さすがに食欲湧かなかったので断った。




むつかしいのお。



しかし、おかんは、外の人にはそういうこと(気にしたりしてるとかを)気取られないように気を使うらしいけど、


おとんにはなぜか厳しいので、


コンビニとかで適当な牛乳を買ってこないようにと上から目線で厳しく言い渡してました。

わからん。。。。。笑



昔は実家も厳格にマクロビやってたのに今はなんでもあり。


べジがほかの人との調和を乱す、みたいな理由が大きいんだと思うな。

だから自分で厳格なべジになってる子供にも(むしろ私のほうがゆるい)
みんなの気持ちを害さないように一緒のものを食べる訓練をしろとよく言ってます。



私はそういう発想はほとんどないんだけど。


別にだって、ほかの人にべジを強要するわけじゃないし、

単に自分の選択なんだからいいやんね?


でも、やっぱ、菜食はすごくいいと思うけどな。

だからやってるんだけど、菜食は肉食よりむしろ愉楽的。

体が楽で気持ちいいし。



放射能測定所はなにがなんだかよくわからないので、


明日直接電話して聞いてみよっかな。




あ〜しかしすごい世の中になったものだ〜。



「風が吹くとき」っていうほのぼの原爆アニメが昔あったけど、

現実になるとはな〜〜〜。



民間の測定所とかってぜひ応援したいものだわー。

運営費とか。


せつないのお。。。。


おっさんらが浮かれてカジノ構想とかいってる場合じゃないって。。。