一応明日インドに出発予定です。
ほったらかしの部屋はどうなっているかな?
いちおうお手伝いさんに留守中の部屋は掃除とか植物の水やりとかはしてもらっているのだけど。
プッタパルティに戻ると、もうそこからどこに行く必要もない、という気持ちになるのはわかっているのですが、
今回はたぶん2ヶ月ほどでまた日本に戻ってくるかも。
一度、半年くらいまとめて日本にいたほうがいいように思って。
子供も日本で、がっちりはまってしまっていて、もう今はインドに連れ戻せなくなってしまっているし、
私がいたほうが子供にはいいとは思うので、とりあえず半年ほど一緒にいて、日本でも私と切り離されてない感覚を持てるように。
なので、今朝は今回最後の朝のヴェーダチャンティングを一緒に唱え、
やっぱり一緒にいるとすぐに間違ってるとことか直してやれるのでらく。
ここしばらくは毎日子供の友達が遊びに来ていて、
昨日はどうしたのかと思うほど多くてうじゃうじゃ子供がうろついていました。
私の荷物は避けられずしょうがないケガレの地のように部屋の片隅に固められていて、
その上にどんどんいろんなものが重ねられていてわけがわからないので、
母に「荷物作れないから上に載せてるものどけて。」というといそいそと従った。
今回の収穫は「あんたさえいなければ」と言われたことかな。
裏表がはっきりしてる母なので、家族に対してもおべんちゃらを言ったり献身することで動かそうとしたり、
それで安心して母の真の意図に気がつかないと、思ったように人が動かない怒りで攻撃してきたりするというかんじ。
なので、前回インドに帰国予定のときに突然帰国日を伸ばしたら母がぶちぎれて、
その数日前からやけに献身的で次々飲み物を出してきたり、今まで言ったことがない「さわこちゃん」と猫なで声で呼びかけてきたりしてて気持ち悪かったのですが、
たぶん出て行って欲しさが募りすぎて普段にない行動にまでエスカレートしてたんだな、と。
で、ふと帰国日を伸ばしたら母が激怒したので私としては私がチケットを変更したことがどこでどうそこにつながってるのかわけがわからなかったのですが、
知らない間に母はわたしの行動に自己同一化してわたしを動かしてる気持ちになってたんだなということに気がつけてよかったです。
直接「くるな」とか「出て行け」とかは母の体面上言いたくないから、いろいろ母としての策略を駆使してたみたいなんだけど、
私は気がつかなかった。
母に気を使う人なら気がついたのかもしれないけど、
いやでも、誰も気がつかないだろうな。
だって弟の嫁さんとかも全然気がついてないし。
弟のうちの一人の、すでに離婚した嫁さんと私は最高にそりが合わなくて、
いまの弟たちの嫁さんたちとも気が合うわけがないので私は変にうわべでつながるとかもできないし、お互いのために接触しないようにこころがけているのですが、
(弟たちがすでに私とコミュニケーションが取れない状態なので)
その、離婚した嫁さんはむしろ逆に縁があったのか、
家の中でお互いの姿や気配を感じるとものすごい反発の電流の火花がはじける感じで。笑
電気に打たれたようにきつかったんですが、
うちの家族はなんでもとりあえず外面的に受け入れるとこと、いろんなことを見て見ぬ振りして認識しようとしないところがあるので、
2番目の弟が中学生のときに夜な夜な女の子を部屋に忍び込ませていたのを黙認していたように。
私にべったりだった母がわたしが大学寮に入って離れると精神バランスを崩したことや、
私が高校のときに定期的に鬱になって学校に行けなくなったりしてても何も起こってないかのようでした。
そういう家族としての性質があるので、というか、家族としての集団意識に入るとその中で個人として立てないかんじ?
私が子供のころは特に、不思議なくらい会話しない家族でしたし。
私は中途半端な自覚であったにしろ、そういう家族の集団意識の影響で自分の独立性を自分で捨てていたという自覚を得た後だったので、
そのころは干渉されたり不本意な影響を受けたり、場に呑まれて不本意な行動をすることを過敏に嫌がってたときだったので、
その弟の離婚した嫁さん(当時彼女)に家族みんなが自分を消して合わせてちやほやもちあげるのに参加できなくて、
そういうのを嫌がっていたらみんなに嫌がられた。
当時私は実家で半年間一歩も外に出ないことを自分に課していて、
というのはさまざまなことに過敏すぎて日常生活を送れないような状態だったので、
家にこもって内面浄化を通して自分のバランスと安定感を集中的にとる必要があると感じて、そのようにしてたときで、
毎日感じたこととか気がついたことなんかを書きまくったり、絵にして描きためたりして過ごしていました。
そのころは外面世界に触れるのがつらかったので、自分の中に入ると静かで楽なので、朝から日が暮れるまで座っていることが容易でしたし、1分でもそうやって座るとすぐに呼吸が止まったようになる感じで、
寝ていても意識が起きていて家の中の人たちの位置や様子が感じられていたり、
そんなかんじでした。
四六時中体外離脱したり夢の中でさまざまなとこに意識的にいけたり意識的に行動したりと、そっちの世界のほうにむしろ軸足を置いていた時期で。
起きてるときも夢が染み出てきていました。
そんなとき弟の彼女が来るというので、それなりに楽しみに迎えたのですが、
見た目も性格も派手な彼女と対極な暮らしをしてたわたしを彼女は笑うしかない感じで、やはりお互いの中にお互いを組み入れる人間関係の接触の仕方を持ち合わせてなくて、
その時私は彼女には謝ってもらわないといけないと思って、
出会うまでにすでに何らかのカルマがあったのかもしれないですけど
その後一切接触しなくなって、
でもその彼女はみんなの中心になるような性格で、
実家の家族はそれをサポートする感じで、彼女に合わせて持ち上げて、
彼女は夜中まで嬌声を上げて大笑いし、弟はそれを喜び、
(さえないかんじの弟が、派手な彼女を通して家族の中で重要感がえられていたので)
またかというかんじですけど、その彼女も夜中でもかまわず一人で黙って実家に上がりこんでキッチンをうろうろしたりするようになって、
それでも実家の家族のみんなはひたすら彼女に合わせて喜ばせていました。
彼女が来れば家族みんなで彼女を囲んでなべをしてニコニコ、みたいな。
私はそういう時は一人別の部屋に避難していたし、人間として社会不適応で存在がすでにちょっと恥ずかしいみたいな私を誰も参加させようともしませんし。
彼女がいるときはだから彼女中心の家族のグループができて、私だけハミってました。
母の思惑としては、弟と結婚したら自分の老後を彼女が見るかもしれないから人間関係で波風立てずに仲良くやっておこうと思っていたようで、そのように父にも言っていました。
彼女は霊感が鋭い素晴らしいみたいな形で持ち上げるほめ方も母はしてました。
彼女としてはすべてが自分の思い通りになる家だここは。
(義理の姉は変だけど、みんな自分を好んでるし、義理の姉のことは誰もかまってないからかまうもんか?笑)
と思って、結婚して迷いなく、素敵な自分の城みたいに感じてた実家で同居しましたが、
(私は彼女が家に入ってからは一切寄り付かなかった、)
その集団意識は彼女が外部のものであるときは彼女に完全に依存してたけど、中に取り込んでからは彼女の独立性を許す性質は持ち合わせてませんでした。
なのでしばらくしてから彼女は部屋から出てこなくなったらしく、
弟は彼女と別のとこに部屋を借りてそっちに住むようになったんですが、
いろいろあって別れた。
実家の人は彼女のことをいろいろいうけれど、
最初から一貫して拒否っていた私からするとなにをいまさら、彼女とあまりにもうわべでつきあって、彼女が現実や、そこに潜在するものや毒を把握できないようにしてたのは実家の人たちなのに彼女はある意味無邪気な被害者だと思いました。
誰も実は彼女のことを彼女として認めて、彼女を思ったりしてはいなかったという。
わたしとしては、実家の人たちのその変容ぶりこそ不思議で。
しかもたぶん直接面と向かっては誰も彼女の機嫌を損ねることは最後まで言ったりせず、むしろいたわりや気遣いの態度を見せていたと思います。
なので家の人たちは落ち度なしって感じ?
人と人の付き合いってどうして人が阻害される形でだとよりつよくむすびつくんでしょうね?
彼女の場合も、もし私が実家にいたら私という共通の問題を通して実家の人たちとうまくいってたかもしれないなと思います。
でもそんなとこにいたくないし、私はそのままでいられて、自分がいることが問題にならないところ、できれば喜ばれるところにいたほうがいいですから。
子供も、わたしとはなれて日本にしばらく住んだ後母と一緒になってわたしをばかにしたりあざけって、うわべの力強さを得てうわべの賢さを見せていましたが、
そういう世界観の中に入ってしまったのだからしょうがないとは思うけど、
やはり子供にとってそれはよくないと思うので、
私が認められる、広々とした世界もあることを思い出して欲しかった。
母の世界ではわたしは排除したい違和感だとしても。
世界の見え方は、その場を支配する人の意識状態によってさまざまに変化します。
そのような認識の変化の幅を織り込んだ上で変わらないもの、
それがいわゆる神だとか、愛だとか言われるものかもしれないけど、
裏表なくすべてがすべてに対して開かれていることは、よりよく、シンプルに生きるために必須なように思います。
その点、母が私に対して時々我慢できなくて本音を口走ってしまうのはよいことといえなくもない???
「あんたさえいなければ!」笑
私がいないとすべては母の思惑通りスムーズだと思ってるかもしれないけど、
そうなると、弟の元嫁さんに起こったようなことが母に起こるとも限らないと思います。
実はこの違和感は物質世界からの空気穴かもしれないし、
そこをふさいで閉じちゃうと実はとても苦しくなって脳がやられる気がしないでもないです。
循環は全体とつながって循環していなければ徐々に枯渇するので。
またか、と思ったけど子供のリクエストに答えて作ったスープスパゲティときゅうりサラダ。
相変わらずの男らしい一品主義。笑
作るの簡単だし野菜もたくさん入れれるから、インドでもスープスパゲティか和風焼きそば風スパゲティ炒めばっかり作ってました。
インドだとべジのスープのもとがあるからさらに簡単。
日本だととりあえず実家にはそういうのないのでバターと小麦粉で。
今回のにはカマンベールチーズをまぜて入れておいた。
(乳製品は極力とらないようにはしてるけど)