可もなく不可もなく

可もなく不可もない不快ではなくわくわくもしないインドの朝食を食べ終わり、マサラティーを飲んでいます。

朝食は宿泊費に込みで、プーリーとジャガイモの煮たやつのカレーにしました。


この、可もなく不可もない感じは良くも悪くも神経に障らず悪くないです。


このようななんでもない空気の中に自分がいると、



インドを感じるふとした感じ、

あ、これインド。。。



という、ささやかな表現不可能な脳の電気信号のようなものが動くのがよくわかる。

触感とか、ほんのわずかなにおいとか、

インドの人との共通認識がもたらす近すぎない親しみやすさとか、


いつもどこに行っても、、どの国のどの場所にいっても、

そういうその場所だけが与えてくれるほんのささやかな電気信号のようなものを感知するのが好きです。


それはその中で生活してしまうともうまったく見えなくなってしまうもの。


ほんのささやかなその場特有のの感触。


それはとても愛すべきささやかで小さなオリジナリティだと思います。



どこにいっても地球上である限りそのほとんどは同じで人間もほとんどが同じで基本はすべて変わらない。


それは地球のシステムの外であったとしてもより大きなシステムの中ではその違いは違いとはならないように思います。


それでもこのようにすべてがささやかに異なり

主張するかすかな香りをめでることは、


すべてが同じであると思った後の贅沢な喜びになるような気がします。



すっきりした目覚め

昨日寝たの1時くらいだったにもかかわらず、6時過ぎにすっきりと目覚めました。

おお、早起き。

と思いましたがよく考えたら日本時間の9時半ですね。


メールの整理やもらったメールに返信したりしなかったりして今は7時2分。

一応7時にフロントにモーニングコール頼んでたんだけど鳴らないな〜。笑


身支度して朝食を食べに行こう。


8時にホテルを出て、

9時半のバンガロール行きの便に乗る予定です。



私、ご臨終レベルの超低血圧ということもその原因のひとつだったのかもしれませんが、

小学生のころは遅刻の女王の称号をほしいままにしていたのですが、

(今もその片鱗はありますが)


自分がやりたいことをやってたら何するのも楽しみだからあんまりそんなに遅れないものですよね。


主体性って、生きるための栄養だなと思います。



たとえやってることは他の人たちと同じでも、どんなあり方でやってるかで生きてる意味が違ってきますよねたぶん。


私は毎朝強制的に起きないといけなかったのと、高校3年生のときの数学がいや過ぎて、

自分の人生、金輪際そんなことやらなきゃいけない状況に自分を置かないぞと、

そのころ固く心に誓いました。



その後も地球には毎朝朝はめぐって来るけど、早起きは苦手ではなくなった。

たぶん、何で自分が早く起きようとしてるのかが自分でわかって起きるようになったからだと思います。

目が覚めた後に自分がやろうと思っていることが待っているので、

興奮して予定よりはやく目が覚めることもしばしば。


用事とかで早朝に起き、あけ切らない空気に包まれる瞑想的な気持ちよさの中にいると、

あのどうしようもない苦痛はなんだったんだろうとすら思います。



私の人生は私に愛されているかな〜?


サイラム

着いてしまった。インドに。

着いて、しまいました。

美しき暗黒大陸インドに。。。。


デリーの空港から出てもまだちょっとインドと混じりたくない感じで、まだお茶も飲んでいない。笑


でも、寝る前にスープでも飲もうと思ってホテルのレストランに来ました。



今回も寝ずにゆ〜っくり一晩かけて荷造りして、そのまま関空にいきました。



今回も最後に搭乗して、


マレーシア航空だったんですが、

完全ベジかどうかわからないけどベジタリアンだというと、メインのご飯をあんかけ焼きうどんみたいなのに変えてくれてけっこうおいしかったです。

(一応予約時にべジミールを頼んでるんだけど、しばしば通っていない)


あと、茶そばもついていた。

これはだしはべジじゃないでしょうけど、食べておいた。


麺プラス麺だけど、OK 笑



なんせ寝ずに乗ったので爆睡。。。

と、思いきや、

座席のTVで映画を見てしまった。


乙武なんとかの「だいじょうぶ3組」。あの、五体不満足の。

たぶん途中30分くらい寝てたような気もするけど。


さらにジョニーデップがでてる アリスインワンダーランドだったかな?

ジョニデ結構好きなので。


でもそれはさすがに途中で寝た。



乗り継ぎのマレーシアの空港ではスマホをWiFiで使おうとして、使えたんだけどなんか無料のにつながってたかどうか怪しい。

空港でいつもネットが使えたらいいと思うんだけど、いつもうまく行かないんですけど何でかね。

無料WiFiあるはずなんだけど。


乗り継ぎの間にデリーのホテル、よさそうなとこ調べて予約入れようとしたんだけど、うまくいかなくてあきらめた。

直接電話もかけたんだけど、

向こうに私の声が届きにくかったらしく。



クアラルンプールからデリー行きの飛行機に乗って、

そしたらエコノミークラスの一番前の席だったので前が広くてよかったです。

赤ちゃんがいたら前の壁に赤ちゃん用のベッドを取り付けられるようになってるところ。


本を読んでいたらインド系マレーシア人ぽい年配の男性のCA?が、「Are you OK?」と言ってきたので、

「わたし大丈夫じゃなさそうなのか?」と思ったけど、
(横に若いインド人の男性の友達同士が座ってたから気を使ってくれたのか?)

降りるときにもその年配CAが

「フルノサンアリガトウゴザイマス〜!」

と、なんか妙に個人的な感じで名前まで呼んで言ってきたので、

???!!!知り合い!!!!?????


と一瞬びっくりして考えたけど絶対知り合いじゃない。


単に日本と日本人が好きなオジサンなのかも。



ホテルまだ予約してなかったので、


ネットでめぼしをつけたとこに直接行こうかなと思ったんですけど、

空港のMake my tripのカウンターで空港近くのホテルを手配してもらいました。


インドで個人旅行してると、基本軽く人を疑ってますけど、

そこは多少手数料取ったとしてもOKそうだったので。
カウンターのシク教の男性もOKそうだった。


で、ホテルを決めてタクシーで行こうとして、横のカウンターの政府のプリペイドタクシーでいこうとしたんだけど、

空港外のMEGATAXIがいいよといわれて、

ふうん?

とおもって出て、外のブースみたいなとこで配車してもらって、

プリペイドじゃなくて直接ドライバーに払う方式みたいだったので、

MAGATAXIの手配してくれた人に大体いくら位か聞いたら350くらいと言ったので、

高いな。政府のタクシーにすればよかった。と思いました。



で、タクシーに乗ったらメーター式でもないし、いくら言われるのかなと思ったら200だった。

200ならまあいいかという感じ。

たぶん政府プリペイドタクシーでも同じくらいと思うので。


明日は朝7時に起きて、(飛行機が到着したのは9時くらいで、ホテルに着いたのは10時半くらい)


朝9時半のインディゴでバンガロールに行きます。

今回、クアラルンプールでの乗り継ぎも2時間だけで、無理がなくて楽だった。


泊まってるホテルは Hotel Impress とかいうとこで 朝食と翌朝の空港送迎つきで3500ルピー。7000円くらいかな。

部屋は微妙に古ぼけた感じ。


・・・・・ま、いいか、というかんじ。笑


ボーイやレストランの人たちの感じは悪くなくて、

よかった。



レモン水を飲んで、
スイートコーンスープを食べました。

皮の固いコーンを食べると、インドに戻ってきたなーという感じがします。


インドのレモン水はいつどこで飲んでもおいしいです。



サイラム





クアラルンプール(マレーシア)の空港のスタバ
最近、抹茶フラペチーノばっかり注文しています。(豆乳仕立て)

マレーシアにもあった。




今から搭乗〜〜〜。





マレーシア上空







デリーのIGI空港(インディラガンジーインターナショナルエアポートでしたっけ?)に着きました〜!



クアラルンプールの空港では日本円でレストランとかでも支払えるので、
(おつりはマレーシアのお金で来る)
確認したわけじゃないけど、小額だったら両替せずに直接日本円で払った方がわりがいいかも?

だって空港の両替って手数料高いんだもの。

あ、そうだ。

宮島の記事を上げてふと思い出したのですが、

そういえば大神神社(おおみわじんじゃ)の当時宮司をされてた方に、建てるころか新築のころに実家とかその周りの地形を実際に見て何がどうなってるのかチェックしてもらったそうです。

風水とか、エネルギー的なこと?

(今もうその方亡くなりましたけど)


なので、建物の格式?風水?的には実家は「神社並みでございます」と、当時の大神神社の宮司さんにお墨付きをいただいたそうなんですが、

宮司さんとして招待したというわけではなくて個人的に母がその人について古神道を習っていたので、当時よくつるんでいたのだと思います。(と、また私が書くと下品ですけど)


と、さっき航空券のチケットを印刷したときに父のPCを触っていたら
イギリスからの在住インド人の方?が、ババのパードゥカを持ち歩いてあちこちでプージャして回ってて、

実家にも来てプージャしたときの記念の写真の様子がPC で写真で見れて、

たぶん邦楽演奏したり、巫女舞を何人かが踊ったりもした様子で、

パードゥカにミルクアビシェーカムみたいなのを両親がやってる写真も。

で、弟と3人でアルティをしてる写真も。


この家、器は整ってあるのだよなあ。。。と思うんですけど、

逆にもうちょっとしっかり祈りで満たしたほうがいいような気もします。
もしほんとに神社並みの格式を持ってるなら。


子供は毎朝りちぎに短時間ながらもヴェーダを唱えてくれてるのはよかった。


わたしとしてはもっと、サイババの家みたいなのになればいいのに、と思いますが、

両親や弟は絶対嫌がるでしょうね。


昔サイババのほぼ等身大の写真を持って返ったとき(コダイカナルでの、自然の中での自然なやつ)

やっぱり実家ではいらないといわれて、

そしたら別のサイババ関係の知り合いが喜んで実家まで取りに来てくれました。

丁度欲しかった、といって。


サイババの写真はそれだけで強力に風水改善やパワーアップやプロテクトになると思うんですけどね。


残念だけど、適したとこに適したものがいくんでしょう。


ずっと家中のサイババの写真は取り払われていたのですが、

子供が実家にいるようになってからは一枚だけサイババの写真を仏壇のとこに置くようになりました。

大体それまでも、普段は片付けていて、サイババ関係の知り合いの訪問があるときだけ出していた写真。笑


一枚あると、何かのたびに交流しやすくて便利。

子供をよろしくね、と、朝のチャンティングの後に頼んだり。


これはどうなのかな、と、ちらっと見ながら聞いてみたり。



今これを書いてたらホワイトフィールドの光景が浮かんできました。

なんでかな。


久しぶりに行ってみようか。

ホワイトフィールドも楽しかったですよね。。。

ホワイトフィールドにもいい思い出がたくさんあります。




奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)の御神体は山そのもの、三輪山です。
その三輪山への登り口にある神社は「狭井神社(さいじんじゃ)」という名前で、神水が湧いてます。

これは山に登る前に「狭井神社」で撮った一枚。

あまりにもぶすったれてるので「笑ってください」と、無理に笑ってもらった一枚。

登りはじめたらバラティさんは「昔はアーヤッパンの山に裸足で3回も登ったんだぞ!」とかいってましたが待ってられないのでおいていきました。





これは登ってきた後。
この登山というか神の山への参拝はとてもよかったので、バラティさんも登る前とは打って変わってテンション高くて、そんな様子に神社の方たちも嬉しそうでした。

この後、タクシーを呼んでもらったのに乗らなくて親切な神社の人たちを右往左往させてしまうのですが。。。

ここのかわいい巫女さんに、その後、電車の中で会って(私服になっていた)、会釈してくれてかわいかったです。ラブ





これが大神神社(おおみわじんじゃ)

御神体は背後にそびえる山(三輪山)そのものだそうです。(写真では見当たりませんけど)

バラティさん珍道中・宮島での様子。風至さんの視点。

先日バラティさんが日本に来てる間、いろんな人がサポートしてくださったのですが、

そのうちの一人、宮島に駆けつけてくれた風至さんがブログにそのときの様子を記事にされてます。

ほかの人の視点て面白いですよね!


宮島でのエネルギーと流れパート1
http://ameblo.jp/sairam-baba/entry-11561467224.html

宮島でのエネルギーと流れパート2
http://ameblo.jp/sairam-baba/entry-11562716197.html


ありがとうございます。



変な気のまわし方。

子供は、学校のクラスのフランス人と日本人のハーフのおとなしい子と最近よく遊んでるみたいで、

感覚が似てるから楽なんだろうと思うんですが、

今日も遊びに来てて、

わたしがPCしてる部屋で2人が静かに漫画を読んでたら母が来て、

子供に他の部屋に行くように言い渡して、

そしたら子供の友達は気を使って一人別の部屋に行きました。


「なんで?」と私が聞くと、

「だってあんた用意せないかんやろ」という返事。

何も邪魔に思ってもなってもいないのに、間接的に子供の友達に気を使わせて居心地悪くさせる形で動かすって、変なの、と思ったんですけど、


変なの。


母は本気で自分が気が利くと思ってるし、よいことをしてるという雰囲気たたえてますけど、


突然従順な態度で私の側に立たれても、そんなの全然嬉しくないし。

頼んでないし。。。

別の部屋に行って欲しかったら自分で私言えるし。。。

変なの。


きもい。


せっかく仲良く一緒にいたのに子供たち。


子供は母を無視してその場から動かず漫画を読み続けてて、

わたしは「別にいいよ」と言ったのですが、

子供の友達は一人でしばらく別の部屋にいた後、お土産のお菓子だけ置いて帰ってしまいました。


たくさん兄弟がいる真ん中の子だからたぶん自ら気を使うんだろうなと思って。

わるいことしてしまった。


当の子供はまっっったく気にせず漫画を読み続けてますけど。




あ、そうか、わたしのためと母は言ったけど、ほんとは母が、子供たちにこの部屋にいてほしくなかったのかも。

たぶんそうだ。

めんどくさい、こういう日本人的なのワカラナイ。。。









子供は友達をこういうカップに水とかジュースとか入れてもてなすことにしてるみたいです。

けっこう、かっこつけというか。ちぐはぐさ加減が笑える。


ちなみに黄色いカップは私が大学生のときにPOP描きのバイトしてたサティで安売りしてたので5セット買ったやつ。きれいな色でしょ。

(確か一セット2500円だった。)



ホ・オポノポノと神道

かんがえてみれば、ゼロにもどるホ・オポノポノと、ケガレを祓い清める神道はなんだか似てますね。




1ヶ月ほど前、子供にホットケーキを自分で焼かせたら、

ベランダに椅子を持っていって、景色を見ながらだいじに味わって食べていた。

(微妙にじじむさい?笑)




宮島の弥山の奥の院の向こうの山の上の、上で数時間過ごした岩。




KRさんは9月21日には新潟に、9月24日には広島に講演に来るみたいですね。

行こうかしら??? 笑





あは!

いま、ハワイから帰ってきた知人からメールが来た。

アロハ!!だって。笑


なになに?


写真がいっぱい。



いいですね〜〜〜!すてき。




私もハワイ行きたいな〜。

そんでKRさんにマッサージしてもらうと。

パーフェクト!

アラハバード2013



いくつか前に載せたKRさんのインタビュー動画の最後のほうで、

視聴者からの相談で、今日、会社のサーバーが壊れてみんな困ってます、というのがあって、

KRさんがそれに対して「パーフェクト!」

と答えてて感動しました。


ほかの人が言ったら間違いなくむかつけど、KRさんにならいわれたい。


なにがパーフェクトかというと、

今この瞬間にそのような話題がこのメンバーにこの場のこの状況にもたらされたのが、パーフェクトなことだそうで、

そのようなことが起こったのはもしかしたら誰かの先祖のことが原因かもしれないし、それは私たちにはわからない。



で、この問題をクリーニングすることで誰かの先祖の問題が解決するかもしれない。

私たちにできることは今ここに現れたこのことを自分がクリーニングすることで、

それはKRさんも含めてこの状況、情報ににつながっている各自が自分の問題としてクリーニングすることができる、ということ。


決してこれは完璧な神の意思なのだからわたしたちは無力に甘んじて受けなさいと自分とは関係ないこととして突き放していうことではなくて、

もたらされた出来事を解放することができるチャンスとして主体的に受け入れて瞬間で変容させる態度が感動でした。




昨日送られてきたザ・フナイの中でのインタビュー記事にもかかれてましたが、

たとえばニュースを見て、誰かが殺人を犯したとしてもこれはあなたの責任ではない。そのニュースを見たあなたの反応が、100%あなたの責任だ、ということで、

責任分野を明確にすることも書かれてました。

世界のすべてが全部自分の責任だなんてしんどいとか、相手が悪いのに何で自分が謝らないといけないんだという風に思う人が多いと思うんですが、

世界はとりあえず問題じゃなくて、

世界を通して今この瞬間に自分に起こった感情や印象をクリーニングして自分をゼロにする、あくまで自分自身に気づいてクリーニングするだけのシンプルなことみたいですよね。


その自分がすべてにつながっていて、自分しかなく、自分を通してすべてが可能なのだから、奥が深いなと思います。



今さっき、プッタの旅行代理店のおじさんがデリーからバンガロールへのチケットをメールで送ってくれました。

空港からのタクシーも頼みました。



あさっての昼にはプッタパルティ。

リシケシ便り

さっきリシケシの知人からメールが届いて、

大雨だったし、どうしてるかなとは思ってたんですが家は山のほうだったので彼らは大丈夫だったみたいだけど、

やっぱ川辺の知り合いとかは被災したり家が水没したりしたみたいで、

でもまあみなさん元気そうでよかったです。


いつどこで誰がどうなるかわからないこの世界ですから、

自分とズレたような余計なことはしてられないなーと思います。





インドに戻ったらとりあえずへナしよう。こんなふうに。


(南の島の知人に「写真も入れて」と言われたので昨日くらいから記事に写真も入れてみた。

※たぶん文章長くて読んでられないんだと思う。

こんな写真ならないほうがまし?←自虐)

一応明日出発予定

一応明日インドに出発予定です。

ほったらかしの部屋はどうなっているかな?

いちおうお手伝いさんに留守中の部屋は掃除とか植物の水やりとかはしてもらっているのだけど。



プッタパルティに戻ると、もうそこからどこに行く必要もない、という気持ちになるのはわかっているのですが、

今回はたぶん2ヶ月ほどでまた日本に戻ってくるかも。



一度、半年くらいまとめて日本にいたほうがいいように思って。

子供も日本で、がっちりはまってしまっていて、もう今はインドに連れ戻せなくなってしまっているし、

私がいたほうが子供にはいいとは思うので、とりあえず半年ほど一緒にいて、日本でも私と切り離されてない感覚を持てるように。


なので、今朝は今回最後の朝のヴェーダチャンティングを一緒に唱え、

やっぱり一緒にいるとすぐに間違ってるとことか直してやれるのでらく。


ここしばらくは毎日子供の友達が遊びに来ていて、
昨日はどうしたのかと思うほど多くてうじゃうじゃ子供がうろついていました。


私の荷物は避けられずしょうがないケガレの地のように部屋の片隅に固められていて、

その上にどんどんいろんなものが重ねられていてわけがわからないので、

母に「荷物作れないから上に載せてるものどけて。」というといそいそと従った。


今回の収穫は「あんたさえいなければ」と言われたことかな。


裏表がはっきりしてる母なので、家族に対してもおべんちゃらを言ったり献身することで動かそうとしたり、

それで安心して母の真の意図に気がつかないと、思ったように人が動かない怒りで攻撃してきたりするというかんじ。


なので、前回インドに帰国予定のときに突然帰国日を伸ばしたら母がぶちぎれて、

その数日前からやけに献身的で次々飲み物を出してきたり、今まで言ったことがない「さわこちゃん」と猫なで声で呼びかけてきたりしてて気持ち悪かったのですが、

たぶん出て行って欲しさが募りすぎて普段にない行動にまでエスカレートしてたんだな、と。


で、ふと帰国日を伸ばしたら母が激怒したので私としては私がチケットを変更したことがどこでどうそこにつながってるのかわけがわからなかったのですが、

知らない間に母はわたしの行動に自己同一化してわたしを動かしてる気持ちになってたんだなということに気がつけてよかったです。

直接「くるな」とか「出て行け」とかは母の体面上言いたくないから、いろいろ母としての策略を駆使してたみたいなんだけど、

私は気がつかなかった。


母に気を使う人なら気がついたのかもしれないけど、

いやでも、誰も気がつかないだろうな。


だって弟の嫁さんとかも全然気がついてないし。



弟のうちの一人の、すでに離婚した嫁さんと私は最高にそりが合わなくて、

いまの弟たちの嫁さんたちとも気が合うわけがないので私は変にうわべでつながるとかもできないし、お互いのために接触しないようにこころがけているのですが、

(弟たちがすでに私とコミュニケーションが取れない状態なので)


その、離婚した嫁さんはむしろ逆に縁があったのか、

家の中でお互いの姿や気配を感じるとものすごい反発の電流の火花がはじける感じで。笑

電気に打たれたようにきつかったんですが、


うちの家族はなんでもとりあえず外面的に受け入れるとこと、いろんなことを見て見ぬ振りして認識しようとしないところがあるので、

2番目の弟が中学生のときに夜な夜な女の子を部屋に忍び込ませていたのを黙認していたように。

私にべったりだった母がわたしが大学寮に入って離れると精神バランスを崩したことや、

私が高校のときに定期的に鬱になって学校に行けなくなったりしてても何も起こってないかのようでした。


そういう家族としての性質があるので、というか、家族としての集団意識に入るとその中で個人として立てないかんじ?


私が子供のころは特に、不思議なくらい会話しない家族でしたし。


私は中途半端な自覚であったにしろ、そういう家族の集団意識の影響で自分の独立性を自分で捨てていたという自覚を得た後だったので、

そのころは干渉されたり不本意な影響を受けたり、場に呑まれて不本意な行動をすることを過敏に嫌がってたときだったので、


その弟の離婚した嫁さん(当時彼女)に家族みんなが自分を消して合わせてちやほやもちあげるのに参加できなくて、

そういうのを嫌がっていたらみんなに嫌がられた。


当時私は実家で半年間一歩も外に出ないことを自分に課していて、
というのはさまざまなことに過敏すぎて日常生活を送れないような状態だったので、

家にこもって内面浄化を通して自分のバランスと安定感を集中的にとる必要があると感じて、そのようにしてたときで、

毎日感じたこととか気がついたことなんかを書きまくったり、絵にして描きためたりして過ごしていました。

そのころは外面世界に触れるのがつらかったので、自分の中に入ると静かで楽なので、朝から日が暮れるまで座っていることが容易でしたし、1分でもそうやって座るとすぐに呼吸が止まったようになる感じで、

寝ていても意識が起きていて家の中の人たちの位置や様子が感じられていたり、

そんなかんじでした。


四六時中体外離脱したり夢の中でさまざまなとこに意識的にいけたり意識的に行動したりと、そっちの世界のほうにむしろ軸足を置いていた時期で。

起きてるときも夢が染み出てきていました。


そんなとき弟の彼女が来るというので、それなりに楽しみに迎えたのですが、
見た目も性格も派手な彼女と対極な暮らしをしてたわたしを彼女は笑うしかない感じで、やはりお互いの中にお互いを組み入れる人間関係の接触の仕方を持ち合わせてなくて、

その時私は彼女には謝ってもらわないといけないと思って、
出会うまでにすでに何らかのカルマがあったのかもしれないですけど

その後一切接触しなくなって、

でもその彼女はみんなの中心になるような性格で、
実家の家族はそれをサポートする感じで、彼女に合わせて持ち上げて、

彼女は夜中まで嬌声を上げて大笑いし、弟はそれを喜び、
(さえないかんじの弟が、派手な彼女を通して家族の中で重要感がえられていたので)

またかというかんじですけど、その彼女も夜中でもかまわず一人で黙って実家に上がりこんでキッチンをうろうろしたりするようになって、

それでも実家の家族のみんなはひたすら彼女に合わせて喜ばせていました。

彼女が来れば家族みんなで彼女を囲んでなべをしてニコニコ、みたいな。

私はそういう時は一人別の部屋に避難していたし、人間として社会不適応で存在がすでにちょっと恥ずかしいみたいな私を誰も参加させようともしませんし。

彼女がいるときはだから彼女中心の家族のグループができて、私だけハミってました。

母の思惑としては、弟と結婚したら自分の老後を彼女が見るかもしれないから人間関係で波風立てずに仲良くやっておこうと思っていたようで、そのように父にも言っていました。

彼女は霊感が鋭い素晴らしいみたいな形で持ち上げるほめ方も母はしてました。

彼女としてはすべてが自分の思い通りになる家だここは。
(義理の姉は変だけど、みんな自分を好んでるし、義理の姉のことは誰もかまってないからかまうもんか?笑)
と思って、結婚して迷いなく、素敵な自分の城みたいに感じてた実家で同居しましたが、

(私は彼女が家に入ってからは一切寄り付かなかった、)

その集団意識は彼女が外部のものであるときは彼女に完全に依存してたけど、中に取り込んでからは彼女の独立性を許す性質は持ち合わせてませんでした。

なのでしばらくしてから彼女は部屋から出てこなくなったらしく、

弟は彼女と別のとこに部屋を借りてそっちに住むようになったんですが、


いろいろあって別れた。


実家の人は彼女のことをいろいろいうけれど、

最初から一貫して拒否っていた私からするとなにをいまさら、彼女とあまりにもうわべでつきあって、彼女が現実や、そこに潜在するものや毒を把握できないようにしてたのは実家の人たちなのに彼女はある意味無邪気な被害者だと思いました。


誰も実は彼女のことを彼女として認めて、彼女を思ったりしてはいなかったという。

わたしとしては、実家の人たちのその変容ぶりこそ不思議で。

しかもたぶん直接面と向かっては誰も彼女の機嫌を損ねることは最後まで言ったりせず、むしろいたわりや気遣いの態度を見せていたと思います。

なので家の人たちは落ち度なしって感じ?


人と人の付き合いってどうして人が阻害される形でだとよりつよくむすびつくんでしょうね?

彼女の場合も、もし私が実家にいたら私という共通の問題を通して実家の人たちとうまくいってたかもしれないなと思います。


でもそんなとこにいたくないし、私はそのままでいられて、自分がいることが問題にならないところ、できれば喜ばれるところにいたほうがいいですから。


子供も、わたしとはなれて日本にしばらく住んだ後母と一緒になってわたしをばかにしたりあざけって、うわべの力強さを得てうわべの賢さを見せていましたが、

そういう世界観の中に入ってしまったのだからしょうがないとは思うけど、

やはり子供にとってそれはよくないと思うので、

私が認められる、広々とした世界もあることを思い出して欲しかった。

母の世界ではわたしは排除したい違和感だとしても。


世界の見え方は、その場を支配する人の意識状態によってさまざまに変化します。

そのような認識の変化の幅を織り込んだ上で変わらないもの、


それがいわゆる神だとか、愛だとか言われるものかもしれないけど、


裏表なくすべてがすべてに対して開かれていることは、よりよく、シンプルに生きるために必須なように思います。


その点、母が私に対して時々我慢できなくて本音を口走ってしまうのはよいことといえなくもない???

「あんたさえいなければ!」笑


私がいないとすべては母の思惑通りスムーズだと思ってるかもしれないけど、

そうなると、弟の元嫁さんに起こったようなことが母に起こるとも限らないと思います。

実はこの違和感は物質世界からの空気穴かもしれないし、

そこをふさいで閉じちゃうと実はとても苦しくなって脳がやられる気がしないでもないです。

循環は全体とつながって循環していなければ徐々に枯渇するので。





またか、と思ったけど子供のリクエストに答えて作ったスープスパゲティときゅうりサラダ。

相変わらずの男らしい一品主義。笑

作るの簡単だし野菜もたくさん入れれるから、インドでもスープスパゲティか和風焼きそば風スパゲティ炒めばっかり作ってました。

インドだとべジのスープのもとがあるからさらに簡単。

日本だととりあえず実家にはそういうのないのでバターと小麦粉で。
今回のにはカマンベールチーズをまぜて入れておいた。

(乳製品は極力とらないようにはしてるけど)