2010.06.30 Wednesday
2010.06.27 Sunday
占星術系ブログ再開
2010.06.20 Sunday
神への宣誓、、、、、術?
Sさんことバラティさんの鑑定を受けた人はご存知だと思いますが、けっこう褒めてくれます。
これはいい気分にさせて人を操ろうとか信用させようとかそういうのもちょっとはあるのかもしれませんが(笑)別の側面もあって、
バラティさんの占星術のグルがいて、その先生に横についてもらいながら実際の鑑定をして練習をつんだそうなのですが、
あるとき、そのグルに
「今後は君の口から出る言葉はほんとうになる。君はそのようになった。だから安心して鑑定しなさい」
と言われたそうです。
だから悪口とかは言えないし、なるべくいい言葉を使うように気をつけているそうです。
そんな彼の決め文句?は
「You can enjoy your life !!」
写真では固いですが(インド人はカメラを向けると固まるので)かなりテンション高いです。
時には自分の子供にもそう言ってます(笑)
そしてそのような言葉の力を持つと言うことは内面が純粋であると言うことだそうです。
バラティさんも修行中の身ですから
わたしなんか接してて
「このおっさん〜〜〜!」
と思うこともあり、あえて指示に従わないこともありますが、
そのような純粋性を保つことが生きていくうえで、そして神とともにあるためにはどんなに大事なことかは彼はよく自覚しているんだろうと思います。
そしてバラティさんの口から出る依頼人への褒め言葉は、彼にとっては褒め言葉ではなく、単にチャートを見て読み取れる事実を述べていると言うだけのことなのかもしれません。
時には依頼人の望む未来ではない鑑定結果がバラティさんの口から出てくるときも、それはあります。
それにたいして依頼人が異議を唱えることもありますが、
バラティさんは怒りはしないですけど、けっこう興奮します(笑)
自分はこのチャートを見てここにあることを読んでるだけなのに、どうしろというんだ!!
うそを言えと言うのか?喜ぶことだけを言えと言うのか?
そんなのは自分には出来るわけがない!!
みたいな。
でも、少ない経験からですが、
大筋では変わらないものの、結局は依頼人の望む方向に鑑定結果が微妙に色合いを変えていく事が多いです。
見ていると、依頼人とバラティさんが依頼人の未来を共同想像して好ましい未来にエネルギーを与えて形作っていっているようにも思えます。
しかしここは聖地プッタパルティ、思いが現実化しやすいエネルギーの場所ですから、
それもありで、なんだか自由度が高い部分があるのかもしれないと思います。
それはもしかすると人生を生きていくうえでの神への選手宣誓のようなもので、それを神が受け取っているのかもしれません。 ←聞いてる、聞いてる。。。?
これはいい気分にさせて人を操ろうとか信用させようとかそういうのもちょっとはあるのかもしれませんが(笑)別の側面もあって、
バラティさんの占星術のグルがいて、その先生に横についてもらいながら実際の鑑定をして練習をつんだそうなのですが、
あるとき、そのグルに
「今後は君の口から出る言葉はほんとうになる。君はそのようになった。だから安心して鑑定しなさい」
と言われたそうです。
だから悪口とかは言えないし、なるべくいい言葉を使うように気をつけているそうです。
そんな彼の決め文句?は
「You can enjoy your life !!」
写真では固いですが(インド人はカメラを向けると固まるので)かなりテンション高いです。
時には自分の子供にもそう言ってます(笑)
そしてそのような言葉の力を持つと言うことは内面が純粋であると言うことだそうです。
バラティさんも修行中の身ですから
わたしなんか接してて
「このおっさん〜〜〜!」
と思うこともあり、あえて指示に従わないこともありますが、
そのような純粋性を保つことが生きていくうえで、そして神とともにあるためにはどんなに大事なことかは彼はよく自覚しているんだろうと思います。
そしてバラティさんの口から出る依頼人への褒め言葉は、彼にとっては褒め言葉ではなく、単にチャートを見て読み取れる事実を述べていると言うだけのことなのかもしれません。
時には依頼人の望む未来ではない鑑定結果がバラティさんの口から出てくるときも、それはあります。
それにたいして依頼人が異議を唱えることもありますが、
バラティさんは怒りはしないですけど、けっこう興奮します(笑)
自分はこのチャートを見てここにあることを読んでるだけなのに、どうしろというんだ!!
うそを言えと言うのか?喜ぶことだけを言えと言うのか?
そんなのは自分には出来るわけがない!!
みたいな。
でも、少ない経験からですが、
大筋では変わらないものの、結局は依頼人の望む方向に鑑定結果が微妙に色合いを変えていく事が多いです。
見ていると、依頼人とバラティさんが依頼人の未来を共同想像して好ましい未来にエネルギーを与えて形作っていっているようにも思えます。
しかしここは聖地プッタパルティ、思いが現実化しやすいエネルギーの場所ですから、
それもありで、なんだか自由度が高い部分があるのかもしれないと思います。
それはもしかすると人生を生きていくうえでの神への選手宣誓のようなもので、それを神が受け取っているのかもしれません。 ←聞いてる、聞いてる。。。?
2010.06.19 Saturday
3つの人生で
聞いた話ですが、
サイババは言ったそうです。
人間は3つの人生で同じことをすると。
どういうことかというと、
例えば医者をした人だったら次とその人生でも医者になりたい気持ちになって、医者になったりするそうです。
もちろん毎回同じ人せいなわけはなく、
少しずつ欲望を減らし、少しずつ神に近づいてついにはモクシャに至るわけですが、
そのように、人間の性向というのはいくつもの人生を通して少しずつ変わっていく、ということなんでしょう。
医者というので言えば、日本でインド占星術師に鑑定してもらったときに、私とだんなは過去生では医者仲間だったということを占星術師は言っていました。
で、占星術師はだんなに「医者になろうと思ったことはあるか?」と聞いて、だんなは「あります」と言ったので私は驚きました。
そんなことは全く聞いていなかったので。
同時に、夢で、プッタパルティでだんなと歩いていて、その時彼は医者で、2人で彼の診療所のようなところに行った夢をみたことがあったので、あれは過去生を夢で見ていたのかな?と思いました。
占星術師は私には「医者になろうと思ったことはあるか」
とは聞きませんでした。
その占星術師の言うことには、
私が過去生で医者だったときは、医療で人を助けるのではなく、もっと霊的な方面で助けたいと思ったんだそうです。
それがほんとかどうかはだれにもわかりませんが、
私は一時期極度に医者とか病院とかが嫌いで、
すごく不信感というか憎しみに近い感情を持っていた時期があったので、
その不信感と言うのはあるいは、霊性をともなわない西洋医療の権威を認めたくないからそういう不信感を抱いていたのかもしれないと思いました。
そういう気持ちも自分でもわからなくもないですが、なにしろその嫌悪感が極端だったので、それはプッタパルティで子供が喘息で入院するということで正されました。
それ以降は、出された薬もそれなりに飲むようになったし、お医者さんに対する信頼感もそれなりに持てるようになりました。
以前は、医者に万能な人格や、聖者を求めていたんだと思います。
わたしはこの人生で医者になりたいと思ったことは一度もなくて、
医療関係に対する憧れとかも全くなくて、
医者としての3回の人生はもう終了して次のターンに入ったんだろうと思います。
ちなみにだんなはその後、一時期だけですが、病院の急患の受付をして働いたりもしていました。
私はそんな仕事は絶対無理と思いますが、やっぱり人それぞれ向き不向きと言うか、綿々と続く?性向があるんだなあと改めて思いました。
私自身で言えば、近い過去生ではよく、ヴェーダの学者とか学生だった(アドヴァイタの研究とか?)といわれることはあって、
唱えてると今の私じゃなくて過去生のそのヴェーダの勉強をしてたおっさん?が唱えてるのが見えるとか言われたこともありました。
まあ、それはあるだろうなと思います。
ヴェーダをちゃんと習ったのは日本で2年くらい、インドで2年くらいのほんの4年くらいだけですが、
その間はなかなか情熱的に勉強しました。
ヴェーダは非常に楽しいものなのですが、
もうよいカルマが尽きたのか!?
今は先生もいなくて、練習もほとんどしてない状況です。
歌とか習ってるのですが、歌とヴェーダではバイブレーションが別物なので、歌を習えば習うほどヴェーダのノリが忘れられていく感じもあって、ちょっとジレンマですが、状況がそういう風になってるので、しょうがないのかなとも思います。
今はけっこうのんべんだらりと暮らしてると言えば暮らしてるので、
来世がもしあるなら、どのような性向がのこっていて、どのようなものに惹かれるのでしょうか。
アドヴァイタだとかヴェーダだとかいうわりには、だいぶ享楽的なところもあると思うので、
神も人生もどちらも楽しめたらいいなと思います。
サイババは言ったそうです。
人間は3つの人生で同じことをすると。
どういうことかというと、
例えば医者をした人だったら次とその人生でも医者になりたい気持ちになって、医者になったりするそうです。
もちろん毎回同じ人せいなわけはなく、
少しずつ欲望を減らし、少しずつ神に近づいてついにはモクシャに至るわけですが、
そのように、人間の性向というのはいくつもの人生を通して少しずつ変わっていく、ということなんでしょう。
医者というので言えば、日本でインド占星術師に鑑定してもらったときに、私とだんなは過去生では医者仲間だったということを占星術師は言っていました。
で、占星術師はだんなに「医者になろうと思ったことはあるか?」と聞いて、だんなは「あります」と言ったので私は驚きました。
そんなことは全く聞いていなかったので。
同時に、夢で、プッタパルティでだんなと歩いていて、その時彼は医者で、2人で彼の診療所のようなところに行った夢をみたことがあったので、あれは過去生を夢で見ていたのかな?と思いました。
占星術師は私には「医者になろうと思ったことはあるか」
とは聞きませんでした。
その占星術師の言うことには、
私が過去生で医者だったときは、医療で人を助けるのではなく、もっと霊的な方面で助けたいと思ったんだそうです。
それがほんとかどうかはだれにもわかりませんが、
私は一時期極度に医者とか病院とかが嫌いで、
すごく不信感というか憎しみに近い感情を持っていた時期があったので、
その不信感と言うのはあるいは、霊性をともなわない西洋医療の権威を認めたくないからそういう不信感を抱いていたのかもしれないと思いました。
そういう気持ちも自分でもわからなくもないですが、なにしろその嫌悪感が極端だったので、それはプッタパルティで子供が喘息で入院するということで正されました。
それ以降は、出された薬もそれなりに飲むようになったし、お医者さんに対する信頼感もそれなりに持てるようになりました。
以前は、医者に万能な人格や、聖者を求めていたんだと思います。
わたしはこの人生で医者になりたいと思ったことは一度もなくて、
医療関係に対する憧れとかも全くなくて、
医者としての3回の人生はもう終了して次のターンに入ったんだろうと思います。
ちなみにだんなはその後、一時期だけですが、病院の急患の受付をして働いたりもしていました。
私はそんな仕事は絶対無理と思いますが、やっぱり人それぞれ向き不向きと言うか、綿々と続く?性向があるんだなあと改めて思いました。
私自身で言えば、近い過去生ではよく、ヴェーダの学者とか学生だった(アドヴァイタの研究とか?)といわれることはあって、
唱えてると今の私じゃなくて過去生のそのヴェーダの勉強をしてたおっさん?が唱えてるのが見えるとか言われたこともありました。
まあ、それはあるだろうなと思います。
ヴェーダをちゃんと習ったのは日本で2年くらい、インドで2年くらいのほんの4年くらいだけですが、
その間はなかなか情熱的に勉強しました。
ヴェーダは非常に楽しいものなのですが、
もうよいカルマが尽きたのか!?
今は先生もいなくて、練習もほとんどしてない状況です。
歌とか習ってるのですが、歌とヴェーダではバイブレーションが別物なので、歌を習えば習うほどヴェーダのノリが忘れられていく感じもあって、ちょっとジレンマですが、状況がそういう風になってるので、しょうがないのかなとも思います。
今はけっこうのんべんだらりと暮らしてると言えば暮らしてるので、
来世がもしあるなら、どのような性向がのこっていて、どのようなものに惹かれるのでしょうか。
アドヴァイタだとかヴェーダだとかいうわりには、だいぶ享楽的なところもあると思うので、
神も人生もどちらも楽しめたらいいなと思います。
2010.06.16 Wednesday
ヤントラについて
Om Sri Sai Ram
ヤントラは私がそういうものに興味が全くないです(爆)
でも、現地ではけっこう売れてて、再入荷待ちのものも出てきています。
(ワーストゥ/風水ヤントラなど)
日本で売ってる(プッタパルティでもそうですが)ヤントラはポケットサイズなどの小さいものがほとんどなのですが、なぜ、Bさんのところではこんなに大きいものしか扱わないのでしょう?
それは、自分個人のためだけに買うのではなく、人が行き交う公共の場(家庭なども含む)において、みんなの目に触れるようにすることによって、万人がそのヤントラから利益を得ることが出来ることを望む、そういう精神の人に購入してほしい、そういう使われ方をしてほしい、という意向があるからです。
また、そうすることによって、その大きなヤントラ自体の力もどんどん増幅されるんだそうです。
ショップに載せてるヤントラは額込みで一辺が35センチくらいです。
このくらいの大きさ(ショップに載せてる大きさ)だと、月に一度、線香をヤントラの前でまわしてお祈りするくらいでもOKです。
しかし、これ以上の大きさになると、毎日のプージャ、もしくは朝晩のプージャが必要になってくるそうです。
毎日のプージャが必要な大きさのヤントラにプージャを欠かしてしまうとそれはビッグプロブレムだそうで、ですからショップでは出していません。
しかし、ありますので、もしきちんと毎日のプージャをする!!というかたで、35センチ以上のヤントラをご希望の方はお問い合わせボタンからでもお問い合わせください。
また、マニアックなヤントラ各種もお問い合わせいただければ出てくると思います。
108種類くらいのヤントラが用意できるそうです。
でも、ショップでは万人向けのいくつかの種類に限ってご紹介しています。
すべて、強力プージャ済みです。
この手のものは、プージャがされてないものは売らない主義だそうです。
材料だけなら安いものだけど、この、プージャが重要なんだ、とのことでした。
サイラム
プッタパルティオリジナル。
3つのヤントラがひとつになったシュリサイチャクラム。
3つの太陽のヤントラです。
購入後に設置するとき、中央にはターメリックとクムクムをこのようにつけて、線香をくるくるまわして簡単なプージャをしてください。
中央にハーブペースト(ブラックインク)をつけると、エネルギーがヤントラを駆け巡ってさらにすごいんだそうです。
あ、でもまだブラックインクの説明も画像も載せてないか、、、、、
ヤントラは私がそういうものに興味が全くないです(爆)
でも、現地ではけっこう売れてて、再入荷待ちのものも出てきています。
(ワーストゥ/風水ヤントラなど)
日本で売ってる(プッタパルティでもそうですが)ヤントラはポケットサイズなどの小さいものがほとんどなのですが、なぜ、Bさんのところではこんなに大きいものしか扱わないのでしょう?
それは、自分個人のためだけに買うのではなく、人が行き交う公共の場(家庭なども含む)において、みんなの目に触れるようにすることによって、万人がそのヤントラから利益を得ることが出来ることを望む、そういう精神の人に購入してほしい、そういう使われ方をしてほしい、という意向があるからです。
また、そうすることによって、その大きなヤントラ自体の力もどんどん増幅されるんだそうです。
ショップに載せてるヤントラは額込みで一辺が35センチくらいです。
このくらいの大きさ(ショップに載せてる大きさ)だと、月に一度、線香をヤントラの前でまわしてお祈りするくらいでもOKです。
しかし、これ以上の大きさになると、毎日のプージャ、もしくは朝晩のプージャが必要になってくるそうです。
毎日のプージャが必要な大きさのヤントラにプージャを欠かしてしまうとそれはビッグプロブレムだそうで、ですからショップでは出していません。
しかし、ありますので、もしきちんと毎日のプージャをする!!というかたで、35センチ以上のヤントラをご希望の方はお問い合わせボタンからでもお問い合わせください。
また、マニアックなヤントラ各種もお問い合わせいただければ出てくると思います。
108種類くらいのヤントラが用意できるそうです。
でも、ショップでは万人向けのいくつかの種類に限ってご紹介しています。
すべて、強力プージャ済みです。
この手のものは、プージャがされてないものは売らない主義だそうです。
材料だけなら安いものだけど、この、プージャが重要なんだ、とのことでした。
サイラム
プッタパルティオリジナル。
3つのヤントラがひとつになったシュリサイチャクラム。
3つの太陽のヤントラです。
購入後に設置するとき、中央にはターメリックとクムクムをこのようにつけて、線香をくるくるまわして簡単なプージャをしてください。
中央にハーブペースト(ブラックインク)をつけると、エネルギーがヤントラを駆け巡ってさらにすごいんだそうです。
あ、でもまだブラックインクの説明も画像も載せてないか、、、、、
2010.06.16 Wednesday
やる気が、、、、、(笑)
2010.06.15 Tuesday
アガスティアが現れるとき。(6)
自分の葉っぱを読み終わったあと、すぐにカルマの解消の処方箋を実行しました。
館の祭壇に向かってアルチャナ(火をくるくる回す礼拝)をしたり、いくつかお寺も回りました。
何のお寺をまわったのかはさっぱり覚えてないし資料も残ってないのですが、
観光でお寺に行くのと違って、カルマの解消で行くお寺は非常にマジカルな場所でした。
指示されたとおり、マントラを唱えながら、寺の周りを時計回りに3回まわりました。
歩いてまわっている最中に、世界のモーターが動き出したかのような「ぶ〜〜〜〜〜ん」という振動が感じられ、
私の世界の波動がエレベーターに乗って上昇しているかのような変化を感じました。
こ、、、、これはすごい、、、、、、
と、マントラを唱えて回りながら驚愕しました。
3つくらい寺を回ったでしょうか?
途中、いったんホテルに戻って食事や休憩をしたときに、プッタパルティのアシュラムで買って、ホテルの部屋において並べてあった小さな仏像の中で、サラスワティだけが前に倒れていました。
「サラスワティの寺に行ったほうがいいんだろうか?」
と思い、ガイドに、
「近くにサラスワティの寺がありますか?」
と聞いてみましたが、近くにはないということでしたので、お参りするのはあきらめました。
「処方箋の実行はすべて終ったから、明日の午前は、観光に行きましょうか。」
とガイドに言われ、
「あ、じゃあ、マハバリプラムに行きたいです。」
とかいって、その日は終わりました。
翌日の朝、ガイドは憮然としていました。
聞いてみると、この日の朝、突然アガスティアの葉の館のナディリーダーから電話がかかってきて、
「ドゥルガーの寺には行ったか?行ってない?ちゃんと仕事をしなさい!!」
と、怒られたそうです。
「そんなこと、昨日は言ってなかったのに、、、!」
と、ガイドの青年はずっと文句を言っていました。
そういうわけで午前の観光は急遽変更して、ドゥルガーのお寺におまいりに行きました。
そのお寺のドゥルガーは、それまで見たインドの寺の黒光りする神様とは違い、金属で出来ていて、目の形も姿も、まるで宇宙人のように未来的な印象でした。
私はこのドゥルガーがすごく気に入り、
何かを身につけるのは好きじゃないのですが、この寺で売っていたドゥルガーのコイン形のヤントラのペンダントヘッドを買い、お守りとして、日本に戻ってからもしばらくずっと身につけていました。
ドゥルガーはカルマを破壊するとも聞きました。
とにかく、そんなかんじで私のアガスティアの葉体験の1回目は終りました。
アガスティアの葉を読むことで、何が何だかわからなくなっていた極度の混乱の中にあった自分の人生が秩序立ち、ひとつの物語としてまとまって提示されたような気がして、わたしはずいぶん救われました。
なにより、
「未来が、あるんだ?」
と思えたことが、私の気持ちをすごく明るくしました。
後から見ると、その時示された未来はそんなに当たってないですよね?
でも、自分にはそんな明るい未来があると思えたことが実際に自分の気持ちを明るくして、幾分楽しく毎日を送ることが出来るようになったという、そのことは、その時の状況からすると決して小さなことではなかったです。
それどころか、ほんとに、救われた気がしたものでした。
当時私は派遣社員として工場でコンピューターの基盤の梱包と出荷の仕事をしていました。
コンピューターの基盤を扱っているくらいですから清潔で、広々として、しかし窓のない工場で一日12時間以上働いていましたので、
時々、イメージの中で海の底に沈んで、海との一体感を味わって自分の細胞が浄化される感覚を楽しんだりしていました。
行ったことのない、アメリカかメキシコあたりの岩の崖の上に座り、荒野を遠くから吹いてこちらに来てそして下から吹き上げてわたしをさらっていきそうな風の強さに喜び震えながら、手元はコンピューターの基盤の数を数えていました。
その頃の私はなんか開いちゃってるような状態で、
だから、客商売とかではない、このような仕事は都合がよかったのです。
自分が毎日いろんな状態(さまざまなアイデンティティ)になったりもしていました。
過去生や、人や生物の太古からの記憶をその発生段階から追体験していたのかもしれません。
時には、ミジンコのような微生物になり、手足を動かしていました。
客商売は無理でしょう(笑)
仕事中にもあっちの世界に行ったり、突然まとまった量の情報が脳裏にダウンロードされたりもしていました。
とにかく、自分の身に起こることは、すべて起こらせるしかないと思っていました。
そのころ誰かを呼ぶと、霊体というのか意識体というのかはわかりませんし、単に私のイメージかもしれませんが、そういうので来てくれる人もいました。
インドから戻ってから、工場のみんなにお土産を配りました。(主にお香を配りましたが、ビブーティーはすごく喜ばれたのでちょっと驚きました。「いいの?こんなのもらっちゃって?」みたいに。)
そうして日常の仕事に戻りました。
そんなしばらく経ったあるとき、インドでのことを思い出し、
ふとアガスティアに心で呼びかけてみました。
すると仕事の机の向こうに、アガスティアはインドのアガスティアの葉の館で見たときと同じようにあらわれて、静かにたたずんでいました。
そんなアガスティアに静かに見守られながら日本の工場で仕事をしていた私は、そのことでずいぶん気持ちが慰められたものでした。
館の祭壇に向かってアルチャナ(火をくるくる回す礼拝)をしたり、いくつかお寺も回りました。
何のお寺をまわったのかはさっぱり覚えてないし資料も残ってないのですが、
観光でお寺に行くのと違って、カルマの解消で行くお寺は非常にマジカルな場所でした。
指示されたとおり、マントラを唱えながら、寺の周りを時計回りに3回まわりました。
歩いてまわっている最中に、世界のモーターが動き出したかのような「ぶ〜〜〜〜〜ん」という振動が感じられ、
私の世界の波動がエレベーターに乗って上昇しているかのような変化を感じました。
こ、、、、これはすごい、、、、、、
と、マントラを唱えて回りながら驚愕しました。
3つくらい寺を回ったでしょうか?
途中、いったんホテルに戻って食事や休憩をしたときに、プッタパルティのアシュラムで買って、ホテルの部屋において並べてあった小さな仏像の中で、サラスワティだけが前に倒れていました。
「サラスワティの寺に行ったほうがいいんだろうか?」
と思い、ガイドに、
「近くにサラスワティの寺がありますか?」
と聞いてみましたが、近くにはないということでしたので、お参りするのはあきらめました。
「処方箋の実行はすべて終ったから、明日の午前は、観光に行きましょうか。」
とガイドに言われ、
「あ、じゃあ、マハバリプラムに行きたいです。」
とかいって、その日は終わりました。
翌日の朝、ガイドは憮然としていました。
聞いてみると、この日の朝、突然アガスティアの葉の館のナディリーダーから電話がかかってきて、
「ドゥルガーの寺には行ったか?行ってない?ちゃんと仕事をしなさい!!」
と、怒られたそうです。
「そんなこと、昨日は言ってなかったのに、、、!」
と、ガイドの青年はずっと文句を言っていました。
そういうわけで午前の観光は急遽変更して、ドゥルガーのお寺におまいりに行きました。
そのお寺のドゥルガーは、それまで見たインドの寺の黒光りする神様とは違い、金属で出来ていて、目の形も姿も、まるで宇宙人のように未来的な印象でした。
私はこのドゥルガーがすごく気に入り、
何かを身につけるのは好きじゃないのですが、この寺で売っていたドゥルガーのコイン形のヤントラのペンダントヘッドを買い、お守りとして、日本に戻ってからもしばらくずっと身につけていました。
ドゥルガーはカルマを破壊するとも聞きました。
とにかく、そんなかんじで私のアガスティアの葉体験の1回目は終りました。
アガスティアの葉を読むことで、何が何だかわからなくなっていた極度の混乱の中にあった自分の人生が秩序立ち、ひとつの物語としてまとまって提示されたような気がして、わたしはずいぶん救われました。
なにより、
「未来が、あるんだ?」
と思えたことが、私の気持ちをすごく明るくしました。
後から見ると、その時示された未来はそんなに当たってないですよね?
でも、自分にはそんな明るい未来があると思えたことが実際に自分の気持ちを明るくして、幾分楽しく毎日を送ることが出来るようになったという、そのことは、その時の状況からすると決して小さなことではなかったです。
それどころか、ほんとに、救われた気がしたものでした。
当時私は派遣社員として工場でコンピューターの基盤の梱包と出荷の仕事をしていました。
コンピューターの基盤を扱っているくらいですから清潔で、広々として、しかし窓のない工場で一日12時間以上働いていましたので、
時々、イメージの中で海の底に沈んで、海との一体感を味わって自分の細胞が浄化される感覚を楽しんだりしていました。
行ったことのない、アメリカかメキシコあたりの岩の崖の上に座り、荒野を遠くから吹いてこちらに来てそして下から吹き上げてわたしをさらっていきそうな風の強さに喜び震えながら、手元はコンピューターの基盤の数を数えていました。
その頃の私はなんか開いちゃってるような状態で、
だから、客商売とかではない、このような仕事は都合がよかったのです。
自分が毎日いろんな状態(さまざまなアイデンティティ)になったりもしていました。
過去生や、人や生物の太古からの記憶をその発生段階から追体験していたのかもしれません。
時には、ミジンコのような微生物になり、手足を動かしていました。
客商売は無理でしょう(笑)
仕事中にもあっちの世界に行ったり、突然まとまった量の情報が脳裏にダウンロードされたりもしていました。
とにかく、自分の身に起こることは、すべて起こらせるしかないと思っていました。
そのころ誰かを呼ぶと、霊体というのか意識体というのかはわかりませんし、単に私のイメージかもしれませんが、そういうので来てくれる人もいました。
インドから戻ってから、工場のみんなにお土産を配りました。(主にお香を配りましたが、ビブーティーはすごく喜ばれたのでちょっと驚きました。「いいの?こんなのもらっちゃって?」みたいに。)
そうして日常の仕事に戻りました。
そんなしばらく経ったあるとき、インドでのことを思い出し、
ふとアガスティアに心で呼びかけてみました。
すると仕事の机の向こうに、アガスティアはインドのアガスティアの葉の館で見たときと同じようにあらわれて、静かにたたずんでいました。
そんなアガスティアに静かに見守られながら日本の工場で仕事をしていた私は、そのことでずいぶん気持ちが慰められたものでした。
2010.06.12 Saturday
グルだけが。
2010.06.12 Saturday
聖仙アガスティアとカリユガアバター シュリサティアサイババの祝福
パールバタマライという山があるそうです。
みなさん、ティルバンナマライという山はご存知の方も多いかと思います。
ご存知ラマナマハリシのアシュラムもある、アルナーチャラです。
アルナーチャラがシバの山とすると、パールバタマライはその伴侶のパールバティの山にあたります。
Bさんがいうには、パールバタマライはティルバンナマライの隣にあるそうです。
Bさんはタントラのグルについて、このパールバタマライで7年間タントラの修行をしたそうです。
タントラは、実は私もよく知らなかったりするのですが、女神崇拝ですから、このパールバタマライで修行をしたのでしょう。
そしてそのあたりは聖仙アガスティアの住処でもあるそうです。
アガスティアは今も南インドに住んでいるそうです。
あるときBさんがそのパールバタマライで修行をしていると、誰か聖者のような人が現れました。
はじめは、「だれだろう?」と思ったそうです。
その聖者は他ならないアガスティアでした。
その時Bさんに一番下の地のレベルから最高の全宇宙までを見せてくれたそうです。
そしてアガスティアはBさんに、1008日間、牝牛へのプージャをするように言いました。
Bさんはもともとアガスティアの葉のナディリーダーをしていました。
その時アガスティアは牝牛への1008日間のプージャを実行したあと、Bさんにさらにハイレベルのアガスティアの葉のリーディング能力を与えるといいました。
普通、ナディリーダーがアガスティアの葉を読むときは葉を一枚一枚めくって、そこに書かれてあることを読みますが、
牝牛のプージャの後にはBさんはアガスティアの葉の束をもつだけで、その葉のエネルギーによって、
葉を開いて読まないでも7回前の過去世も言うことが出来るようになるとアガスティアに言われたそうです。
毎朝Bさんがサマディの牝牛(そのミルクはババに届けられるそうです)にプージャを行っているのを私の住んでいるアパートから見ることが出来ます。
「熱心なことだな」
と思っていたのですが、そういうわけだったのか、と思いました。
現在400回くらいまで終ってるそうで、2年後くらいにはBさんはさらにパワーアップしてるんじゃないでしょうか。
そのようにBさんにアガスティアが告げたあと、アガスティアはBさんにヤグニャの火を見るように言いました。
Bさんが振り返って、その時実行中だったヤグニャの炎を見ると、炎の中に黄金に輝くガネーシャが下から上へと上がってきたそうです。
アガスティアがBさんに見せたそのガネーシャは智恵を現していて、
そのガネーシャを見た後、Bさんはよりハイレベルな占星術鑑定が出来るようになったということです。
パールバタマライでの7年のタントラ修行を終えたBさんは、結婚し、のちにサティアサイババに会います。
最初のダルシャンのとき、Bさんは4列目くらいに座っていたそうです。
ババがBさんの前まで歩いてきたとき、ババは立ち止まって、Bさんに前に出てくるように言ったそうです。
Bさん自身は自分が何を言われたのかとっさに理解できなかったそうなのですが、周りの人たちがBさんを前に押しやって列から出させました。
ババはBさんにその場でパダナマスカールをするように言い、Bさんはそのように初めてのパダナマスカールをババからもらったそうです。
そしてBさんはババの下にとどまる事に決め、占星術のオフィスを構えると同時に、何度かセバダルとしても働きました。
今はどうか知りませんが、当時(10年ほど前?)は、セバダルにはパダナマスカールをするチャンスがふんだんに与えられていました。
そうしてBさんはさらに何度もパダナマスカールをするチャンスを与えられたということです。
Bさんは結婚したものの、なかなか子供に恵まれませんでした。
そのことはBさんにとって悩みでした。
セバダルをしていたあるとき、ババはBさんに「子供は与えるから心配するな」と言ったそうです。
そのすぐあとにBさん夫婦に男の子が授かりました。
カリユガアバターであるサティアサイババに会うことはとても貴重な機会です。
今は会えるかもしれませんが、
来世でこのような貴重な機会が得られるかどうか、だれにわかるでしょう?
だから今のこのときにわたしたちはカリユガアバターであるサティアサイババに集中するべきです。
と、Bさんは占星術師からぬともいえる発言をよくします。
この、サティアサイババが臨在する聖地であるプッタパルティで占星術鑑定をすることの特別性を、Bさんは身をもって感じているようです
占星術師「Bさん」こと サイバラティさん
みなさん、ティルバンナマライという山はご存知の方も多いかと思います。
ご存知ラマナマハリシのアシュラムもある、アルナーチャラです。
アルナーチャラがシバの山とすると、パールバタマライはその伴侶のパールバティの山にあたります。
Bさんがいうには、パールバタマライはティルバンナマライの隣にあるそうです。
Bさんはタントラのグルについて、このパールバタマライで7年間タントラの修行をしたそうです。
タントラは、実は私もよく知らなかったりするのですが、女神崇拝ですから、このパールバタマライで修行をしたのでしょう。
そしてそのあたりは聖仙アガスティアの住処でもあるそうです。
アガスティアは今も南インドに住んでいるそうです。
あるときBさんがそのパールバタマライで修行をしていると、誰か聖者のような人が現れました。
はじめは、「だれだろう?」と思ったそうです。
その聖者は他ならないアガスティアでした。
その時Bさんに一番下の地のレベルから最高の全宇宙までを見せてくれたそうです。
そしてアガスティアはBさんに、1008日間、牝牛へのプージャをするように言いました。
Bさんはもともとアガスティアの葉のナディリーダーをしていました。
その時アガスティアは牝牛への1008日間のプージャを実行したあと、Bさんにさらにハイレベルのアガスティアの葉のリーディング能力を与えるといいました。
普通、ナディリーダーがアガスティアの葉を読むときは葉を一枚一枚めくって、そこに書かれてあることを読みますが、
牝牛のプージャの後にはBさんはアガスティアの葉の束をもつだけで、その葉のエネルギーによって、
葉を開いて読まないでも7回前の過去世も言うことが出来るようになるとアガスティアに言われたそうです。
毎朝Bさんがサマディの牝牛(そのミルクはババに届けられるそうです)にプージャを行っているのを私の住んでいるアパートから見ることが出来ます。
「熱心なことだな」
と思っていたのですが、そういうわけだったのか、と思いました。
現在400回くらいまで終ってるそうで、2年後くらいにはBさんはさらにパワーアップしてるんじゃないでしょうか。
そのようにBさんにアガスティアが告げたあと、アガスティアはBさんにヤグニャの火を見るように言いました。
Bさんが振り返って、その時実行中だったヤグニャの炎を見ると、炎の中に黄金に輝くガネーシャが下から上へと上がってきたそうです。
アガスティアがBさんに見せたそのガネーシャは智恵を現していて、
そのガネーシャを見た後、Bさんはよりハイレベルな占星術鑑定が出来るようになったということです。
パールバタマライでの7年のタントラ修行を終えたBさんは、結婚し、のちにサティアサイババに会います。
最初のダルシャンのとき、Bさんは4列目くらいに座っていたそうです。
ババがBさんの前まで歩いてきたとき、ババは立ち止まって、Bさんに前に出てくるように言ったそうです。
Bさん自身は自分が何を言われたのかとっさに理解できなかったそうなのですが、周りの人たちがBさんを前に押しやって列から出させました。
ババはBさんにその場でパダナマスカールをするように言い、Bさんはそのように初めてのパダナマスカールをババからもらったそうです。
そしてBさんはババの下にとどまる事に決め、占星術のオフィスを構えると同時に、何度かセバダルとしても働きました。
今はどうか知りませんが、当時(10年ほど前?)は、セバダルにはパダナマスカールをするチャンスがふんだんに与えられていました。
そうしてBさんはさらに何度もパダナマスカールをするチャンスを与えられたということです。
Bさんは結婚したものの、なかなか子供に恵まれませんでした。
そのことはBさんにとって悩みでした。
セバダルをしていたあるとき、ババはBさんに「子供は与えるから心配するな」と言ったそうです。
そのすぐあとにBさん夫婦に男の子が授かりました。
カリユガアバターであるサティアサイババに会うことはとても貴重な機会です。
今は会えるかもしれませんが、
来世でこのような貴重な機会が得られるかどうか、だれにわかるでしょう?
だから今のこのときにわたしたちはカリユガアバターであるサティアサイババに集中するべきです。
と、Bさんは占星術師からぬともいえる発言をよくします。
この、サティアサイババが臨在する聖地であるプッタパルティで占星術鑑定をすることの特別性を、Bさんは身をもって感じているようです
占星術師「Bさん」こと サイバラティさん
2010.06.12 Saturday
クムクムの作り方。
インド人の女の人とか額や生え際(既婚女性)に、男性でもお寺におまいりした祝福のしるしとして赤い粉(クムクム)を額につけているのをよく見かけます。
本来、あれはターメリックとレモン(インドの、ライムみたいなちっちゃいレモン)の汁で作るんだそうです。
黄色いターメリックにレモンの汁をかけたらあんな、まっかっかになっちゃうんだそうです。
あれが天然の色とは知りませんでした。
天然のものは殺菌作用があったりして?たぶん健康にもいいんでしょうね。
近年ではケミカルに色付けしたクムクムも多く出回っていて、わたしも使うときがあるのですが、
それだと逆に体に悪いはずです。
昔からのものは薬用成分があったりとか、実用的な理由があるものが多いですよね。
ただ、まっきいろなターメリックを、美白のためか何か知りませんが、顔中に塗りたくってる人もよく見かけますが、
あれはけっこうギョッとします。
見かけを気にしてるのか気にしてないのか、どっちかわからない感じ。
(追記)
Bさんにこのブログを見せて何を書いたのか言ったら、
そうやってターメリックとレモン汁で作ったクムクムは人にエネルギーを与え、そのエネルギーを額より上に引き上げるので、これを額につけ続けることで解脱に至るとのことでした。
ケミカルのクムクムやシールのファッション的なクムクム(ビンディ)をつけるのは、エネルギーをブロックするから逆効果だそうです。
本来、あれはターメリックとレモン(インドの、ライムみたいなちっちゃいレモン)の汁で作るんだそうです。
黄色いターメリックにレモンの汁をかけたらあんな、まっかっかになっちゃうんだそうです。
あれが天然の色とは知りませんでした。
天然のものは殺菌作用があったりして?たぶん健康にもいいんでしょうね。
近年ではケミカルに色付けしたクムクムも多く出回っていて、わたしも使うときがあるのですが、
それだと逆に体に悪いはずです。
昔からのものは薬用成分があったりとか、実用的な理由があるものが多いですよね。
ただ、まっきいろなターメリックを、美白のためか何か知りませんが、顔中に塗りたくってる人もよく見かけますが、
あれはけっこうギョッとします。
見かけを気にしてるのか気にしてないのか、どっちかわからない感じ。
(追記)
Bさんにこのブログを見せて何を書いたのか言ったら、
そうやってターメリックとレモン汁で作ったクムクムは人にエネルギーを与え、そのエネルギーを額より上に引き上げるので、これを額につけ続けることで解脱に至るとのことでした。
ケミカルのクムクムやシールのファッション的なクムクム(ビンディ)をつけるのは、エネルギーをブロックするから逆効果だそうです。