アガスティアが現れるとき。(2)

チェンナイ(タンブラム?)のアガスティアの葉の館に着き、候補の葉を探してもらう間、外のベンチに座って待っていました。

すると、それまで完全に忘れていた自分の幼少時代のことがふいに思い出されてきました。

母方の祖父の仕事(ストーブの修理か何かをやっていたんだったと思います)にくっついて、一緒に車に乗って出かけたとき、
その時私は4〜5歳くらいだったんじゃないでしょうか。

何を思ったか、助手席に乗ったわたしはずっと
「青になれ。青になれ。」
と言っていました。

するとその日は一度も信号に引っかからず、
車のスピードを落として赤信号の交差点に近づいていっても、
交差点で止まる前に信号は青に変わりました。

車が止まらなかったのでその日の仕事はいつもより数十分早く終わり、
家に戻った祖父はそのことを祖母か誰かに言っていました。


なんてことないエピソードですが、
完全に忘れていたこのことがふいに記憶の底からよみがえってきました。

空気が流動体であるかのような感覚は相変わらず続いていました。


その後、アガスティアの館の中に通され、どこかの部屋でさらにしばらく待たされました。

アガスティアが現れるとき(1)

わたしは今確か36歳ですが、確か、24歳か25歳くらいのときに自分のアガスティアの葉をはじめて見ました。

そのときは最初にプッタパルティに行ってサイババのダルシャンを受けてからチェンナイに飛びました。

そうしたほうが、ババの導きを受けて葉っぱを見ることができると思ったからです。

そのころはなかなかしんどい時期で、
非常に霊的になりすぎてて、何かを保持することが難しかったです。

つまりは霊性と物質的なもののバランスが取れていなかったのですが、そういう時期はあるものだし、人によっては避けて通れない時期なので、あえてバランスをとる必要もないのだと思います。

どっぷりそういう時期に浸かって、堪能すべきだと思います。


そのころは中部地方で一人暮らしをしていたのですが、
ものがあって、執着するのが恐ろしかったので、
風呂に使う洗面器や体を洗うタオルなんかも、田んぼに落ちてたのを拾ってきて使ったりしていました。

都合のいいことに、田んぼに風呂セットがスーパーの袋に入って一通り落ちてたのです(笑)

服も、だからその装飾性について考えることができなかったので、へんなかっこうをしてて、地元の中学生にからまれそうになったりもしました。

髪も、すごく長かったのですが、その装飾性がいたたまれなくなって、
自分で何度かに分けてジョキジョキ切ってるうちに虎刈りになったので、いっそのことスキンヘッドにしました。


でも寒かったし面倒だったので剃るのは3日でやめました(笑)


最初にアガスティアの葉を見に行ったのはそんな、スキンヘッドが伸びてへんなイガグリ頭にターバンみたいな?ヘアバンドをして、変な服を着て、頭の中身も多少変な状態で行きました。


でもそのころは今思えばすでに人生が上向きになってきてて、
最悪のときは脱していたときでした。


しかし自分では自分の人生の今後の明るい展望など考えることができない時期でした。

完全に混乱していました。


サイババツアーのオプションとして、アガスティアの葉も見たので、
ホテルなどは全部手配されていて不安もなかったので、すごく集中して「入って」いました。

アガスティアの葉のツアーといっても、私一人だけだったのでなおさらでした。


翌日ホテルから葉っぱの検索をする館に向かうとき、
空気感が違っていることに気がつきました。

まるで水の中にいるように空気が高密度で、何もかもとつながっているようなかんじでした。
空気がゼリーみたいにニュルニュルして感じられました。

なにかが始まろうとしてる、という感覚がありました。
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