2番目の元だんなさんの追い出しの件。わたしがそのままのわたしでいていい許可。

2番目のだんなさんとは去年の11月にようやく籍をはずすことができて、よくやったと何度も自分を褒めたいとこです。

 

それでも、主に子育て要員として今も同居しています。

 

しかし今や、わたしの負担にしかなってない感じが強くなってきました。

 

実際、数日に一度はもめて、嘲られたり罵られたり超失礼なので、無視してその場を離れるために子供を連れて何処かに歩いて行くと追いかけてきて謝罪しはじめるので、土下座させてみたり(土下座も数を重ねると安っぽくなってきた)、でも数日後にはまた同じことの繰り返し、みたいな。心底うんざりで。

 

でも、籍を入れてる時は自分ももっと混乱して疲れ果ててたのですが、籍を抜いたらやっぱり意識から切り離すのが容易になって他のことを考えやすくなって、楽になりました。

 

そんなわけで、2番目のだんなさんのことを考えると自分も下がるので、意識の中になるべく入れないように、別の楽しいこととか自分自身に集中するようにがんばってきました。

 

おとといだっけな?

は、一人で小一時間ヴェーダチャンティングをしたりもして、やっぱヴェーダチャンティングは素晴らしいなと思い。

 

そしたら、その日の夕方からまたもやもめて、すっごい失礼で全力でバカにしてきたりして、

もう、馬鹿馬鹿しいから具体的な内容は記憶に留めないようにしてるから中身は一切思い出せないんですけど、

わたしはその日は昼間しっかり仕事をして、夜は早めに温泉に行って楽しく1日を終えようと思っていたんだけど、夕方からの数時間をまたそんなことのために無駄にしてしまった。

 

でもわたしのやりたいことは遂行しようと思って、赤ん坊と温泉に送ってもらって、でもやっぱり態度が嫌すぎたので、帰りは歩いて帰るから来なくていいと断って、

 

結構雨が降ってたんですけど、わたしはそういうの御構い無しなんで。

 

で、温まって温泉から出たら迎えに来てて車に乗るように頼まれたんですけど、やっぱりその態度が気に食わなかったので断って、

傘も持ってなかったけど、赤ん坊もわたしも厚手のパーカーを着てたので、二人ともフードをかぶって、赤ん坊はわたしの服の中に入れて抱っこして歩いて帰りました。

 

車で追いかけてきたので、今のこの時に何をわたしに伝えたいのか、話を聞いてやろうと思ったけど、うわべだけでやっぱり何も響かなかったので無視しして、雨の中歩いて帰りました。

 

案外近くて30分くらいで家に着きましたが、歩道が狭い道を歩いてたので、トラックとか通るのがちょっと危ないなと思ったし、街灯もなく、思いっきりトラックに水をかけられたり。

 

でも案外平気な感じで家に着きました。

 

これまで同様にどこかに歩き去って、2番目のだんなさんが車で追いかけてきた時には、無視して20キロくらい歩いて帰ったり、嫌になって道を外れて藪の中で12時間くらい寝てたり、わたしが免許を取ってからは、わたしが車に乗って2番目のだんなさんを置いて行って歩いて帰って来させたり。(大した距離じゃない)

 

わたしって頑丈で。

 

今回は30分くらい雨の中を赤ん坊を(直接濡らさないように)懐に抱いて歩いて帰って、赤ん坊は途中から寝てたので、家に着いたらそのまま寝かせて、別に何の問題もなかったのですが、

 

今回はいつもと違って2番目のだんなさんが家から出て行ってました。

(わたしが帰らずめっちゃ歩いて野宿的なのはけっこうよくある)

 

とはいっても、彼は車に乗って行ってるから寝る場所はあるし、どこにでもどこまでも行ける。

 

2番目のだんなさんのいない家でなんだか幸せに寝て、

スッキリ起きて、穏やかに過ごし、

赤ん坊も前日までキャーキャー奇声を発していたのが全くなくなり。

 

まあ、ケチな彼のことだから、このまま荷物を置いたまま家に帰って来ないということはないだろうけど、

食料はたっぷりあるし、1週間くらい帰ってこないといいなと思いました。

 

で、そのまま同居解消を前提に家で過ごしてみたら、なんと気持ちのいいこと。

 

相当なストレスを感じないようにして暮らしてきたんだなわたし、というのがよくわかりました。

 

結局2晩帰って来なかったんですけど、

その間に家は本来の様子を取り戻すかごとく、徐々に無理なくキレイになるし、家の中の空気が澄んでくる感じが。

 

基本的にわたしはミニマリストなので、

目に入るものとか最小限にしておきたい方で。

ものがあればあるだけ、視覚で疲れちゃうので。

 

2番目のだんなさんはそこらへんはかなり汚いです。

存在の空気感(言動など)も持ち物も汚らしい。

 

なので、わたしは平常心でいるために、わたしの感覚の一部を麻痺させて日々暮らしてるわけなのです。

それがどれだけ自分に負担になってるか、よくわかりました。

 

2番目のだんなさんがいないと、実際に家の中のものが自分からキレイになっていくみたいに感じられました。

それが本来の状態であると思い出して。

 

わたし自身も自分で鏡を見たらなんか軽くスッキリしてる。

 

ストレスがなくなってお腹も空かない。

日々のストレス解消に食べて気持ちを満たしたい、もしくは嫌な感じを食べることで感じなくさせたいという思いがあって、それがなくなってるのに気がつきました。

 

実際、もしこのまま帰って来ないと想定したら、対応しないといけないのはいつも車で行ってもらってたゴミ捨てと、わたしはプロに丸投げのつもりだったのが、もったいないから俺がやると言って彼が引き受けながら毎回イラつく空気を出すことに迷惑してた確定申告。

 

それくらいかな。あとまあ、諸々の手続き。

 

くらいかな。

 

全然楽勝!

 

散ってた力が自分に戻ってくるみたいな感覚です。

もともと、隅々まで自分一人でやって、全てを自分要素で満たすのが心地よくて性にあってたりするのです。

 

赤ん坊の世話も、一人でするのは嫌なので今回はほとんど任せてたけど、2晩一人でやっても大丈夫。

なんせ、まるまる数年間、一人で世話をしていた一人目の子供が病気のオンパレードですごく大変だったので、それを思えば体力の低下を差し引いても楽勝もいいとこ。

 

なので、知り合い的などこかから5万くらいで中古車を手に入れれたらわたしもう全然問題ないよね、

という感覚にすぐなって、明るい気分にしかならなかったです。

 

経済的には現時点では2番目のだんなさんが消えたらむしろ負担が減るくらいなもんで。

 

問題ない。

 

自分自身で居られる空間の心地よいことよ。

 

 

そう、そもそも元はと言えば、わたしはだれにも邪魔されずに自分で居られる場を自分に与えたくて、長野に引っ越してきたのです。

で、山奥に一人でこじんまりスッキリ住んでた。ミニマムにキレイに暮らしてた。

 

そこに転がり込んできた2番目のだんなさん。

車があるし便利だなというのはあったけど、大量の汚らしい荷物を運び込んできてめまいがしました。

もちろん本人も、自分の荷物の内容なんてすでにわからなくなってるレベル。

当時の家のオーナーのおばちゃんも、わたしなら問題なさそうだし、貸してもいいわという感じで間借り的に自分の趣味の、夢の家を貸したものの、あとから来たおっさんの大量の汚い荷物にはキレてました。

 

基本がキレイだと、ちょっと汚くなっても形状記憶みたいにすぐにキレイな場に戻るんだけど、2番目のだんなさんの場合、基本がめっちゃ汚いので場としてキレイになることが本人や本人の持ち物の選択肢にない感じ。

 

ちなみに1番目のだんなさんはものすごく几帳面で、ものすごくきちんと分類して全てを把握してたけど、それでもわたしは具合が悪くなったので大量の映像資料などを捨てまくってもらいました。

ものにも何に対してもあまり執着なく、本人も変わろうとしてるところだったので、わたしが驚くくらい何もかも捨ててくれて良かったです。

 

しかし2番目は全てに執着するタイプでなかなか処分したがらなかった。そして全てにおいて雑。

 

それでもわたしはわたしの快適さのために根気よく教育しました。

 

食器を10洗ったら10全部に固まった汚れがべっとり残ってる洗い方で仕事をした気になってる彼に、いちいち残った汚れを確認させてその場で洗い直しをさせて。

 

褒めて育てるとか、そういうのは子供になら発動するかもですが、おっさんに対してのわたしの辞書にはありません。

 

自分でわたしはなんでもできる人なので、自分でやったら気持ちいいのは当たり前なのです。

それを人に分担するのがわたしのチャレンジ事項。

 

それにしても、そういう調整期間は実際もう終わったと思ってるので、

これ以上彼に自分の時間やエネルギーを割くことは全然したくない。

 

もういいでしょ、というかんじです。

しかも最初はわたしといることで修行したいとか言ってた2番目のだんなさんはすぐに「これほどまでとは思わなかった」と音をあげてそういう自分の情けなさ、人生全般における覚悟の弱さをわたしへの否定や攻撃に変えました。

 

ですから私はそういう奴は放っておいて、自分に集中。

そしたらやっぱ快適だし、いろんな物事がどんどん発展していく感じがあります。いろいろ楽しい。

 

そしたら2番目のだんなさんは改善した部分もあるけれど、ますますぐだぐだになって、自分自身が元々持ってて直視できてない弱さや痛みを、私を悪者に仕立て上げて私を叩くために全力を投じることに決めたみたいで、自分が行動してないだけの話なのにわたしが結果を出すと嫉妬して、それを被害者意識とわたしへの悪意に変えて、最悪です。

彼をサポートすれば攻撃されてると受け取ってキレ、自分の抵抗で結果が出せない(出そうとしない)のをわたしのせいだと言って罪悪感を持たせて責任を被せようとし、そんな甘えにはもちろん付き合いきれないし、じゃあわたしは自分自身に集中して自分を生きようとしたら自分をサポートしないことにキレるという。

 

そんなだから、いなくなってくれたら心からせいせいするんだけど!覚悟はできてるし。(異常に覚悟するのが早いわたし)

とことあるごとに言ってたら、今回出て行ってくれたっきり帰ってこなかったので超明るい気分で希望に満ちてたら2日目に帰ってきました。

 

赤ん坊とよく寝て、すっきり目覚めて、ご飯を作って、楽しい気分で食べ始めたとこで。

何も言わずにドアを開けて黙って入ってきて黙って座ってじーっと見てる。

 

鍵かけとけばよかった。。。

 

キモいしとりあえず玄関の外に出てもらって、そこで何か言いたいことがあるなら言いなさい、あんたはいったい何がしたいの?と聞くと自分でもよくわからん感じらしく。

 

黙って留守にしてごめんなさいみたいにいうので、わたしが聞いたことから話し逸らすなや、いやむしろなんで戻ってきたの?

おらんかったら家も綺麗になるし、子供も穏やかやし、めっちゃ気分よくて快適やったから全然ごめんなさいやないし!

自分の弱さとか恐怖を自分で受け止めて自分で扱わんと、それを感じんで済むように全部わたしのせいにして攻撃することに全力注ぐって決めてるみたいやし、そんなルール違反なやつに付き合ってられんし。おったら迷惑なんや。などなど。

 

別にわたしに伝えたいこともないみたいだったし、

おかんみたいに何やっても何でもかんでも無条件に受け入れてもらえると思うなと言い、着替えを取らせてと言われたけど、お前、温泉に行ってくつろぐつもりか!と断って、もういっぺん追い出しました。

 

その間に赤ん坊はぎゃーぎゃ泣き出すし、ご飯はひえひえになるし、なもんで赤ん坊もつくりたてのご飯はパクパク食べてたのに泣いた後にはもうモードが変わっちゃって食べなくなるし、つくづく、あのおっさんが関わると全てが大変になって余計な手間がかかる。。。

 

おっさんがいないことの明るさ心地よさを体感的に思い出したわたしはさて、どうすべきかと思案して、

 

子供を遊ばせたり、訪問してきた保健婦さんと話をしたり、

思い立って、おっさんの視点からはわたしがどう感じられるのか意識を投影して感じてみたら、

驚くことに、わたしが説明することなど本当に何もわかってないしそれについて脳が機能してなくて何も考えられないみたいでした。

こりゃ、いくら話しても無駄だ。。。

ババに聞いたら、呼び戻すようにとのことだったので電話して戻ってくるように言いました。

 

今度は玄関先で「入っていいですか」と聞かれたので入るように促し、座らせて神妙になったおっさんと、おっさんが世界を認識してるシステムについて話をしました。その誰も幸せにしない世界観にわたしを当てはめようと全力を尽くしてることも。わたしが迷惑してることも。(わたしも懲りない)

 

 

しかし、わたしは一人だと本当に集中力があると思います。

 

レーザービームみたいにこわいくらいに。

それは気持ちいいのだけど、

 

2番目の元だんなさんは本当集中力がないです。

 

カウンセラーの心屋さんの言い出した概念で前者後者っていうのがあるんですけど、2番目の元旦那さんは完全後者。

 

これはある種の才能と言えなくもないかも。

テレビとゲームにだけは集中してる。

 

彼がこの2日間何してたかといったら、いろんな知り合いのとこに顔を出しに行ったり、インド料理屋でカレー食べたり、ケーキ食べたりしてたらしい。

温泉もすでに朝から入ってたらしい。

諏訪大社もお参りに行ったって。

楽しかったみたい。

 

 

そういうのを聞くとわたしは、つくづく、自分は器用で真面目な修行体質だと思い知らされます。

そういう時わたしは森に入って藪の中で自然と一体になって、土に埋もれて自我を超越して過ごすか、長距離をひたすら歩くのだもの。

 

2番目の元だんなさんは進歩したいだの進化したいだの、修行したいだのいつも言ってるけど

そう言ってるともうやった気になって気分がいいから、そういう自分を楽しんでるだけで、本当にやる気はないのに、

(彼はそんな安全な自分を手放す気がないのに)

わたしは言葉を真に受けて、良い変化が起こるようにと全力で働きかけたから全力で抵抗を受けて攻撃されて、自分のエネルギーを失ったんだなと思います。

 

 

 

それから数日経ちましたが、今のところ彼は神妙にしています。

 

わたしは、彼がいない時の自分の可能性が抵抗なくどんどん広がっていくような、なんでも出来るような目覚めた感覚がまた鈍く眠ってしまいそうになります。

 

できない自分への愛着が強く、自分がこんななのは周りのせい、だから周りの人は自分に被害者意識という美味しい立場を固守する彼。

 

一緒にいるとどうしてもその場にいる人に同調するわたしの無色透明さ。

 

環境を整えること、場を整えることが自分には何よりも大事なことで、それさえ出来たら、わたしは自分で自分をブロックすることは少ないから、思ったこと、可能性を見ることができたことは抵抗なくなんでもすぐに実現するんだと思います。

 

そのためにはもっともっと自分に集中して、攻撃者として非難される罪悪感や身構える感じなく純粋に自分自身でいること。

 

そう、結局は被害者意識の強い母親との関係の中でわたしが持った罪悪感→自分が自分でいることが迷惑をかけるという罪悪感→わたしは存在するだけで母にとって加害者だ→だから迷惑をかけている気の毒な母を守らなくてはならない、弱い立場の母の幸せを守ることを自分より優先すべきという慣れたポジションの感覚が、やはり被害者意識の強い2番目の元だんなさんがわたしに加害者の役割を与えて、わたしからエネルギーを引き出すこと(わたしが自分の本来の状態を見失い、エネルギーを散らしてしまうこと)を容易にするのだと思います。

 

前々から母と2番目のだんなさんて似てると思ってたんですが、わたしにとっては二人の共通点て、弱いもの、小さいものに対する愛情深さ、洗練されてない劣等感と、貧乏によって自分が抑圧されている悔しい気持ち、被害者意識、でも本当は自分はできる、特別な人間なんだけど環境がそれをさせないし理解しないという鬱屈したポジショニング。そんなようなものが共通しています。

 

対してわたしはそれにはまるような、早すぎるほどの割り切りのよさ、優越のポジションにいる自己認識、わたしのためにお金が費やされることが当たり前の自己認識、加害者意識の罪悪感。環境はわたしを持ち上げるけど、わたしはそれに値するような中身はないみたいな感じ(ある種の自己信頼や情熱の欠如?)などを持ち合わせてると思います。

 

自分を受けとめて守り、自分で承認し、罪悪感なしにじぶん自身でいることを自分の普通にする訓練を、わたしもしようと思います。

 

自分がそれができてないということすら、根本的なことすぎて、認識するのが難しい。

かけはじめた記憶がないときに、メガネをかけ続けてることに気づくのは難しい〜。

 

でも自分が体験する世界のバグがその存在を教えてくれますし、

 

いつでも気づいて、外して、純粋な自分自身として存在していけると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

赤ん坊は結構庭で一人で遊んでます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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