そもそもどうしてこの仕事を始めたのか。その1

そもそも、わたしがどうしてこの、インド占星術のネットショップの仕事を始めたのか、初心に戻って思い出してみようと思います。

 

始めたのは、2010年だったと思います。

 

当時を思い出すと、結構大変だったので未浄化の感情が動きますね、早速!涙!

これだけ動くということはやっぱりぜんぜんまだ未浄化なのですね。。。

 

こりゃたいへんだ。。。

 

まあ、気を取り直して。。

 

インドに長期滞在を始めたのは2006年で、そのとき、2002年からの怒涛の最初の結婚生活がちょっと落ち着いたかのように見えたときだったんですよね。

 

ううう、思い出すと大変すぎる。未浄化ですねーーー。。。

 

どっから手をつけたらいいんだろうかー。

 

 

ずっと大変で、ずっとハイライト。笑

 

最初の結婚前は、数年間の霊的大混乱時代で、その前は暴力彼氏のDV時代。笑

 

そう、その前、その前は、インドに行って世界がひっくり返って訳が分からなくなったときで、

一応そこが今の人生の起点となってる感があります。

 

そのときに、わたしはいっぺん死んで、同じ肉体に転生したんだなと思ったので。

 

でも以前の記憶があるので、混乱したんですね。

 

本当に別の肉体に赤ちゃんとして転生したら、混乱しないように余計な概念的なものはきれいにリセットされて、生まれた環境からインストールし直しますもんね。

 

それで、自分のそれまでの概念を壊すために、わたしの魂はDV彼氏を利用したんだと思います。

自分を壊すために。

 

霊的混乱時代は、更地に新しく自分自身を建設していく時期で、

 

それがある種の完成を見たので、また世界と関わるために(それまで自分に集中するために家から出ず、半年こもってました)最初の結婚をしました。

 

結婚した相手は、いい意味で空っぽな人で、中身しかないみたいな状態だったわたしとは相性が良かったです。

 

でもわたしと関わることで彼はわたしが通ったプロセスを追って通ることになってそうと思ってたので、

わたしと結婚したら持ってるもの全部壊れて失うよと予言してたんですが、

社会的にはめっちゃその通りになって、(為替や先物のディーラーだったんですが、結婚直後に多額の損失連発)

 

でも、それまでの全てを失うと同時に彼の生命力は復活して、かなり病気持ちだったのがすごく健康になりました。

 

しかし、結婚した訳ですから、予想してたとはいえ、ちょっと大変ですよね、わたしも。

実際は具体的にはわたしは大変じゃなかったんですが、気分的に旦那さんに全く頼れない状況。

子供もさっさと生まれて、(それがわたしにとって、かなり結婚の目的でした)

やっぱ初めてのことだし、あわあわして、

いろんなことに潰されそうな気分にもなり、同時にいろいろ発展もしたんですが、

子供を自分一人で抱え込んでる気分になってて、それが大変で、頼れなくて、そんな自分で自分を支える必要性もあって、

ヴェーダチャンティングに飛びついた面もあったかもしれません。

ヴェーダチャンティングとそれをしているときの自分のバイブレーションにものすごい安定感を感じたので。

 

ヴェーダは非常に男性性の強いものだと思うので、当時の、壊滅状態になっただんなさんに頼れなかったわたしには、そういうもの(ヴェーダのバイブレーション)を取り込むことで、会得した男性性に内側から支えられたんだと思います。子供という負荷も抱えてたのでスパルタ霊性修行ですよね。

そういうマッスルムキムキになりました。

 

で、ある程度ヴェーダも習って、サイセンターで教えてと言われて教えることも始めたりして、子供と一緒に沖縄などあちこち放浪してたんですが、当時のだんなさんのいる横浜に戻ることになり、彼も仕事もある程度安定してきたようにも思え、

わたしもおとなしくそこで過ごせたら良かったかもしれないけど、そうは問屋がおろさず、

 

天の声は籍を外して長期でインドに来るように再三呼びかけてきて、

無視できなくなって実行しました。

 

そのとき、同時に、アフィリエイト的なこともするように言われてたんですけど、

なんかよくわかんないし、

最初のだんなさんからは毎月決まった額を仕送りしてもらうことになってたので、自分はお金を稼ぐことはどっちかというとしたくなかったです。

 

なので、自分のために新たにインド滞在日記のブログだけ開設して(それまでやってた3つのブログと1つのHPは閉じたと思います)

 

インドではサイババを追っかけることと、さらにヴェーダを学ぶことに集中しました。

 

やはり、お金に関わらないことが清い、お金から超越して距離を置いてることが尊いみたいな感覚はあったと思います。

それは、母がずっと専業主婦で、彼女はいろいろ才能があって資格など(調理師や療術師など)も取りまくってたのに、そして実家の財政は楽ではなかったのに(弟4人中3人が同時期に私大に行った)プライドを持ってお金を稼ごうとしなかった、その母の姿勢や価値観を絶対的に素晴らしいと思いたい、子供の心がわたしにあったのじゃないかなと思います。

言い換えれば、そのときにもまだ母に気に入られたかったというか。

 

それまで、自分の仕事でお金を得たことがなかったわけではなかったです。

絵を描いてたし、時々売れていたので。

 

でも、基本は、誰かに養ってもらって、仕事は完全に道楽として行いたかった。安全地帯の自分を保ちながら、自分の仕事をしたかったというのがあります。

 

お金に関する必死さ、それを目的とする感じを、下品なものとして嫌悪していたのだと思います。

 

ゆったりやってたら収入になっちゃったわー、と、余裕をかますポーズを保ちたかった。

誰かに丸ごと養われて、何も考えず満ち足りた様子で、ゆったり生きていたかった。

 

 

でも、インドに住み始めて数年後に、アフィリエイターの知り合いができて、ネットショップをやるなら手伝うと言われ、

いよいよ逃げられないのだなと覚悟を決めました。

 

それまでに、インドでの子供の学校の件でかなり精神的に追い詰められていて、

もちろん子供にはいい教育を受けさせて、素敵な大人になってほしいという思いがあったんですが、

インドの片田舎で、なんのツテもない財産もない外国人の身分でそれをするのはすごく難しい状況でした。

 

あらゆる手を使って、力のありそうな人々に懇願しに行きまくっても、だめでした。

こうなったら後がない、と、提示された裏の手を使おうとも頑張りましたが、お金と希望を失っただけでした。

 

絶望的で、でも子供のことなので投げ出すわけにもいかず、でも万策尽きてお手上げで、途方にくれた、そういうタイミングで、藁にもすがる思いでインド占星術師のバラティさんの鑑定を受けてみました。

 

自分が勝手にやっていたこととはいえ、英語もろくにできない自分が子供を抱えて過酷なインド暮らしで一人ぼっちで奔走していて(その頃には最初のだんなさんとは音信不通。なんとかコンタクトを取ろうとがんばったら死ねとメールが来て、生きてたと知ってホッとした、みたいな状況で。)、子供を大事に思うのに子供に十分なことができてない自責と焦りの状況で、相当神経が張り詰めていたので、自分のことを話すだけでもうめそめそで。

 

その鑑定の中で、バラティさんが「サイババがあなたと話したがってる」みたいなことを言ったんですね。

私はそれまで直接サイババと喋ったことも触ったこともないまま10年以上経ってて、えー今更そんなことが?と思ってたんですが、

その数日後に偶然な感じで(という形の必然か)、私はサイババと直接言葉を交わし、私も子供もパダナマスカールをすることになりました。

 

それで、バラティさん、すごい、と思ったというのがあります。

 

それと、勧められた土星のプージャをした、その翌日かなんかくらいに、父が演奏依頼を受けて、母を伴ってインドに、プッタパルティに来ることになりました。

インドに子供を連れて住み始めて数年、私が来てほしいといくら望んでも、子供の父親も、自分の両親もいっぺんも会いに来てくれないことにわたしは孤独感を深めていたのですが、(子供の父親も、両親も、それまでにプッタパルティに来たこと有り)このことによって、その孤独感がかなり和らぎました。

 

このことは、プージャの凄さを体感した経験の一つです。

 

なにより、鑑定やプージャによって、私の気持ちがかなり救われました。

 

子供の学校に関する、具体的な状況は変わらなかったのだけど。

 

それは、言ってみれば変えられることと、変えられないことが、あるのだと思います。

その奥には、すべてが変更可能な世界もあるとは思いますが、外側に変えたいことがあるときにはその世界は現れてこないのだと思います。

 

そういうことがあって、バラティさんの鑑定やプージャの良さというのを自分が体感して、人にも勧めるようになったり、そのうち頼まれて鑑定に同伴して通訳らしきことをするようになったりということが続きました。

 

それが、頻度が上がってきて、ちょっと大変だなと思うようになってきて、ボランティアの範疇を超えてきたと感じたので、よく知らない人とかからの希望があれば同伴するけど、お金もとるようにしました。

 

そのころ、バラティさんに、許可を得て、ネットショップも立ち上げてみました。

 

まだそのころは、最初のだんなさんのお金で生活してました。

だから、完全に趣味と知らない世界を覗いてみたいという興味の気分で立ち上げたネットショップでした。

 

でも心配はしていなかったものの(私はお金の心配をするセンサーが壊れてるかもです)ちょうど、最初のだんなさんからの仕送りがなくなるタイミングだったのかもしれません。

 

わたしは完全に養ってもらってる限り、最初のだんなさんとの縁は切れないと思ってて、嫌いで離婚したわけではなかったので、むしろ離婚したくなかったし、最初のだんなさんのプロセスが進んで、一人でくぐり抜ける段階を超えたらまた再開してまたわたしと再婚するんじゃないか、また同じ人と再婚したいと思ってました。

だから離婚したという意識は限りなく薄かったし、あんまり離婚したつもりはなかったです。

 

仕送りしてもらってインドに滞在できることはすごくラッキーだと思ってたし、そのうち、最初のだんなさんもインドに来て合流できると思ってました。

そして、天国のようなプッタパルティでカルマの重さのない神聖な家族関係を体現できたら、日本に戻って、それこそ長野にでも住んで、家族揃ってずっと楽しく暮らせると思っていました。

 

いつものごとく、とてつもなく長くなってきたので 

 

つづく。。。

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