3時間爆睡

子供の音楽会から帰って非常に疲れて3時間爆睡。

寝ながらもいろいろ考えていたらしく、

起き掛けに、その睡眠中にいろいろ考えていたことの端っこを眺めながら起きました。


考えてもしょうがないんですけど、


というか、考えなくてもすむように分業していたんですけど、結婚生活において。

私はそのころは今以上に社会性がゼロだったので、(半年、完全に引きこもって内面浄化に努めてました)

でも生きてるわけだし、

社会の中で悩まされずに自分自身に集中できるように、対、社会、的なことはもとだんなが引き受けていたわけですね。
神経細かい人だったので会計的なこともキチーッと神経質にやる人だったので。


もとだんなはスピリチュアルなことよりももっとたぶん、アーティストへの憧れがあったんじゃないかと思うんですけど、

お父さんが画家を目指して断念した人でもあったし、本人もそっちの道にすすもうかと思ったこともあったそうなので。


それで、絵の活動をしていた私をサポートすることが、抜け出せず、変わり映えしなくなってきてた人生を変容させる面白い素敵なことと思えてたみたいで。

だから結婚条件としてもわたしは家事とか一切せず、勤めにも出ないことを最初に了承してもらっていて。さらにもとだんは「プロデュースしてやるよ」などと言っていたのですが(→マスコミ系にいたことがあるバブルの最後の世代なのでチャラい)
(女の役割分担としてのやらされ感があるといやなのでそういう前提条件にしてましたが、実際は自主的に楽しんでできる心境だと家事もしていた)

そこで私の霊的性質が発動して

まずはもとだんの状態の作り変えが始まったという。


なんかそういう触媒的な性質はどうしてもあるみたいで。


なので、そこでこの場合もとだんの抵抗があればあるほど厳しくなるんですが、

ある程度の抵抗があったので

最高にスムーズなプロセスというわけには行かず、

そこそこ厳しい状況を通らないといけなくなったわけなんですが、

なので私のほうもそこそこその余波をうけ、みたいな。


でも自分のやるべきことはそこでもとだんの世界にあわせることじゃなくて、自分の世界を保ち続けることで、それがプロセスを速やかに進める唯一本質的な助けになると思ってたのでそうしてましたが、


それも数年で抜けるだろうと思ってて、

そのようにもとだんには伝えてあって、その後のことも伝えてあったんですが、


実際に数年でそのもとだん作り変えのプロセスは完了して、予告どおり経済的にもまったく問題ない状態になったんですが、

そのときにその時のゆとりあるよい条件で私と子供に合流してさらにプロセスを進めるよりも、
(もちろんそうだったら私と子供にとっても一番よかったんですが)


楽になって余裕ができると、私と子供から解放されて好き放題楽しむ非常に非建設的なほうに流れて、


しかしそれは私としては非常にがっかりだったんですが、

自分には知らされてもいて、その予定で準備もさせられていたので、

なるほどそういうことか、、、とも思っていて。


インドに移住する前にいったん籍をはずしてもとだんなを解放したのは、

この結婚はカルマ解消目的、という認識が私にはあったので、

とちゅうまではカルマが結婚生活を進めてくれるので、

そのための牽引力というか契約の自覚をもとだんなに促すためみたいな感じで入籍したのですが、(入籍したら自動的に意識が変わるから)

あるポイントからは、そういう、契約に引っ張られて元だんなが変容するという関係性をいったん解消したかったのもあります。

はっきりいって結婚生活は対等ではなかったし、

そもそももとだんなは霊的に引っ張ってくれという発言もあり、
私としても一般の関係性の中で依存したりされるの(グルー弟子的な相互依存)をすごく警戒してたんですが、

この結婚生活で暫定的に双方のカルマ解消のために行うのはありだと思ったのでそういうことも全部伝えてあったんですけど、全然意味つかめてなかったみたいですけど。

だから私は結婚生活においては、導師的な役割を暫定的に期間限定で行うんだなと思ってました。

あと、結婚とかのずっと前から子供数名が生まれたがってる感じがあったので、
検討して、それが関わる人たち全員にもなんと言うか福をもたらすよう機能すると思ったので、
結婚よりも、そういう子供が肉体を持てるようにしようという気持ちはずっと前からありました。

それが私が元ダンとのカルマ的なつながりが終わった後にも元だんの命綱になるだろうとも思ったし。


で、あるポイントを過ぎると元だんなに(わたしにも)ターニングポイントが訪れ、対等な関係性のみが許される時期になったので、

それまでみたいにもとだんの自主独立性をある意味わけわからんかんじで奪って引っ張るよりも、完全に自主的に自分の意思で合流して欲しくて子供と来るのを待ってたんですけど、

プージャしまくりながら。

ちょっとまだ何というかいろいろ経験してみたい感じが強いんだろうなというかんじ。


そういうのが残ってたらどうしてもそういう魅力に抗えないので。


プージャしまくりの効果か、にっちもさっちもいかなくなって、もとだん、いったん覚悟を決めてプッタパルティにきましたけど、

(プッタパルティに来るのは暫定的な「上がり」→自己覚知だと思います→暫定的なのでまた元に戻りますけど、記憶のどこかには刻み込まれるしそれを現実に落とし込んでいくキャパ・受け皿ができる)

結果的には、またはがれていって、(はがれていって、ていう感じ)

一番霊的に?楽なコースには乗らなかった。

でも、抱えるカルマに応じた一番適切なコースだったんだろうと思います。



もともと私は普通の一般的な観念での結婚は無理だと最初から思ってたので、

こんなかんじになってますけど、

もとだんもいろんな意味で普通じゃないのでOKだと思いますけど、

まあ、一般的な結婚観からしたら全然アウトなのはわかってます。
(ちなみに出会いはインドで)


わたしは普通の結婚ははなから無理と思ってたので、

あくまでサイババならサイババの、自分個人を越えた場で行われる開かれた結婚みたいなのがしたかったというのがあります。というか、そういうのしか無理でしょと思ってました。

だから結婚によってみんなが受け入れるような嫁姑問題みたいなのも自分に起こすつもりもなかったし、

自分の自主性や拡大していく感じを手放す気もなく、むしろそういうのを家族単位のグループとして支えあうことで確実なものにしていければと思ってたんですが、

そういうのは嫁姑問題バリバリあったし常に鬱屈してた母には「ええのつかまえたな」「あんたはずるい」と言われましたが、

やっぱ好みと言うか、そもそもスタート地点での意図が違ったんだろうと思います。

母の場合は時代もあると思いますが、

花嫁修業として洋裁や和裁の専門学校に行ったり、料理の専門学校に行ったりして嫁スキルを磨き、そして半お見合いで結婚相手を選び、相手のことをよく知らないままもらわれていって結婚し。

それ以外の余計なこと(なにが人生における女性の成功か)を考える選択肢がないある意味楽な時代だったんだろうと思います。


だからもとだんの存在感があったときはまだ遠慮してたけど、
その男性としての私の守護者としての影響力を感じなくなると、ほれ見たことか、みたいに反撃に出てる感じもしなくもない。

世の中、あんたみたいなのは通用しないんだ、みたいな。

自分の通ってきた人生を否定しないためにはそう思いたいというのはわかる。


でも私と母はよく似てる部分もあって、
母が鬱屈して出せなかった部分を私が代わりに出してる面もあると思うし、

ほんとうは母自身がそうしたかくてもがいてきて、あきらめたことでもあるし、

母に逆らうものがいなくなって思い通りになるようになってきたので現状に満足し、守りに入ることで母に捨て去られた部分でもあると思うんですよね。


だから、残念に思うこともあります。

母が得たものへの守りを固めようと方向転換してしまったことが。


私をここまで連れてきたのは実は母だったのに、なんか引き返されちゃって、置き去りにされちゃったな、みたいな。


実家も、もっと神とかそういうのに対して真摯で開かれたものであってほしかったなと思います。


もともと母がスピ好きで、狂ったようにいろんなことやってたのに、

ぜんぶ価値がないものとして世俗に集中するようになったのは年だからかな。


もともと、いろんなスピに価値を置きすぎてたので、その反動がきたのかもしれないなと思います。

たぶん、暮らしとスピが乖離してたんだと思う。

何も自由がないかんじの家族に振り回されて自分をささげるばかりの日常と、
自由を感じて脚光を浴びれるスピと。

時代もあるんだろうなと思います。


今は世俗において自分の夢に囲まれて、夢を実現したようなものなので、
そこから先にはもうイメージがわかないと言うか。
世界が思うようになったし、これでいいと思って、一方で排他的になる段階なのかなーと思いました。

母に限らず、いろんなグループのグルもそういう段階で留まってるように思います。


ホントはその先があると思う。



真性アダルトチャイルドの回想











おかんの呪いも激しいし、一緒にいたら頭がおかしくなりそうになるので、つくづく、離れたほうがいいと思うんですけど、

というのは、自分を楽しませる人しか周りにいてほしくないみたいで、

わたしはおかんを楽しませるために生きてるわけじゃないので。


人生に割り込んできた、といわれるけど、いやいや、産んだことを割り込んだといわれても。産んだんでしょ?

と言ったんですが、

「親とも思ってないくせに」
といわれ、

「血のつながりがあるのは知ってるよ」

と言ったんですけど、

「はんっ」

といわれた。


親と思うってどういうことなんだろう???




まあ、わたしは真性アダルトチャイルドだったので、

実際親を喜ばすことのために自分を消してたわけなんですが、


子供は親の喜ぶ姿はだれしも好きだと思うんですけど、



だから私も私なりに親に幸せになって欲しいとかはあって、
それって親だけじゃなくてすべての人に対してそう思ってますけど、


親は特に生まれた瞬間からいますから、

存在すべてで喜ばそうとしてましたよね。

存在そのものではどうも喜んではもらえないらしいと気づいてからとくに。


だからいちおう、親がほかの人に自慢できるような存在でい続ける必要性を自分に課してたわけなんですよ。

なんでか、私の両親は世間的に弱いような気がしてたし、
(じっさい、母は近所の人たちから悪意を受けてたという母の話だったし)

よけいに、私がみんなを守らなきゃいけないような、自分が家族みんなのたてにならないといけないような責任を、なんでか感じてたんですよね。

できるできないはともかくとして。


心理学的には?わたしはスターの役割を引き受けてた、みたいな感じになると思うんですけど、

おかげで注目を一身に浴びてましたけど、
いっぱいお嬢様風の習い事させてもらったり高い楽器買ってもらったり。

でもスターとしての注目は得てたけど、

心のつながりはなかったし、存在をそのまま受け止めてもらってるわけでもなかったので、


私がネガティブな状況になったりしたらとたんに注目からはずされて、いないものになってた感じもあるかも。

たとえば痴漢にあったり、高校の受験で落ちたり、鬱になったり、

そういう時は存在そのものを見ないようにされて、私の気持ちとかは誰にもケアされなかったかんじ。


そういうのだから、逆に暴力彼氏に捕まったんだと思うんだけど。

でもおかげでネガティブな状況の中でようやく、自分がいやだと思えることを自分が受け入れられたと言うか。

自分の感情、特にネガティブなものを自分が感じることを封印してたので。

暴力彼氏も、私があまりにも我慢強いのでどこで歯止めを利かせればいいのかわかんなくなったんだと思うんですが、


だんだん私もいいぐあいに壊れてきて、

そんなある日、わたしが、反撃を予想しながら「いやだ!」とキレていうと、すごく安堵して嬉しそうだったのがものすごく意外だったし、

それまで自分がそのようにネガティブな感情を受け止めてもらったことがなかったので「なんだこのかんじは?」と思ったし、心が今までにない感じで安らぎました。

皮肉にも暴力彼氏によって。笑


最終的には暴力彼氏は完全に狂って切れちゃって葛藤なく暴力を振るうようになったので、それが私の、もう一緒にいなくていいなと思えた合図だったので、走って逃げたんですけど、

それも、あとで「逃げてくれてありがとう」とお礼を言われた。
自分では止められなかったから、と。


だれがみてもろくでもなかったみたいですけど、

私からしたら、自分が完全に封印してた部分を引き出してもらえて、ある意味別の命が出てくるのを助けてくれた感じでよかったです。


だから、もう二度といやですけど、愛のある人だったし、とっても感謝してます。

彼は、からっぽだった私が自分自身であることを望んでいたんだけど、それは私が自分の意思で逃げ出すことでしか現すことができなかったというこれもまた皮肉。


ちなみにこれは心斎橋の前世カフェの見立てでは、過去生で年下の幼なじみだったという人ですけど。笑

カフェのオーナーのおばちゃんには逃げてよかったわねと言われた。



この彼氏には別れたら殺すとか、親もみんな殺して家に火をつけるとか言われてたので、

やりかねないと思って、

ほとぼりがさめるまで誰にも連絡取らずに協力者にかくまってもらって、誰も知らない場所で隠れて住んで働いてたんですけど、


そろそろいいかなと思って実家に居場所の連絡先教えたら、

母がすぐにその暴力彼氏に私の連絡先教えたので驚いた。

そんな暴力振るわれてるとはいってなかったけど、連絡先教えないでとはいってあったんだけど、彼氏がかわいそうだから教えてあげたらしく。


でたよ。。。


ってかんじで。


母って自分に正直と言えば正直で、自分が気分がよくなって、いい人になれる役割を喜んで果たす。


あの〜。。。わたしは?。。。って。


そういう人間パターンは私の人生に深くこれまで影響してきたなと思います。

自称いい人が誰かを守るためのスケープゴートっていうんですか?

そういうのに、私はなりやすい感じが。


あった。

それも重要な局面ほど。




子供が撮った写真?



子供が撮った写真?



子供が撮った写真?



子供が撮った写真?



子供が撮った写真?



子供が撮った写真?



子供にはこういう負のDNAのようなものは手渡したくないと思い、

自分で連鎖をとめようと思っていたんだけど、

果たしてどのくらいその意図は実現されたのだろう???


「ばあちゃん、出て行けとかいうのよくないで、」

「ばあちゃんも言ってるみたいに、自分に帰ってくるで」


と、高らかにさきほど母に子供は言ってましたが、

言いたいこと何でも言っちゃう子供には少なくともなったみたい。


その後結局なんかめちゃくちゃになって、子供に母の矛先も向いてたけど。


子供、結構仕切り屋で。


今回は味方してくれたけど、

子供は子供なので、状況で流されるのはわかってるのでまあ、

そのように思ってますけど。


少し前まで母と一緒に私をあざ笑ってたくらいだし。



でも世の中の多くの人が、そんなかんじなんだな〜、と、最近になってようやく認識できて来ました。


母に、人に対する一貫性がないけど(最初べた褒めで褒め上げて後で状況が変わったらこき下ろすことが多い)、私はいつも一貫してるでしょ(いやだなと思ったら最初から最後まで気を許さないとか)というと、

利害関係で態度が変わるのは当たり前やん!

といわれて、

そうなのか!

と、ある意味目を開かされる思いでした。


私は利害関係を超えたところでなるべく公正に、もしくは状況よりも自分の気持ち第一で接したい気持ちがあるので損ばかりしてるんだなあと思った。

私も、あ、だめ、と思ったらぱちんとスイッチが切り替わるほうだけど、

と言うか、合わせられない。


でもみんなみたいに利害関係で敵になったり味方になったり態度を180度変えるような芸当は難しい。

たぶん無理。


でもこれはいえるのは、みんな、何らかの形で自分をいい気持ちにしていたいんだなということ。

私の気持ちがいいのと、母が気持ちがいいのとは違うみたい。



でも、わたしが、なんか信用できないなと思う場合は結構するどくて、

そういう場合私かたくなになるので私一人だけ社会不適応っぽく困った人として扱われるんだけど、

あとで、そういう人たちに全員がだまされててむちゃくちゃになるとか、

けっこうある。


ささいなことなんだけど。

なんかこの人、おかしい、いやだ。と思う要素って。


神様トーク(サイババ編)



昨日の私の地味な昼ごはん。



よきにつけあしきにつけ、子供は暗示が入りやすいし、

心が開いているだけに、注ぎ込まれた価値観をいともたやすく自分のものにしますから、

でも、態度も伴って教えないと効果が無いから、
(態度と言ってる事が食い違ってたら、そういう状況全体を吸収する)


多少無理してでも体現するよう心がけて神様トークを幼いころから子供としてたんですが、


もともと子供はそういう感覚を持ってるから、

そのような話のできる場と知るとすぐにそういうのを体現します。


そして自分でも試したりして自分で発見していくようになる。



子供は親に喜んでもらいたい気持ちが絶対あるから、

親の興味の方向や意向に無意識で沿おうとする傾向はあるにしても。


プッタパルティに子供といたときは、

子供はよく目をつぶったまま歩いてました。


「危ないで」

とわたしは言うんだけど、

「目の中に宇宙があるから」

といって。

なんか面白かったらしい。


そういうのは、

私が、ほんとは自分の中に全部があるんやで、全部の宇宙があんたの中に入ってるんやでみたいなトークをしたりしてたらそんなことになった。

具体的には

誰かのことを考えたりしたらその人が頭の中に見えるし、

どこかの場所を考えたらその場所が思い浮かぶし、

それは自分の中にその人や場所があるからだし、

それは実際にその場所にいってることと変わらないというようなことや、

だから、心はどこでもいけるし、どこかに行くのに時間もかからない


ものすごい遠い宇宙も考えれるやろ?

そしたらもう心はそこにいってるんや。

すごくない?


昨日にもいけるし明日にもいける。

自分の中にババもシヴァも全部の神様もいるやろ?


みたいな。



子供はまだ現実から自由なとこがあるから、

そういうのすぐにわかって、

「わあっ、ほんまや〜っ!!(にやにや)」

と、すぐに体感を伴って感じるみたい。



それとか、日常の中で、

自分はさておきですが、


子供が何かのことでむかついてギリギリくやしがったりしてたら、

あの人はそういう劇をしてるんやで。

ほんまはみんなババやねんけど、

劇を面白くするためにババが演じてるんやで。

だまされるなよ。


とか、4〜5才の子に言っていた。爆


子供「そうなん!?」 





子供って面白いですよね。いい意味でバカで。



え、じゃあ、あれもババ?


「そうやで」


あれも?


「そう」


これも?(私を指差して)


「・・・(汗)そう」


「あんたもやで(子供を指差して)」


え〜〜〜!笑


みたいな。



それからしばらくは、子供は世界をそういう劇場としてみていた。

あれもほんまはババなんか〜。。。みたいな。


コップとか、

そういうのもいちいち「これもババ?」「ババが劇してるの?」とか聞いてくるので

「そうやで」

と、答えておいた。



セロテープとか、石とか、木とか、犬とか、セバダルとか、いやなおじさんとか、


「ババやのになんであんなことするの?」

とかいうネガティブな状況では(そういう状況はよくあった)


あの人の中のババは自分が劇してるって知ってるけど、

あの人は自分がババって気がついてへんねん

ほんまはババやのになあ。


とかいったら

ほんまやなあと思ったらしい。


でも石ころのふりして私たちを、これは石だと信じさせてだまそうとしてるサイババとかいうのもビジョン化してみたらけっこう笑える


子供もなんか笑えると思って面白かったみたい。



そのうち、いちいち

「あれも劇やで」


とか、「あの人もほんまはババやのに気がついてへんのかなあ。どうして?」

とかことあるごとに言ってきて、しまいにわたしが

「・・・もうええっちゅーねん」

みたいにめんどくさくなってたけど。




月日は流れ、



数日前に、実家の母がたたみの張替えのために畳屋さんを呼んで見積もりをしてもらってました。


普段はインドがえりの子供のためや、サイババ関係者が来るときのためにもてなしとして大きなサイババの写真を仏壇のところにおいてるんですが、

あれ?

と気がついたらその写真が別の部屋の目に付かないところに移動されていました。


畳屋さんがくるから。って。

こんどふすま屋さんもくるから、しばらくは写真は隠しておくらしい。


なんだそりゃ、と、多少もやっしつつもふ〜んと言ってたんですが、

子供も学校から帰ってきたら

「あれ?写真は!?」

と言っていた。



寝て起きた翌朝、子供は日課にしてるヴェーダを仏壇に向かって唱えて、

唱え終わったら畳に額をつけてババの写真に向けて礼をするんですが、


仏壇のサイババの写真が移動されて空っぽなので、



前の日からもやっとしてたわたしは

「ババがいない〜。なんで〜〜〜」


と言ったら


子供に



「えっ!?」




「あなたはなにを言っているんですか?」風に切り返されたので、



「あ、写真のやけどな」

「ババはどこでもいるけどな」


と、多少言い訳っぽくいったら


「これもババやし」

と、ニヤリとして指をさされた。。



人に指をさすのはどうかと思うけど、

ちょっとしてやられたというか、


やっぱ幼いころにインプットしたものは残っとんやなーと、

あのころにタイムスリップしたような心地がしました。





そのあと子供は少林寺の教室だったので、

私の4番目の弟に車で練習場所まで送ってもらう手はずになってて、



母がさっさと用意しろと子供にワーワー言ってて、

4番目の弟が子供のときはこんなに丁寧に育ててもらってへんねんから4番目の弟にありがとうございますと言えと子供に言ってて、

そしたら子供は一瞬考えて、

「ばあちゃんがもうちょっと丁寧に育てたらよかったんちゃうん?」

と、思ったことそのまま素で言ったら


母はさらにテンション上げて

「そんな口答えするような子もおらへんかったわ!」

とか言ってたので面白かった。


確かに、私が子供のころは家庭内で発言できるような場ができてなかったから、

口答えどころか会話するということの意味すらつかめてなかった。


別に育ち方に不満があるわけでは全然無くて、充分大事にしてもらっていたと思ってますが、

子供の個性を積極的に受け入れるような場ではなかったので、

20代になって紆余曲折後、ようやく自分の中心と自分が一致したかんじだったので、

子供には積極的に発言させたり、考えを聞いたりするようにしてたら

えらく独立してて口の立つ子になってしまった。笑


でも私が接する今の子供たちの多くはそんな感じで、自分が何をどう、感じているかに自覚的な子供が多く、それを表現することにも思いやりはあっても気兼ねは無く、やっぱり時代だな〜と思います。


言いたいことを邪気なくそのままスッと言えるということは健全なことだと思う。




子供のリクエストで昨日の晩はカレー。
この日もおいしくできた。
市販のルーなしでも全然問題ないな。




小松菜の麻の実あえ。
これはヒット。
おいしくてぺろり。




某金玉サイトから購入した麻の実ナッツ。
ピーナツと松の実の中間みたいな味がします。おいしい。

外国人労働者流入の危機!?

なんか作業をしながら沼倉とかいう人のしゃべってるのをユーチューブで聞いてましたが、
(アメリカで美大に通ってるときにビジネスを始めたらしい。わりと男前。笑)

将来外国人労働力が入ってきて、日本人の雇用条件が大変なことになる、日本人が外国人労働者と同じ条件で働かないといけなくなる時代が来るみたいなことを言ってて、切迫した危機感を伝えて、視聴者に危機感を持ってもらおうとしてたんですが、笑ってしまった。

なぜなら私は10数年前に日系ブラジル人やペルー人、中国人労働者と同じ条件で働いてたその大きな会社(当時わたしが働いてたコンピューター基盤とかの関係の会社)で唯一の日本人だったから。笑

ものすごい先取りしてるし。爆



事情があって日系ブラジル人枠で特例的に採用されたのですが、


ブラジル人たちと働くのは面白かったです。
誰も彼もがヒモパンで。


私は一応大卒なので、現場で日系さんに混じって仕事をさせるのははばかられると思われて、事務所でデスクワークをするのを提案されたけど、
現場のほうが面白いに決まってるので断って、現場で働いてました。

(でも働いてた日系さんや日系さんの家族の人たちも院卒など高学歴の人も多かったけど、みんなすごい下品、もとい、情熱的だった。


住んでたアパートもそういう外国人労働者のためのアパートで、私以外はみんなそういう外国からの出稼ぎの人たちでした。

みんな優しくて、ブラジルの食材の店とかに連れて行ってくれたり、一緒にどこかに遊びに行ったり、ブラジル料理のご飯をおすそ分けしてくれたりしてました。


仕事も長時間労働(基本12時間労働で時にはそれ以上)だったし、別に楽チンで、残業代とかもきっちり付きまくりだったので、収入もよかった。

ブラジル人たちは2年くらい働いて、そのお金でブラジルとかに家を建てる感じ。

中には食用がえるの養殖場をしてる人もいた。


1年半くらいそこで働いたのかな?

今でもたくさんのブラジル人の同僚?の顔を思い出せます。

定時で日本人の社員が帰宅していなくなったらみんな歌ったり変な写真をまわしたり好き放題してて面白くて、


いろんなことがあって、みんな表情豊かで面白かった。


で、なんで外国人と一緒の条件で働いたらやばいのかが理解できないままに動画は終わった。笑


思うに、別に危機感持つ必要はない気が。

きっと世界はもっといたわりあう世界になって、人を出し抜いてうまく立ち回っていかないと生きてはいけないような競争社会は終わりを告げるでしょうよ。


今でも、すでにそういう世界(生き馬の目を抜く競争社会)に生きてる人と、そうではない自分に中心がある、あせる必要のない世界に生きてる人がいると思うので、


何もいまさら好き好んでわざわざ危機感を持って競走の世界に参加しに行く必要もないような気がします。


それより、自分が自分の質をあげていくことをしていれば、たとえ現実社会で競争世界と共存してそれを見ることができても、その中ではなくて鬼っこ、豆っこのように(←鬼ごっこの)その外にいるように守られる気がします。

競争も幻想ですよね。


それを楽しめれば面白いかもしれないけど、そうでなければ不幸な幻想だなと思います。


そろそろ違う原理でいいんじゃない?と思った。


自分自身であればそれ(自分であるというジャンル)においては競合相手はいないんだし。


そうであれば、全員がその点においてトップの人だから、関わりあうのも楽しいと思うんですよね。


いつでもどこでもトップ会談。

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