2013.12.21 Saturday
2013.02.23 Saturday
クンバ回想
咳はまだ出るけど、体調も微妙に持ち直したように思います。
移動すると、体調の悪さに気がついた。
クンバで滞在してるときはやっぱちょっとした高山病というか高地にいるみたいなみたいな脳波だったのか(ヒマラヤから降りてきた人たちが高度感も連れてきたのだろうか)
体調の悪さは気にしてなかったし気にならなかったのだけど、
私の手を触った人が「あなた熱があるの?」と言ってたので「ないない」と答えてたものの、多少熱があったのかも。
インド人はみんな氷のように冷たい手だなーと思っていたのだけど。
わたしはもともと平熱高いので熱が出てもよっぽど、39度5分以上とかでないと、あまり変わったかんじがしないのだけど。
列車の中で久しぶりに大きい鏡を見ると、顔がどす黄色い!
すわ、肝臓か?
ライトのせいと思いますけど、
だって食欲はあるので。
でも疲れてるのは確かなので、列車に乗ってすぐに熟睡して、乗車券チェックの車掌に起こされた。結構何度か起こしてもしばらく起きなかったっぽい。
最近、列車のチケットの存在をなめていて、たいがい印刷してないので、
PCの中にあるデータを車掌に見せようと思ってパソコンを立ち上げかけたら車掌に「IDだけでいい」といわれたのでパスポートを見せてまた寝ました。
デリーのYWCAで久しぶりにシャンプーで頭を洗ってぐっすり寝ました。
髪から流れる水が灰色だった。
そむあでぃ茶屋というパハールガンジに最近できたらしい、日本のご飯が食べれるとこ(菜食)で休憩して、
コンノートプレイス近くのYWCA(ブルートライアングル)をチェックアウトして、今はもういっこのYWCA(インターナショナルのほう)のレストランにいます。
後2時間半くらいここでだらだらするつもりです。
わたしには普通の家庭人としての幸せはないのかなとか思いをはせつつ。
こういう私だからこそ、
家庭が重要な意味を持っていたのだけど。
ま、それはそれとして、
そういえば風至さんと久しぶりに少ししゃべったら
沐浴でずいぶん浄化されたらしい。
白くて透明なかんじのオーラが1メートルくらい広がってるとかいわれたけど、
普段どんな感じなのか知らないからなんともいえないけど、
(あ、まえはピンクが混じってると言われたっけ)
ヒーリング向けの状態になってるらしく、
今私の近くに来ると癒されるらしいですよ!笑
いつまで続くか知らんけど。
でも、最近なんか会う人みんな妙にやさしくしてくれることが多いのは、近くに来ると癒されちゃうからか?
と言ったら
それそれ。
といわれた。
日本でも通用するのかなあ?これ。
サンガムでの11日間の沐浴はですね、
最初の日は、
最初はえいっと入って、そのうち、あ、そうだ、みんなのために祈ろうと思って、
ちゃんと祈れて満足しました。
2日目もそんなかんじで世界平和を祈願しながら沐浴しました。
自分が浄化されることを通してすべてが浄化されますようにと。
で、3日目くらいに知人2人が帰る段になって、なにかカーンと神経が立って、
たぶん3人で形成されていた小さな集団意識から2人が去り、私が残って独立するときの反応だったと思うんですが、
時々そうなるんですが、
表面的には別にそこそこ普通なんだけど、なんか内面的にものすごいカンカンに神経が立って、
そうなると考え方を変えるとかそういう小細工は通用しなくて、何かがどうにかなるのを待つしかなくなるんですが、
2人が去った後、
ものすごい憎しみや悲しみや怒りが襲ってきて、
ほんと、どんだけ沈んでんねんと言う感じですが、
まだこんなにあったか、という。
男も女も全員死ねとしか思えなくなって、
なんか みんな死ね〜! てかんじで、すっごい怒りで、
自分でどうしようもないので、
助けて〜。と思いながら沐浴しました。
で、会場を歩いたりしていても猛烈な虚無感と世界に対する拒否感で苦しくて、たいへんでした。
で、次にはそのベクトルが自分に向いて、自分が死にたくなって、
悲しくて空虚な気持ちで数日過ごしました。
最初から11日間連続で沐浴しようと思ってたわけじゃなかったのですが、
初日に沐浴してみて、2日目も沐浴してみて、
で、続けようと思って。
それくらいまとまった日数やれば何かが何かかなと思って。
自分自身を浄化しまくりたいという気持ちはあって。
なので、プッタのウエスタンキャンティーンで隣でキャッシャーやってるおばちゃんに「クンバに自分を清めに行く」と言ったら
「もう清まってるじゃない」
と、笑われたのだけど、
自分の感覚ではそうは思えなくて。
で、数日目にそんな感じで、その後は世界平和とか祈る元気もなくてひたすらとにかく沐浴してたかも。
そのうちサイババに関係のある人がちらほら現れだして。
泊まってたアシュラムで親切にしてくれたいつも黄色い服ばかり着てるおばちゃんがいて、
なんかそのおばちゃん、雰囲気が完了してるみたいな感じで、
あるときご飯を食べながらいろいろしゃべったのだけど、
そしたらやっぱりそのおばちゃんある種完了してるのか、
その安定して満ち足りた雰囲気に気持ちがゆるんで泣きそうになってあせった。
で、すごく楽になって、
このおばちゃんが尊敬してるここのアシュラムのグルジとやらもきっとちゃんとしたいい人なんだろうなと思いました。
その後、おばちゃんもなんかわたしの事が気になってたみたいで、
「本当は彼女はどこから来たんだろう」と不思議に思って考えていたらしく、
日本からだと言ってたんですが。
そのように不思議に思って考えていたということを言ってきたので、
実は南インドのプッタパルティに住んでることを言って、
プッタパルティは知ってますか?サイババのアシュラムがあるところなんだけど、
と言うと、
「もちろん!」
と答え、すべて合点がいったという表情になり
おばちゃんは小さいときにサイババのとこに祝福を受けるために連れて行かれたらしく、
その後長い間行かなかったけど、大人になってから、サイババが孤児を何十人か養子にしたころにまた呼ばれて、
その孤児たちに英語やヒンディーやテルグ語を教えたそうです。
彼女はもともとバンガロール生まれなんだけど、、テルグ語はしゃべるのはできるけど書くのはいまいちだったんだけど、
不思議なことに教えるときは素晴らしく教えられて、それはババの恩寵だと言っていました。
そういう話はよく聞くので、そうか、と思って聞いてました。
そのような孤児たちへのトレーニング期間はとてもプレゼンスな時間だったと言っていました。
「在る」という経験だったということかな。
で、その後今のグルジに出会って、彼は素晴らしいから会えばあなたは理解すると思うと言われました。
で、サイババはすでに亡くなったので、グルというのはグルからグルへと受け継がれるものだから、
だから今あなたはここに来たのね、と言われ、
それはなんか違うような気もするけどなーと思いつつ、
でもおばちゃんの言う通りかもしれないし、わかんないや。と思ってました。
別に私はそのグルジに会いたくないと思ってたわけじゃなくて、
おばちゃんもすごくよかったし、アシュラムの様子も淡々としたいいいみでクールな感じが好みだったし、
朝のヨガクラスもすごく面白かった。
でも、いつもの直感が私に20日まで滞在するように言ってたのでそのつもりで来てみたら、
滞在したアシュラムはグルジ不在で、21日から来ると聞いて、そういうことか、なんとも私向きにアレンジされたものだと思って、笑ったんですが、
みんなが滞在を1日伸ばしてグルジに会っていくべきだとすすめて、
まあそうしてもいいんだけどと思いつつ、
列車のタッカルチケットを頼んでたんだけど、
頼んでた人が取ってなくて、ああ、じゃあ1日滞在伸ばしてそのグルジとやらに会うのかな
と思ったんですが、一応チェックしてもらったらまだチケットがあって確保できたので、予定通り20日の夜遅くに滞在を切り上げることになりました。
そのグルジも21日の朝から講演で、20日に来る可能性もあったと思うんですが、
15日の沐浴日の後半から雨が降り出して、
それがすごい暴風雨になったんですよね。
で、2日くらいそういう天気で、
暴風雨が収まってみると、クンバの会場全体がちょっとした被災状態になってました。
結構な数のテントが水没していた。
あちこち傾いたり、裂けたり。
なので17〜18日以降くらいから復興作業をしてて、
ほとんどのアシュラムではすでにクンバのピークをすでに終えてたとこも多かったので、そのまま帰っていったとこも多かったのですが、
私が泊まってたとこは21日からがグルジがやってくるメインイベントだったので、
暴風雨が去って会場が水浸しであちこち壊れたり裂けたりしてるのを見てみんな力なく笑うしかないという感じで。
私もタイミングが合えば復興作業を手伝おうと思ってて、
実際少し手伝ったりもしたのだけど、
そういうわけで、ここのグルジを迎えるには20日の時点でまだ充分ではなかったので20日にアラハバードに来たそのグルジは市内のホテルに泊まったんですよね。
なのでわたしは結局その人に会わなかった。
でも今までの経験上、会っても向こうはちょっと迷惑だったかも知れず、(というのは私はみんなに求められるような態度は取れない気がするし)やはり20日にそこを去るように指示されてたのは適切だったんだと思います。
15日の午後から雨になって冷えたので、昼間は暑いだろうと私は高をくくってちょっと薄着だったので、そこでちょっと風邪を引きました。
水辺で何時間もじっとしてたものだから。
その日の晩に本格的にすごい暴風雨になって、
テントの中心の棒は木の棒を地面に打ち込んでるのでしっかりしてたけど、
横はそれほどしっかり止まってなくてつっかえ棒みたいな感じだったので、
風にあおられてスカートが翻るみたいにテントの両脇がパタパタ泳いだときもありました。
わー、ちょうちょみたいー。
とか思って、
それでも電気が来てることに感心して、
それほど不自由も感じなかったのですが、
夕方外から帰ってくるときに見た光景、
小さなテントの水浸しになった床でインド人の家族が寄り添いあって寒そうにしてる光景がふとよぎり、
うわー、ああなったら大変だ。。。
と思ったのですが、
ふといやな予感がして、
その時点で私のテントの床はぬれてなくて、ずっと床に布団を引いて寝てたのですが、
知人の某グルジが使ってたベッドに自分の布団を移して、余った布団もみんな椅子の上に積み上げて、
床においてたコンセントやパソコンやそのコード類も椅子の上において、
スーツケースも閉じ、
別のかばんに入れてた荷物も床に直接ではなくてシルバーシートをたたんだ上におきました。
そして、その日はベッドで寝た。
翌朝起きたときもすごい暴風雨で、その音で起きたくらいだったんですが、
テントの中は無事で、
雨が小降りになったときに外に顔を洗いに行って、
テントに帰るころに、それなりに明るかった朝の空が夜のように不気味に真っ暗になりました。
すわ、暗黒の3日間かというくらいの本能的な怖さが呼び起こされるような暗さ。
そして再び前にも増して激しい土砂降りの暴風雨が天から投下されました。
あっというまにテントの中に大量の泥水が流れ込んできて、
テントの中がサンガム。笑
うっわーーー。
布団も荷物も上げておいてよかった。。。
水が入ってきだしてからあわてて上げても絶対間に合ってなかっただろうから。
と、テントの中のサンガムをそのままあとに、余裕をかまして朝食を食べに行きました。
そしたら、いつも気にかけてくれてたキッチンの少年が血相を変えて
「テントに水が!!」と教えに来てくれたので
「ノープロブレム」と笑ってたら気が抜けてました。
もうこうなるとテントの中をきれいに掃除したことも別次元の出来事で、
テントの中はグズグズの水浸しで、
幸い直接の被害が何もなかったので気持ちも余裕だけど、
これ、布団が水浸しとかになってたらつらいよなーと思いました。
アシュラムのグルジの講演用の大きいテントや食事用の大きいテントの布なんかもあちこちが裂けたり落ちたりしてて、何より、地面が全部水溜りになってしまったのでその復興が少し大変でした。
その暴風雨の日はテントの中にいるしかなくて、
テントの中にいたのですが、
沐浴も行けないのかなと思って、
7回目が終わった時点でこういう風に激しい暴風雨でストップがかかるなんて、
地球は世界平和を祈るような沐浴を成就させたくないんだろうという気もしました。
わたしたちに厳しい結果を体験するように求めてるんだろうと。
7という数からもそのような厳しいものをなんとなく思いました。
でもせっかくだから行きたいなと思って、
でもどう考えてもばかげてるし、
川が増水してて流されて死ぬかもしれないし、
でもなんか行かずにはおれない気分なのでこれが私の性なのだろうと思って、
もし今肉体を離れたとしたら、、、と、ちょっと考えて、
誰もが私なしでやっていけるしそれぞれ支えが在るから大丈夫だな、と思って、
それでも何人かに連絡を取ろうと試みたけど誰も応答せず、
連絡先すら教えてもらえず拒絶されている数名のことを思い、
自分のためにちょっと泣いて、
覚悟を決めて雨の中のテントから出ると、
信じられないことに青空が覗いていました。
そうして雨がやんで、
泊まってたアシュラムの敷地から外の通りへ出ると
ちょうど通りを聖歌を歌いながらやってきた大勢のキルタンの一群と合流する形になり、
彼らの歌声とともに道をすすみました。
晴れている、シンジラレナイ
と思い、
晴れているなら光があるからよい写真が撮れるかもと思って、テントに大きなカメラを取りに帰ろうとしたら直感の声が取りに帰らないように言ってきたので、しばらく立って思案して、
取りに帰らずそのまま行きました。
途中でリキシャを拾ってサンガムに行くと、晴れ間を縫って車で駆けつけた人たちが少数ながら、小雨の中沐浴していました。
心配したほど増水もしておらず、流れも激しくなっていませんでした。
たぶん、上流のダムで調整でもしてるんじゃないかと思います。
ああ、来れた、沐浴できる、
と思って、すでに青空は消えて小雨がパラつきだしていたので急いで準備をして、
誰もが雨の中急いでいたので、荷物は杭にかけて、近くの着替え中のインド人女性に「見てて」と軽く頼んで
水の中へ入っていきました。
この状況でここに来れて沐浴が続けられて、
水の中に頭まで浸かって上がって、
いつも3回浸かるのを3セットしてたのですが、
(その後頭や体を洗ったりしていた)
無事に終えて、7日目から8日目へと日数を続けることができたとき、
「ああ、これで大丈夫」という気がしました。
安堵の気持ちで川からあがろうとしたら私が荷物をかけた杭の上からさらに別の人が衣類をかけていたので、
「ごめんなさい、それ、私の荷物」
と言って、川の中から手を伸ばして自分の荷物を取って、
川からあがろうとしたらその僧侶風の人が
「日本人のイスコンメンバーはきてるの?日本にはあるの?」
と、ニコニコ顔で聞いてきたので
「ありますよ。組織では来てないかもしれないけど」
と言ったら
「君がまとめるべきだよ」
とか言ってきたので
「私はイスコンじゃないし、組織はもうすでにあるから。あなたはイスコンなの?」
とか答えながら川から上がろうとしたら足を踏み外してこけて、持ってた荷物の半分が川に浸かったので周りに人が集まってきて、
しゃべりかけてきてた男性も「ごめん、、!」と目を丸くして驚いたみたいでした。
なので「ノープロブレム」とか言いながら態勢を立て直して川から上がった。
乾いたとこはないし、刻々と強くなってくる雨脚の中、適当なとこで大急ぎで着替えました。瞬時を争う感じで。
土砂降りの中歩いていかないと思っていたので、かばんの中の着替えや小さいカメラなどは全部ビニール袋に入れていたので、川に浸かっても幸いぬれていませんでした。
着替え終わるころには再び土砂降りの雨になっていました。
なるほど、大きなカメラを取りに戻っていたら土砂降りの中、着替える羽目になったと言うわけだ、
と思いつつ、
坂の上まで歩いてそこでリキシャと交渉して乗ってアシュラムに帰りました。
土砂降りの中、サイクルリキシャをこがすのは申し訳ないような気もしたけど、
これがいい稼ぎになってよいことなのかもしれないと思って、
交渉は相場の2倍ほどの言い値だったんですけど、アシュラムについて降りて、相場の3倍を渡しました。
リキシャでは乗ってても足が濡れるので、下半身を災害用のシルバーシートで包んで乗っていました。
今回、厚みの在るシルバーシート1枚と薄いのを3枚持ってきてたんですが、
もしかして知人も使うかもと思って。
最終的には全部使って役立ちました。
巻いたらすぐに暖かくなるので驚きだった。
今回やけに準備がよくて、
いつもは持たないような差込充電式の電気とか、虫除けオイルとか、
結構いろんなものが役に立ちました。
すごい、完璧だ、と自分でも思った。
なんとなく持っていこうかなと思ったときは持っていったほうがいいのかも。
泊まる場所はこういうホントにテントじゃなくて、完璧に快適なテント風宿泊施設と言うようなイメージの話を聞いてたんで、
寝袋とかも、要らないし、蚊もいないよーー。すごくいい場所だから と、笑われてたんですが。
ふたを開けてみるといろんなものが全部役に立った。
そして今回はいやな予感がけっこうあたった。笑
でもそれでも対応できるのでありがたいことでした。
帰ると、少年が、雨なのに私がいないということで、ずっとものすごく心配してたらしく、
黄色い服のおばちゃんがそのことを笑いながら言ってきて、だから出かけるときには私たちにヒントをちょうだいねと言ってきました。
夜にはまた雨が降り、
翌日には少し天気は回復していました。
暴風雨の中出て行って沐浴した後はもう何も私の沐浴をさえぎるものはない、
けど、注意深く最後まで気をつけていました。
いつどこでどのような邪魔が入るかわからないのがこの世界だから。
悲しいかなそのような知恵がついて私は少し注深くなった。
いつもとてもよくしてくれたいつも黄色い服の完了した印象のおばちゃんは、わたしがアシュラムを去る2日前から体調を崩して休んでいました。
私をそこのアシュラムのグルジに会わせて紹介してあげるととても嬉しそうだったので、わたしが頑なに(というわけでもないのだけど)出発するので体調を崩したのはその影響もあるのかなと
なんとなく少し思いましたが、
仲良くなった、ヨガティーチャーの訓練中の女性に、いつも助けてくれた彼女によろしく言っておいてくださいと言付けて、最後は会わずに去りました。
親族がプッタにいると言っていたからまたいつかプッタで会うのかも。
黄色い服のおばちゃんが笑うくらい、いつも私のことを気にかけて、
私さえ気づかない居住空間の不都合部分を改善しようとしたり、出来立てのおいしいものをくれたり、ほかの人にあげないものをどこかから出しておかずに加えたり、私が嫌がる青唐辛子をからかって毎回くれようとしてはウケて笑っていたキッチンの14歳くらいの少年にも最後は会えなかった。
しかし前の晩、
外の水道のところで夜遅くになぜか2人で並んでしばらく水道を使うシチュエーションになり、
夜遅くてみんなはすでに寝てる時間で、あたりは静まり返っていて、
ほかに誰もいなくて、なんだかちょっと変な感じだし困るなーと思いながらも
わたしは歯を磨いていて、
少年は着衣のまま顔や頭やそこらじゅうを洗っていて、
水道の水の変な出方をわたしに示してはきゃははと嬉しそうにウケていた。
少年は最後の数日、そのようになんだか軽やかにウケまくるようなハイな感じになっていた。
いろいろ気をまわしてくれて最初から最後まで世話になったその少年と最後にそのように
なぜか夜遅くに誰もいないとこで言葉も通じないながらも静かな空気を共有したひと時があったことは、きっととても必然だったのだろうと思います。
おしまい。
移動すると、体調の悪さに気がついた。
クンバで滞在してるときはやっぱちょっとした高山病というか高地にいるみたいなみたいな脳波だったのか(ヒマラヤから降りてきた人たちが高度感も連れてきたのだろうか)
体調の悪さは気にしてなかったし気にならなかったのだけど、
私の手を触った人が「あなた熱があるの?」と言ってたので「ないない」と答えてたものの、多少熱があったのかも。
インド人はみんな氷のように冷たい手だなーと思っていたのだけど。
わたしはもともと平熱高いので熱が出てもよっぽど、39度5分以上とかでないと、あまり変わったかんじがしないのだけど。
列車の中で久しぶりに大きい鏡を見ると、顔がどす黄色い!
すわ、肝臓か?
ライトのせいと思いますけど、
だって食欲はあるので。
でも疲れてるのは確かなので、列車に乗ってすぐに熟睡して、乗車券チェックの車掌に起こされた。結構何度か起こしてもしばらく起きなかったっぽい。
最近、列車のチケットの存在をなめていて、たいがい印刷してないので、
PCの中にあるデータを車掌に見せようと思ってパソコンを立ち上げかけたら車掌に「IDだけでいい」といわれたのでパスポートを見せてまた寝ました。
デリーのYWCAで久しぶりにシャンプーで頭を洗ってぐっすり寝ました。
髪から流れる水が灰色だった。
そむあでぃ茶屋というパハールガンジに最近できたらしい、日本のご飯が食べれるとこ(菜食)で休憩して、
コンノートプレイス近くのYWCA(ブルートライアングル)をチェックアウトして、今はもういっこのYWCA(インターナショナルのほう)のレストランにいます。
後2時間半くらいここでだらだらするつもりです。
わたしには普通の家庭人としての幸せはないのかなとか思いをはせつつ。
こういう私だからこそ、
家庭が重要な意味を持っていたのだけど。
ま、それはそれとして、
そういえば風至さんと久しぶりに少ししゃべったら
沐浴でずいぶん浄化されたらしい。
白くて透明なかんじのオーラが1メートルくらい広がってるとかいわれたけど、
普段どんな感じなのか知らないからなんともいえないけど、
(あ、まえはピンクが混じってると言われたっけ)
ヒーリング向けの状態になってるらしく、
今私の近くに来ると癒されるらしいですよ!笑
いつまで続くか知らんけど。
でも、最近なんか会う人みんな妙にやさしくしてくれることが多いのは、近くに来ると癒されちゃうからか?
と言ったら
それそれ。
といわれた。
日本でも通用するのかなあ?これ。
サンガムでの11日間の沐浴はですね、
最初の日は、
最初はえいっと入って、そのうち、あ、そうだ、みんなのために祈ろうと思って、
ちゃんと祈れて満足しました。
2日目もそんなかんじで世界平和を祈願しながら沐浴しました。
自分が浄化されることを通してすべてが浄化されますようにと。
で、3日目くらいに知人2人が帰る段になって、なにかカーンと神経が立って、
たぶん3人で形成されていた小さな集団意識から2人が去り、私が残って独立するときの反応だったと思うんですが、
時々そうなるんですが、
表面的には別にそこそこ普通なんだけど、なんか内面的にものすごいカンカンに神経が立って、
そうなると考え方を変えるとかそういう小細工は通用しなくて、何かがどうにかなるのを待つしかなくなるんですが、
2人が去った後、
ものすごい憎しみや悲しみや怒りが襲ってきて、
ほんと、どんだけ沈んでんねんと言う感じですが、
まだこんなにあったか、という。
男も女も全員死ねとしか思えなくなって、
なんか みんな死ね〜! てかんじで、すっごい怒りで、
自分でどうしようもないので、
助けて〜。と思いながら沐浴しました。
で、会場を歩いたりしていても猛烈な虚無感と世界に対する拒否感で苦しくて、たいへんでした。
で、次にはそのベクトルが自分に向いて、自分が死にたくなって、
悲しくて空虚な気持ちで数日過ごしました。
最初から11日間連続で沐浴しようと思ってたわけじゃなかったのですが、
初日に沐浴してみて、2日目も沐浴してみて、
で、続けようと思って。
それくらいまとまった日数やれば何かが何かかなと思って。
自分自身を浄化しまくりたいという気持ちはあって。
なので、プッタのウエスタンキャンティーンで隣でキャッシャーやってるおばちゃんに「クンバに自分を清めに行く」と言ったら
「もう清まってるじゃない」
と、笑われたのだけど、
自分の感覚ではそうは思えなくて。
で、数日目にそんな感じで、その後は世界平和とか祈る元気もなくてひたすらとにかく沐浴してたかも。
そのうちサイババに関係のある人がちらほら現れだして。
泊まってたアシュラムで親切にしてくれたいつも黄色い服ばかり着てるおばちゃんがいて、
なんかそのおばちゃん、雰囲気が完了してるみたいな感じで、
あるときご飯を食べながらいろいろしゃべったのだけど、
そしたらやっぱりそのおばちゃんある種完了してるのか、
その安定して満ち足りた雰囲気に気持ちがゆるんで泣きそうになってあせった。
で、すごく楽になって、
このおばちゃんが尊敬してるここのアシュラムのグルジとやらもきっとちゃんとしたいい人なんだろうなと思いました。
その後、おばちゃんもなんかわたしの事が気になってたみたいで、
「本当は彼女はどこから来たんだろう」と不思議に思って考えていたらしく、
日本からだと言ってたんですが。
そのように不思議に思って考えていたということを言ってきたので、
実は南インドのプッタパルティに住んでることを言って、
プッタパルティは知ってますか?サイババのアシュラムがあるところなんだけど、
と言うと、
「もちろん!」
と答え、すべて合点がいったという表情になり
おばちゃんは小さいときにサイババのとこに祝福を受けるために連れて行かれたらしく、
その後長い間行かなかったけど、大人になってから、サイババが孤児を何十人か養子にしたころにまた呼ばれて、
その孤児たちに英語やヒンディーやテルグ語を教えたそうです。
彼女はもともとバンガロール生まれなんだけど、、テルグ語はしゃべるのはできるけど書くのはいまいちだったんだけど、
不思議なことに教えるときは素晴らしく教えられて、それはババの恩寵だと言っていました。
そういう話はよく聞くので、そうか、と思って聞いてました。
そのような孤児たちへのトレーニング期間はとてもプレゼンスな時間だったと言っていました。
「在る」という経験だったということかな。
で、その後今のグルジに出会って、彼は素晴らしいから会えばあなたは理解すると思うと言われました。
で、サイババはすでに亡くなったので、グルというのはグルからグルへと受け継がれるものだから、
だから今あなたはここに来たのね、と言われ、
それはなんか違うような気もするけどなーと思いつつ、
でもおばちゃんの言う通りかもしれないし、わかんないや。と思ってました。
別に私はそのグルジに会いたくないと思ってたわけじゃなくて、
おばちゃんもすごくよかったし、アシュラムの様子も淡々としたいいいみでクールな感じが好みだったし、
朝のヨガクラスもすごく面白かった。
でも、いつもの直感が私に20日まで滞在するように言ってたのでそのつもりで来てみたら、
滞在したアシュラムはグルジ不在で、21日から来ると聞いて、そういうことか、なんとも私向きにアレンジされたものだと思って、笑ったんですが、
みんなが滞在を1日伸ばしてグルジに会っていくべきだとすすめて、
まあそうしてもいいんだけどと思いつつ、
列車のタッカルチケットを頼んでたんだけど、
頼んでた人が取ってなくて、ああ、じゃあ1日滞在伸ばしてそのグルジとやらに会うのかな
と思ったんですが、一応チェックしてもらったらまだチケットがあって確保できたので、予定通り20日の夜遅くに滞在を切り上げることになりました。
そのグルジも21日の朝から講演で、20日に来る可能性もあったと思うんですが、
15日の沐浴日の後半から雨が降り出して、
それがすごい暴風雨になったんですよね。
で、2日くらいそういう天気で、
暴風雨が収まってみると、クンバの会場全体がちょっとした被災状態になってました。
結構な数のテントが水没していた。
あちこち傾いたり、裂けたり。
なので17〜18日以降くらいから復興作業をしてて、
ほとんどのアシュラムではすでにクンバのピークをすでに終えてたとこも多かったので、そのまま帰っていったとこも多かったのですが、
私が泊まってたとこは21日からがグルジがやってくるメインイベントだったので、
暴風雨が去って会場が水浸しであちこち壊れたり裂けたりしてるのを見てみんな力なく笑うしかないという感じで。
私もタイミングが合えば復興作業を手伝おうと思ってて、
実際少し手伝ったりもしたのだけど、
そういうわけで、ここのグルジを迎えるには20日の時点でまだ充分ではなかったので20日にアラハバードに来たそのグルジは市内のホテルに泊まったんですよね。
なのでわたしは結局その人に会わなかった。
でも今までの経験上、会っても向こうはちょっと迷惑だったかも知れず、(というのは私はみんなに求められるような態度は取れない気がするし)やはり20日にそこを去るように指示されてたのは適切だったんだと思います。
15日の午後から雨になって冷えたので、昼間は暑いだろうと私は高をくくってちょっと薄着だったので、そこでちょっと風邪を引きました。
水辺で何時間もじっとしてたものだから。
その日の晩に本格的にすごい暴風雨になって、
テントの中心の棒は木の棒を地面に打ち込んでるのでしっかりしてたけど、
横はそれほどしっかり止まってなくてつっかえ棒みたいな感じだったので、
風にあおられてスカートが翻るみたいにテントの両脇がパタパタ泳いだときもありました。
わー、ちょうちょみたいー。
とか思って、
それでも電気が来てることに感心して、
それほど不自由も感じなかったのですが、
夕方外から帰ってくるときに見た光景、
小さなテントの水浸しになった床でインド人の家族が寄り添いあって寒そうにしてる光景がふとよぎり、
うわー、ああなったら大変だ。。。
と思ったのですが、
ふといやな予感がして、
その時点で私のテントの床はぬれてなくて、ずっと床に布団を引いて寝てたのですが、
知人の某グルジが使ってたベッドに自分の布団を移して、余った布団もみんな椅子の上に積み上げて、
床においてたコンセントやパソコンやそのコード類も椅子の上において、
スーツケースも閉じ、
別のかばんに入れてた荷物も床に直接ではなくてシルバーシートをたたんだ上におきました。
そして、その日はベッドで寝た。
翌朝起きたときもすごい暴風雨で、その音で起きたくらいだったんですが、
テントの中は無事で、
雨が小降りになったときに外に顔を洗いに行って、
テントに帰るころに、それなりに明るかった朝の空が夜のように不気味に真っ暗になりました。
すわ、暗黒の3日間かというくらいの本能的な怖さが呼び起こされるような暗さ。
そして再び前にも増して激しい土砂降りの暴風雨が天から投下されました。
あっというまにテントの中に大量の泥水が流れ込んできて、
テントの中がサンガム。笑
うっわーーー。
布団も荷物も上げておいてよかった。。。
水が入ってきだしてからあわてて上げても絶対間に合ってなかっただろうから。
と、テントの中のサンガムをそのままあとに、余裕をかまして朝食を食べに行きました。
そしたら、いつも気にかけてくれてたキッチンの少年が血相を変えて
「テントに水が!!」と教えに来てくれたので
「ノープロブレム」と笑ってたら気が抜けてました。
もうこうなるとテントの中をきれいに掃除したことも別次元の出来事で、
テントの中はグズグズの水浸しで、
幸い直接の被害が何もなかったので気持ちも余裕だけど、
これ、布団が水浸しとかになってたらつらいよなーと思いました。
アシュラムのグルジの講演用の大きいテントや食事用の大きいテントの布なんかもあちこちが裂けたり落ちたりしてて、何より、地面が全部水溜りになってしまったのでその復興が少し大変でした。
その暴風雨の日はテントの中にいるしかなくて、
テントの中にいたのですが、
沐浴も行けないのかなと思って、
7回目が終わった時点でこういう風に激しい暴風雨でストップがかかるなんて、
地球は世界平和を祈るような沐浴を成就させたくないんだろうという気もしました。
わたしたちに厳しい結果を体験するように求めてるんだろうと。
7という数からもそのような厳しいものをなんとなく思いました。
でもせっかくだから行きたいなと思って、
でもどう考えてもばかげてるし、
川が増水してて流されて死ぬかもしれないし、
でもなんか行かずにはおれない気分なのでこれが私の性なのだろうと思って、
もし今肉体を離れたとしたら、、、と、ちょっと考えて、
誰もが私なしでやっていけるしそれぞれ支えが在るから大丈夫だな、と思って、
それでも何人かに連絡を取ろうと試みたけど誰も応答せず、
連絡先すら教えてもらえず拒絶されている数名のことを思い、
自分のためにちょっと泣いて、
覚悟を決めて雨の中のテントから出ると、
信じられないことに青空が覗いていました。
そうして雨がやんで、
泊まってたアシュラムの敷地から外の通りへ出ると
ちょうど通りを聖歌を歌いながらやってきた大勢のキルタンの一群と合流する形になり、
彼らの歌声とともに道をすすみました。
晴れている、シンジラレナイ
と思い、
晴れているなら光があるからよい写真が撮れるかもと思って、テントに大きなカメラを取りに帰ろうとしたら直感の声が取りに帰らないように言ってきたので、しばらく立って思案して、
取りに帰らずそのまま行きました。
途中でリキシャを拾ってサンガムに行くと、晴れ間を縫って車で駆けつけた人たちが少数ながら、小雨の中沐浴していました。
心配したほど増水もしておらず、流れも激しくなっていませんでした。
たぶん、上流のダムで調整でもしてるんじゃないかと思います。
ああ、来れた、沐浴できる、
と思って、すでに青空は消えて小雨がパラつきだしていたので急いで準備をして、
誰もが雨の中急いでいたので、荷物は杭にかけて、近くの着替え中のインド人女性に「見てて」と軽く頼んで
水の中へ入っていきました。
この状況でここに来れて沐浴が続けられて、
水の中に頭まで浸かって上がって、
いつも3回浸かるのを3セットしてたのですが、
(その後頭や体を洗ったりしていた)
無事に終えて、7日目から8日目へと日数を続けることができたとき、
「ああ、これで大丈夫」という気がしました。
安堵の気持ちで川からあがろうとしたら私が荷物をかけた杭の上からさらに別の人が衣類をかけていたので、
「ごめんなさい、それ、私の荷物」
と言って、川の中から手を伸ばして自分の荷物を取って、
川からあがろうとしたらその僧侶風の人が
「日本人のイスコンメンバーはきてるの?日本にはあるの?」
と、ニコニコ顔で聞いてきたので
「ありますよ。組織では来てないかもしれないけど」
と言ったら
「君がまとめるべきだよ」
とか言ってきたので
「私はイスコンじゃないし、組織はもうすでにあるから。あなたはイスコンなの?」
とか答えながら川から上がろうとしたら足を踏み外してこけて、持ってた荷物の半分が川に浸かったので周りに人が集まってきて、
しゃべりかけてきてた男性も「ごめん、、!」と目を丸くして驚いたみたいでした。
なので「ノープロブレム」とか言いながら態勢を立て直して川から上がった。
乾いたとこはないし、刻々と強くなってくる雨脚の中、適当なとこで大急ぎで着替えました。瞬時を争う感じで。
土砂降りの中歩いていかないと思っていたので、かばんの中の着替えや小さいカメラなどは全部ビニール袋に入れていたので、川に浸かっても幸いぬれていませんでした。
着替え終わるころには再び土砂降りの雨になっていました。
なるほど、大きなカメラを取りに戻っていたら土砂降りの中、着替える羽目になったと言うわけだ、
と思いつつ、
坂の上まで歩いてそこでリキシャと交渉して乗ってアシュラムに帰りました。
土砂降りの中、サイクルリキシャをこがすのは申し訳ないような気もしたけど、
これがいい稼ぎになってよいことなのかもしれないと思って、
交渉は相場の2倍ほどの言い値だったんですけど、アシュラムについて降りて、相場の3倍を渡しました。
リキシャでは乗ってても足が濡れるので、下半身を災害用のシルバーシートで包んで乗っていました。
今回、厚みの在るシルバーシート1枚と薄いのを3枚持ってきてたんですが、
もしかして知人も使うかもと思って。
最終的には全部使って役立ちました。
巻いたらすぐに暖かくなるので驚きだった。
今回やけに準備がよくて、
いつもは持たないような差込充電式の電気とか、虫除けオイルとか、
結構いろんなものが役に立ちました。
すごい、完璧だ、と自分でも思った。
なんとなく持っていこうかなと思ったときは持っていったほうがいいのかも。
泊まる場所はこういうホントにテントじゃなくて、完璧に快適なテント風宿泊施設と言うようなイメージの話を聞いてたんで、
寝袋とかも、要らないし、蚊もいないよーー。すごくいい場所だから と、笑われてたんですが。
ふたを開けてみるといろんなものが全部役に立った。
そして今回はいやな予感がけっこうあたった。笑
でもそれでも対応できるのでありがたいことでした。
帰ると、少年が、雨なのに私がいないということで、ずっとものすごく心配してたらしく、
黄色い服のおばちゃんがそのことを笑いながら言ってきて、だから出かけるときには私たちにヒントをちょうだいねと言ってきました。
夜にはまた雨が降り、
翌日には少し天気は回復していました。
暴風雨の中出て行って沐浴した後はもう何も私の沐浴をさえぎるものはない、
けど、注意深く最後まで気をつけていました。
いつどこでどのような邪魔が入るかわからないのがこの世界だから。
悲しいかなそのような知恵がついて私は少し注深くなった。
いつもとてもよくしてくれたいつも黄色い服の完了した印象のおばちゃんは、わたしがアシュラムを去る2日前から体調を崩して休んでいました。
私をそこのアシュラムのグルジに会わせて紹介してあげるととても嬉しそうだったので、わたしが頑なに(というわけでもないのだけど)出発するので体調を崩したのはその影響もあるのかなと
なんとなく少し思いましたが、
仲良くなった、ヨガティーチャーの訓練中の女性に、いつも助けてくれた彼女によろしく言っておいてくださいと言付けて、最後は会わずに去りました。
親族がプッタにいると言っていたからまたいつかプッタで会うのかも。
黄色い服のおばちゃんが笑うくらい、いつも私のことを気にかけて、
私さえ気づかない居住空間の不都合部分を改善しようとしたり、出来立てのおいしいものをくれたり、ほかの人にあげないものをどこかから出しておかずに加えたり、私が嫌がる青唐辛子をからかって毎回くれようとしてはウケて笑っていたキッチンの14歳くらいの少年にも最後は会えなかった。
しかし前の晩、
外の水道のところで夜遅くになぜか2人で並んでしばらく水道を使うシチュエーションになり、
夜遅くてみんなはすでに寝てる時間で、あたりは静まり返っていて、
ほかに誰もいなくて、なんだかちょっと変な感じだし困るなーと思いながらも
わたしは歯を磨いていて、
少年は着衣のまま顔や頭やそこらじゅうを洗っていて、
水道の水の変な出方をわたしに示してはきゃははと嬉しそうにウケていた。
少年は最後の数日、そのようになんだか軽やかにウケまくるようなハイな感じになっていた。
いろいろ気をまわしてくれて最初から最後まで世話になったその少年と最後にそのように
なぜか夜遅くに誰もいないとこで言葉も通じないながらも静かな空気を共有したひと時があったことは、きっととても必然だったのだろうと思います。
おしまい。
2013.02.20 Wednesday
移動日
今日の夜行列車で移動します。
今日はプッタにつかわない荷物を送るので疲れ果てた感じです。
デリーで送ればよかったかもとちょっと思いました。
クンバ会場内の臨時郵便局で送ったんですが、
梱包サービスがなかったので街まで出て梱包してまた郵便局に行って。
あ〜、つかれた。。。
クンバ会場は寒いからと湯たんぽをなおみさんが持たしてくれたんですが、
ゆ、、、ゆたんぽか。。。
と思いながら持っていって、結局使わなかったんだけど、
なおみさんに電話したら
「湯たんぽ持っていったんだおもしろーーーい!」
とかいってたから、もしや自分で持たせたの忘れてるのだろうか。。。!?
日本製の湯たんぽはしっかりふたが閉まるし、衝撃にも強そうなのでサンガムの水を入れて送ってみた私はチャレンジャー。
もし漏れても周囲に衣類つめてるから、だいようぶ。。。。か。。。も?
デリーではまたYWCAの予約が取れたのでそこで1泊します。
なんか、列車、結構何時間も遅れたりしてるらしく、霧で。
昨日は4本がキャンセルだったとか。
まあ大丈夫と思いますが。
今日はプッタにつかわない荷物を送るので疲れ果てた感じです。
デリーで送ればよかったかもとちょっと思いました。
クンバ会場内の臨時郵便局で送ったんですが、
梱包サービスがなかったので街まで出て梱包してまた郵便局に行って。
あ〜、つかれた。。。
クンバ会場は寒いからと湯たんぽをなおみさんが持たしてくれたんですが、
ゆ、、、ゆたんぽか。。。
と思いながら持っていって、結局使わなかったんだけど、
なおみさんに電話したら
「湯たんぽ持っていったんだおもしろーーーい!」
とかいってたから、もしや自分で持たせたの忘れてるのだろうか。。。!?
日本製の湯たんぽはしっかりふたが閉まるし、衝撃にも強そうなのでサンガムの水を入れて送ってみた私はチャレンジャー。
もし漏れても周囲に衣類つめてるから、だいようぶ。。。。か。。。も?
デリーではまたYWCAの予約が取れたのでそこで1泊します。
なんか、列車、結構何時間も遅れたりしてるらしく、霧で。
昨日は4本がキャンセルだったとか。
まあ大丈夫と思いますが。
2013.02.20 Wednesday
マハークンバメーラ、11日間の沐浴満願
今日、11日間の沐浴の満願でした。
サンガムに行く途中でいろいろ感無量になってちょっと涙が出ました。
大げさなと思うかもしれないけど、書いてる暇な買ったから書いてないけど結構大変だったんです。
今日はいつものとこよりも湖面にボートが浮かんでるほうに近いとこで沐浴したら、広々してて気持ちよくて深かったので水の中で目を開けたり(茶色かった)
泳いだりして遊びました。
もっと早くこっちに来てたら毎日泳いでいたのは確実。
でも少しばかり視線を感じた。
別に不敬ということもないですよね?
荷物も盗られずに無事11日を過ごせてよかったです。
着替えて、鏡を見ながら眉毛をかいてたら3人くらいのカメラマンに囲まれて写真を撮られたので苦笑。
実は私が被写体にされることもかなり多いのです。
外人が来てるってことで。
最初はカメラを向けられたら隠れたりしてたけど、
自分もたくさんいろんな人の写真撮ってるし、自分も撮られてあげようと思って、基本、逃げないことにしました。
そのあと、ガンガーアルティに行きました。
自分は昨日もおとといも行ったし、もういいと思ってたんだけど、
今日はなんか世界百数十カ国に放映されるカメラが入るというので、
泊まってるアシュラムの人たちがみんなで行こうとしてて、
でも私はサンガムに行くから現地集合で待ち合わせしました。
ところが言ってみると誰も来てなかった。
たぶん、2日後にここのアシュラムのボスが来るから、その準備でみんなやることがありすぎたんだと思います。
まあそれはそれでアシュラムの場所にいて、前みたいに、一般人からアルティの火を回す人をピックアップする時間になって、
私もやりたいなー、と思ってたら選ぶ人と目が合って、
「アルティする?」
と聞かれたので、「うんうんうんうん」と、たくさんうなづいて前に出て行きました。
2回目のアルティ。うれしい。。。
けど、2回目はちょっと慣れてしまっていた、
そのあと、方から小さな足が生えてる牛が礼拝用に連れてこられてたので、
なんかよくわかんないけど、いいわ。
と思って、
10ルピー出して牛に軽くお祈りしたらギャラリーのインド人受けがよくて、
何人かになぜか笑顔でブレスされた。
坂を上がったとこでリキシャを拾おうとしたら横どられたので、
うろうろしてたら青年が助けてくれて、右往左往してくれてました。
ありがとうSHIVAN
ああねむい。
そういけば今朝は2時間睡眠でしたっけ?
ああねむい。ねます。
リキシャで帰りながらふと、クンバメーラって、女神の祭典だなということに突然思い当たり、
だって、みんなガンガーマーの懐に抱かれにくるんだから。
サンガムに行く途中でいろいろ感無量になってちょっと涙が出ました。
大げさなと思うかもしれないけど、書いてる暇な買ったから書いてないけど結構大変だったんです。
今日はいつものとこよりも湖面にボートが浮かんでるほうに近いとこで沐浴したら、広々してて気持ちよくて深かったので水の中で目を開けたり(茶色かった)
泳いだりして遊びました。
もっと早くこっちに来てたら毎日泳いでいたのは確実。
でも少しばかり視線を感じた。
別に不敬ということもないですよね?
荷物も盗られずに無事11日を過ごせてよかったです。
着替えて、鏡を見ながら眉毛をかいてたら3人くらいのカメラマンに囲まれて写真を撮られたので苦笑。
実は私が被写体にされることもかなり多いのです。
外人が来てるってことで。
最初はカメラを向けられたら隠れたりしてたけど、
自分もたくさんいろんな人の写真撮ってるし、自分も撮られてあげようと思って、基本、逃げないことにしました。
そのあと、ガンガーアルティに行きました。
自分は昨日もおとといも行ったし、もういいと思ってたんだけど、
今日はなんか世界百数十カ国に放映されるカメラが入るというので、
泊まってるアシュラムの人たちがみんなで行こうとしてて、
でも私はサンガムに行くから現地集合で待ち合わせしました。
ところが言ってみると誰も来てなかった。
たぶん、2日後にここのアシュラムのボスが来るから、その準備でみんなやることがありすぎたんだと思います。
まあそれはそれでアシュラムの場所にいて、前みたいに、一般人からアルティの火を回す人をピックアップする時間になって、
私もやりたいなー、と思ってたら選ぶ人と目が合って、
「アルティする?」
と聞かれたので、「うんうんうんうん」と、たくさんうなづいて前に出て行きました。
2回目のアルティ。うれしい。。。
けど、2回目はちょっと慣れてしまっていた、
そのあと、方から小さな足が生えてる牛が礼拝用に連れてこられてたので、
なんかよくわかんないけど、いいわ。
と思って、
10ルピー出して牛に軽くお祈りしたらギャラリーのインド人受けがよくて、
何人かになぜか笑顔でブレスされた。
坂を上がったとこでリキシャを拾おうとしたら横どられたので、
うろうろしてたら青年が助けてくれて、右往左往してくれてました。
ありがとうSHIVAN
ああねむい。
そういけば今朝は2時間睡眠でしたっけ?
ああねむい。ねます。
リキシャで帰りながらふと、クンバメーラって、女神の祭典だなということに突然思い当たり、
だって、みんなガンガーマーの懐に抱かれにくるんだから。
2013.02.20 Wednesday
今朝の総合ヨガクラス
昨日から、朝5時半から7時まで止まってるアシュラムの巨大なテントで総合ヨガクラスがはじめられてます。
はじめるかどうか確実ではないと聞いてたので、あまり気にしてなかったのですがはじめたらしく、おいでと言われたので、今朝は参加してみました。
かなり面白くて、実は睡眠時間3時間弱だったのですが、ずっと集中して聞いてました。
20〜30人参加してましたが、私以外全員ヒンディネイティブの人で、きっと英語を理解するのは2〜3割じゃないかと思うんですが、
講師の坊さんは私のためにヒンディと英語で繰り返しいちいち説明してくれました。
そればかりでなく、昨日やったのを全部もう一度復習してくれてました。
終わってからお茶飲んでるとき、「あなただけのために自分は繰り返し繰り返し英語で同じことを言った」と言ってたので、
そうだろうなと思ってたので、「さんきゅー」と言いました。
内容で覚えてるのは、自分たちは5つの層というかレベルというかそういうので出来ていて、それぞれ訓練があって、
肉体(ハタヨガ)、プラーナ(プラーナヤマ)、心(何だっけ、マントラ詠唱だったかな)、なんだっけあと。魂とか(瞑想)。そういうので出来てて、
ヨガは通常は肉体から初めて順に魂の訓練である瞑想にいくのだけど、
基本である魂からはじめるべきであると私たちは昨日話し合いました、みたいな語り口で、
(ちょっと中断。あとで書き足すかも)
はじめるかどうか確実ではないと聞いてたので、あまり気にしてなかったのですがはじめたらしく、おいでと言われたので、今朝は参加してみました。
かなり面白くて、実は睡眠時間3時間弱だったのですが、ずっと集中して聞いてました。
20〜30人参加してましたが、私以外全員ヒンディネイティブの人で、きっと英語を理解するのは2〜3割じゃないかと思うんですが、
講師の坊さんは私のためにヒンディと英語で繰り返しいちいち説明してくれました。
そればかりでなく、昨日やったのを全部もう一度復習してくれてました。
終わってからお茶飲んでるとき、「あなただけのために自分は繰り返し繰り返し英語で同じことを言った」と言ってたので、
そうだろうなと思ってたので、「さんきゅー」と言いました。
内容で覚えてるのは、自分たちは5つの層というかレベルというかそういうので出来ていて、それぞれ訓練があって、
肉体(ハタヨガ)、プラーナ(プラーナヤマ)、心(何だっけ、マントラ詠唱だったかな)、なんだっけあと。魂とか(瞑想)。そういうので出来てて、
ヨガは通常は肉体から初めて順に魂の訓練である瞑想にいくのだけど、
基本である魂からはじめるべきであると私たちは昨日話し合いました、みたいな語り口で、
(ちょっと中断。あとで書き足すかも)
2013.02.19 Tuesday
永遠においつかない。低調バイオリズムと数々の救いの手。
う〜ん、仕事も写真の整理も自分の移動の準備も何もかもたまりまくっている。
あ、日記も。
で、結局何も手につかない。爆
バラティさんへのメールの返事を怒りモードで書いてたんですけど、それすら書き終わらなかった。
よかったのかな。笑
もうどうでもよくなったから。
いや、4月の大規模プージャの件なんですけどね。
気軽に命じるなヴォケッ!
ということをさまざまな角度から30行くらいにわたって書こうとしてたんですけど、
書けども書けども書き終わらないので断念した。
でもすでに何件か振込みがあったようです。
ありがとうございます。
メールで反応するのはちょっとお待ちを。。。すみません。
あと、シルディババの像の注文はいってたぶんのためしに取り寄せたぶんが来た。
予想以上にいい感じ。
これはバラティさんグッジョブ。たぶん。
たぶん同じのを追加注文できると思うので、じきにショップにも載せて誰でも購入できるようにしますね。
昨日の泥棒未遂の件なんですが、
沐浴の帰りに軽食屋でコーヒーを飲んで水を買ったあと、坂道を登ろうとしてたら後ろから呼び止められて、
汚いよ、とかくさいよ、とかなんか言うのでみたら、背中からお尻にかけてなんか濡れてたので
「なにこれ?」と言ったら
「カラスの糞」
とその中流階級っぽい身なりの男性2人組が言って、
「あっちで洗うといいよ」
とか言ってきた。
自分でその濡れてるとこを触ってにおいをかいで見ると、刺激臭。
でも、フンのにおいではない。
たぶん、酢と何かフンらしく見せる固形の調味料か何か。
その時点では別に私は疑ってなかったんだけど、
まず、自分でチェックして誰かに何か後ろからかけられたな、という第一印象があった後に、言ってきた男性が「カラスの糞」といったので微妙な違和感はあった。
そして私は鳥の糞にはちょっと詳しい。
プッタでしょっちゅうかけられてるから。笑
においや形状などリアルに知ってるもんだから。
上着を脱いで見てみると、明らかに上からではなく、背中の辺りから流された感じに液体が広がっている。
男性が
「汚いから荷物を置いてあそこで洗いなよ!くさいよ!」と、積極的に勧めてきたけど、
めんどくさいので特に汚れてた上着だけ脱いで、宿泊してるところで洗おうと思って、中流階級っぽい2人組の男性に「ノープロブレム」とかいってそのまま行き過ぎたら第2弾が。
今度はさっきよりもう少し労働者っぽい感じの2人組が。
でもさっきのも今度もの年は30歳前後くらい。
で、さっきの男性と同じ事を同じように言ってきた。
その間私は歩き続けていたのだけど、
そこに水があるから、というので、
じゃあ少し流すかと思って、(まだそんなに疑ってない)
言われたようにしようと思うと、男性は路上の物売りがおいてる容器の水を物売りが嫌がるのもかまわず汲んで、
「そこに荷物を置いて洗いなよ!」
と、横のほうを指差すので、
こんなとこで(人通り多い)荷物を体から話して置けるわけないじゃん。と思って、
荷物を持ったまま、
「自分じゃ見えないからかけて」
と、その男性にお尻のあたりに水をかけてもらったんだけど、
明らかに洗い流してあげようという
気持ちが感じられず適当にかけてる。
で、もういいやと思って、そう言って、その場を去って、
サイクルリキシャのとこにいって交渉しはじめたら、最初の2人組のうちの一人と、後から来た男性が交渉にわって入って邪魔した。
ここで、あ、泥棒できなかった腹いせだ、と、気づく。
その前からなんかおかしいなとは思ってたけど、
だって、別の人が同じ調子で同じ口調で背中の汚れを指摘してきたり。
2人とも「荷物をそこにおいて洗いなよ」と、離れたとこを指差したり。
置けるわけないのでもちろん置かなかったけど。
交渉の邪魔をされたリキシャが怒るとその男性たちは離れたので交渉再開して話がついたのでリキシャで出発。
動き出したリキシャから、最初に声をかけてきた一見品のよさそうな男性の顔をじ〜っと見ました。
向こうもだまってじ〜っとみていた。
こういうときは、記憶に焼き付けるような顔をして、相手の顔をじ〜っとみることにしてます。なんとなく。
実際はすぐに忘れるんだけど。
いや〜、意図的に泥棒するようになるって、どうなったらそうなるんだろうと首をかしげながら帰りました。
少なくとも自分の周囲にはたぶんいないタイプなので。
う〜ん、そういうひとが、いるんだな〜、、と。
めだかでも獲るような感覚で狩をしてるんだろうか。
だって、邪気を感じなかったもの。
なんか成り行きが変だな、とは思ったけど。
そういえば、沐浴日の15日に痴漢にもあいました。
その時は水際で立って、人々が沐浴してるのを見てたんだけど、
ふと気がつくとさりげなくおっさんの手がお尻の中央に縦に添っている。
おっさんが全然じ〜っとしてるので結構長い間気がつかなかった。
ふと、「けっこう人と人の間は開いているのに、私の尻とおっさんの手はずっとくっついたまま。なぜ?」
とさわやかに疑問に思って、
振り返るとおっさんは添わせていた手を離してす〜っと離れていった。
あ、痴漢だったんだ?
と認識して、すぐに忘れて、
しばらくして、立ってるのも疲れたから策の上によじ登って座ろうと思って、
ガイドの手を借りて上ろうとしたらそこにおっさんがいたので、
笑顔で「すみません」とよけてもらって(微妙に戸惑った表情のおっさん)
柵の横棒によじ登って落ち着いてしばらくしたら、股の間に蝶の羽ばたきのようなはかなげなそよそよとした動きが。
下から。
ん?
なに?
と、もぞもぞしてから気にせずにまた座ってたら、また
そよそよ
そよそよ
そよそよ
・・・・・・・
振り返るとあさってのほうを向いたおっさん。
あ、このおっさん、さっきのおっさん。
と、ようやく思い当たって、
近くにいたガイドとその横にいて談笑してたインド人の男性に
「このおっさんわるいやつなんだけど。お尻触ってくる」
と言ったら
ガイドがおっさんを上から目線で見ながら隣に行って、
もう一人のインド人男性もじ〜〜〜っとそのおっさんを2人がかりで(プラス私)3秒くらい見たら、
おっさん、あさってのほうを見ながらさささささ〜〜〜〜っと去っていきました。
このおっさんも品がよさそうな中流階級っぽいおっさんでした。
こういう人が欲求不満なんだ。。。!?
と、ぎらぎらしたものがまったく感じられなくて痴漢されても蝶の羽ばたきのようにはかなげだったのであまりのささやかさに笑えた。
と、そういうことがありました。
まあ、笑えるくらいなのでよかったのだけど、
なんかそういうへんな人に遭遇するバイオリズムになってるのは自分でも感じていたので、
今日の沐浴のときもちょっとホントに気をつけようと思ってました。
いつもと違って、今日の沐浴の場所はなんだかいつもより7パーセントくらい殺伐感が。
楽しげで朗らかな感じの家族連れが見当たらない。。。
私の場合、自分の調子のよしあしで遭遇する世界がホントに笑えるくらい分かりやすく変化するんです。
いつも、絶対持ち逃げしなさそうな楽しげで満ち足り感のある家族連れを厳選して荷物を見ていてもらってるのですが、
今日はそういうわけでなかなか決められませんでした。
でも、妥協するより、
2〜30分待っても、絶対大丈夫そうな確信が持てるまでまとうと思い、
そういう家族連れが目に入ってくるのを待ちました。
というか、探しはじめるまえにサンガムのとこでしばらく座ってました。
なんかすぐに行動を起こせる感じがしなくて。
まず、もうちょっと場と自分をなじまそうと思って。
座ってみかんとか食べてた。
で、しばらく座ってたら、かわいい女の子がこっちを見てて、
そのうちおばちゃんと一緒に近づいてきて
ヒンディーでべらべらしゃべってきたので大体分からなかったけど、
スンダラなんとかと言ってたので、
この子があなたのこときれいだと言ってる、と、おばちゃんは私に伝えてきたみたいだったので、
「さんきゅー」
とか言ったら2人はニコニコ笑って去っていったので、
あ、なんか動けそう、動いてもよさそうと思って、立ち上がって、沐浴のために荷物を見ててもらう家族連れを探しはじめたんでした。
で、しばらくみわたして、この家族なら、と、決めてお願いすると、「もう自分たちは今から行くから」
と、断られました!
今まで相手の様子を見て厳選して頼んで断られたことはなかったのでいよいよ今日はやばい日だと思って、少しあせった。
でもその家族の主人の対応の仕方は私をネパール人とかと思ってたかもしれないです。
今日はサリーを着てたので。
インド人からネパール人に見られていいときというのは外人お断りの寺に入るときくらいなもんで、
だいたい邪険に扱われます。。。
それもあって、外人くさい感じをあえて出してるんですけど。出てるかどうかはともかくとして。
で、ババ〜。と、泣きを入れたかどうかは忘れたけど、しばらく途方にくれてたら水辺で2人の初老の女性が沐浴しようとしてて、
その連れらしい青年が荷物の番をするみたいだったので、
あ、あそこに頼もうと思って、近づいていこうとしたらインド人のおじさんに声をかけられて世間話が始まって適当にしゃべってたら、
マッディヤプラデシュ州から来てると最初は言ってたんだけど、
そのうち実際はヴィシャーカパトナムだとかいいだして、そこでの仕事の話とか始まって、
ん?
ヴィシャーカパトナムってなんか聞き覚えあるなと思って、
アンデラプラデシュ州?と聞くとそうだというので、
私は実際はプッタパルティに住んでるんだけど、プッタパルティ知ってますか?
と聞いたらもちろんだとか言い出して、
自分の連れの一人はプッタパルティからだ。その彼女が「彼女(私のこと)どこから来てるのか聞いて来い」としきりにいうので聞きに来たんだ。
とかいって、紹介するから来てとか言われたので多少警戒しながらも振り返ると結構離れた場所の一群が手を振った。
あんな離れたとこから見てたのか。。。
と思いつつ近くにいって話をすると、
その私のことを知りたがった女性は今はマッディヤプラデシュに住んでるけど、10年生までプッタパルティでババの学校の女子学生だったとの事で、
いかにもそういうムードを出してたので、
なるほどなーとか思って、
いろいろしゃべって、
15日の沐浴日の写真をカメラで見せたり和気あいあいとしたあと、
(自分たちもこういうナガババとか見たことないと言ってました。ヒマラヤ各地に行かないと見れないから、と。)
で、このあと自分たちはバラナシに行くので、よかったら一緒にどう、とか言われたのだけど、まあ、そういう予定はないので、この人たちに荷物を見ててもらって安心して沐浴しました。
ちゅうか、サイババネットワーク驚異やなと思いつつ。
こういう自分的に何かちょっとやばそうな日にこういう助けが入ってよかったです。
この人たちは沐浴するヒマもなく次の場所に行くみたいだったので、
ナルマダ川?(どこそれ?)の水を持ってきてて、それをサンガムに流してました。
そこでミックスさせて何がいいのかよくはわからなかったけど、
川は「もうひとつ来た」とか思って喜ぶのかな?
そういえば、沐浴に来る前には泊ってる場所でハバン?が行われてて、
ルッドラムのチャマカム中心に11人のブラーミン階級らしき人たちがチャンティングしていた。
私は参加する気なかったんだけど、誰か女の人に引っ張られてそこに座る羽目になったので、座って聞いてて、分かるとこは少しこっそり唱えたりしてて、
そしたらシヴァの歌になったので
これは分かりやすいわと思って一緒に歌ってて、
そのあと、護摩壇(ホーマクンダン?)の火に何かスワーハとかいいながら穀物とかささげる段階になって、みんなにもお坊さんたちにも火にささげるのをやっていいよと再三言われたけど遠慮しておいた。
今日はなんかテントの下の敷いてるのとかを引っ張り出して干して、
ホントは夕方元通りになるはずだったんだけどそのままテント移動になって、
ちっさいいかにもテントに移動しました。
あとでたぶん書くと思うけど、先日すごい暴風雨でマハークンバの会場の多くの場所が水没とか泥だらけになって、
ちょっとした被災状態に。
で、私の泊まってるとこもすごい水で、泥んこになって、昨日今日と復興作業でした。
私もちょっとだけ手伝った。
乾いた砂をバケツリレーで運んだり。
ほうきで水を集めたり。
ま、それはいいんだけど、テント移動はちょっとばかしショックで、ボーっとしてたら
たぶん一番責任者と2番目の責任者は、ほら、コネで私ここに入ってきてるから、
某グルジの姿が無くなると、
私はそのおつきの者くらいの認識だったんじゃないかと思うんだけど、
扱いに揺れてる感じで、
でかいテントに一人で泊まらせてるもののインド人男性的な感覚としては微妙な気持ちだった感じで、
グルジ関係者の客人として下手に出るべきかグルジの単なるおつきのものとして上から目線になるべきかという。
その相反する気持ちと態度をナンバー1と2からはなんとなく感じていたのだけど、
他の人たちはそういうつてがどうとか関係ないから逆にものすごく優しくて気を使ってくれてます。
キッチンの料理人たちはなんか冗談抜きで王女のように扱ってくれている。
たぶん、私がここのご飯がおいしいと思ってめちゃくちゃ食べてるということもあると思うけど。
私は基本的に軟弱な都会っこで、サバイバル無理。文明ないとぜったい無理。
というスタンスにしてるので(成功してるかどうかはしらないけど)
みんなだめな外人の子をいたわってくれる。笑
下っ端の、って言ったら怒られるかもしれないけど、下っ端のみんなが大事にしてくれるので自分が大切な人と思えるのでありがたい。
キッチンの10代の少年さえもがすごい気にしてくれてて、
インド人のおばちゃんが私に少し汚れが残ってるお皿を食事のために手渡してくれたらおばちゃんに「こんなの渡したらだめだ!」と怒ったりしてました。
おばちゃんはそんな少年の様子に笑ってたけど。
テントに水が入ってきたときもわたしは別の場所にいたのだけど少年が血相を変えて知らせに来た。
私は知っててすでに対策をしてたので「ノープロブレム」と朗らかにしてたら気が抜けたみたいだったけど。
昨日はテントが目の端で静かにそ〜〜っと開いたので見ると、キッチンの料理長がホットミルクを持ってきてくれて、微笑んでいたので
無言で入ってこられたのでびびったんだけど、
完全に善意だったので怒るに怒れないという。
座る場所もVIPより丁重にキッチンメンバーが至れり尽くせりセッティングしてくれるので、
ちょっとあんまりあれなんで、最近は末席の地面になるべく座るようにしてるのだけど。
で、テント移動でも下っ端というかなんか全然関係ないような人たちがみんな助けてくれたりしてくれて、
ナンバーワンとツー(いかにもおっさんらしいおっさん)とは対照的に、ハバン(ホーマムのこと?)をしていた坊さんたちもなんか本気で心配してくれてました。
なのでなごみました。
じっさいは小さいテントも全然居心地は悪くないんですけど。
私が自分にには電気が必要だといったら、
(大きいテントにも最初電気は来てなかったけど、某グルジがつけさせた。たぶん、自分の携帯の充電のために。笑)
別のちっさいテントのとこだけ電気が来てたので、そこにいる人を追い出して私を入れるとかいうので、
そんなのいやだ、そこには入らない。といったら、
結局今いるもともと電気が来てなかった空いてたちっさいテントに電気を引いてつないでくれました。
まあ、昨日と今日は基本的にそういう低調なバイオリズムなんだと思います。
私の場合、ホントに分かりやすくて。
てきめんに。
でもいろいろこういう風に助けが入るというのはどういうことなのかなとも思う。
何かいいことしたのかな私。
ガンガーとヤムナーとサラスワティーの3つの川の沐浴の恩寵かな。
サイババがわたしがあんまり大変なことにならないように調整して見張ってくれてるのだろうか。
明日で一応自分で決めていた沐浴11日11回の満願。です。笑
8日目が暴風雨で一番ピンチだったけどのりきった。
ここで気を緩めずに注意深くいようと思います。
あ、日記も。
で、結局何も手につかない。爆
バラティさんへのメールの返事を怒りモードで書いてたんですけど、それすら書き終わらなかった。
よかったのかな。笑
もうどうでもよくなったから。
いや、4月の大規模プージャの件なんですけどね。
気軽に命じるなヴォケッ!
ということをさまざまな角度から30行くらいにわたって書こうとしてたんですけど、
書けども書けども書き終わらないので断念した。
でもすでに何件か振込みがあったようです。
ありがとうございます。
メールで反応するのはちょっとお待ちを。。。すみません。
あと、シルディババの像の注文はいってたぶんのためしに取り寄せたぶんが来た。
予想以上にいい感じ。
これはバラティさんグッジョブ。たぶん。
たぶん同じのを追加注文できると思うので、じきにショップにも載せて誰でも購入できるようにしますね。
昨日の泥棒未遂の件なんですが、
沐浴の帰りに軽食屋でコーヒーを飲んで水を買ったあと、坂道を登ろうとしてたら後ろから呼び止められて、
汚いよ、とかくさいよ、とかなんか言うのでみたら、背中からお尻にかけてなんか濡れてたので
「なにこれ?」と言ったら
「カラスの糞」
とその中流階級っぽい身なりの男性2人組が言って、
「あっちで洗うといいよ」
とか言ってきた。
自分でその濡れてるとこを触ってにおいをかいで見ると、刺激臭。
でも、フンのにおいではない。
たぶん、酢と何かフンらしく見せる固形の調味料か何か。
その時点では別に私は疑ってなかったんだけど、
まず、自分でチェックして誰かに何か後ろからかけられたな、という第一印象があった後に、言ってきた男性が「カラスの糞」といったので微妙な違和感はあった。
そして私は鳥の糞にはちょっと詳しい。
プッタでしょっちゅうかけられてるから。笑
においや形状などリアルに知ってるもんだから。
上着を脱いで見てみると、明らかに上からではなく、背中の辺りから流された感じに液体が広がっている。
男性が
「汚いから荷物を置いてあそこで洗いなよ!くさいよ!」と、積極的に勧めてきたけど、
めんどくさいので特に汚れてた上着だけ脱いで、宿泊してるところで洗おうと思って、中流階級っぽい2人組の男性に「ノープロブレム」とかいってそのまま行き過ぎたら第2弾が。
今度はさっきよりもう少し労働者っぽい感じの2人組が。
でもさっきのも今度もの年は30歳前後くらい。
で、さっきの男性と同じ事を同じように言ってきた。
その間私は歩き続けていたのだけど、
そこに水があるから、というので、
じゃあ少し流すかと思って、(まだそんなに疑ってない)
言われたようにしようと思うと、男性は路上の物売りがおいてる容器の水を物売りが嫌がるのもかまわず汲んで、
「そこに荷物を置いて洗いなよ!」
と、横のほうを指差すので、
こんなとこで(人通り多い)荷物を体から話して置けるわけないじゃん。と思って、
荷物を持ったまま、
「自分じゃ見えないからかけて」
と、その男性にお尻のあたりに水をかけてもらったんだけど、
明らかに洗い流してあげようという
気持ちが感じられず適当にかけてる。
で、もういいやと思って、そう言って、その場を去って、
サイクルリキシャのとこにいって交渉しはじめたら、最初の2人組のうちの一人と、後から来た男性が交渉にわって入って邪魔した。
ここで、あ、泥棒できなかった腹いせだ、と、気づく。
その前からなんかおかしいなとは思ってたけど、
だって、別の人が同じ調子で同じ口調で背中の汚れを指摘してきたり。
2人とも「荷物をそこにおいて洗いなよ」と、離れたとこを指差したり。
置けるわけないのでもちろん置かなかったけど。
交渉の邪魔をされたリキシャが怒るとその男性たちは離れたので交渉再開して話がついたのでリキシャで出発。
動き出したリキシャから、最初に声をかけてきた一見品のよさそうな男性の顔をじ〜っと見ました。
向こうもだまってじ〜っとみていた。
こういうときは、記憶に焼き付けるような顔をして、相手の顔をじ〜っとみることにしてます。なんとなく。
実際はすぐに忘れるんだけど。
いや〜、意図的に泥棒するようになるって、どうなったらそうなるんだろうと首をかしげながら帰りました。
少なくとも自分の周囲にはたぶんいないタイプなので。
う〜ん、そういうひとが、いるんだな〜、、と。
めだかでも獲るような感覚で狩をしてるんだろうか。
だって、邪気を感じなかったもの。
なんか成り行きが変だな、とは思ったけど。
そういえば、沐浴日の15日に痴漢にもあいました。
その時は水際で立って、人々が沐浴してるのを見てたんだけど、
ふと気がつくとさりげなくおっさんの手がお尻の中央に縦に添っている。
おっさんが全然じ〜っとしてるので結構長い間気がつかなかった。
ふと、「けっこう人と人の間は開いているのに、私の尻とおっさんの手はずっとくっついたまま。なぜ?」
とさわやかに疑問に思って、
振り返るとおっさんは添わせていた手を離してす〜っと離れていった。
あ、痴漢だったんだ?
と認識して、すぐに忘れて、
しばらくして、立ってるのも疲れたから策の上によじ登って座ろうと思って、
ガイドの手を借りて上ろうとしたらそこにおっさんがいたので、
笑顔で「すみません」とよけてもらって(微妙に戸惑った表情のおっさん)
柵の横棒によじ登って落ち着いてしばらくしたら、股の間に蝶の羽ばたきのようなはかなげなそよそよとした動きが。
下から。
ん?
なに?
と、もぞもぞしてから気にせずにまた座ってたら、また
そよそよ
そよそよ
そよそよ
・・・・・・・
振り返るとあさってのほうを向いたおっさん。
あ、このおっさん、さっきのおっさん。
と、ようやく思い当たって、
近くにいたガイドとその横にいて談笑してたインド人の男性に
「このおっさんわるいやつなんだけど。お尻触ってくる」
と言ったら
ガイドがおっさんを上から目線で見ながら隣に行って、
もう一人のインド人男性もじ〜〜〜っとそのおっさんを2人がかりで(プラス私)3秒くらい見たら、
おっさん、あさってのほうを見ながらさささささ〜〜〜〜っと去っていきました。
このおっさんも品がよさそうな中流階級っぽいおっさんでした。
こういう人が欲求不満なんだ。。。!?
と、ぎらぎらしたものがまったく感じられなくて痴漢されても蝶の羽ばたきのようにはかなげだったのであまりのささやかさに笑えた。
と、そういうことがありました。
まあ、笑えるくらいなのでよかったのだけど、
なんかそういうへんな人に遭遇するバイオリズムになってるのは自分でも感じていたので、
今日の沐浴のときもちょっとホントに気をつけようと思ってました。
いつもと違って、今日の沐浴の場所はなんだかいつもより7パーセントくらい殺伐感が。
楽しげで朗らかな感じの家族連れが見当たらない。。。
私の場合、自分の調子のよしあしで遭遇する世界がホントに笑えるくらい分かりやすく変化するんです。
いつも、絶対持ち逃げしなさそうな楽しげで満ち足り感のある家族連れを厳選して荷物を見ていてもらってるのですが、
今日はそういうわけでなかなか決められませんでした。
でも、妥協するより、
2〜30分待っても、絶対大丈夫そうな確信が持てるまでまとうと思い、
そういう家族連れが目に入ってくるのを待ちました。
というか、探しはじめるまえにサンガムのとこでしばらく座ってました。
なんかすぐに行動を起こせる感じがしなくて。
まず、もうちょっと場と自分をなじまそうと思って。
座ってみかんとか食べてた。
で、しばらく座ってたら、かわいい女の子がこっちを見てて、
そのうちおばちゃんと一緒に近づいてきて
ヒンディーでべらべらしゃべってきたので大体分からなかったけど、
スンダラなんとかと言ってたので、
この子があなたのこときれいだと言ってる、と、おばちゃんは私に伝えてきたみたいだったので、
「さんきゅー」
とか言ったら2人はニコニコ笑って去っていったので、
あ、なんか動けそう、動いてもよさそうと思って、立ち上がって、沐浴のために荷物を見ててもらう家族連れを探しはじめたんでした。
で、しばらくみわたして、この家族なら、と、決めてお願いすると、「もう自分たちは今から行くから」
と、断られました!
今まで相手の様子を見て厳選して頼んで断られたことはなかったのでいよいよ今日はやばい日だと思って、少しあせった。
でもその家族の主人の対応の仕方は私をネパール人とかと思ってたかもしれないです。
今日はサリーを着てたので。
インド人からネパール人に見られていいときというのは外人お断りの寺に入るときくらいなもんで、
だいたい邪険に扱われます。。。
それもあって、外人くさい感じをあえて出してるんですけど。出てるかどうかはともかくとして。
で、ババ〜。と、泣きを入れたかどうかは忘れたけど、しばらく途方にくれてたら水辺で2人の初老の女性が沐浴しようとしてて、
その連れらしい青年が荷物の番をするみたいだったので、
あ、あそこに頼もうと思って、近づいていこうとしたらインド人のおじさんに声をかけられて世間話が始まって適当にしゃべってたら、
マッディヤプラデシュ州から来てると最初は言ってたんだけど、
そのうち実際はヴィシャーカパトナムだとかいいだして、そこでの仕事の話とか始まって、
ん?
ヴィシャーカパトナムってなんか聞き覚えあるなと思って、
アンデラプラデシュ州?と聞くとそうだというので、
私は実際はプッタパルティに住んでるんだけど、プッタパルティ知ってますか?
と聞いたらもちろんだとか言い出して、
自分の連れの一人はプッタパルティからだ。その彼女が「彼女(私のこと)どこから来てるのか聞いて来い」としきりにいうので聞きに来たんだ。
とかいって、紹介するから来てとか言われたので多少警戒しながらも振り返ると結構離れた場所の一群が手を振った。
あんな離れたとこから見てたのか。。。
と思いつつ近くにいって話をすると、
その私のことを知りたがった女性は今はマッディヤプラデシュに住んでるけど、10年生までプッタパルティでババの学校の女子学生だったとの事で、
いかにもそういうムードを出してたので、
なるほどなーとか思って、
いろいろしゃべって、
15日の沐浴日の写真をカメラで見せたり和気あいあいとしたあと、
(自分たちもこういうナガババとか見たことないと言ってました。ヒマラヤ各地に行かないと見れないから、と。)
で、このあと自分たちはバラナシに行くので、よかったら一緒にどう、とか言われたのだけど、まあ、そういう予定はないので、この人たちに荷物を見ててもらって安心して沐浴しました。
ちゅうか、サイババネットワーク驚異やなと思いつつ。
こういう自分的に何かちょっとやばそうな日にこういう助けが入ってよかったです。
この人たちは沐浴するヒマもなく次の場所に行くみたいだったので、
ナルマダ川?(どこそれ?)の水を持ってきてて、それをサンガムに流してました。
そこでミックスさせて何がいいのかよくはわからなかったけど、
川は「もうひとつ来た」とか思って喜ぶのかな?
そういえば、沐浴に来る前には泊ってる場所でハバン?が行われてて、
ルッドラムのチャマカム中心に11人のブラーミン階級らしき人たちがチャンティングしていた。
私は参加する気なかったんだけど、誰か女の人に引っ張られてそこに座る羽目になったので、座って聞いてて、分かるとこは少しこっそり唱えたりしてて、
そしたらシヴァの歌になったので
これは分かりやすいわと思って一緒に歌ってて、
そのあと、護摩壇(ホーマクンダン?)の火に何かスワーハとかいいながら穀物とかささげる段階になって、みんなにもお坊さんたちにも火にささげるのをやっていいよと再三言われたけど遠慮しておいた。
今日はなんかテントの下の敷いてるのとかを引っ張り出して干して、
ホントは夕方元通りになるはずだったんだけどそのままテント移動になって、
ちっさいいかにもテントに移動しました。
あとでたぶん書くと思うけど、先日すごい暴風雨でマハークンバの会場の多くの場所が水没とか泥だらけになって、
ちょっとした被災状態に。
で、私の泊まってるとこもすごい水で、泥んこになって、昨日今日と復興作業でした。
私もちょっとだけ手伝った。
乾いた砂をバケツリレーで運んだり。
ほうきで水を集めたり。
ま、それはいいんだけど、テント移動はちょっとばかしショックで、ボーっとしてたら
たぶん一番責任者と2番目の責任者は、ほら、コネで私ここに入ってきてるから、
某グルジの姿が無くなると、
私はそのおつきの者くらいの認識だったんじゃないかと思うんだけど、
扱いに揺れてる感じで、
でかいテントに一人で泊まらせてるもののインド人男性的な感覚としては微妙な気持ちだった感じで、
グルジ関係者の客人として下手に出るべきかグルジの単なるおつきのものとして上から目線になるべきかという。
その相反する気持ちと態度をナンバー1と2からはなんとなく感じていたのだけど、
他の人たちはそういうつてがどうとか関係ないから逆にものすごく優しくて気を使ってくれてます。
キッチンの料理人たちはなんか冗談抜きで王女のように扱ってくれている。
たぶん、私がここのご飯がおいしいと思ってめちゃくちゃ食べてるということもあると思うけど。
私は基本的に軟弱な都会っこで、サバイバル無理。文明ないとぜったい無理。
というスタンスにしてるので(成功してるかどうかはしらないけど)
みんなだめな外人の子をいたわってくれる。笑
下っ端の、って言ったら怒られるかもしれないけど、下っ端のみんなが大事にしてくれるので自分が大切な人と思えるのでありがたい。
キッチンの10代の少年さえもがすごい気にしてくれてて、
インド人のおばちゃんが私に少し汚れが残ってるお皿を食事のために手渡してくれたらおばちゃんに「こんなの渡したらだめだ!」と怒ったりしてました。
おばちゃんはそんな少年の様子に笑ってたけど。
テントに水が入ってきたときもわたしは別の場所にいたのだけど少年が血相を変えて知らせに来た。
私は知っててすでに対策をしてたので「ノープロブレム」と朗らかにしてたら気が抜けたみたいだったけど。
昨日はテントが目の端で静かにそ〜〜っと開いたので見ると、キッチンの料理長がホットミルクを持ってきてくれて、微笑んでいたので
無言で入ってこられたのでびびったんだけど、
完全に善意だったので怒るに怒れないという。
座る場所もVIPより丁重にキッチンメンバーが至れり尽くせりセッティングしてくれるので、
ちょっとあんまりあれなんで、最近は末席の地面になるべく座るようにしてるのだけど。
で、テント移動でも下っ端というかなんか全然関係ないような人たちがみんな助けてくれたりしてくれて、
ナンバーワンとツー(いかにもおっさんらしいおっさん)とは対照的に、ハバン(ホーマムのこと?)をしていた坊さんたちもなんか本気で心配してくれてました。
なのでなごみました。
じっさいは小さいテントも全然居心地は悪くないんですけど。
私が自分にには電気が必要だといったら、
(大きいテントにも最初電気は来てなかったけど、某グルジがつけさせた。たぶん、自分の携帯の充電のために。笑)
別のちっさいテントのとこだけ電気が来てたので、そこにいる人を追い出して私を入れるとかいうので、
そんなのいやだ、そこには入らない。といったら、
結局今いるもともと電気が来てなかった空いてたちっさいテントに電気を引いてつないでくれました。
まあ、昨日と今日は基本的にそういう低調なバイオリズムなんだと思います。
私の場合、ホントに分かりやすくて。
てきめんに。
でもいろいろこういう風に助けが入るというのはどういうことなのかなとも思う。
何かいいことしたのかな私。
ガンガーとヤムナーとサラスワティーの3つの川の沐浴の恩寵かな。
サイババがわたしがあんまり大変なことにならないように調整して見張ってくれてるのだろうか。
明日で一応自分で決めていた沐浴11日11回の満願。です。笑
8日目が暴風雨で一番ピンチだったけどのりきった。
ここで気を緩めずに注意深くいようと思います。
2013.02.18 Monday
泥棒しようとして失敗した人たち
2013.02.18 Monday
マハークンバメーラの沐浴日の写真など
マハークンバメーラの期間中数回ある沐浴日。
その最終回は2月15日でした。
その日はそれぞれのグルが子分、じゃなかった。デボーティーを引き連れて続々と沐浴しに来ます。
その時、なぜか私は5時間くらいも水辺にいて写真とってました。
そのときの連れ2人が写真撮るのが目的で来てたので。
え〜ん、なんでわたしここにいるの〜〜〜?
と思いつつ、他にすることもないので延々写真を撮っていた。
疲れながらも1日で500枚以上撮りました。
↓その写真のアルバム(翌日のとかも混じってます)今アップロード中。。。
https://picasaweb.google.com/114722135044983918099/February162013#
みんなが最高にテンション上げて殺到する場所に5時間もいたらそりゃ疲れもしますよね。
水が冷たいのがまだよかったのかも。
入ったらみんなすぐに数分以内に出て行くから。笑
大勢の人が入れ替わり立ち代り行き来してたので、撮りたい人と入れたくない人の取捨選択が難儀でした。
かわいい赤ちゃんを撮ろうといいタイミングを見計らって追ってたら、シャッターを押す瞬間におっさんが横切ったり。
でも、みんな楽しそうですね!
今も外でどこかの人たちが自分たちでウケて爆笑しながら「ハレラーマハレラーマハレラーマハレハレ♪」と歌って(唱えて?)ます。
でもさすがに夜中の2時近くにもなると声もちょっと眠そう。
だら〜んとしてきて、ちょっと、まるで数人のヨッパライがくだ巻いてるみたい。笑
その最終回は2月15日でした。
その日はそれぞれのグルが子分、じゃなかった。デボーティーを引き連れて続々と沐浴しに来ます。
その時、なぜか私は5時間くらいも水辺にいて写真とってました。
そのときの連れ2人が写真撮るのが目的で来てたので。
え〜ん、なんでわたしここにいるの〜〜〜?
と思いつつ、他にすることもないので延々写真を撮っていた。
疲れながらも1日で500枚以上撮りました。
↓その写真のアルバム(翌日のとかも混じってます)今アップロード中。。。
https://picasaweb.google.com/114722135044983918099/February162013#
みんなが最高にテンション上げて殺到する場所に5時間もいたらそりゃ疲れもしますよね。
水が冷たいのがまだよかったのかも。
入ったらみんなすぐに数分以内に出て行くから。笑
大勢の人が入れ替わり立ち代り行き来してたので、撮りたい人と入れたくない人の取捨選択が難儀でした。
かわいい赤ちゃんを撮ろうといいタイミングを見計らって追ってたら、シャッターを押す瞬間におっさんが横切ったり。
でも、みんな楽しそうですね!
今も外でどこかの人たちが自分たちでウケて爆笑しながら「ハレラーマハレラーマハレラーマハレハレ♪」と歌って(唱えて?)ます。
でもさすがに夜中の2時近くにもなると声もちょっと眠そう。
だら〜んとしてきて、ちょっと、まるで数人のヨッパライがくだ巻いてるみたい。笑
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