あと1週間でロシアのアティルッドラなんですが、
バンガロールからの人たちと一緒に行こうと思ってるんですが、
どの便かなと思って電話して聞いたら、まだ明日にならないとビザ下りるかどうか分からないので明日以降に乗る便も確定するとのこと。
お坊さんたち、まだビザとってないんだ〜。。。
私もまだですが。
まだ、ロシアからの招待状(ビザ申請のために必要)を待ってる段階です。
お坊さんたちよりもさらに遅れてるという。
なんというか、この世界って大変。。。
行きたいときに行きたいとこには行けないようになってるという。
シンジラレナイ。
これがこの世界の現状。
でも世界の現状に合わせるんじゃなくて、いい風にどんどん変えていけるはずですよね。
変わっていった後の世界に生きてたら、世界のほうが「あれ?そうなん?」て、こっちに合わせてくるから。
でもきっとそのためにはいったん現状を体感する必要もあるのかもしれないなと思ったりもしますけど。
しなくていいのかな。
今、知人が送ってくれたアマチの本読んでますが、
アマチの話はなんかすごく親和性があって、入って来やすいです。
そうだ、忘れないうちにいっておきますが、
だいぶお待たせしてたのですが、ブラックインクとお守りの注文をされた方、、数日前にようやくそれぞれの方へ発送しましたので、1週間くらいで届くと思います。
お待たせして申し訳ありませんでした。
。。。。。。。
話は戻って、本の中に、
サンカルパが機能するためには、みなさまの祈りと善行為が不可欠です。
それがなければ、たとえアンマがどんなにその人たちのことを思って解決に心を注いでも、問題は解決しません。
それはテレビの視聴とよく似ています。
テレビ局はいろいろな番組を放送していますが、チャンネルを合わせなければ見たい番組を見ることができません。
同様に、願い事をかなえるためには、神の世界に心をチューニングしなければならないのです。
「人生を祝祭に変える法」p35
とありました。
そう、世の中全部チューニングなのかなと思ったりもしますよね。
どこに合わせるかで見る番組が変わってくるという。
あれ?これって誰かも同じようなこといってたような。。。
ありがとう村のありがとうおじさんかな。
サイババ番組ってどうなんでしょうね。
伝統的な風に見せかけて、内実はけっこうアバンギャルド(前衛的・前衛芸術)な気がする今日この頃。
だから常にきつい場合も多いのかも。
私は現代美術の授業をとりたくて大学の卒業を少し遅らせたんですが、
授業でそういう作品を創って提出したりとかもあって、
だいたいなんか深遠な意味があるようなないような意味を持たせつつ、
ビジュアル的にも面白く、みたいな感じでしたけど、
私はものを燃やすの好きだったので、
いろんな日常のものを燃やして、その燃えて変化していく過程を写真にとって記録して、
そんでその灰をあつめて箱詰めして写真も適当に使ったりして、
灰の中に点滅する赤い豆球を仕込んで、残り火みたいなかんじにしたのを作って、テーマ「記憶」みたいなかんじで提出しました。
なんか今と同じようなことやってる気が。笑
で、なんでその現代美術の授業がとりたかったかと言うと、
基本日本画専攻だったんですが、
日本画はすごく計画的に描く絵で、何度も小さいのから大きいのまで下絵をいくつも描いて、推敲して、実際に描くときにはもう最初の感動とかなくなってる感じがして、
それでもデザイン的に描くこととか、
日本画の絵の具の美しさとか(天然ものは、ひすいとか、サンゴの粉末とか使ったり、してすごく見てるだけで幸せな気分に)そういうみやびな空気がすごく好きだったんですが、
それに画面に絵の具を載せるまでにもかなり準備が必要で。
にかわを溶かしたり、白の色を作るまでに胡粉(貝殻原料)を団子にして何度も練ったりたたきつけたり。。。
まるでお茶を飲むまでに数々のプロセスを通るお手前のようで、
もっとなんか生な感じで今生きてるような絵がいいと思って、
それで、現代美術に興味を持って、現役のわりと名のとおってる、日本の現代美術のムーブメントの立役者にもなったような現代美術家の先生の授業をとってみたんですが、
その先生の自分自身に対してまともに向き合ってるような、気合の入った存在感は勉強になりました。
で、授業も面白かったし、その先生のやってること(美術制度の外に出るようなこと)も面白いと思いました。
で、もう一人現代美術の先生がいて、その先生の授業もとってたんだと思いますけど、
その頃は私は自分の感じてるものが美術を通してだったらいくら美術の枠を出るようなものを目指しても、結局美術の枠を前提にしてるということだから、
意味ないとか思って、
美術むり。
とか思って、
なんか、作品がどうのとかじゃなくて、人生そのもの、生きることそのものが美術作品となるような生き方をしたいとか言っちゃったような気がします。
おーおーゆったな、って感じですが、
そういう相反する方向性が常に自分の中にはあって、
昔からずっと願っていた、普通に周囲と混じって楽しく暮らしていたい、
というのと、
常に枠から出て前衛的でいたいというのが。
どっちも自分には切実に必要だったので、
その結果、日本を出てインドで普通に暮らすことがひとつの結論だったんじゃないかと思います。笑
ただ、ほんとにインドで普通におだやかに家庭的に、かつ軽く自由に暮らしたいと願っていたのだけど、だから自分の中では家族とともにいるということはすごく重要なはずせないポイントだったんだけど、
惜しかったねって感じですか。
不本意な束縛のない軽やかな新鮮さと、日常のやすらぎが同時に存在してる状態をわたしは希求してきたんだと思います。
大体の方向性はあってるのかな。
つまりは、どこにいても日常が天界状態、
アマチの本のタイトルを借りると、人生を祝祭に変える法をいつもさぐっていたんだと思います。
そしてそれは1995年に来てみたら、サイババアシュラムではすでに現実に実現されていたので、
とりあえずここに来てみたと言う。
だからこういう開放的でしかも一体感の在る空気を日本に持っていけたらなあとずっと思っていました。
そしたら私も日本に住めるのにとかも思いました。
世界も開放的で一体感の在る軽い空気が現実にも世界全体に出現したらいいですよね。
少し前に載せた世界中の人のダンスのように。
それはきっと計画としてあるんだろうと思いますが、そしてその世界ではすでに実現してるんだと思いますが、
それを実際この世界でも出現させるプロセスに関わるという演劇に少しでも関わって、それを楽しめたらいいなと思います。