投影のカリスマと本当のカリスマ

投影のカリスマと本当のカリスマ

 

今朝見た夢では、海辺の開放的で気持ちいい半戸外の建物で大勢が集まってアルティをしていました。

 

そこで、最後に3回「ナラヤナナラヤナ........」とするところで、最初の2回をわたしが単独でするように言われ、最後の1回をみんなでするように言われました。

 

それには、エゴのある人が最初の2回をし、そして最後に全員で統合するというそんな象徴的な意味があるそうでした。

 

そうは言われたものの、わたしはひとりで朗々と歌うのが気持ちよく、高らかに歌ってアルティの火を掲げ、みんなに見えるように回しました。

 

楽しくアルティが終わり、

わたしが過去に好感を持っていた人やわたしに好感を持っていた人が話しかけてきて、楽しく受け答えしました。

 

 

主にそんな夢を見ました。

 

 

その後まだ布団の中でウトウトとまどろんでいると、人が投影によりカリスマ化される仕組みが情報として入ってきました。

 

カリスマ化される対象と、投影によってそれを起こす群衆側の意識状態のプロセスが情報として入ってきました。

 

その情報についてしばらく考えるともなく考えて、布団から出ました。

 

 

カリスマはつまり、群衆をまとめるアイコンなのですね。

 

 

群衆の意識状態の中のある側面をつなぐアイコン。

 

カリスマという外部に特定の投影対象を見ることによって、群衆の中にはそれぞれある好ましく陶酔的な意識状態が固定されるし、そこに心地よさがあるからカリスマは群衆に求められるし熱狂的に支持され、依存されるみたいです。

 

依存対象であるとも言えるし、文字通りカリスマによって群衆一人一人の存在が意識面から支えられているとも言える。

 

群衆はそのためにカリスマを使用しているとも言える。

 

そしてその好ましい意識状態というのはすでに群衆それぞれの中に元々あったものではあるのだけれど、彼らは自分でそれに集中し続けることができず、でもその意識状態に留まりたいとどこかで思っている。

 

そんな時に、その心地いい意識状態に固定してくれるカリスマの存在は非常に心地よく好ましいものになります。

 

これは個人レベルでも常に起こっていて、ある人を思うと明るい気持ちになるとか、その素敵な人の世界の中では自分にも力があるのを感じられたりとか。

 

お互いに完全を投影して愛し合っている恋愛関係初期ではそういうのも顕著かなと思います。

実際その時、お互いの最も良い部分をお互いに固定することが起こっているからこそ陶酔的で心地いいのだと思います。

わたしはそういうわけで、それが完全な幻だとは思いません。

 

そしてこれが複数の人が関わるようになればなるほど、その投影対象はカリスマと呼ばれるようになっていきます。

 

つまり、ひとりの人にみんなが恋しているような状態です。

 

そしてそこには投影する人の自分自身の空洞化が現れます。

 

言い換えれば、恋している時にはそれまでの自分を忘れて心地よい世界に逃げることができます。

 

それでもしかし一人一人の人の持つ意識の力は健在で、その力は投影先のカリスマによってまとまって、そこに大きな使用可能なエネルギーの集積を生み出します。

 

それが当のカリスマ以外の権力を持つものによって嫉妬され、恐れられ、攻撃される対象になる理由だと思います。

 

しかしわたしの興味はそこではなくて、

カリスマ本人はどうなのかということです。

 

わたし自身、これまでに時々カリスマ性があると言われることもありました。

 

わたし自身は自分のことを個性も中身もない空っぽな人間だとずっと感じていたので(今もですが)

 

そのカリスマ性とは、他の人の期待や投影を感知して受け取る力、という部分によるところも大きかったと思います。

 

そして自分が希薄なわたしなので、わたしという存在にアクセスする時に必然的に人は潜在意識とか超意識とかそういうレベルのものが刺激されることも多いのかなと思います。

 

わたし自身、そういう部分で生きてきたことが多かったと思います。

顕在意識が上手く働いていないまま生きていた。

 

だから、わたしが自分自身に関してずっと感じていた、わたしは個性も中身もない人間だというのは、自分の顕在意識の部分の欠落を感じての印象だったかもしれません。一般的に機能する顕在意識の波長をわたしは持ち合わせてなくて、他人とその部分でコミュニケーションをとること自体意味不明で途方に暮れていました。

 

だから、どうやったら普通に機能できるようになれるのかなと、困惑していました。

 

わたしを最初に投影対象として使用し、カリスマ化したのは母だったと思います。

 

母にとってのカリスマとしてわたしはとてもよく機能しました。

 

 

 

親子関係の特に初期には赤ん坊は非常に受容的ですし、そういう親にとって楽しい投影が起こりやすいので、一種の美しい恋愛関係のような陶酔的な楽しさのある時だと思います。

 

それがあるから、投影対象の好ましくない言動も好ましく受け止めたり解釈したりもできるかと思います。

 

そしてそういう陶酔的な関係の外にある人から見ると、それはまた違った感情を起こさせるもので、共鳴して、好意的にほほえましく受け取る場合もあれば、シラーっと冷めた感じで受け取る場合もあるかと思います。

 

なんにしろ、そのような陶酔的な関係性、投影が起こり、それを受け止める関係性においてはなんらかの空洞が必要な気がします。

 

外部に良いものを投影して陶酔する人は内面に空洞を抱えていて、そのような良いものを自分の中に保持できないなんらかの理由があるから投影します。

 

もしくは、投影した相手に夢中になるという依存形式を単純に好む、という、単なる好みの場合もあるかもしれません。

 

そしてわたし自身で言えば、投影される側は内面が空洞だからこそ、他人からの良い投影で自分の本質を満たすことが自然です。

そうされることが苦しくないし、それが自分なのかな?と他人からの投影にすぐに乗れます。

 

つまりこれは完全な共依存とも言えますし、

べつにこれを病んでる扱いしなくとも、

それは単に陶酔的で心地よいレクリエーション形式としてもいいのかもしれません。

 

何も、なんでも断罪する必要はないと思うので。

 

でも、他人からの良い投影を受けて自分は良いものなんだと思えると同時に、自分の中には何もない、他人はわたし自身を見ているのではない、という気持ちはわたしの場合は消えませんでした。

 

そしてたまに悪い投影をされるときには、それにもそのまま真実味を感じで、わたしは悪いものなのかも、と思って大きく動揺しました。

 

つまりこの世界で他人に自分の存在をものすごく依存していたのはわたし自身でもあったのです。

 

わたしは他人の気分を害さない限り、空っぽなわたしのことを良く扱ってくれるものだ(良く扱う義務がある)という前提のもとで、他人の投影を受け止め、意向を最大限に汲むという処世術で生きていました。

 

そうする自分はまるで善の化身のようだったし、自分でもそれを信じきるようにしていました。

 

そしてそれがなんであっても、信じきるというのは人を純化します。

 

その意識状態が極まり、ある種の圧が十分高まると、どんな分野であっても、どんな状況であっても、人は突然個人の枠を超えて宇宙全体の意識に衝撃的に解き放たれ、しかしそれを既知のものとして体感する瞬間が訪れるものなのだろうと思います。

 

わたしにその瞬間が訪れたのは21歳の時でした。

 

そして不思議なことに、それ以降わたしはそれまで取りこぼしてきた負の部分をいちいち丁寧に拾い集めるような人生になりました。

 

人の期待に応え、他人の感情の世話をするよりも、自分自身にもっと注目してそれを知り、それに応えるようにこころがけました。

 

ですから実際生活では悪く思われることや非難されることがすごく増えました。

 

そしてそれは心地いいことではないので、

そのたびにそれ(わたしは邪悪な存在であるという他人の評価)を信じてしまっては、なぜだろう?と苦悶しました。

 

実際は、良い投影がわたし自身を見て言われたものではなかったように、

悪い投影も、わたし自身を見て言われたものではなかったのです。

 

つまりわたしは他人からの投影を、いいものもそうでないものも、受け取って自分に適用するのをやめました。

 

他人からの投影を自分理解に流用するような空洞の関係性の連鎖にない人、つまり本当に自分自身を生きている、地に足のついた実力のある人は、他人がその人をカリスマと呼びたくて呼んだとしても、たんに実力のある、中身のある人なんだと思います。

 

投影することもされることも、自分自身の中にいないということだと思います。

 

それは個を超えるからこそ、時に合わさって、宗教的な熱狂のような大きな力を生みます。

 

そしてそこにはいつも陶酔があります。

 

わたしはそれは決して悪いものだとは思いませんし、純粋な生きる力、生命力そのもののあらわれだとも思います。

 

しかしそれは人間として生きるということではないと思う。

 

個人が凌駕される熱狂の中にいることほど最高な気分のことはないと思います。

 

でもそれは、人間として生きることでは、ないのだと思います。

 

それは実は自然の一部として生きるということにも似た状態だと思います。

 

だから決して悪いものではないし、とても自然な本来的な状態だと思います。

 

激しくエネルギー交流が起こっているため、とても気持ちいいものでもある。

 

 

ここからは個人の好みだと思うのですが、

わたしは人間として生きてみたいなと思うのです。

 

あんた人間でしょ?笑

 

と言われるかもしれないけど、

そうでもなかったと自分の感覚は言うのです。

 

人間としての、最良の人生を経験したいと思います。

 

そのときもし人がわたしをよく思ってくれるなら、それはその人が自分自身の良さを知ってるからこそ、自分のことのようにわたしを認識できるのであって、投影ではないのだと思います。

 

そしたらわたしもその人を尊敬できるが故に、そういう評価はとても嬉しいし受け入れられると思う。

 

右から左へ価値や評価を投げつけ合うような空洞の関係性、投影の連鎖ではなく、そのような、それぞれの場所にいながらともに響き合う愛の連鎖がわたしは欲しい。

 

まだそれを希求しているわたしがいます。

 

 

つまり何かがまだ外に漏れている、いろんなことを外側に投影しているわたしがいるということです。

 

 

夢でアルティの3度の繰り返すフレーズのうち、エゴのあるものが行う最初の2回をさせられたことは嬉しかった。

 

わたしは少なくとも自分自身の場所にいる。

 

そんな気がしました。

 

 

そうするとわたしは自分が好ましく思うひととも、自分を好ましく思うひととも関わることもできます。

 

3回目のフレーズをみんなで歌ったように、最終的にはそれらの個人的な好みを超えた世界で統合されてしまうことはおそらく予定調和として必然のことかもしれません。

 

 

そうなると、投影し合う小さなつながりも押し流されて切れてしまい、

投影されるカリスマと投影するものたちの間で行われていたお互いの空洞の中を行き来していた閉じたエネルギーも解体され、解き放たれて、宇宙全体の歓喜のエネルギーの中に溺れます。

 

そうなると、もう、わやです。

 

 

終了させないように長く遊ぶ、これはそういうゲームなのかなと思います。

 

本当のカリスマとは、このあらゆる意味で豊かなゲームが終わらないように、この興奮や悲しみの陶酔を長く楽しめるように、一つ一つのプロセスをあらゆる角度から複雑に楽しみつつ、芯では永遠に明晰で醒めている、わたしやあなた自身の姿形を超えた本質そのものなのだと思います。

 

同時に人間としてのわたしたちはみんな、誰よりも密やかなその静寂のカリスマに拠っている、空虚だけど豊かな存在なのだと思います。

 

そのとき静寂のカリスマもまた、私たちに魅せられている。

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今朝見た夢

今朝の夢では、誰かが爆弾を仕掛けててだんなさんの車が爆発しました。
なので、
「よかったね、おめでと〜!車両保険で新車になるね!」とだんなさんに言ったら「車両保険入ってない」というんでがっかりしました。

別の夢では知人家族のだんなさんが離縁されて独身になってて、そのだんなと私がなぜか結婚することになった夢。
えっと、なんでそんなことになるのかちょっとわけわかんないんだけど。。。。ま、人類皆兄弟家族って感じでいいとするか。
と、夢の中で思ってました。

起きがけに情報がやってくる時ってありますよね。
夢と現実の間のところで。

今日は、地球上の自然がどんどん破壊されてて本当にもう後がないというか、そうしてる間にも止まらない勢いで、もう丸ハゲ状態でもうだめなんだ、という情報が地球規模の体感としてやってきました。

起きて、そんな情報もらってもどうしようもないし、いったいどうすりゃいいんだ?
と軽く途方に暮れつつ思いましたけど、
まあそういうのが体感としてきたということで。


ちなみに昨日見た夢では、私は電車か何かで移動してたんですが、前方に20メートル〜30メートル級の超巨大な白いうなぎがたくさんいて、前方の電車の上部に巻きついてました。
私は喜んでテンション上げていました。

なんか悪くないかんじの大きなエネルギーが動いてるってことではあるんでしょう。

ウエサク祭とアンマの夢

昨日は京都鞍馬のウエサク祭に行きました。

だんなさんが鞍馬には行ったことあるけどウエサクはない、ということだったので、じゃあいっぺんくらい行くか、ということで。

以前は夜通し行われてたんですが去年と今年は夜7時に始めて8時半くらいにはもう終わる感じで楽チンバージョンでした。

でもなんか、初めて参加した15年くらい前の時のロングバージョンよりもなんかじんわりした良さを感じました。

なんだか懐かしいような。

一つだけ願い事をするといいそうだったのでわたしは世界の平安を願い、サポーターの?だんなさんはお金が入ってきますようにと願ってました。


そして夜中に兵庫の実家に戻ってきて寝たら久しぶりにアンマことマータアムリタナンダマイーの夢を見ました。

サイババが夢に出てくるときはサイババの意思というけど、アンマもそんな感じがするんだけど。

お互いほとんど同時に「久しぶりに会えて嬉しい」と、かぶって英語で言い合って、お互いハグして、その後アンマは元だんなはダルシャンを受けたことがあるのか聞いてきて、アンマダルシャンのことだろうと思ったので、一回あるといったらそれならよかった、みたいなことを言われました。

そのあとアンマは、母が自殺を考えたことがあるという趣旨のことを言ってきたので、なんて答えたんだっけな、弟たちはパッとしないからだとか、母は弟たちを大事に持ち上げて私のことは押さえつける(というか、母の人生に私はいなかったことにしようとする勢い)みたいな説明をアンマにしたら、
アンマは「(お母さんとは)もう籍は離れているんでしょう?」みたいなことを言ったので「ええそうです」みたいに答えたら
「なら大丈夫、問題ないわね」みたいなことを言ってたような。

目が覚めてもアンマとしっかり話し合った感が残ってて、不思議な気分でした。






紫の毒ガスの夢

昨日、いろいろ嫌になってふて寝してたんですけど、そしたら空から紫の毒ガスみたいなのがどんどん降りてくる夢を見ました。

なので、急いで窓とかを閉めて、それが入ってこないようにしてました。

20メートルくらいのUFO

あ、そういえば思い出したけど、今朝は20メートルくらいの大きさのUFOを子供と見てる夢を見ました。

見てると小さくなってトンボみたいに手のところに来ました。

サイババの夢

今朝、というかすでに昨日ですが、久々にサイババの夢を見ました。

サイババが事務机の上の白い紙に何か書いてました。

ババに「ババ〜〜〜!」と呼びかけると、ババは顔を上げて「お〜〜」とか「あ〜〜〜」とか、なんかそんな感じで答えました。

なんか、今だったら何でも答えてくれそうだな、と思って、何か質問したかったのですが、考えても特に何も聞きたいことが思い浮かばなかったので、

近づいていって机の上(のババがなんか書いてた紙の上)に自分の頭をごろんとのせて「頭なぜて」と言ったらなぜなぜしてくれました。笑

そんな夢だった。笑

ウズラの卵の夢

今朝、赤ちゃんがこけてうわ〜んと泣いてたのを誰かが抱っこしてたのを私も行ってよしよしと慰める?夢を見て、その後他の人からウズラの卵を1パック預かる夢を見たので、

ウズラの卵の夢ってなんか珍しいなと思って調べてみました。

夢判断の内容はそんなにぱっとした感じじゃなくて印象も薄く、いいんだか悪いんだか?ってかんじでしたが、ウズラの卵をあたためて孵した記事を書いてるブログがあったので、おおすごい、と思いました。

http://scarboroughfair300.blog102.fc2.com/blog-entry-127.html


1パック分暖めて1羽しか孵らなかったらしいですけど、孵るもんなんですね!



今朝のサイババの夢。ファンシーな置物をくれた。

今朝はサイババの夢を見ました。

なんか持ってこっちに来たから「ちょうだい」というかんじで手を出したらポンとくれました。

くれたのはファンシーな感じの、わたしの趣味じゃない置物みたいなやつだったんですけど。

趣味じゃないやつでももらっとけ、ということか!?と、思いました。

実際、昨日はそんなにババのことすごく考えてるってわけでもなかったから夢に出て来て意外でした。
寝る時、なんで私はあんまり働かないんだろうと不思議には思ってたんですけど。
で、起きてすぐに、なんで私働く意欲ないのかなとか、どうしたらよいのかなとか思ったら、「とにかくやることだ」「働くことだ」みたいな答えが来て、
ふうん、と思ってたら、あ、そういえばサイババの夢見た。と、その時点で思い出しました。


それほど興味なくてもとにかく受け取るようになってたり、やることになってたりすることっていうのもあるからそういうのは四の五の言わずに Just do it !
て、ことなんだろうと思います。

世の中とくにスピの世界ではわくわくすることをとか、好きなことをするとか、そういうのが大前提になってる風潮もありますけど、もちろんそれは基本なんですけど、
自分の個人の意志を超えて与えられる活動というのもあるし、それは四の五の言わずにやることなんだろうと思います。

そこに意味とか見出したら逆に変になることとかっていう、そういう種類のものも中にはあるんだろうと思う。

たぶん、私にとってこのショップがそう。


これはババが与えようと思って持って来たもので、
私はそれがなんなのか分からずに手を出しちゃったんだろうと思います。

それを手にしてみて、これってわたしの趣味じゃないなと思ったものの、ババがくれたものだったからそれだけでうれしかった。

それはたぶん純粋にババが私にくれたくてくれたものなんだろうと思います。

私の何か具体的な役に立つとか、それを使ってどうとかっていうのとはまた別次元で。

そして彼から手渡しでもらった事実だけが私にとっては意味あるものだった。


夢においてその感じが目が覚めた後も私の中に残っていました。

死にかけの大蛇の夢

ここしばらく夢をよく覚えています。

今朝の夢は、直径数メートルくらいの大蛇の夢で、でも、大蛇はそれはもともと妖怪の猫娘が変化したものなんですが、自分のお腹が切り開かれて、穴があいてて、そこから自分の首を出して身動きも取れず死にかけている状態でした。


起きて、夢判断で調べてみたけどヘビの夢はたくさん例があるけど、そのヘビが死にかけている例はなく、判断が難しい。

なので自分で聞いてみたら、そのヘビは私自身のエネルギーの大きさではあるのだけど、それがうまく活用できていない状況らしく、こじれてる。


そんな答えでした。

こういう場合は自分のイメージの中でそのヘビを治療、復活させたりするといいのかな?


ある意味、ヘビに象徴されるエネルギーの暴走をコントロールできている状態なのかなとも思ったのですが、

死にかけて動けない状態というのはやっぱまずいのかも。


また自分の中で聞いてみたらやっぱり復活させる方がいいみたいだったのでちょっとやってみます。



今朝の夢

昨日も今日も朝4時頃に目が覚めて。

今朝目が覚めた時には夢を見てました。

ちょっと長いけど書きますか。


どういうシチュエーションだったか定かではないですけど、サッカーの本田選手と向かいあって、彼の似顔絵を夢の中の時間で小一時間くらいかけて描いてました。
そっくりではないけどそこそこ描けて、本田選手も喜んでいた。
本田選手、こんな感じのいい人だったんだなあと思いました。

その後子供の運動会を見に行って、
私が来たのを見つけると子供はにやけて寄って来ました。
メインの競技はもう終わってたけど、まだのやつを見て、そのあと売店で子供に何か飲み物かなんかを買ってやってて、
わたしは子供に、「さっき、本田選手に会って、似顔絵描いとったんやで。他のこには内緒やで」とか言ってました。

その後場面が変わって、
私は背広を着たサラリーマンみたいになってたのかな?

何か激しい事故か非常事態の状況になって、わたしはよけながらすすむんだけど、
大きなガスボンベが転がって来て、それが線路に転がり込み、そこに来た電車がボンベに乗り上げて脱線して横転し、大惨事の事故が起こりました。

そこら一帯に電車から飛び出した凄まじい状態の遺体が散乱し、地獄のような光景が広がっていました。

その時まるで天からの声のように誰かの声で、おいしいご飯を食べなさい、みたいなアドバイスがやって来て、
私は目の前の強烈な光景ではなくてどこかにたどり着いてご飯を食べることだけど考えていたら目の前の恐ろしい光景が自分の中に入って来ないまま、そこを通り過ぎることが出来ていました。


しばらく行って、

そしたら私が行こうとした方向から小学校高学年くらいの女の子たちが何人か走って逃げて来ました。

そっちの方向に行くと怖いことがあるみたいだったし、早く逃げないといけなくもあるみたいだったので、私も方向転換して女の子たちとともに逃げて、私も小学生くらいの女の子になっていました。

女の子たちはロッカーの中に隠れてたので、私も頼んで中に入れてもらって何かから隠れました。

でも次々別の女の子が逃げて来て、
しょうがないからどんどん入れてたんですけどそのうちさすがにもう入れない、となりました。



そうしたら厳格な感じの僧侶のような痩せたおじいさんが来ました。

私たちは女の子の集団ではなくて、主に30代くらいのバラエティに富んだ男女のグループになっていました。
その中には3歳くらいの小さな女の子もいました。

その厳格なおじいさんに私たちは見つかってはいけないことになってて、

私たちは何か魔術めいた儀式の力によって、そのおじいさんから私たちの姿を見えなくしていました。

おじいさんが私たちが隠れているロッカーの中を点検しているとき、私たちは息を殺して静かに、身動きせずにいました。


しかし、3歳くらいの女の子は自制が聞かず、動いたり物音を立てたりして、わたしたちの姿を捉えられないおじいさんもその気配を不振に思い、

ロッカーの中に手を伸ばしたりしてるうちに
誰かに触れて、気がついてしまいました。

その刹那、グループの中の実力のある安定感のある女性がおじいさんの首の後ろに何か注入したかなにかで、おじいさんのエネルギー状態を操り、記憶も操作したようでした。

おじいさんは自分がそのグループの存在に気がついたということすら定かでなくなり、どこかに行きました。


しばらくしてまたおじいさんが戻って来たので、私たちはまた意思の力で儀式か瞑想かそんなので自分たちの姿をおじいさんの意識から隠しました。


すると再びやって来たおじいさんの様子は違っていて、
さきほどメンバーの女性にエネルギー状態を変えられた時にある種の神秘体験をしたようで、非常に謙虚で、神秘に圧倒されたような状態でした。

なのでメンバーの人たちももうおじいさんが変わってしまったことに気がついて、彼を自分たちのメンバーに加えるべく協力しあってそのための儀式を執り行おうとしていました。


主要メンバーの女性が私に見てみるように促したのでふと横を見ると、
私たちがいる場所は何百メートルとか何キロとかの高さのある場所で、眼下遥か下は植物の生えていないむき出しの崖の渓谷で、そこを流れる川のラインが遥か下に細く曲がりくねって、光って見えていました。


そんな夢でした。



結局その後6〜10時まで2度寝した。
また夢を見て、

最初わたしは子供を乗せて危なっかしく車の運転してるんだけど、道が分からなくなったので路肩に停めて道に出て立ってたら現金輸送車が目の前に停まって、横のビルに現金を運び込みだした。

変なとこに立っちゃったなと思って、

そのあと歩いてると、インドの路上で大勢の女の子たちがフルーツの衣装など面白い格好をしていたので子供を少女たちの前に立たせて写真を撮った。

その後、わたしは習字教室に行ったんだけど、子供が夢の中で通ってる習字の先生と同じ先生だったので「あんたもやり」と、私がやってる間、子供にも一緒にやらせることにした。

先生は教育ビデオみたいなのを見せてくれたけど、子供はすでに見たやつだったのでビデオがここで何を言うとか解説してくれた。

習字の先生が大きなマグカップで私の苗に茶色いお茶を出してくれたんだけど、床にカップをおいてすぐに通り過ぎる先生の足がそのカップのお茶の中に入って歩いていった。

子供に「見た?」と聞くと「見た」と言ったので「これは飲めんな」という、そんな夢でした。


とりあえず、子供には電話しようかな。