今朝の起きた瞬間の5分間は情報量が多かった

(覚え書)

今朝の起きた瞬間の5分間は情報量が多かった

夢は、大勢で旅行か移動かしてるんだけど、バラティさん一味と他の集団が何か揉めて、バラティさんたちが奇襲をかけて相手を皆殺しにする予定になっていた。

私は3階建てくらいの同じ南国風の風通しのいい建物の3階に息子たちと一緒にいて、バラティさんには「お前はそこで隠れておけ」と言われてたんだけど、

いくら布団をかぶって隠れてたとしても周りで殺戮が起きる部屋にはいたくないのでバラティさんの気を悪くしない形で他の人の助けを借りて下の息子とこっそり抜け出した。

近くの別の建物に移り、もといた建物での殺戮が終わるのを待った。

上の息子は見失った。

巻き込まれていないか心配だったけど、しょうがないから待っていた。

無事に殺戮が終わり、他の人たちはチェックアウトして行った。私はまだ1週間くらいの頃予定だったので、とりあえず1泊延泊した。

それと別の場面では私が誰か男性にお弁当を作ることになっていて、その人と話していた。

また別の場面で下の息子が善意のおばさんにすごく怒ってむくれていた。

おばさんは訳がわからない、と言った風で、あっけらかんとしていた。

息子の目線に座って、どうしたん?なんか嫌なことがあったん?と聞くと、彼が自分でやろうとしていたことを、おばさんが善意で取り上げて先にやってしまったので泣くほど怒っていた。

それをおばさんに伝えた後は息子は床に寝転がってずっとベタベタ甘えてきていた。

そんな夢だった。

起きて5分間にきた情報は以下

夢の中に上の息子がいないな〜と思ってたんだけど、

今の息子2人と暮らしてる状況は、私はまたワンオペになっちゃったよ!それだけは避けたかった・・・という気持ちがあるんだけど(上の息子との日本やインドでの実質ワンオペ二人暮らしがものすごい大変で、同じ轍を踏みたくないと強く思っていたため)

息子にとってもトラウマ級に大変な暮らしでもあったと思います。

今二十歳になった彼がまた今の状況になり、

無力化して子供をやり直し、でももう大人なので、今度は子供の頃の彼とは違って逆に大人として今度は自分が場に影響を与えることができる、

今のヒキニートな状態は、そういうハードな幼少期のトラウマ級の記憶を作り変えるよい機会にもなっているのかなと思いました。

その2

夢でバラティさんたちが極道っぽかった件について。

極道と僧侶と警察ってとても似たエネルギーがあるんじゃないかということ。

私はそのどれもにまあまあ縁が深い気がする。

僧侶系は言わずもがな

警察は日本でもインドでもいつも助けてくれてる

極道はまず隣の家の息子(大人)がヤクザで子供の頃、コマ回しを教えてもらったりと時々遊んでもらっていた

その後の人生にも極妻や元ヤクザなどがちょくちょく現れる

こう書くと西洋占星術でいう冥王星が思い浮かんできたんだけど、

そういえば私の冥王星は火星と金星と冥王星で風のグランドトラインを作ってるんだった。

風だしグランドトラインだから、そういう一般的には激しく重たい世界にも通じる可能性があるにも関わらず、それら(宗教ー僧侶、国家権力ー警察、極道ーヤクザ)が私をサポートするかのように優しくサラサラと現れているのかな。

その3

前の日につくづく自分の結婚運の悲惨で壊滅的なことについて考えていた。

これは何の占いでも言われてることなんだけど。

でもインド占星術的には歳を取ればそういうカルマ的なことは完了していくという考え方もあるようだ。

もしくは人生経験を積んで対処できる知恵がつくか。

具体的に縁づくひとは私でもわかる独特すぎるところがあって歪な人が多い。

籍こそ入れなかったけど結婚前のDV彼氏も群を抜いて独特だった。見た目も中身も。

それはそれで純粋に興味深い面はあった。

つまり私のは大概好奇心と利害関係?

面白げなとこに首突っ込む感じかな。

でもそれじゃあ、いつも無茶苦茶になるわけ。

ではもっと理性的に、安定と面白さ、どちらもあって落ち着いて持続する関係性ってどんなものなんだろう?

と、前の晩に考えてた。

ちなみに、あえて分類するなら

DV彼氏→水泳選手からのお笑い芸人旅人詩人美容バイオレンス系

元旦那1→TV業界からのディーラーアート好き偏差値高いチャラ系

元旦那2→コンプレックス強め雪山ガテンマザーテレサ奉仕スピ系

(分類できてるんか!?)

今朝目が覚めて来たのは「音楽関係」ということ。

確かに。どっかでそういうことを言われてた。

私に合うタイプはミュージシャン、と。

そしてあまり関係性がないことで謎の存在感ある、ここで実の父親とつながったか、そこでくるか、と思った。(職業音楽系の人)

 

 

JUGEMテーマ:つぶやき。

今朝の夢

今朝の夢は、やはり今は無い西宮の実家で、今夜災害が起こるかもしれないから今から風呂に入って、備蓄や準備しておこうとしてる夢だった。

もはやその感覚も薄れてるけど、20年くらい前からは私は津波などが来てもいいように、ある程度標高のあるところに住もうとしてて、備えもある程度しておこうとしていた。

いつ何があるかわからないのが、いつでもひっくり返ることが起こりうるのがこの世界だ、という認識が1995年の阪神大震災とやはり1995年のその後のインドでの覚醒体験(ゲリーのいうところの自己覚知)で備わったので、平和な時でも心のどこかで身構えて、間に合わない焦りの感覚に戦々恐々としていた。

実際はどこにいても、なんの蓄えがなくとも大丈夫な人は大丈夫だし、万全の準備をしてたってダメな人はダメで意味がない。

とはいえ私は極力標高のあるところに暮らして極力自給に近づけたいと思ってきた。

それは非常時でも影響が最小になるようにだ。

自立・自活できているほどやはり何かに振り回されることは少なくなっていくように思う。

今住んでる茅野市はあちこちに美味しい湧き水も出てて自由に汲めるし、水道が止まったとしても、少なくとも飲み水の心配はないなと思ってる。

なかなか始められなかったけど畑も、田んぼもなんとか始めることができた。

自給自足にはまだまだ程遠いけど、できることは少しずつ増えてるように思う。

そうやって自分たちを助けられたら余力で他の人の助けにもなればいいなと思うし、

自分たちができないことは他の人に助けてもらおうと思ってる。

そう思えたら備えなきゃという20年来の緊張感は無くなって、ただ、コツコツと自分ができることを増やす楽しみに変わった。

正直、日本がダメならインドにも行けるなと思ってるんだけど😆

インドはむしろ毎日が災害で毎日がサバイバルだから。平気でとんでも無いことが起こるし、政府主導でとんでもないことを起こす時もある。

インドで借りてるアパートもしょっちゅう水や電気が止まるし、ストやデモで危険だからと街中のシャッターが降りる時も少なく無い。

非常事態には慣れっこになってる。

なによりサイババが存命中にはわたしは自らサイババに振り回されに行ってたから、それに比べると常時非常事態みたいなインドの暮らしも波がなく穏やかに感じられる。

コロナ禍の世界一過酷なロックダウンが敷かれていたインドに閉じ込められていた時でも、ちょっとワクワクして楽しんでいたところもあり、呑気なものだった。

すぐ横の広場(サイババの両親のお墓)にはやはり飲める水がたくさん湧いてて汲むことができるし、

町中に友人知人顔見知りがいるので、何があれば誰かが助けてくれるだろうと思ってる。

なんせサイババタウンなので街全体が護られてる感がある。

インドにいても日本にいても、今私に危機感はあまり無いけれど、

あらかじめできることはあらかじめしておきたい気持ちがある。

土壇場でなんかやろうとしても焦っちゃうから。

てことは、来年も田んぼやるのかー?

できるんかな😂

 

 

 

 

JUGEMテーマ:つぶやき。

 

 

 

 

今日の夢

夢で、息子たちを連れて今は無き西宮の実家を訪れた。母方親戚のおばちゃんたちがいた。

ショップリピーターのお客さんふたりも案内するはずだったんだけどうまく合流できなかった。

誰か知り合いの女性が私を大学のようなところに連れて行って、男性に確認するように言ったので、私はその男性にあれはこうですよね?みたいに何か確認したんだけど、男性は「なんのこと?」みたいな反応だった。

次に、教授にも確認するよう言われたので、教授にも確認しようとしたけどやはり話が通じなかった。

私がこうと思っていたことは、全部私の妄想だったんだね、よくわかった、と思った。

と、そう思った途端にその夢の現実世界に、わたしの妄想世界?よく知ってる異世界の親しい人たちが次々沸いて出て、私は懐かしさに歓喜した。

その人たちは明らかに異質な人たちなのに、夢の現実世界をコントロールして、現実世界の人たちに違和感を抱かせないようにして混じっていた。

わたしは、やはり私の中にある世界は本当だったんだ、と思う。

その後、塩尻出身とかいうイケメンの有名インド人俳優に猛アプローチされて夢は終わったw

みんなで小さなこたつにぎゅうぎゅうに入っていて、イケメン俳優は「こんなことになるなんて」と言っていた

写真は特に関係なし😂

ゆずぽん醤油みたいなので食べたら美味しかった

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:つぶやき。

 

今朝の夢は銃を乱射する男から逃げていた。

今朝の夢は銃を乱射する男から逃げていた。

 

私は今はなき西宮の実家の2階に駆け上がった。

実家はすでに廃墟だったんだけど、2階の私の部屋だったところに逃げ込んだ。

 

近くに女の子と小さな男の子もいて怯えていたのでその子たちも呼んで一緒にかくまった。

 

2人はすごく怯えていた。

部屋の隅で息を殺していたけど、銃を乱射する男はすぐに部屋に入ってきて私たちを見つけた。

 

しかしなんらかの理由があって、私たちは殺されない方が彼に取って都合がいいようで、殺されなかった。

 

彼は私たちを見て何かを言い、そして去っていった。

 

そんな夢だった。

 

家の状態は意識とすごく正確に呼応しているように思える。

 

私の育った西宮の実家は今はもう無いけれど、いまだに時々夢に出てくる。

私にとって生まれた時から18まで育った西宮の実家はやはりあらゆる意味で原点なのだと思う。

 

夢ではもう実家は土足で歩き回るのにふさわしい廃墟になっていた。

 

しかしその中でかつて私の部屋だったところに私は子供2人と逃げ込んだ。

 

私は女の子1人だったから(弟4人)

小学校高学年か中学くらいに個室が与えられた。

 

母の趣味で壁は薔薇の花柄の、ものすごく乙女な部屋だった。

 

私は自分なりにインテリアを整え、机の上には好きな置物や植物を置き、壁にはミラーワークの刺繍の施された大きなインドの布を絵のように貼っていた。

 

私は自分なりにそこに自分だけの「アガる」世界を作っていた。

 

しかしある日、15〜17歳くらいかな。

学校から家に帰ると私の机は外に出されて私の部屋はグレまくっていた私のすぐ下の中学生の弟の部屋になっていた。

 

その後そこは弟が昼夜を問わず女の子を連れ込む部屋、夜中でもこっそり女の子が忍び込んでくる部屋になった。

 

弟に家の中に場所を与えないと、外で何をするかわからないからという思いで、せめて目の届く場所に弟をキープしておこうと、母はそうしたようだ。

 

なのに弟が女の子を部屋に連れ込んでいたら母はキレて部屋の外から怒鳴っていたけど。

 

弟は高校になると短大生の彼女のマンションに転がり込んで帰ってこなかったように記憶している。

 

それはいいんだけど、

流石に私も突然自分の部屋が消滅したのは衝撃だった。

 

昔の少女漫画の背景のような、多少気恥ずかしいピンクのバラの壁紙の部屋は言い方あれだけどヤリ部屋となったわけで。

 

不条理よね?

 

流石に嫌だったけどもうそうなってるから仕方なく、着替えとかも他に誰もいない時にリビングの片隅で素早く着替える生活。

 

現実はそんなだったけど、夢では私はかつての私の部屋に逃げ込んだ。

 

個人差があるだろうけど、私は私の居場所って大切。

 

短い間だったけど、私が自分の場所を得て、そこを自分の好きなものだけで構成された自分の「アガる」世界にしたことは、嬉しい思い出として記憶されてるのだと思う。

 

ちなみに大学では寮に入って、常に相部屋だったけど2年生以降は相部屋に変わりなくても6畳のパーソナルスペースがもらえたから、完全に満足だった。

 

私は多分他人のことは基本的にそんなに気にしないので自分の空間が確保されていれば満足だったし、壁を自分なりにリゾート風に張り替えてそこでマイワールドを作ってた。

 

私は私の複雑な実家をそれはそれで楽しんでいた。

 

実家は常に散らかってすごい状態だったけど私はそこを冒険できる忍者屋敷のように感じていた。

 

身軽だった私は時に2階から屋根や柱をつたって出入りしたりしてた。

 

庭や家の周りは毎日必ず隅々までチェックしていて、毎日必ず1回は庭の松の木のてっぺんまで登って木の上から塀越しに表の通りを見ていた。

 

奥には怪しいおばあちゃんが住んでいて(お姑さん。母と仲が悪くて生活空間を分けてた)、近所でも意地悪に定評があったっぽい、家族の誰とも血縁関係のなかったおばあちゃんはまるで村はずれの洞窟に住む危険な魔女のようで、私は他の家族はほとんど寄りつかないそのおばあちゃんワールドの部屋に毎日入り浸っていた。

(おばあちゃんはお茶や炒り豆、氷砂糖などでもてなして色々昔のものを見せてくれたり折り紙や組紐の編み方を教えてくれた。時に私が絵を描いているのを感心して眺めていた)

 

家の庭とその前の土手の畑と、おばあちゃんワールドは私にとっては人間生活の外にある、受容的で親しい自然だった。

 

家が古いながらも比較的大きく、父が社会的に安定して評価されていたことは私の安心でもあったと思う。

 

母は、なんかまだよくわからない。

面白要員、ネタ要員みたいに感じてたとこはある。いつも何か友達に喋るとウケるネタになるような活動をしていたから。

 

私は、とにかく、まともで普通な人間であろうと!社会にきちっと馴染んで、なおかつ評価され、なんらかの役にも立って興味も持たれるような、あらゆる意味で社会性の高い、社会にとって良き人間であろうと!うまくやろうとしていたの。

 

私はいつも社会の中での立ち位置はだから意識していたように思う。

 

それは大学を卒業して西表島に働きにいって、その後放浪気味であったときもそうだった。

そんなでもそういうキャラが社会に与える影響が良いものであるように常に自分の中で調整をかけていたように思う。

 

DV彼氏から逃げて同時に霊的大混乱の時期も、いつも社会目線、世界目線?からの俯瞰する目が自分の中にあった。

 

意図して引きこもって完全に内面生活に沈降した半年間も、自分を観察して書き記したこの変容の記録情報(さまざまな霊的経験や毎日見ていたサイババの夢含む)はいつかドキュメンタリーとして出版するような気がしていたので毎日丁寧に執拗に書き記していた。

(元旦那1がサクッと全部捨てた)

 

私は今までなんども死んでもおかしく無いような状況に陥っていたらしいんだけど、それでも死なず、主導権を手放したこともないとゲリーに言われた。

お酒を飲んでも他のものをやっても理性を失わない。主導権を手渡さない。

錯乱して喚き散らしているような時でもそれと同時に俯瞰して常にいろんな情報を吟味して計算してる自分がいる。

まあそれは事実かもなと思います。

 

これが、私の人生わりといつもむちゃくちゃなのにも関わらず、妙な安定感を感じる、大丈夫そうで安心すると言われる所以な気もする。

 

私は自分の子供たちにも原風景となる安心や豊かさを与えたいと思うのだけど、うまくいってるのかどうかはわからない。

 

でも一応そうあるように心がけてはきた。

 

私にとってもはや実家は南インドのプッタパルティなので、

息子2人はそこが原風景になっている気がする。

 

聖地といえど世の中に変化を免れるものはなく、そこもいつか消滅する時もあるかもしれない。それはわからない。

 

でも、プッタパルティのように神聖なものが全てを差し置いて最重要で大人たちの共通言語でもある幸せなその世界は、子供たちに与えられる原風景として決して悪いものではなかったと思う。

 

 

 

JUGEMテーマ:つぶやき。

昨日からインドの街のことをよく考えてたからか、プッタパルティの夢を見た。

昨日からインドの街のことをよく考えてたからか、プッタパルティの夢を見た。

 

最初はスリランカにいて、野外のイベント会場のベンチで座ってたら眠くて気を失ってた。

通常、夢で眠ると現実で起きたり、夢の中の違う次元にシフトしたりするんだけど、今朝のは本当に寝てた。夢の中で。

 

疲れてるんだと思う😂

 

夢の中で起きるともう午後3時過ぎで、2時に行かなきゃいけないところがあったので焦った。

そばにいるはずの息子2人がいなかったので探すと、息子1が足を引きずって戻ってきた。脛が折れたとかいうのでちらっと見たら折れてはいなさそう。

 

スリランカから日本に帰らなきゃいけないのにまだ飛行機のチケットも取ってない。

 

確か飛行機は5時。

今からで間に合うのか???

いや、無理でしょ。

 

調べると2日後の飛行機があった。

 

宿泊費を払ってさらに滞在するくらいなら、インドに行って、インド経由で帰るって手もあるなと思った。

 

いつのまにかもう南インドのプッタパルティの街に私はいて、どこかの部屋にいて、

 

そこに、道を尋ねてきた日本人観光客がいた。

 

そのレストランはすぐそこだから、案内しますよ、と、彼女と一緒に表に出る。

 

途中の路地でみっちゃんと仲間達が何か食べ物を作ってて、ザルの上で梅干しも広げていた。

 

「食べてって」と言われ、ひとつつまむと、その梅干しは普通の甘い果物を茹でたような味で、全く酸っぱくもしょっぱくもなかった。

 

「これ、腐らないの?」と聞くと

 

「大丈夫!」と答えるみっちゃん

 

さらに歩いてるうちに、レストランを勘違いしてて遠回りしてしまってることに気づく。

 

案内してる女性は好き放題にどこかへ行きがちで、

 

今度どこかへ行ったら、もう置いて行くとあらかじめ言っておこうかな、と、

一緒に歩いてたもう1人の女性と話す。

 

そんな夢だった。

 

元旦那2が離脱して、畑と田んぼを1人で見なきゃいけないので、あさ4:30くらいから活動するのがベストだなと思ってたら(暑いから)

朝4:30に自然に目が覚めた。

でも眠くて二度寝して今7時前。

 

日焼け止め塗って行ってきま〜す

 

 

 

JUGEMテーマ:八ヶ岳

今朝の夢

今朝の夢

ハワイのけいこさんのとこの美しい環境の中で合宿みたいなのをしてて、手のかけられた美しくて美味しいものを食べてた。

 

宿泊組と通い組がいて、わたしたちは通いだったし今泊まるお金はないけど、この環境をじっくり堪能するために3日くらい泊まりたいものだと胸を高鳴らせて話していた。

 

自転車で夜道を帰る途中、明日の朝提出の課題があるのを思い出した。ボーリングを3ゲームやって、スコアと感想を記録して提出するというもの。

 

なので広いボーリング場に行って3ゲームする。

夜中なので人も少なくて快適。

 

帰ろうとするとクラスメイトの霧島かれん?がいたので、明日までの課題があることを話すと、明日の朝7時半、登校前にするつもりというので、今やれば?今まだ開いてるし、朝は時間ないよ?と、課題提出の前日の夜である今やることを勧め、

私はもうやったけどさらなる練習のために一緒にまたやることにする。

 

私たちのその様子を、たまたま、課題を出した当の本人の60前くらいの男性が興味を持って離れたところから見ていた。

 

私はそれに気づき、課題提出者から興味を持って注視されていることが自分たちのやろうとしている行動へ意味が付加されるというか、支えに感じた。

 

ボーリング場の前の控室のようなところに入ると、その奥に温泉があり、霧島かれんは温泉に入りたくなったみたいであっという間に全裸になる。

私も入ろ!と思って私も脱いで洗い場のドアを開けると、男性が湯船の中に浸かってうとうとしていた。

 

だめだこりゃ!と思って

急いで服を着てると物音を見にきた別の男性が更衣室のドアを開ける。

 

私はほぼ着ていたけど霧島かれんはまだほぼ着ていなかった。

 

動きを止めて「えっと、すみません」と、見にきた男性に霧島かれんがいうと、

男性もちょっとびっくりして、

「ロケで来れるなんて良いですね」

と言った。

 

そういう夢。

 

ほんとなんてことない夢だな!

でも美味しくて綺麗なものと場所と綺麗な人がいて、少しのやりがいがあり、その少しのやりがいが楽しくて、見ていてくれる人もいて、自分の置かれている状況に、悪い気分ではない夢だった。

 

 

JUGEMテーマ:つぶやき。

今朝はプッタパルティにいる夢を見た。

今朝はプッタパルティにいる夢を見た。

 

そして元旦那1(19歳の息子の父親)もそこにいた。

 

彼はインドで教職に就けるよう手続きをしたといった。再婚相手と一緒に、ずっとインドに住みたいらしい。

 

有能な彼ならそういうことも容易だろうと私は思い、

「くうっ、私は1人で頑張ってきたのにな」と彼の再婚相手を羨ましく思った。

 

文句の一つも言いたい気持ちもあったけど、言ってもどうしようもないので特に何も言わなかった。

 

そんな夢だった。

 

10数年前、私が息子1とふたりで必死でインドで生きていた時、

 

彼はまとまった額のお金を手に入れた。

私はそうなることを直観的にある程度予測していていて、

日本とインドで離れて暮らして数年すると彼の金銭問題も解決し、インドに来て私たちに合流することができるようになると思うと籍を外してからも彼に伝えていたから、これでようやく家族3人でインドで幸せに暮らせると思った。

 

今もだけどインドは金利がすごく高いので、まだ貯金の利子で暮らす、ということが容易な国だ。

 

前々職が映像関係で、仕事もでき英語もできる彼ならアシュラムスタッフとしてもすぐにポジションが得られるだろうし(当時外国人はアシュラムの映像関係のスタッフに求められてつきやすいイメージがあった)

 

そうすると私と息子の大変な状況もすごく楽になるだろうと思った。後ろ盾のない英語力もない母子のみで、やはり一皮剥けばヒエルラキー社会・男性社会なインドのアシュラム界隈で暮らすのはいつも心許なさがあった。暮らしていく上での大人の男性の保護のないことによる見えない壁もあり、弱い立場でもあり、物理的にも精神的にも子供のケアが行き届かない面もあったが、

その中でベストを尽くし、いつも100%以上頑張っていて、私はいつも疲れ果てていた。

 

私は自分の男性性をヴェーダのバイブレーションで補い、ヴェーダがインドにおける私の保護者として機能していた。

 

だから、彼が父親の遺産でまとまった額を手にして(経済問題がそのうち解決して私たちに合流できるようになるだろうとは思っていたけど、このような形だとは予想していなかった)

苦しかったけどこれからはようやく楽になる、大人2人で子供を世話できる、と思ってホッとした。

 

しかし彼は悪態をついた上に音信不通になった。

月2万の仕送りも途絶えた。

 

彼はその後勤めを辞めて、FX生活に入り(前職は為替や先物のディーラー)20歳くらい年下の彼女と楽しく暮らしていた。

 

私の悪いところは、みんな私と同じ価値観で、私と同じように考えるだろうと思い込むところだ。

 

私は家族みんなでインドで霊的なことに集中して安定して暮らす生活が自分の中ではある種のゴールだったから、彼もそう考えていると思っていた。

 

それは全く根拠のないことでもなく、

毎日瞑想し、マントラを唱える暮らしをしていた菜食主義の彼とはプッタパルティで出会い、その後手紙でやり取りする中で(当時まだメールはそれほど一般的ではなかった)

人生の目的は解脱だけど自分1人ではこれ以上の変化は望めそうにないから、霊的に引き上げてくれと彼に頼まれた。

 

当時極度に霊的だった私は自分も途上なのに人を引き上げる力なんてないけど、

結婚して家族関係を作ることで、霊的な道を歩むために助け合えることがあると思った。

 

なのでそのような方向性のための得意をお互い補完できる同志にはなれると思ったので結婚した面がある。

 

霊的な人生と家庭生活のどちらも兼ね備えること、精神世界と物質世界が一体となること、それを自分だけでなく家族単位で成し遂げることがわたしにとってこの人生での意味あるチャレンジだと感じていた。

 

私は元旦那1もそれしか望まないと思い込んでいた。

 

インド占星術的にも彼はじきに土星期に入り、可能なら瞑想的な暮らしをすることが彼にとってベストなものになると私は確信していた。

自前の経済安定を得てからインドでアシュラムスタッフ(薄給)をして家族みんなで暮らすのは私がその時考えられるベストな道だった。

 

私はそのための下準備としてインドの暮らしに慣れて人脈を作ることなどを息子と2人で先にインド入りして行っている気もしていた。

 

元旦那1からの仕送りも止まったので、1〜2年して気が済んだらすぐ辞めるつもりで興味本位で始めたインド占星術の仕事をわたしは続けざるを得なくなった。

 

そうこうしてるうちに仕事はキャパを超えて忙しくなり、

 

東日本大震災が起こり、

 

ますます仕事の規模が拡大し、

 

元旦那1は震災の余波で日本で何もかもうまく行かなくなって不安に耐えられなくなって私に頼って連絡してきた。

 

仕事のキャパも超えてたところに元旦那1もインドの私たちの住むアパートに転がり込んできて、てんやわんやで訳がわからなくなっていた。

 

生活の負担を考えずに済む状況が欲しいと今思えば舐めた頼みで転がり込んできていた彼だけど、それで再び彼が霊的なことに集中する道に戻るならそれで良いと思っていた。

 

しかしインドでのんびり暮らして元気になって、言動不一致でその場を逃れるための嘘なども多く、私への扱いもひどくなり、それを改めるよう求めると嘘で固めたプロフィールで新しい彼女を作り、数ヶ月でいなくなった。(再婚した)

 

今でも父親として息子1の力になってくれたらと思うことも多いけど、そんな未練がましいのは私だけなのかもしれない。

でもこれはあったかもしれない良い可能性への執着だろうと思う。

 

実際は私はインド占星術的にも配偶者運がなく、息子1は父親運がない。

だからこれをくつがえすにはちょっと並大抵のことじゃなかったと思う。

サイババの介入もあったと思うけど、むしろサイババには別のプランがあったと私は感じていて、そっちのプランもうまく現実化できなかった。

 

もしくはそう思うのは全て幻想で、全ては完璧になるようになっているのかもしれない。

 

その後私が再婚した元旦那2とわたしとの関係性もご存知無茶苦茶だ。

 

こちらも、結婚前は霊的な道に集中して進化したいとか、人生の目的は解脱だとか悟りだとか言っていた。

 

わたしは、それが目的なら、私との結婚はカルマを根こそぎ表に出すから、そういう意味でカルマ解消の役に立つと思うと言った。

元旦那1が女性とのカルマを持っていて、彼自身のカルマと共に去ったことも伝えた。

 

だから一般的な家庭生活を送りたいなら無理だとも伝えた。

 

元旦那2はめっちゃ修行する的なことを誓ったけど、すぐに、もう解脱なんかどうでも良くなったと言った。

 

元旦那1も同じことを言っていた。

 

私との結婚生活は彼らにとって、想像以上に大変だったらしい。

 

私は根気の良さとしつこさには定評があるので、他の人がそんなに簡単に考えを変える可能性があるということにすら気づいていなかった。

 

元旦那2はまだ同居してるけど、

ようやくここ数日、ほぼ毎日寝る前にバジャンかアルティをすることができている。

 

元旦那2はバラティさん公認の呪いがかけられてる人だから、

普通にしてたら今までの人生も割とずっと悲惨で、今後もずっと大変。救いなく人生通して運があまり良くない。

なので、神様とかに頼ってそのサポートを得るしか打開策がないわけ。

それは本人も認識してる。認識してるけど、できてなかった。

自分ではできないらしい。

 

しかしその救いようのなさがある種の恩寵でもあるようで。

 

ここ数日は夜にバジャンやアルティをするときには反発せずに素直に参加してる。

 

元旦那1は色々な能力高く基本的に出来のいい人だったけど、

私がやることに反対はしなかったけど、そこまで自分がバジャンが好きとかではなかったからその点難しい時もあった。

 

元旦那2はバジャンとか好きなのでその点は楽。

 

しかし私はもっと欲張ってもいいと思う・・・

そして私自身もしっかりやることをやる必要があると思ってる。

 

 

JUGEMテーマ:つぶやき。

今朝見た夢では混乱して腹を立てていた。

今朝見た夢では混乱して腹を立てていた。

 

今朝の夢では私はお琴の演奏会に出ていた。

(現実でも昔ずっとお琴を習っていた)

 

さくら協奏曲という曲を10数人で合奏しようとしていて、私はメインの2人の奏者のうちの1人だった。

 

でも全く練習してなくて、ぶっつけでどれだけ弾けるかな、と思った。

後半は私これ弾けないかも、と周りに言った。

 

歌いながら弾く曲で、楽譜を見ると最初からもうぶっつけは難しいかなと思った。

 

セッティングに手間取り、年配のお琴の先生に軽く叱られて、私も少しキレ返した。

 

爪、お琴の爪がない!どうする!?

 

と思ったけど探したらすぐに見つかった。

 

譜面台もなかったので布を使って少し高さを出してその上に楽譜を置いた。

 

だいぶ手間取っていて聴衆を待たせ、すでに時間が経っていたので、私がお琴を置いて座るとすぐに曲が始められた。

 

私は改めて楽譜の該当箇所を開こうとしたけれど、ない。

 

渡されたバインダーの中に関係ない薄い雑誌がいくつも挟まっているけど肝心の楽譜がない。

 

すでに曲が始まっている中、せめて歌だけでも聴きながら一緒に歌おうとがんばりつつ、手は楽譜を探し続けるけど見つけられない。

 

あらかじめ練習して、気持ちよく歌って演奏したかったなと思う。

 

起きて思ったのは、これ私の仕事の状況だな、と。

 

私自信が今顧客対応を担当してるのはほんの数件で、ほかは2人のスタッフの人たちがやってくれてるけど、

 

私自信が本来やる必要のある、仕事の方向性とか新規のこととかシステム作ったり全体に関することになかなか力が割けない。

ていうか全然エネルギーが足りない。余力がない。

 

趣味のことは色々続けてるけど、これは自分のための時間を確保して自分を見失わないために最低限必要なこと。

 

優先順位としてまずは家庭内の安定を図ってケアするということをやってるので、仕事がひとまず順位を下げてるのはしょうがない。

 

とはいえ私が仕事をすることはとても必要なので、まあ普通に板挟みになってる。

 

 

JUGEMテーマ:つぶやき。

 

 

今朝の夢はゆずの、身曽岐神社が実家の方の人と、断捨離のやましたひでことでバスに乗り合わせて弓道の話をしていた。

今朝の夢はゆずの、身曽岐神社が実家の方の人と、断捨離のやましたひでことでバスに乗り合わせて弓道の話をしていた。

 

最初にゆずの人が私に気づいて話しかけてきて、私も「あ、こんにちは。調子はどうですか?」みたいに話してたらその内容に、近くにいたやましたひでこも興味を持って加わってきた。

 

ゆずの人は、弓道はすごくよく分かって上手くできるようになったから、もう会得したから自分はもうやめるみたいなことを言ってて、やましたひでこはそれは始めたばかりだからそうなってることもある、みたいなことを言ってて、わたしは、ああそうかもとかちょっと思ってた。

 

その後やましたひでこが指輪の宝石を外して洗浄しましょう、みたいなことをしてて、私は「え、そんなの外せない」と思ってると「ちょっと貸して」と言われて二つの指輪の石をやましたひでこがあっという間に外して料理と一緒に煮込んだ。

 

指輪の2つの石のうちの一つはムーンストーンで、煮えたぎる料理の中に見えなくなってしまった。

 

やましたひでこも焦ってた。

 

その頃私は人から犬を預かっていた。柔らかい栗色の毛のゴールデンレトリバーで、逃げようと試みてて、力が強いのでわたしは杭にヒモの持ち手を引っ掛けて、抗う力に負けないようにした。

 

だからゴールデンレトリバーは紐を引っ張って逃げることはできなかったんだけど、紐の先でいつの間にか段ボール箱に入っていて、その段ボール箱の持ち主が箱を開けて中身をぶちまけると釘などの金属の屑のゴミに入れ替わっていた。

 

その箱の持ち主に盗まれてしまったらしい。

 

わたしは、自分がゆずの人ややましたひでこなど、自分にとって嬉しい有名人と喋って気を取られてたからかなとか思った。

 

起きてから思ったのは、

一般的に、有名人に話しかけられたりという夢は夢として良さそうだけど、犬を盗まれるのはよくない夢ですね。

 

あと、煮込まれて、それによって多分傷んでそうな、わたしの石はムーンストーンだったけど、

 

それはインド占星術では月を意味するもので、心を意味する。

 

私の心がぐつぐつ煮込まれて行方不明😂

インド占星術的にはもとからボロボロのほとんどご臨終の私の月なのだけど。

 

私の月、カムバック😂

 

 

 

 

JUGEMテーマ:つぶやき。

他人の夢の話ほどつまらないものはないけれど

【他人の夢の話ほどつまらないものはないけれど】

 

夢で、どこかのアラブの国のそびえ立つ乾いた巨大な岸壁の壁面に組み込まれるように存在する集合住宅を見て、その非現実的な光景に魅了されて写真を撮ろうとカメラを向けて見上げるも、

眩暈がして思わず座り込む。

 

足元は幅70cmほどの土の畔のようなところで両側は切れていて私は高いところにいる。

 

高所の恐怖に足がすくむ。

 

写真を撮るのは諦めた。

 

たくさんの人の流れに流されて私も移動するけど高さが怖くて、人の流れを滞留させて這って移動する。

 

流れのままに建物に流れ込むとそこはカトリックの教会だった。

 

日本からの団体もいくつも来ていて、

団体ごとのプラカードが掲げてあって、該当する列に並ぶようになっていた。

 

山梨の酪農業の団体の配布物もあった。

 

私はここにいていいのか確認するために係の人に聞いた。

 

私は1人なんですけど、参加してもいいですか、と。

 

係のひとは戸惑っていたがもちろんそれはいい、といったような雰囲気の返答だった。

 

今からみんなで讃美歌を歌うようだった?

 

グレゴリオ聖歌が流れてきて、そのメロディを聴いただけでもう私は感極まり胸がいっぱいになっていた。

 

そんな夢だった。

 

目が覚めて思ったことは、

 

私はよくあのような精神の危機をひとりで無事に通り過ぎてきたな、ということだった。(20代の話)

 

サイババやアンマ、その他の聖者の助けがあったのかもしれないけど

 

ひたすら闇夜を潜り抜けて通り抜けてきた。

 

この世界で人が1人バランスをとって生きるということはそれほど簡単なことではない。

 

足のすぐそばにはいつも底の見えない深い切れ目があって、ただ踏み外してないだけ。

 

 

JUGEMテーマ:つぶやき。