ヴェーダ練習中の覚書20170909

ヴェーダ練習中の覚書20170909

 

今日もヴェーダチャンティングの練習に行きました。

 

11月20・21日にプッタパルティでヴェーダのプログラムがあって、日本からは誰も参加しないのかなーとか思ってて、

インドのサイトには事前登録が必要とあったので、どうしよっかなーと思ってました。

 

今教えてくれてる某パンディットが、再三、参加するのかと聞いてきて、グループを組織して参加するようにとまで勧めてくるので、とりあえず申し込みしとこうと思ったら、インドのサイトではインド人しか申し込めないみたいだったから日本のサイトを見たらそっちでも申し込みできるようになってました。

なので申し込んでおきました。

申し込みフォームができてるくらいだから、日本からも人が来るんでしょうね?

 

で、練習でそういうことを話したりとかしてて、

ムッダナハリの話も出ました。

 

サイババが亡くなってから団体がもともとの組織と、ムッダナハリグループとに分裂した状態にあるんですが、

 

まあ、今回のその大会はもともとの組織主催のもので、ムッダナハリグループはそっちはそっちで何か色々してるみたいです。

 

神は無目的に全方向に拡大していくものだから、分裂したりするのもそういうものだみたいな見解で。

10年後とかにはムッダハリグループも3つくらいに分かれて、もともとの組織もさらに10つくらいに分かれてるかもしれないし、と、冗談交じりに言ってました。

 

まあ、そんなかんじですよね。

 

1歳7ヶ月の息子も連れて行ってるんですが、もちろん好き放題してて、

「神が最初に人間を作った時はきっと彼のようだっただろう」

とか言われてました。笑

落ち着きなくわけのわからん言語を叫びながら動き回って好き放題するという意味で。

 

部屋から飛び出していったかと思ったら猿のうんこを踏んで帰ってきたり。

 

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ヴェーダ練習の覚書

最近またヴェーダチャンティングを習う機会が得られたので、毎日1〜2時間集中しています。

 

アートマスークタムはほぼできたので、次はパワマナスークタム。

 

練習の中での話を覚書としてメモっておきます。

 

スークタム→Thought, ideaの意味

       アートマスークタム→アートマについての最上のアイデア

 

ヴェーダはアートマや各神々など、一つのアイデアにフォーカスしてそれぞれ表現されている

 

アートマスークタム→愛とともに呼びかけるとアートマンが反応

          

ババが話した例→ある夫婦が喧嘩して、夫は家を出て、妻は家に鍵をかけた。

        数日後、夫が帰ってきて扉を開けて家に入れろと言うが、妻は無視。

次に、「わたしはあなたの愛しい夫だ。鍵を外して扉を開けて」というが妻は無視。

次に「あなたはわたしの愛しい妻だ。扉を開けて」というと妻は夫を家の中に入れた。

 

この話の要点→「わたしはあなたの愛しい夫だ」という時、夫はまだ自分を立てているが、「あなたはわたしの愛しい妻だ」という時にはへりくだっていて自分がなくなっている。

神に対して求められる態度もこれと同じで、神に対して自分が喜んでいるだけでなく、神にとっての喜びを考える必要がある。

 

ヴェーダを唱えている時はわたしはインド人ではなく、あなたは日本人ではない。

神はジャッジがない。

 

数千年前にサンスクリット語ができる前はヴェーダはサンスクリット語に依らずにあった。

(ヴェーダにとってはサンスクリット語はむしろ新しいスタイル)

本来のヴェーダは文字を介さない。

そのことを頭に入れておいた方がいい。

 

ヤグニャとは何か。

火に供物を捧げる。

50パーセント捧げるとかはできない。

考えやジャッジメントを含め、存在すべてを捧げる。

日常で行う時は便利に簡略化。(樟脳を燃やす。意識やマインドなどを捧げるのはココナツで代用)

さらに呼吸はヤグニャ。

ただ単に呼吸しているだけではつながりが弱いのでソーハムと唱えながら呼吸することで呼吸はヤグニャとなる。

 

などなど。

聞いたことをほとんど忘れてしまってて残念な限りなのですが、印象に残ったことだけでも書いてみました。

 

すべてに愛を込めて満たされた愛を通して働きかけることの重要性を忘れてるなあと改めて反省。

不足感や欠乏感や焦りなどによって形だけになってることが多いです。

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サイババが語る、この時代におけるルッドラムチャンティングの重要性。



たぶんこの頃の話はその場で聞いていた可能性が高いです。




このサイト、けっこう興味深い記事が多いかんじ。

http://www.sanskritimagazine.com/culture/the-two-sanskriti-speaking-vedic-villages-in-modern-india/

高速吟唱ヴェーダ。やっぱりヴェーダは美しい。

今、小声でたくさんヴェーダを唱えてみた。高速で。

やっぱりヴェーダは美しい。


ナヴァグラハスークタムもしばらく唱えてなかったからどうかなと思ったけど、
前よりちゃんと唱えられるようになってたかも。

タイミングよかったら、練習しなくても休んでる間に熟成してるんですよね。

でもこれ以上となえてなかったらホントに忘れちゃってるとこだったからギリギリだった。よかった。


こういう仕事内容だし、ナヴァグラハスークタムは唱えられるようになろうと思ってたんだけど、

やっぱ唱えてたら自然に浄化作用か何かでこみ上げてくるものがありますよね。

たぶんわたし星のことよく知ってるんだろうと思います。
顕在意識では知らないけど。


何度も占星術師だったり、占星術の家に生まれてたんだと思う。


某インド占星術の人が(はずかしいからブログとかに載せないでといわれたから某)

わたしのチャートが、占星術で有名になりそうでならない感じのチャートで、

だから、自分が直接鑑定するんじゃなくて今みたいな形になってるのかもみたいな事を言ってて、

自分で、今生は占星術師にはならないと決めて生まれてきてるのかもといってたけど、

確かにそうだなあと思います。



占星術はとっても役に立つけど、いつでも超えられるから。


いつも超えているから誰もが。


だから片足占星術に突っ込みながらもそこから外にいつも向いてるのかもしれないなあわたしはと思います。


でもナヴァグラハスークタムを唱えているときも思ったけど、
やっぱりプージャとか必要としてる人もすごく多くて、それが役に立つ状況の人もすごく多いみたいで。

なかなかつらい感じで生きてる人も多くて。


だからこういう、わたしは間に入って手数料とってるだけですけど、

こういう仕事は向いてるのかもしれないなあと思いました。


ここ数日もプージャのお申し込みがかなり多くて、
まあ個々人の状況はわかりませんけど、

メールをあっちに出したりこっちに出したりしてるだけで役に立つなんて考えてみれば楽な仕事ですけど、

こういう半分片足突っ込んで、半分そこから出てるようなわたしのあり方が何かの役に立っているのかもしれないなとは思いますけど、

占星術を超えるとこの視点に裏づけられてこういう仕事をするというのは実はとってもいいことかもしれないなと思います。


ヴェーダの美しさがすべてを忘れさせてすべてを超えたところにいざなってくれて、すべてをつないでくれるんだけど、

これがどうやったら世界に定着できるんだろうと思いますけど。


そのバイブレーションがいやな人もいるし。

たぶん飲み込まれて個性が失われる感じがいやなんだろうなと思います

うちの母を見てると。
(ヴェーダのバイブレーションを打ち破るようにがんばっていろいろ切り替えようとするいつも)


でもすごい気持ちいいんだけど。

個人性には力は集まってこないけど、自分自身がすごく透明になってまっすぐ立ってるような気持ちになります。


この脳波で世界の平安は成るんじゃないのか?やっぱり。



自分が自分であれば何も問題ではないというのがよくわかる。

そろそろシルディ村に行く用意をしないとですね。といいつつナヴァグラハスークタムを聞いたり。

さすがにちょっと用意はじめたほうがいいですねえ。出発の。

といいつつ動画アップ。



ひとりでナヴァグラハスークタムの練習中。

子供がインドに来る前に練習してたときのですけど。



ところどころ止まったりりつっかえたりしてます。



ミーナクシ像がすぐに売れてよかった。

すぐに利益の半分は公共の場所の神様像とかの数か月分のデコレーションの花代として寄付しました。

いろんな人がそれに関わって、喜んで、楽しんでくれてるみたいなので嬉しいです。


そういうのでもしないと働く気が起きないからありがたい。

あんまり子供の養育費とかのためにがんばって働こうという気が起きない。


後の半分はいない間の部屋をキープする家賃として払っていこう。



て、まだ振り込みもいただいてないんですけど、

あまりのお金の循環のよさに自分でも笑ってしまう。


ナヴァグラハスークタム練習・完全版

2013年8月 知人夫婦とのナヴァグラハスークタム練習風景。
(※プッタパルティのアパートの部屋で録音)

とうとう、一応全部通して唱えられるようになりました。うれしい!

あとは数をこなして慣れるだけ。
(そのまえに忘れてしまわないように、毎日1回は唱えよう。と、自分に言い聞かせる)



(録音1回目)



(録音2回目)


ヴェーダ練習はこんな風に始めています。

これも知人夫婦とのヴェーダ練習の録音。



練習の時間はだいたいこんな風にスタートさせています。

○サーイーシュワラーヤ〜のマントラ3回

○サーイラーマーヤ〜のマントラ3回

○ガヤトリーマントラ3回(伝統的なヴェーダチャンティングバージョン)

○サハナーヴァヴァトゥ(教える人と習う人が仲たがいしませんようにみたいな意味もある。笑)

○ガナパティプラールタナ ガネーシャのヴェーダ

○二グルシュワイラ〜 ムルガンのヴェーダ

○オームタッブラムマー のヴェーダ

○イーシャナ サルヴァ〜 のマントラ

○ナカルマナ たぶんサラスワティのヴェーダ (※知人夫婦の奥さんはヴィグニャーナ を、北インドで習ったという ヴィジュニャーナ と、唱えてます)

○ドゥルガースークタム ドゥルガーのヴェーダ



知人夫婦のだんなさんの方がずっと低い声で唱えてるのがちょっと面白い。笑

高さについて来れなくて最初からあきらめてる感じ。

(やろうと思ったらできるはずなんですが)

ナラヤナスークタム、メーダスークタム、ニーラスークタム他

先日知人夫婦とヴェーダ練習してたときのもの。



ナラヤナスークタム(ヴィシュヌのヴェーダ)とメーダスークタム(サラスワティのヴェーダ)です。

ナヴァグラハスークタムで3人とも疲れ果てて、
そのあとに、ささっと気持ちよく唱えられる、みんな慣れてるやつをということでぶっつけで録音したこの2つ。

でも、しばらく唱えてなかったからけっこうつっかえたりしてるけど。




これは、ニーラスークタム(ラクシュミーのヴェーダ)と、クシャマプラールタナ(練習で発音とかミスったかもしれないけど、許してください、といってるヴェーダ)と、アシュラムでいっつもヴェーダの最後に唱えられてるやつ(Svasti vacaka sloka)意味はよく知らない。

これで、今年の知人夫婦とのヴェーダ練習は終了しました。

ナヴァグラハスークタム(金星=シュックラのパート)

これは昨日のヴェーダ練習の様子。

ナヴァグラハスークタムの金星のパートを練習したんですが、これが難しくて全員頭がくらくら。息も絶え絶え。










練習の最後にはいつもこのクシャマプラールタナを唱えます。

なんか、「発音とか色々間違えたかもしれないけど許してくださいねっ神様。」ということを言っている。

で、最後はすべての世界のすべての存在が平安でありますようにとの祈りのマントラで終わり。



今日はケートゥーのパートをやって、ナバグラハスークタム、一応全部終わりました!

あしたは大復習大会。

なんか、満願ってかんじ。


で、ちょっと前に仕立てるのを頼んでたババのローブもできてきたし、

ローブの出来はいまいち気に入らなかったんだけど、大事なとこはそこじゃないか、と思って、

夕方のサマディー参りの時間の最後のほうにそのローブ(7枚仕立てた)を持っていって、サマディーの上において聖化してきた。


今日は木曜じゃないけど、火曜はガネーシャだし、サイガネーシャということだろうと思って。

今日は何かいろいろなことがいっぱい起こった日でもあったし。


なおみさんちにいってなおみさんともヴェーダ練習少ししたし。
(自分でそういう風に唱えたのは初めてだったらしい)


で、部屋に戻って一応ババ用の椅子にしてある椅子の上にとりあえずそのローブをおいてお祈りしてみたら臨在感が半端じゃなくて非常にやばかった。


なんか次元が変わったな、って。


こんなに強烈にいる感じになるとはやばいですよね。

働きかけられ方とか。めっさ触ってきてる!とか。おる!みたいな。


嗚咽きたもん。


まいったなってかんじ。





ローブの上のバラの花びらは、サマディーにお参りしたあとにもらうやつ。









今日のヴェーダ練習の一部。(スーリョウパニシャット・ナヴァグラハスークタム<ラーフ>)

今日のヴェーダ練習の一部。



今日は日曜だし、太陽のヴェーダであるスーリャウパニシャットを唱えました。
これはぶっつけ1回目で録音。

細かいとこはミスってるとこいっぱいありますが、気持ちよく唱えられました。





これは毎日こつこつ練習してるナヴァグラハスークタム(9つの惑星のヴェーダ)の、今日はラーフの部分を練習しました。

ラーフのとこだけ3回繰り返して練習してます。

今日のとこは結構むずかしかった!


2分20秒あたりでババが動き出します。笑