一個前の記事で、ガンガジさん苦手。ムージさんパス。
などと失礼なこと書いたんですが。笑
そういえばこの2人は2人ともパパジの弟子?だった。
わたし、パパジはけっこう好きです。
ガンガジとパパジ。
ムージとパパジ。
この2人とパパジの何がどう違うのかわかんないけど、年代が違うのかな。笑
こういうのに年は関係ないようだけど、
その表現のされ方に好みが出てくるのかも。
動画ではパパジはいかにもおじいちゃんぽいし、そーゆーすっとぼけたしたたかさみたいなのが好きなのかも。
体感的に楽で。
ガンガジやムージはすっとぼけたかんじというより直球であそびとか距離感がない感じがするからどことなく消耗する。
私と彼らの間で出会って、どうじに「それ」にもっていくために集中してるような、なんか引っ張って極度に集中するような感じがするんだけど、
パパジの場合はパパジ自身、パパジサイドにいようが、相手サイドにいようがあんまり頓着せずにリラックスしてすっとぼけた感じで自分自身だけを感じてる感じがする。
生かす場が広いのでリラックスしてる感じ。
ボケたふりした
老人力!?笑
私、子供のころ、おばあちゃんのとこに入りびたりだったので、そーゆー、おじーちゃんやおばーちゃんのとこに遊びに行って、お茶のひとつでも出してもらうような感じが人生の根幹にあるのかも。
ちなみにおばーちゃんは同じ家だったけどおかーはんと折り合い悪くて、居住スペースはほぼ完全に分けて同じ家で別居していた。
おとーはんの父親(私からしたら父方のおじいちゃん)の後妻さんで、子供もいなかったから誰とも血縁はなかった上に、お嬢様育ちだったらしいのだけど、たぶん性格強烈だったみたいでいじわるばあさんだったみたいなのですが、
私にはおばーちゃんの部屋は面白かったです。
お茶と氷砂糖や炒った豆なんかをいつも出してもらって、
いつも絵を描くか、折り紙するか、ジクソーパズルをしていた。
弟4人いていつもてんやわんやだった母とちがっておばーちゃんはいつも暇だったから、私が遊びに行って何しても眺めてるか、一緒に折り紙するか、尋常小学校の卒業証書や昔のお金を見せてくれるか、9円で買ったという桐の小さいたんすの説明をするか、そんなかんじでした。
おじいちゃんが、最終的にはふすまとかの紙を扱う仕事もしてたらしく、
いろんな材質や色や模様の和風の紙がいっぱいあって、
おばあちゃんはそれらを切って折り紙にしてたので、
すごいバラエティ豊かなかっこいい折り紙でいつもいろんなものを折ってました。
今思えば、そっちのおばあちゃんはそういう遊びが多かった。
折り紙と、お手玉と、けん玉。
どれもかなり上手だったので、裕福な子供時代をおばあちゃんは送っていたのだろうか?
ホントのとこはどうだか知らないけど、父の世話も、おじいちゃんの世話もろくにしてなかったと母はいうのだけど、
母方のおばあちゃんは逆におじいちゃんが病気がちだったので働きづめでかなりの苦労人だったので、
そういうとこでも母は父方のおばあちゃんを受け入れがたいとこがあったのかも?
母方のおばあちゃんが戦時中に子供たちを抱えて山を越えて逃げた話とかなんか聞かされた気が。
父方の家で聞かされて印象に残ってるのは父が2階で火を出して火事になって、
家が燃えてたので近所の人たちが来て見てたら、
家の人たちがきちんと着替えて一列になって燃えてる家から出てきたので見てた人たちあきれたとかいう話。
よくありがちな話だけど、父方のおじいちゃんも母方のおじいちゃんも山とか株とかたくさん持ってた資産家だったらしいけど、騙し取られたり、法改正で失ったりして無くなったとかいう話。
もうないもののことはいくらでも好きなように言えるのが素敵ですよね。笑
まあそんなかんじで、母は6〜7人の末っ子でみんなに愛情をかけて世話されながら屈折しながらもアグレッシブに育ち、
父は逆に社会的に確立されていて不自由のない独特な人たちのちょっと変わった雰囲気の中で放置気味に、放置気味ゆえに親からの干渉も少なくひたすらマイペースに葛藤を内面にはぐくむことなく育ったのだろうか。
そんな両親の元で育った私はほぼ100パーセントの放置と100パーセントの干渉が混在する奇妙なポジションで育ったような気がします。
小学生のときに四国の山奥から芦屋に出てきてカルチャーショックを受けた母はお嬢様的なものに対してコンプレックスがあったように思うんだけど、
その裏返しでか、まあ、すべての親の自然の気持ちかもしれないけど、最初の子である娘の私を手塩にかけてお嬢様に仕立て上げようとしてたんだけど、
娘がそんな感じになっていくほど、周囲に人の対しては自慢に思っても、私に対しては内心ムカついて嫉妬するような複雑なものもあったのかも。
負けてる感や、競争心のような。でも自分がコントロールしているという思いや。
こう書くと私も複雑なエネルギーにさらされてたような気もしますが。笑
20代以降まで両親と人間的・情動的に関わった記憶があまりなくて。
具体的な手厚い世話と保護は受けていたけど、情動的にはいいのか悪いのかはわからないけど放置だったと思います。
個人として扱われた感じがないのだけど、それって自分が純粋な状態だったということかもしれないけど。
だから誰とも個人としてつながってる感じがなかったんだけど、おばあちゃんの部屋は居心地がよかった。(←あ、ここで元の文脈に戻ってきた。笑)
入り浸っていたので、よく母に上の階から大声で「SAWAKO〜、SAWAKO〜」と呼ばれていたんだけど、
そしたらおばあちゃんは決まって「SAWAKO、SAWAKOの大安売りやな」と言っていた。
母方のおじいちゃんは私に入れ込んでたらしく、はまって夢中になってたらしいんだけど、
で、いろいろ高価な7段飾りのお雛様とかそういうものを買い与えて、他の孫たちを差し置いて愛情も注ぎまくってたらしく、
だから母はわたしは母方のおじいちゃんに一番世話になった自覚をわたしに持って欲しかったみたいなんだけど、
う〜ん、一番世話になったのは(父方の)おばーちゃんかなー。と言ったらおじいちゃんの愛情があんまり報われてなかったのを知ったからか、ものすごくショックを受けてました。
おじいちゃんはおばあちゃんにボロかすにいわれたりしていい人だったみたいなんだけど、人としての印象薄くて。
最後ガンで入院してたときにパンをちぎって口に入れて食べさせたりしたんだけど、喜んでたみたいなんだけど、
私はそのとき小学4年生だったと思うんですけど、
そういう風に人に親切にするのがなんか恥ずかしくて、食べきらないうちに次々パンをおじいちゃんの口の中に入れて
おじいちゃんは食べるのが追いついてなかったような。
おじいちゃんが死んだときもそうなんだ?と思ったけど、何の情動もわかなくて、
猫が車に惹かれて死んだときのほうがよっぽどショックだったんだけど、
おじいちゃんはそんなかんじ。
でも高校になって、おじいちゃんに生き写しみたいな数学の先生がいて、その先生もおじいちゃんで老人力全開ですっとぼけてておもしろかったので、
なんかそのときにはじめて母方のおじいちゃんと接してるような気持ちになって、大事にされてたような気がしてしみじみしました。
その後、母のお姉ちゃんの孫としておじいちゃんが生まれたという、親戚のもっぱらのうわさ。笑
父方のおばあちゃんが亡くなったときも特に思わなかったんだけど、
このおばあちゃんはその後何度も夢に出てきました。
夢で死んでて、見てたらガバッ!と生き返って、
「SAWAKOちゃんに会いに来た〜」とか言ったり。
その夢をおかーはんに言ったらおびえていたけど。笑
一人暮らし同然に暮らして、太鼓たたきながら大声で念仏唱えてたおばあちゃんだったけど、
死んだ後、いいとこに行ったらしいです。
母方のおばあちゃんが亡くなるときはおじちゃんやおばちゃんたちがみんな思い思いに好きなことしてて、
好きなことって、母はビブーティー塗ったり、カソリックのシスターのおばたちはルルドの水飲ませたりとかそういうこと。
なんかみててもややこしい感じだったんだけど、おばあちゃんも困惑してるように見えて、
ほとんど動きがなかったんだけど、聴覚は残ると聞いてたので、
97歳くらい?のおばあちゃんだったんだけど死後の世界を信じてなかったのかな?死ぬの嫌がってたので、
誰か何か死んだ後のこと教えてあげたほうがよさそうな気がしたので、
私は「とにかく最初の一番明るい光のほうに行ったらいいらしいよ」とおばあちゃんに言って、(真偽のほどはわからないけど。笑)聞こえたみたいだったので、
2階に上がって、寝ながらも少し意識で探りながら寝たのかな?
そしたら朝起きて階下に行ったらなくなっていた。
母は四国八十八箇所で集めた朱印でつくった白装束?をおばあちゃんに着せてたか棺おけに入れていたか。
ああゆうのって、光に融合したなら意味ないけど、中途半端なとこにいったんだったら自慢できるのかな?笑
その日だったかに私の妊娠がわかって、
死んだおばあちゃんがさっそく大喜びで来ようとしてるような感じがしたので、
このおばあちゃんもけっこう性格強烈だったので、
ちょっと。。。と思って断ったんだけど、そしたら今の子が生まれたんだけど、あれは断らないほうがよかったのかな?
生まれてたら母と相性よかっただろうし。
もし生まれてたらバイタリティある強烈な女の子だったかもしれないけど。
ちなみにこのおばあちゃんは某細木数子の例の占いでは数奇な運命の霊合性人?だった。
パパジからなぜか老人力に話がずれたけど、
リンクしてる
サイパラシャクティ(あさってくらいまでセールしてるらしい)のなおみさんもちょーおばあちゃん子だったらしいんだけど、
たしかになんか若いのにやたらすっとぼけてるところと、やたらばばむさいとこがあるかも。笑。ごめん。
私も、小学生のころ、老人とならちゃんと尊重してくれるから話が可能だけど、若い人とは疲れるし話ができないなと思っていた。
ちなみになおみさんは老人が好きすぎて、日本では介護の仕事をしていた。
親戚の老人の世話とかも好きで?してたらしいです。
わたしとはまた別のタイプのおばあちゃんとの関係性だなと思います。
老人力の記事でした。あれ?笑
後数時間したら、かなり老人力あげてきてるじじ〜な父がプッタパルティに到着する予定です。
パパジ、ムージ、ガンガジ、の「ジ」って、敬称ですよね?
なのでわたしの父もW敬称でジジー。爆