保江邦夫さんの本

先日、保江邦夫さんの本を読んで、すっごい面白かったので2冊目を読んでいます。
前のは、愛の宇宙方程式、だったかな。

マニアのツボを押さえまくりのめちゃめちゃ面白い本でした。

今まで、よく、日本人や天皇家はユダヤ人由来だとかいう話はよく聞いてましたがいまいちぴんときてなかったのですが、この本の記述を読んで腑に落ちました。

今読んでる「伯家神道の祝之神事を授かった僕がなぜ」という本もUFO話満載でした。

ロシアの研究所ですでにUFOがつくられてて、アナスタシアの村の人たちが組み立てたとか。

アナスタシアが出てきた!と、すくなからず驚きました。

アナスタシアの本も何年か前に読んだけど面白かったです。
シベリア奥地に住む実在の人らしいです。


前の本にも今の本にも、丹波の千が峰という山の近くの白龍神社がでてきて、
白龍神社はいったことないけど、千が峰は一度登ったことがあります。
なんか、玉置山と千が峰と剣山を結ぶ正三角形がなんちゃらかんちゃら、ということで、
おかーはんとその3箇所を回ったのでした。
(剣山はその時一緒に行ってたキリストっぽい風貌の霊能グルが、鉾神社のあるところが真の剣山だというので、そっちに行きました。そしたらなんか神様かなんかが入ってきて結果的に神様の運び屋をしてしまった)

この本の作者は本の中で、白龍神社のおつげみたいなのをする、年季の入った巫女さんにアンドロメダが由来でシリウス経由だと告げられてました。

ちなみに私もそうらしい。

でもそういう宇宙由来の魂って、わたしは地球上の人間のほとんど全員がそうなんだと思ってたんですけど、この本の中では少数派みたいに扱われてたんですけどどうなんだろう?

巫女さんがそういうこと言うのも面白いですけど、
私が以前、バンガロールで自分のシュカの葉を見たときにも、アトランティスでの過去生を言われたりしてて、
え〜、こんなとこでそんなのいうんだ?と、結構驚きました。(ちなみにヒーラーみたいなのんだったみたい)

結構言うんですね!?





1000メートルの高度のせいか?

長野に移動してきて、標高約1000メートルのとこにいるせいか、だんだん余分な雑念が消えてきてるような気もします。

今までの波から離れて脳が休憩出来てる感じ。


それを思うと、プッタパルティは標高こそそれほどでもないけど波の感じからいうと3000メートル級だったのかも?



カフェに滝沢泰平さんの「レインボーチルドレン」とかいう本がおいてあったので適当に読んでみてますが、インディゴチルドレン、クリスタルチルドレン、ときて、その後に来てる子供たちのことらしいです。

基本的によその星から来て、地球での転生は1回目の魂のことらしいです。

てことは、木村さんの紹介で先日会った山本千春さんはそのたぐい?

直接お会いした感じでは見事にぶれがないのがめずらしい感じでした。



ゲリーの説では、地球への転生1回目と、平均350回の転生を経て(その回数や主なイベントなどはは最初に設定しておくそうです)地球最後の転生に至るわけですが、

その1回目と最終回というのは同じものと考えられるみたいです。

ゲリー論は認識方法がすごく立体的なので文章では伝わりにくいかと思いますが、
簡単にいうと、自転車の車輪みたいに、中心点があってそこから平均約350回の全ての人生のタイムラインが展開していて、魂は中心点にいて全ての転生を同時に体験して俯瞰してる存在で、

車輪のような構造をしてる場合、スポークと言うんですか?
それはぐるっと回ってまたもとの1本に戻ってきますから、
地球のタイムラインに入ってきた時の最初の1本と出て行く時の最後の1本は同じもので、
その転生、つまり最初と最後ではどうころんでも覚醒が約束されてると言うか、確実に起こることになってるそうです。


それ以外の転生で覚醒することももちろん可能なんですが、最初と最後であるそのラインでは確実らしい。
まあ、考えてみたら当たり前ですが。

入ってきたときにはまだ眠ってない状態だし、出てくときには目覚めて出て行くわけだし。


で、滝沢さんの本によると、
レインボーチルドレンがはじめての任務で失敗すると、地球での経験が出てくるため、他惑星に戻ってからまた地球に戻ってきたとしてもその時はクリスタルチルドレンの役割を持った魂になるらしいです。

クリスタルチルドレンは社会を統括するような役割に請われてつくような人が多く、レインボーはそれを陰でサポートする役目らしいです。


で、私は何かなと思ったときに、もともとは極端に透明度が高かったので、クリスタル的だったように思います。

いわゆるインディゴのような既存のシステムを壊すような苦労はしたことなかったし、
姉弟の中でも上に据えられてて、その他の状況でも、ぽん、と、上のポジションに乗ってることが多かった。

でも途中から明らかにインディゴ的な役柄を担わされるようになりまして。


たぶん、より多くの地球の要素を取り込むにつれてそういうことが起こってくるんだろうなと思います。



知人で、やっぱり自分とちょっとにたようなタイプの人がいまして、

その人も中心においては完全に透明感があったんですが、

たとえば他の人たちと一緒にいて、浄化の儀式なんかに参加したりすると、
他の人から浄化されたものをその人が掃除機みたいに全部吸い込んでしまって死にそうになるとかそういうことがよくあったらしく、

それってその浄化の儀式に何か不備があったんじゃあ?とも思うんですが、

でも、分かる気がしました。


私自身、他の人と一緒に瞑想なんかに参加すると、
逆にこの世界的な全体になっちゃって、他の人の意識の状態とかそういうのを自分のうちに認識するようになってしまって、自分が全然広がれない感じになって、

なんか私の瞑想って普通と逆っぽい。

とか思ったことがあったので。


今はまた、その人の状況や私の状態も違うと思いますけど、
14〜5数年前は私もその人もそんな感じでした。


私は地球のいろんなものをすみずみまで知りたい気持ちがある(あった?)ことは確かで、
とくにネガティブなことにはきっとすごく興味があったと思うんですよね。

あまりよく知らないので。

で、けっこう積極的にそういうのを知ろうとした側面があるかなと思うんですが、

おもしろいことに、それ以上深く入っていこうと思っても目に見えないラインがあるらしく、
それ以上は踏み込めない感じの、そう、目に見えないラインがあることも人生を通して感じました。

たぶんそれは一応今回で完了させるために、今回で完了出来ないほどのネガティブを取り込むことには自動的にストップがかかってたんじゃないかなと思います。


で、ある点からはネガティブサイドから脱して、そこで得たものをふまえつつ世界とからめながらの再統合をすすめていってたわけなんですけど、(自分の中にネガティブを持つ、イコール世界のネガティブと関われるということなので同時に自分と世界のそれを手放していくことも出来る感じだったんだと思います)

それがある意味失敗に終わり、というか、詰めが甘くて完了出来ず、

また作戦変更、というかんじで、

サイババも夢に出てきて、彼からもいわれたんですけど、

いったん私からすべてを取って素に戻すみたいなことを。
もう役に立たなくなった計画の残骸を掃除する感じでしょうか。



で、また別方向からの何らかの働きかけが起こるのか起こらないのかは知りませんけど。

なんか私も疲れたなあ、ってかんじで、

まあ、しょうがないか、ってかんじでもあって。


私には選択肢があるようでまったくないので。

ただ、周りの人たちのレスポンスが全体に開かれた完全なものであれば私も完全に世界の中でも守られるんだけど、

本質的には守られてるけど、具体的には今現在はあまり守られてないかな。笑

サイババさん、たのむで。


それって私の傲慢でしょうか?

自らインディゴ的なものに自らを堕とした(?)わたしのむくいでしょうか?



ただ、日本でアティルッドラマハヤグニャを私がするだろうというのをゲリーも千春さんも言っているので、

私にはすでにその情熱も気力もないのだけど、
アイデアだけは殺さずに保持していたら、

透明な何かが集まってきて、そこにそのようなものが形作られていくのかもしれないなとは思います。

その様子というのは何となくビジュアルで見ることが出来る。


誰にとっても無理のない感じで。

ごく自然に。



ナヴァラトリスタートの昨日から一応9〜10日間のソフト断食はじめてみました。

子供のご飯作る必要がなくなったので、今なら出来るかなと思って。

食費もかからないし。笑

あ、でも、酵素をのみながらやろうと思うのでそれは安くはないか。


自分の中の澱のようなものを全て排出して、また透明感で世界とかかわれたらと思います。


3日くらいかけて減らしていって、中3日は本番で、後の3日はまたリカバリー期間にしようかなと。




あ、しまった。この記事で書こうと思ってた肝心なことを書くの忘れてた。

その、レインボーチルドレンの本で、

滝沢さんは神道系の情報が入ってるらしく、

人間とは「一霊四魂(いちれいしこん)」という非物質的な存在が肉体に宿ってる、みたいなことが書いてありました。

この「一霊」が神の分霊(わけみたま)で「内在神」で、「私」という人格の顕在意識から潜在意識のある程度の部分までをつかさどり、これが「四魂」と呼ばれる魂の部分を操る司令塔のような役割を担ってるらしいです。

内在神が分霊となって、四魂と一緒に肉体を借りてこの世にやってくる目的は、人という存在がどういうものなのかを知る情報収集のためだそうです。

母体には、各人生を歩んでいる分霊から、よいことも悪いことも含めて、色々な人の人生の報告が集まってきます。それが一カ所に集まるので、そこは「混沌の世界」になります。

とのことでした。

分霊は死後などに母体に吸収され、記憶(情報)を渡して、クリーニングされて、まっさらになってまた分霊として世界に戻るそうです。

これは、ゲリー説でいうとこの、

分霊=肉体(ダイアード)のスピリット→進化する存在で、浄化などの変化を必要とする

四魂=魂(トライアード)→完成されていて進化や浄化の必要なし。

混沌の世界→アカシックレコードのマトリックス

だな、と思いました。


アカシックはその情報量が膨大なので圧倒されるそうですし。

私はこの通常の意識状態のときに、部分的にそういうのにつながってバッと情報が瞬時にダウンロードされる時もないこともないんですが、そんな圧倒されるほどでもない。

というか、受け取りきれない部分は勝手にヒューズが飛んでるのかもしれないですけど。


ゲリー説で、人間の成り立ちとして、肉体の霊(スピリット)と、魂とのコラボが物質的な肉体に宿って人間として成り立ってるという説は非常に腑に落ちたのですが、

神道でもそういうのを違う言葉で説明してるんだなというのはちょっと発見でした。


「ゼロ・グラビティ」 と ホリエモンの「ゼロ」

今日、12月13日からこの映画が始まったらしいです。



「ゼロ・グラビティ」


何でも、90分間ずっと緊迫感とハイテンションらしく、疲れそうだけど3Dの宇宙空間、ちょっと見てみたいかな。



この数日で2冊の本を読みました。

1冊はよしもとばななの「花のベッドでひるねして」





アマゾンの内容紹介より。


主人公の幹は赤ん坊の頃、浜辺でわかめにくるまっているところを拾われた。
大平家の家族になった幹は、亡き祖父が始めた実家のB&Bを手伝いながら暮らしている。
美しい自然にかこまれた小さな村で、少し不思議なところもあるが大好きな家族と、平凡ながら満ち足りた暮らしをしていた幹だったが、ある日、両親が交通事故に遭ってしまう。
大事にはいたらなかったが、それから家族が不気味なうさぎの夢をみたり、玄関前に小石がおかれたりと奇妙なことが続くようになる……。

神聖な丘に守られた小さな村。みなしごの主人公が手にした“幸せの魔法"とは?
この美しい世界に生きる希望を描ききった著者の最高傑作!
待望の最新小説。

「一生忘れられない、小さいけれど大きい作品になった。
この小説こそが永く暗い闇を照らす光であってほしい」――よしもとばなな



なんか、適当に買って適当に読んだけど、思いのほか面白かったです。
少しオカルトチック。

ほんのついこないだ発売されたやつみたいです。

で、表紙の絵、なんか見たことあるな?と思ったら、
ゲリーボーネルの通訳をよくしてる大野百合子さんの娘さんの大野舞さんの絵だった。

日本の神様カードだったっけ、あれの絵の描き手でもある。


なんか世界が・・・狭いというか、凝縮してるなーと思った。



そして先ほど読み終わったのはホリエモンこと堀江貴文の「ゼロ」



これって今売れてるんですか?

これは、いろんなサポートチームの手が入っているのかもしれないけど実は何回か涙した。

ホリエモンの自叙伝的な本で、
幼少のころのエピソードとかいろいろにんげんぽいこと書いてます。


本の中で、

「後に横領が発覚した役員や、そのほかの社員たちのことも、心から信じきっていた。
結果的には背信行為に走った役員もいたわけだが、信じたのは僕だ。
「他者を信じること」とは、「裏切られるリスク」を引き受けることでもある。
それで裏切られたからといって不平不満を述べるのは筋が違うと、僕は思っている。(P228)」


というくだりにはそうだな〜、と、考えさせられました。


私はゲリーさんの個人セッションで人を信用してない、といわれ、

「え〜?むしろ、今まで信じすぎたと思ってるんですけど」とか言ったら、

「信じすぎるのも信用してないことの裏返しだから」みたいな意味のことを言われたんですけど、

そのときはいまいち腑に落ちなくて、


でもこのホリエモンの本の文には、自分のあり方を考えさせられるものがありました。


他人を信じることというのは裏切られることのリスクを引き受けることとセットだというのは責任感を引き受けてる言葉だし、自分を信じてる言葉だなと思って。

つまり、信じるっていうのは相手に対する期待や依存からむしろ自由で、相手をはぐくむ度量を伴ってこそ本物の「信じる」ということなんだなという気がしたのでした。


それはきっと自分を尊重して、自分自身の自立と尊厳につながるものなんだなという気がしました。



「ゼロ・グラビティ」の、そしてホリエモンの「ゼロ」

何も所有することのないすべてが失われたかのような「ゼロ」は、
すべてがその中ではぐくまれる完全な円環の永遠のゼロへと直結しているのだろうなと思いました。


スクール講師の人の新刊

ゲリーのスクールの講師の人、斉藤つうりさんが最近出した本




そこそこ面白かったです。

特に前半のプチ自叙伝。


本人が撮ってる写真がカバーになっててすごいきれいと思った。



後半はノウハウ的なことやセッションの記録みたいなやつ。


ゲリーとの対談もあったけど、ゲリーも齋藤さんの最初の本を破綻させないようにか!??

すごくまじめな話しぶりに思えました。
(よしもとばななとかの対談にくらべて→そっちはどうやって今の奥さんを落としたかとかそんな話してた)







寺の人らしいです。




その人にあった言葉を(たぶんアカシック参考にして?)お経の中から選んで書いてくれた。

私に書いてくれた言葉は、

いっしんいちねん へんよほうかい だったかな?

ひとつの心とひとつの意思が宇宙全体に浸透する、みたいな意味といってました。


「いい言葉ですよ」


だって。ほかの人はどんなの書いてもらったんだろう。




ちなみにゲリーにも数ヶ月前にメッセージつきでサインしてもらいましたが、
(よしもとばなな対談本に。笑 かなり面白かった。)


それのメッセージは

I love you too!

とか書いてあった。


う〜ん、これは何かの策略だろうかとチラッとおもったわたし。

(陰謀論者病!?)



温泉に入ったみたいな読了感だった。

久しぶりにウエスタンキャンティーンで昼ごはんを食べてきました。

スパゲティーがいいなーとおもってたんだけど、ちょうちょパスタだったので、焼き飯にしました。

焼き飯と、豆腐と野菜などのスイート&サワーと、キュウリのライタ。

ライタって、細切りキュウリやねぎなどを水っぽいヨーグルトにあえたものです。サラダみたいなもん。


その後、ちょっと休憩のつもりで芝生のところに行って木陰で本を読みはじめたら、一気に読んで読破してしまった。




関空で買った、木村秋則さんの記録の「奇跡のリンゴ」

おもしろかった!





仕事放り出してずっと芝生のとこに居て、気持ちよかった〜。



まだ脳が宇宙の森羅万象を漂っている。



つくづく、仕事はほかの人に任せられるところは任せていって、

自分を自由にしたほうがいいなと思いました。


メールとかの返信も、なかなか全部に返信するのは難しい。


なので、事務的なことはほかの人に任せて、ほんとに直接かかわる必要があるのだけに集中できるようにできたらなと思います。


と、思って、こういうのも読んでみたんですが、



最初のページに
「ここで言う「自分がいなくてもうまくいく仕組み」とは、決してリーダーである自分が楽をするためのものではありません。」

と書いてあって、がっかりした。笑


でも、チャットワークとかグーグルでファイル共有してそれぞれの場所からネット上でチェックしたりできるようには、やりはじめてみました。

前もチャットワークを一瞬使ったことはあったけど、何がいいのかそのときはわざわざこれを使う意味がさっぱり分からなかった。

これって、ビジネス用のスカイプみたいなものです。



バラティさんと直接やり取りしたら疲れるので、できるだけ接触を減らすために、第一子分に支払いとかはして渡してもらってるので、

その子分ともこうゆうのを共有してもらって、お互いネット上で注文とかを確認できるようにしたいわけ。


すごい基礎的なことみたいですけど、そういう原始的な世界だからいまだに。台帳に手書きでつけてて。

第一子分はもと外交官か何かで仕事もできるし人柄もノーブルで物腰柔らか。接触しても疲れないので。

でもなぜかバラティさんのごちゃごちゃしたお店を任されてるけど。


ああゆうごちゃごちゃぶりって、他のインド人へのカモフラージュなのだろうか?

それとも実際にインド人はごちゃごちゃしたのが好きだから(大衆的な人は)本気でああゆう店をやってるのだろうか。

ああゆうごちゃごちゃものがいっぱいの店はわたしは長くは居れないので、
いつも、もっと、いいものだけ置いて空間をたくさん広々させて癒し空間にすればいいのにと思うんですが、

インド人のほとんどは余分な空間があるのを嫌がりますからね。
列を作っても前の人に引っ付いて空間を作らないし。


第一子分は、いろんな物事の処理にも長けてそうだから、
その人をわたしとしてもネット上でその人ともっと直接やりとりできるようにして、事務処理においてフル活用したいわけ。

私は私の素敵な部屋にいながら。


バラティさんと直接接触すると念波が疲れるから。


毎回脳が粘土化しそうな心地になるのでリカバリーが大変。


でもスカイプだとPCに入れておけば毎回勝手に立ち上がるけど、
チャットワークだといちいち開けないといけないからそれがめんどくさい。

でも出しとけば、メールみたいにいちいち開封しなくて済むしそれは楽。

使ってるうちに慣れるかな?

ホントに便利かどうかは分からないけど、気楽な感じに特化してるのでそういうのは取り入れたいところです。




もともとわたしは働かないのが基本ですから!

うっかり働き始めてしまってしかもそれゆえもとだんには経済的に放棄されてしまって

(私のほうが稼いでると思われて、ばかばかしくなったらしく、仕送りを止められた上に子供手当てまで使い込まれた→のちに行き詰ったときに自分の生活費節約のために頼ってこられた→今また元気になって消えた。接触拒否られ状態。自由である意味うらやまし。。。くはないかな。)

私が仕事を放棄もできなくなってしまったので、

(2年位で次の子を産むと思ってたので、その時にもとだんか、ほかの人に仕事を引き継いで育児に専念する予定で、期間限定のつもりではじめたのだけど予定が狂った。)

なるべくその状態(仕事してないけど経済が回る状態)に自分を戻せるようにいいものをどんどん取り入れて、今やってることをシステム化、効率化できるところはしていこうと思います。

もちろん、ここに関わる人もいろんな面で人生がより豊かになるような形で!


ホ・オポノポノ事務局のみなさ〜ん、クリーニングよろしくお願いしま〜す。笑

「自分を愛する力」乙武 洋匡 読み中

「自分を愛する力」乙武 洋匡 読み中です。
(あれ?荷造りは。。。)

「五体不満足」の著者ですが、その後スポーツライター、教員を経てこの3月には東京都教育委員に就任したらしい。

息子として、教師として、父親(2児の父)としての3つの視点からなる3部構成で読みやすいです。

自己肯定間がテーマなのだけど、子供が生まれてから過酷な育児を手伝えないことでそれまで培ってきた自己肯定間が揺らいで泣けたらしいです。

(そもそも自分が風呂とかトイレとか介助が必要だし)


あと、母子の絆はどんどん深まるのに入っていけなくて焦燥感があったらしい。

そういうものなのか〜。


そのうち、長男が1歳になったころから自分の父親のトイレ介助とかをはじめるようになったらしい。

スゴイネ。。。


学校の教室でも子供たちがしぜんに障害のある担任を助けるようになって、

そういう感覚が子供たち同士の間でも生まれていったそうです。


とっても読みやすい本。


もうすぐ読み終わります。。。(荷造りは。。。(^^;))



停電中です。暑い! ジュディス・カーペンター トワイライト

明日一応出発なんで、荷物作る必要あるんですけど、例によって朝食後は寝てて(今日は朝早かったので)起きたら昼だったので昼食食べに行って、

昼食後は芝生のとこで本を読み出したら2時間半ほどで読了。

なにを読んでたかというと、ジュディス・カーペンターの「トワイライト」

別にお勧めというわけでもないけど暇なら読んでも悪くないと思うけど。

ゲリーボーネルの自伝の3冊がちょっと才能ありすぎたので、その後ほかの本を読んでも薄っぺらく感じてしまうのだけど、この本もちょこちょこ面白い箇所がありました。

この著者の女性も世界的なサイキックヒーラーで、日本にもちょくちょく来てると思います。

この本は小説形式で、そういうあっちの世界やこっちの世界のことを体験できるつくりになっています。

最初ちょっと馬鹿っぽく感じたけど、読み進めていくうちにだんだん面白いかもと思えていて、読後感はわるくないです。


やっぱり有名なサイキックのウィリアム・レーネンさんが帯の推薦文を書いている。

レーネンは前も書いたけど一回だけ直接あったことがあったんだけど、別にそんなに親しみを感じるとかはなかった。
むしろちょっと違うかなーというかんじ。わたしにとっては。

全体に対して個人が先に来てる感じだけど、
私は神が先に来てる方なので。
て、あくまで勝手に感じたことだけど。

でもあれからもう10年以上がたってて、その間にいろんなことが変わっただろうから今もし会ったらまた印象が違うかもしれないとも思います。


このジュディスさんとも実はいっぺん会った事があって、
レーネンさんとは違って個人的に言葉を交わしたわけじゃなくて、
ただ単に私が一方的に目撃しただけなんだけど、

2000年くらいに 熊本のへいたて神宮の大祭とかいうのがあって、
それに行ったらいた。

赤い毛がぼわぼわしていた印象。


その大祭には水からの伝言の江本さんとか、ガラスの仮面の作者の美内すずえとか、明治天皇の孫とかいう中丸薫とか(すごいどでかい石のアクセサリーを身につけていて)

あとはまあ、そこらへんの人らがうじゃうじゃ来てました。

なんだっけ、居合い抜きする仮面ライダーの人とか、あ、そうだ、ヨマンダというヒーラーも来てて私は彼女は好きだった。

あとは日本の何万人かをヒーリングしたという何とかという人、名前忘れたけど、一時期カルキバガヴァンのとこに招待されて?いったりしてた人。中西という人だたぶん。そういう人も来てて、でっかいおなかだなーと思ってみていた。


そのときはほとんど一文無しだったから、友達に交通費借りて、別の友達と二人で行ったんですよね。

夏だったから外の適当なとこで寝たりして。

で、帰りに長崎のアンデルセンによって帰ってきた。笑


なんか、こうやって書くと濃いな。

大祭では神社のなんていうの?拝殿の中で個人のサイババのグループがバジャンを奉納したりしてたので、

あ、サイバババジャンだ。と思って参加させてもらったりしました。


なんか毎年へいたてとえっとどこだっけ、有名な、熊野のほうの神社にバジャン奉納してるとのことで、あ、天河。天河弁財天。

その後しばらくよくそのグループに遊びに行かせてもらってました。


ちょっとした思い出。

田口ランディ「パピヨン」

今朝、朝食のコーヒーが来るまでに田口ランディの「パピヨン」を読み始めました。


北インドの「レー」を舞台に始まる内容。


レーは私は一回だけ行った事があって、ものすごくよかった。

当時、4ヶ月くらいでアジア10カ国ほど旅行したのですが(日帰り含む)その中でもレーは自分にとって特別な別世界でした。


4ヶ月、きついことも多かったのだけど、レーにいた時はずっと笑っていた。


田口ランディはレーについてすぐに激しい高山病になって2日ほど苦しむのだけど、その後自然に訪れた瞑想体験の描写もよかった。


最初の10数ページでひどく感動してしまった。



レーに、日本のお坊さんが寺を建ててて、そのこととか、エリザベス・キューブラー・ロスのこととかもでてきて、このあとロスの話を中心に本の内容が展開していくのかな?


ロスの著書で有名なのは「死ぬ瞬間 死とその過程について」「人生は回る輪のように」など。


この2冊は私も以前読んだ記憶があります。


期待したものとは少し違ったような気がしたけど、

私の人生の中のある時期に数時間を彼女の著作を読むことに費やした事実があるのは確か。



ロスはマザー・テレサを生涯を通して尊敬していたそうです。


そしてこう語っていたそうです。


「自分のなかにヒトラーを認識し、マイナスの部分、やり残した仕事を認識して、

そして子供のように正直になり、自分のなかのヒトラーを追いだしてしまうことができたならば、

マザー・テレサのように成り得るのだと思う。

そう思って二十五年間やってきた」








今朝、少しだけ読んですでに胸いっぱいになった本「パピヨン」田口ランディ






レーはいつかまた必ず行こうと思ってる場所です。


あの、高くて透明な大空は、私の胸の中にもいつもある。

天を越える旅人

パソコンのACアダプターもいつ来るのか分からないし、なんと言うんでしょう、色んな形状のコンセントがつかえるタコ足みたいなのを自室からネットカフェに持ち込んで、ネットカフェ(いちおう、ビジネスセンターという名前がついている)にあるアダプター(ネットカフェのコンセントでは使えない形状。なんでそんなものしか置いてないのかがまず不思議)で自分のパソコンにつないだのですが、なぜかネットにはつなげず、つながってもむちゃくちゃ遅いのでした。

なので、自分のパソコンで作業を進めるのはあきらめて、パソコンの中のファイルをCDに焼いてもらって、それを使ってネットカフェのパソコンで作業を進めようと思ってます。

しかし、ファイルをCDに焼くことすら私はこの新しいパソコンではやり方がわからないので、ネットカフェの人にやってもらおうとしたら彼もわからないらしく、、、、、ボスが来てやるからということで、とりあえずミルクティーを持ってきてくれました(爆)

なんとなく、電気ショックを受けて、この新しいパソコンもすでに頭がおかしくなってるんじゃないかと私は疑ってるのですが、

(ネットカフェの人が言うには、私のパソコンのACアダプターが壊れたときに、やはりほかに5台のコンピューターがおかしくなってよそから持ち込まれたそうです。電圧かなんかを大本のところで切り替えるときに、瞬間的に通常の4〜5倍の電圧になるそうです。しかし、この4年間、そんなことはなかったし、昔はプッタパルティでも電化製品にはみんなスタビライザーをつけてましたが、ここ数年では状態がよくなったので、みんなつけてない人が多いです)

昨日も、このパソコンを使って、写真を何枚かCDに焼こうとしたら、もとの書き換え可能なDVDが勝手に初期化されて空っぽになってしまいました。

インドにいると、執着するなと常に言われてるような気になります。
別に執着してないと思うけど、むやみやたらと今回のようなリセットが多いので、頭が真っ白になって、スカッとしていいのかも?(いいのか?)



話は変わって、「天を越える旅人」という小説を人から薦められて読みました。
山岳仏教SF小説という感じで、20年くらい前のものなのですが、
チベット僧の少年が自らの過去生を統合して成長していく冒険物語という感じで、今やってるインド占星術の世界観と共通のものもあるので、いいんじゃないかと思って紹介します。(↓)

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E3%82%92%E8%B6%8A%E3%81%88%E3%82%8B%E6%97%85%E4%BA%BA-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABJA-%E8%B0%B7-%E7%94%B2%E5%B7%9E/dp/4150305781/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1284445794&sr=8-1


過去生で北インドやチベットに縁が深いといわれる人も多いですし、過去生のいくつもの自分を今の自分の中に統合していく描写がなかなか面白いです。
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