今朝起きた時に来てた考察。元旦那1について。

(今朝起きた時に来てた考察)
元旦那1にとって、私が分かりやすくアーティスト活動をする人であることがとても大事だった。
彼のお父さんは画家を目指して挫折した人だったし、彼もそういう道に憧れていたけどなりきれずに、せめてクリエイティブな仕事に、と、映像関係に就職していた。(結婚した時はそれもやめてすでにディーラーだったが)
だから喜んで私の美術作家活動のサポートをしてくれた。個展のDMを作ってくれたり、作品の販売サイトを作ってくれたり。
当然のように経済的にも支えてくれた。
彼にとってアートはもっとも「掻き立ててくれる」要素だったのだ。
当時の私は分かりやすく美術作家活動をしていた。
小さな絵や大きな絵を描き、立体作品を作り、月1ぺースで個展やグループ展をし。
いつも運だけは妙に強く、易々と一定の成果を上げるわたしは初個展の小さな成功を皮切りに、すでにそこでもそこそこ結果が出ていた。
でも私が見ていたものは日本のみならず世界の美術シーンにおいて一つの流れ、ひとつの時代を作るトップランナーとして、キーパーソンとして、認識される作家だった。
そして私はその流れに乗っていると感じていた。時代が私を底上げすると感じていた。
美術シーンに次の一時代を作れる気がしていた。
だから私は大きな美術館で展示されるビジョンに従ってスケールの大きな絵ばかり描いていた。
行ったことないけど、まずは目指すはニューヨーク近代美術館での個展、そして世界各国の美術館での巡回展。
そのビジョンに従って2mほどの大きさの絵数十枚を含む108枚の絵のシリーズを実家で描きあげて完結させた。
兵庫の山奥にある実家にはそのときぶち抜きの広い部屋があって、制作と保存のために3部屋使わせてもらっていた。
大きな絵を動かすのは物理的にも大変で、個展の搬入はガテン系の弟1も元旦那1も全面的に力を貸してくれた。(弟は1〜4いる)
(今思えば、よくやってくれたよな!?)
その数年前、わたしは数年間かけて意識の旅をしていた。
突然の覚醒体験、その後のいわゆる悟後の修行としての凄まじい霊体験、目まぐるしく変容するアイデンティティ、自らを救う祈りと集中、そして見出され表出される真我。
たまたま私は美術の専門教育を受けていたから、すでに訓練され、今更新しく努力せず自然にできるツール としての「絵を描くこと」があった。
絵を描き制作することをわたしのガチ意識の旅の伴走者として行った。
私が大学で絵を描いている時、情緒や葛藤、そういった内面の風景は絵を描くモチベーションや理由となり、中核であった。
(続く
(続き
しかし学生時代に起こった覚醒体験は情緒や葛藤へのフォーカスをさせない方に、そこに耽溺しない方向に私を導いた。
ビジュアル的な美しさ、デザイン性の面白さ、ささやかなところに感じる情緒を重んじるいかにも日本画に向いた私の画風は以降変化したが、それはそれまでの専門分野である日本画の持つ空気感、情緒、制作における綿密な計画性への直接的な否定の上にも成り立っていたかもしれない。
日本画とは外側の自然を謙虚に観察し謙虚に表現する絵でもあると思うけれど、私は自分という自然しか見ることができなくなっていた。
その時のそれは、私の外側の世界の全てを否定することでもあった。
外の世界のマトリックスは破壊され、否定されるためにあった。
私の興味は日本画から現代美術に移った。
現代美術はすでにそのようなことが行われている世界だった。
ものすごく面白くて、
一線で活躍している現代美術の先生の授業を取りたい思いも強く、卒業を遅らせて大学に残り、興味のある現代美術の先生の授業を受けた。
(池水慶一先生。プレイ、ハプニング、アートワークス。ご存命であれば85歳)
そこでは伝統的な日本画の世界では感じたことのない自由さと興奮、そして意識の覚醒と行動の一致を感じた。
世界の現代美術の作家の作品はさらにスケールが大きく、自然や風景にも入ってゆき、作品はほとんど大自然の様相だった。
既存の枠を壊し、概念を塗り替え、行き着く先は大自然、大宇宙でそこに美術の概念を引っ掛けて作品として構築していた。
大学で現代美術の授業を受け、課題を製作し、提出していくうちに、
私がこれらの作品を通して表現し、提示したいもの、伝えたいものは、すべての枠や形を超えた根源のものだと気がついた。
美術作品という形も私には枠組みであり、縛りであり、宇宙の完全な自由さから自分を防御するものであるように思えた。
鑑賞し、体験する作品として自分なりの枠組みを設定し、コンセプトを決め、モノを作り、提示するのはもうやめよう、それは私の流れを止める、と思った。
現代美術の最後の授業で、私は今後は私の人生そのものを作品として生きる、と発表した。(なんだかかっこいいと自分でも思った)
私はノーガードで生きることにし、
離島に行き、DV彼氏にボコボコにされた。
とりあえずわたしの色々は地に堕ちて、
ああなんか人間として生きてるって感じた自分はどこまでもめでたくて、結局いつもどこか地面から浮いていて、笑えるけど実際の人生も人格もきちんとむちゃくちゃに壊れた。
そんな悟後の修行はつまりは順調で、
枠組みも人格も壊れた私を通して皮肉なことにアートが息を吹き返した。
尽きない創作の湧出に製作の手が追いつかない日々。
とりあえず壊れた社会性を取り戻して生きやすくするために、私は「アーティスト」という社会的にすでに認知された枠組みを使うことにした。
今思えばいつもひねくれたものの考え方、ものの見方をしていた私。
小学生の卒業文集の将来の夢、将来なりたいものを書く時には、私が私以外の何かになるということはそれが何であれ、矮小化するということだと感じ、自分以外の別の何にもなりたくなかった。
今の自分ではない、別の何かになることが今よりも良い夢であるという一般的な共通認識に同意できなかった。
自我肥大の人格異常者?そうかもしれない。
小学生の私は当時考えられた、最も夢のない将来の夢として「私の将来の夢、OL」と書いた。
それは皮肉だった。
付き合ってられないと思っていたからだった。
(今は、OLになることと、OLとして勤めることは決して簡単じゃないとわかってる😂)
同様に、アーティストなんていう、結局社会の枠組みの中で必要とされ尊重され、居場所が確保されている自由人なんていう、自己矛盾した存在形態はバカバカしくてむしろダサいと感じていた。
私は当時、アナーキストでいたかったのだろうか?
アーティスト、というのもそれも格好の悪い権威主義のひとつに過ぎないと感じていたきらいはある。
とにかく私は外側の世界の何も受け入れる気が無かった。
ただ私は客体を排除して、ひたすら自分自身の身をただ主体的に生きる、常に主体でいる、それだけをする、と、あの、池永先生の現代美術の授業の最終日に決めて、それをそのまま生きていた。
私は私人生劇場の出演監督演出で、その観客でもあった。
その全部を同時に主体性を持って味わい楽しんでいた。
それは矛盾するようだけど、全てにおいてこれらは真の意味での自分ではないとも常に感じていた。
だからこそ、別に何してもいいやとも感じていた。どうせ全部芝居だからね、と。
自分が見たい劇、見たい芝居を観るのだ、自分が上映して。
とてつもない傲慢さ、何に対しても一切自己同一化できない性質の自分がそこにあった。
そんな人が社会にいたら周りも扱いに困るし私も軋轢が生まれるとやりにくいので、 そこで私は道具として、私が何の価値も感じていない、「アーティスト」という社会的仮面を身につけようと思った。
(現アーティストの皆さんごめんなさい。これはあくまで私の場合)
そしてそれは割と簡単に実現した。
でも今思うと私はアーティストではなくて、アーティストの仮面を被ったアナーキストだったんですね。アーティストの概念すら否定する。今気がついた。笑
私にとってアーティストというわかりやすい職業仮面は一般社会を欺いて、この傲慢な私が一般社会の中に居場所を確保するのに使い勝手の良いトリックだった。
私はそんなものに本気で自己同一視したときはなかったが、 周りはそのように私を理解し、勝手に「この人はアーティスト」と認識して理解したと感じ、安心してるみたいで都合が良かった。
私は私が私でいることにある種の人たちが不安に感じるように感じていて、それが居心地が悪かったから、勝手に誤解して勝手に安心してくれたら楽だったのだ。
多くの人は未知のものには恐怖を感じ、ラベリングできたらそれがコントロールできていると感じて安心する。
だから、私は私を「アーティスト」とラベリングさせたのだ。
どこか、根本的に不毛だな、無意味だな、と醒めて思いつつ、わかっていながら私は精力的に作品を生み出し続けた。そこに努力はいらなかった。
猛烈な量とスピードで、いくらでも描けた。
別に他にやることもなかったから、
では「アーティスト(仮)」として拡大していこうと思い、
その活動に力を注いだ。
元旦那1は「アーティスト」に夢とロマンと輝き、そして何らかの自由を感じていた。
「アーティスト」は彼と彼のお父さんが成りたくて成れなかったものだった。
私にとって「アーティスト(仮)」とは、本来の自分をスローダウンさせて俗化して一般にわかりやすく見せるための卑俗な仮面(社会通念への一定の免罪符付き)だった。
 

 

JUGEMテーマ:八ヶ岳

元旦那2。今日はなかなかムカついた。

最近元旦那2とのコミュニケーションは調子良かったけど、今日はなかなかムカついた。あまりの底意地の悪さのコンボ技の連続繰り出しに。我慢できずに、っていうか、これはさすがに我慢して受け入れたらあかんとこやなと認識して叱り飛ばした。

態度が陰湿過ぎる時は見過ごさずに叱り飛ばす必要がある時もあると思う。

あかんもんはあかん。

怒られなあかん時は怒られなあかん。

それでも私すごく優しい。と、自画自賛。

2人揃っての定期的なNVC(非暴力コミュニケーション)の講座への参加は関係性の緊張感緩和に結構役に立ってたんだけど、最近は無くなってるから再開望む。

誰かにどこかに存分に具体的に詳細ぶちまけたいw

話ができないコミュニケーションがとれない。

マンツーマンだとそもそも相性が悪いから緊張が増す。

彼のいろんな意味でのエネルギー不足が狭量さや陰湿さにつながると思うから出来るだけ彼のエネルギー状態が良くなるように働きかけたりして努力はしてるんだけど、

とりあえずしょうもない意地悪、腹立つわー!😂

だいたい、ものすごい怒ってむちゃくちゃ叱り飛ばした後は彼の憑き物が落ちて態度が謙虚になるパターンもあるんだけど、私がしんどいからそういうパターンで物事進めるのが嫌。

相性の悪さ、人間としての合わなさがもたらす軋轢をメンテナンスするために、定期的かつ継続的な浄化の働きかけが必要だとつくづく思う。

その継続する関係のメンテナンスのために絶対必要な条件としてヴェーダをともに勉強し続けることを入籍時に約束させたんだけど(本人も強く希望した)すぐに破られた。

彼が約束を守ることを疑わなかったわたし、バカだし見る目ないなって思います。

そういう意味では私も自分に都合の良いように世界を見てたな、って。

 

 

JUGEMテーマ:夫婦生活

元旦那2のこと

体調もイマイチなので、雨だし。気力も出ないから疲れてゴロゴロしてます。

 

昼過ぎは息子2の家庭訪問だったので、元旦那2と私は無言で協力して部屋を片付けた。

 

でも結局、玄関先家庭訪問、ということで先生は家には上がらなかったので逆に残念だったんですが。

 

お客さんが来る方が私も元旦那2も嬉しいことの方が多いから。

 

私と元旦那2のソリが合わないから、どちらにも中立な第三者を欲してる。

 

元旦那2は私の発言をさえぎってまでも先生と喋りまくってた。喋りたかったんだと思う。違うのかな?

(さえぎって喋ってたのは無自覚だと思う)

 

私は基本的に3人以上で喋るのが苦手なので(十分な会話的スペースがないと話す気が起きない)ほとんど黙ってました。

スペースがあんまりなかったから。

 

ここ数年は、揉めて言い争いになるとまあそんなつもりはないんだけど結果的に私が絶対強者、みたいな形に終結する形が多く、

 

勝ちたいわけじゃなくて、わたしは素で向き合って欲しいだけなんだけど、それが彼にとってはとてつもなく恐ろしいらしい。

 

逆にいうと、素で向き合われていないと感じる限り、私は負けていると感じているのかもしれない。

 

そのために私はあの手この手を使うのだけど、

 

正面対峙から逃げたい彼にとっては皮肉や反発、論点ずらしなどあらゆる逃げ道を一つ一つ丹念に潰されていく恐怖の時間となる。

 

私の本能が彼の逃げ道を許さない。

 

理性がフル稼働で本能に加勢する。

 

昨晩は夜中2時半に階段の踊り場で、彼は逃げるのを諦めて素になった。

 

彼が無力であることを受け入れた様子を見てとって、わたしはその場から離れました。

 

別に私は勝ちたいわけじゃなくて、余計なズラしやごまかし抜きで、素でものごとを共有したいだけなんだけど、

 

たぶん現代社会ではあまりそんな風に物事にあたる人はいなくて、少数派ではあると思う。

 

私も実際できてるのかわからないし、多分できてないと思うんだけど、少なくともそういう真摯さで物事にあたりたいとは思っています。

 

子供たちは、素でなかった時がまだ短いから、話が通じやすいように思います。

 

しかし引きこもりを経てリゾートバイトでヒャッハ−を覚えた還暦すぎた九州男児長男(永遠のニ−ト)は歴史が違うので、すごいいろんなメンタル的な抜け道で私との正面対峙から逃げようとします。

 

だから最終的に逃げるのをやめるまでに毎回すごくいろんなアプローチを経るし、

お互い疲労困憊します。

 

このプロセスは非常に動物的で興味深くもあるので、

私は逐一記録して後でどこかの会議にかけて振り返りの分析&討論をしたいくらいの気持ちがあります。

 

これ後で見直したいし誰かに見せたいからビデオ撮ってもいいかと聞いて、いいと言われた試しはないのだけど。

 

そしてその後、彼は憑き物が落ちたようになってる。

 

その状態をキ−プできたら私も楽なんだけど。

 

実際、彼はいろんな変なもんをしょってるんだと思う。

バラティさんは過去生からの呪いと表現してるけど、

 

なんかいろんなとこに繋がって浄化しきれていない何かなんだと思います。

 

私も世界のいろんなとこに繋がって、それらがしんどいと思うことも色々あるし、それを切ってしまうべきかどうか分かりかねる時はとりあえず繋いだままにしています。

 

逆にもちろんたくさんのものに、たくさんの世界に支えられてもいる。

 

少しずつ自分の手の届く範囲で自分の在る世界を住みやすくするしかないんだと思う。

 

JUGEMテーマ:つぶやき。

 

今日は家庭内不和で疲れました。

今日は家庭内不和で疲れました。

朗らかでいられない関係性・・・。

 

インド占星術的にはわたしはパートナ−シップに大いに問題ありなホロスコ−プで。

 

でもバラティさん的にはそういうホロスコ−プ上に現れている問題も年齢を重ね、経験を重ねることで障害ではなくなるという見解なんですが(知恵がついて回避できたり)

 

元旦那2とは日常生活の感覚とか価値観が違いすぎて折り合わず揉めることが多いです。

 

それこそ何も言わずに分かり合えると思っていたら全然生活の細部の基準がいちいち違うのでいちいち気に触る感じ。

 

例えばコ−ヒ−を飲もうと思ってお湯を沸かそうとしたら湯沸ポットの中にお湯がカップ1杯分あるかないかの量が入っていて、

 

わたしはもし微妙に足りないとかだと嫌だから、たっぷり水を足して沸かし直しますが、

元旦那2は「1杯分のお湯があるのに」と2度3度非難してくる感じ。

 

そんな小さいこと気にするのも嫌で、そういうのにフォーカスさせられるのも嫌で、私はなるべくそういうのを考えないでいられるように気をつけて暮らしを調整しているくらいなのなので(ほんとにフォ−カスしたいことに気持ちを向けられなくなるから)

 

そういうので揉め事になったりするのほんと無益に感じてほんとしんどいです。

 

どうでもいいようなことでいちいち問題になってたらやりたいことやる暇なくなるし。

 

人生が無駄になってる感じがして、下手したら絶望とか無気力につながります。

 

そういう状況に私は今日常的に巻き込まれているわけなんですが、

 

で、それでちょくちょく絶望的な気持ちになったりもするわけなんですが、

 

こんなことを繰り返して繰り返しこの状況を自分に体験させている、

 

こんな私がおかしいし、自分の基本設定はバグってるんじゃないかとも思います。

 

バグ修正してこの自分で自分を邪魔する系の無限ループから脱したい。

 

なんなん?これ?って思います。

あかんやろ、って。

 

 

JUGEMテーマ:つぶやき。

突然プチパニックになった元旦那2

昨日から元旦那2はなんでか調子良かったんだけど、今突然プチパニックになって、私、彼が何言ってるのか理解できず、状況わかんなくって、私すごい困惑中。

 

後には素っ裸の5歳児(息子2)が残されたという・・・・

 

なんかこう、突然彼のモードが緊迫したものに頻繁に変わるのは家族の安定した暮らしとメンタルには障害だと思うんだけど、

 

とりあえず状況がよくわかんないので、状況を理解するためにここに吐き出し中。

 

メンタルが常に安定してるって、継続する人間関係において重要だよね・・・つくづく。

 

私は昔からそう言えば安定感と安心感は求めてたなあと遠い目・・・

 

なのに全然安定しない人生なのは必然なのか・・・

 

なんだろう、多分彼は不安が突如暴走するタイプなんだと思うんだと思うんだけど。

 

本人的にはそれが普通なんだろうけども。

 

彼的には自分の中の段取りがあって、(その段取りはなぜかあまり融通が利かない)

 

それを私は説明を受けなくても熟知してるはずみたいな前提があるから、

 

そこがまず私がいつも困惑するとこで、

 

で、彼のタイミングで思ったように物事が動かなくなると瞬時にわーっとなって、

え?どういうこと?私状況よくわかってないんだけど?と、困惑してると彼はさらに余裕ない感じになってきて、まくしたてる感じになるんだけど、自分の頭の中を早口で一方的にぶちまける感じなだけで私の状況に合わせてこちらに伝えるムードじゃないから、私はその怖げなムードでもうさらに受け付けるのが困難になって理解できない感じに。

 

えー、と、ここで表現されてない前提ってなんだろう?????と、私が困惑してそもそも論に立ち戻ってるうちにもういいです、とか言ってキレて一方的にやり取りを打ち切られる感じ。

 

そして裸の5歳児が残った・・・

 

なんだろう今のは?

とりあえず寒いだろうから息子2には服着せました。

 

(その後・・・)

 

外出して用事を済ませてくれた彼が戻ってきて、

少し話ができる内省寄りのモードになっていました。

 

私が言うのもなんだけど、成長は見える・・・

とりあえず自分を成長させようと頑張ってるっぽい。

 

妄想っていうか、元旦那2は自分のネガティブな思い込みに自分が反応して暴走して止まらなくなって瞬時に感情が振り切れてコミュニケーション断絶する感じがあるので、

 

どの辺りが事実に基づかない彼の思い込みなのかとか、先走った決めつけか、というところを明らかにして紐解いていく戦法を最近の私は取っているんですが、

 

今回のは

・風呂のお湯をためるとき、ぬるめで少ない量の時点で息子2を入れる必要がある。

・なぜなら息子2は熱い風呂に入らないから。

・ぬるくて少ない湯量の時点でなら息子2は湯船に入るので、それからお湯を足して徐々に熱くしていけば熱い湯でも息子2は入ったままでいられる。

・佐和子さん(私)はたっぷりのお湯をいきなり入れる人だ。だから自分の意見とは相容れない。

・しかしたくさんのお湯を湯船に入れるとそのあと熱くしようと湯を足してもなかなか熱くならない(※うちの風呂は追い焚きできないタイプ)

・自分のやり方を佐和子さんに納得させるのは簡単ではない。ていうか聞かないかもしれない。きっと聞かない人だ。

・あと20分で閉まる店に買い物に行かねばならない。時間があまりない、少しお湯が溜まった今このタイミングで急いで息子2を湯船に浸けなければ。

 

→元旦那2は息子を素っ裸にする

→元旦那2は私に「今風呂に入らないといけない。今入るのかどうするか。」と、聞くも、私は、「え、ちょっとまって、私状況理解できてない」という

 

→だから・・・と、今の時点で風呂に入らなければいけない理由を焦って言うけど私はよくわからなくて「え、ちょっとまって?」となる。

 

→私は、元旦那2が緊迫して焦ってる雰囲気にすでについていけない。

→元旦那2は、どうする、と私に決断を迫ってるのに理解しない(できない)で、一旦落ち着いて状況を整理して自分の置かれている状況を把握したがってる私に対して絶望して割とすぐに追い詰められた感じになる。で、わーってなって、こいつはダメだ、もういい!となる。出て行く。

 

そして残された裸の5歳児・・・

 

こんな感じ?

 

元旦那2は自分で「自分はすごくたくさんのことを先まで考えている」

と言うのですが、それは多分そうなんだろうけど、

「こうに違いない。俺にはわかる」と言う、自分の脳内の想像による仮定に基づいて自分が反応する、と言うことを繰り返して一人で遠くに行ってしまって、私からしたら「おーい、話が見えないんですけど?」となることが多いです。

 

そして「俺にはわかる」と言う「こうに違いない」「絶対こうだから」と言う決めつけが、結構外れてることが多いので、その仮定に元づいたストーリー展開に私は心情的にも理性的にも全然乗れないことも多く、

「え、どういうこと?」「どうなったらそうなるわけ?」となる。

 

でも彼からすると私が非協力的で反抗的で、自分が否定されて、さらに攻撃されてる、自分を守らなくては、みたいな戦闘&防衛体制が発動し、ついでに「こいつはバカだ」「人間としてこいつが悪い」「こいつは普通じゃない」と、カッとなって感情が振り切れる感じになるパターンかな。

 

ここまでのプロセスを踏むのにやたら瞬発力あって、実際は人格豹変してすぐキレる。

 

そこまで人格が豹変するのは相当脈々と受け継がれてきた家系的なものを感じます。個人の人格があっという間に別の勢いに押し流されて乗っ取られてるので。

 

でもそれをなんとかできるのは最前線の子孫の彼にしかできないことだんですよね。(息子2はその手の家系からの重荷からはすでに守られてる感じはあるので、元旦那2が自分の努力でこの家系的な負のエネルギーパターンの荷物を終わらせないといけない)

 

今回は彼は自省の余地とともに帰ってきたのでそれはかなりの変化かと思います。自制の努力の方向を感じる。

 

そしてコミュニケーションの着地点を探す努力も見られました。

 

これまで揉めた時は、私がもっと状況や事実関係を確認して、事実を根拠に話をしようと言っても「俺が全部悪いんでしょ」とか「お互い様じゃないのか」とか言って、犯人を決めて裁くしか、意見の相違がある場合の話の落とし所を知らない感じでした。

 

誰が良いとか悪いとか、正しいとかそういうのは別にないから、ただ、誰にとっても最良の落とし所を見つけたい。

 

ちなみに私は私の落ち度は、不愉快な人物を身近に置き続けて消耗している自分の無能さが落ち度だと思ってます。

 

だからいくら自分の時間とエネルギーを費やして関わっても徒労しか感じない時は心底嫌になります。

 

でも今回は状況を検証して共通認識をはっきりさせる作業を激昂せずにできました。

 

結局、元旦那のお風呂プランは理解できるし、いいと思うんだけど、そこに強制の雰囲気が混じってて、ニュートラルな感じとか、こちらにも選択肢が確保されてる感じがないと、私はとりあえずニュートラルに立ち戻りたくなっちゃうっていうか。

 

ちょっと待って、と、立ち止まって足元を確認したくなる感じがあって、

 

その一方で元旦那2は「これがベスト」という細かい理由からの細かいやり方を、説明もしなくても周りはわかるだろう、「これが普通」という思い込みが強いので、それが通じないと自分が受容されない不快感から「俺はわかってるのに、こいつはバカだ」という他者否定やバカにする感じに一足飛びに飛びます。

 

自分の内側で起こってることを他人に伝えて共有する努力も技術も足りなさすぎる、というのがあると思います。

 

説明が圧倒的に足りないのに、

 

予想を根拠にそれにどんどん反応することを一人でくり返してるので、

いつまでも話が噛み合わず、感情的な不快さと緊張感がどんどん高まる。。

 

だから彼がやる必要があることは、自分の中で起こってることを恐怖や不安で一人で突っ走らず一つ一つ伝えて相手の状況も確認し、認識を共有する努力かと思いました。

 

めんどくさくても短いセンテンスで区切って一つ一つ順番に開示してもらわないことには、私は彼の中で起きてること緊張の高まりの意味がさっぱり理解できないので。

 

そして、彼は先を考えすぎて、実際緊張する必要もないことでむやみに緊張してることも多いように思えます。

その緊張を家族も共有しないとさらに不安になって怒りに変わる感じ。

私としてはその悪夢の世界に私や他のメンバーを参加させようとしないで欲しいです。

 

その誰にとっても不利益の方が多い、不安や恐怖に基づいた自動反応パターンを止めて、解体して、別のもっと効率の良いスムーズなものに置き換えた方がいいので、自動パターンに巻き込まれることには気をつけた方がいいと思う。

まずは巻き込みパターンが始まったら、それが絶対で圧倒的なものではなくて、別の選択肢が常にあって、意識一つで切り替えて選んで行けることを思い出すこと、その練習が必要だなと思います。

 

とりあえずこんな感じ?

 

ゲーム攻略くらいのノリで。

 

事実をありのまま認識することが難しくなる、無意識の前提を発見しては解除していくことかと思います。

 

なんにせよ、今日は穏やかに1日を終えられてよかった。

この調子でうまく調和できていけたら良いなと思います。

 

うちは神の手助けなしには成り立たないレベルにヤバい家な自覚はあるので、その神の部分でのみ調和するためのこの地獄かつ悲惨設定とも言えるかなと思います。

 

しかしこれも実際、意識一つでいつでも変わり得るものなので、好みの世界をしっかり意図して作っていきたい。

 

 

 

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元旦那2の話

安達原玄仏画美術館になぜか売ってたベトナムのコ−ヒ−カップ。トンボ柄。

 

可愛いから買っちゃった。

 

前、ハルピンラ−メンに行った時に出てきた湯呑みかなんかがこんな柄で、可愛い〜😍と思ってた。

 

下のカップに練乳を入れ、上の部分に粉を入れてコ−ヒ−を入れる仕組みになってるそうです。

ベトナムは行ったことないけど、コ−ヒ−は甘〜いやつですよね。

 

ちなみに今北杜市はPayPayで色んなもんが30%のポイントバック?

なので、市外からも灯油とかまとめ買いに来てるらしいです。

 

このカップもその対象でした。

 

最近コロナ関連でそういうポイントとか金券とかやたら発行されてて、お得なのかもだけどなんか複雑でややこしかったりもします。

 

ていう投稿は口実で、私が書きたいことは、元だんな2のメンタルが不安定すぎて、わたし結構その点において負担があります。

 

なんか思考回路が違いすぎて、日常において「え、ちょ、どういうこと!?」ってよくなります。

 

調和できる意識ポイントがたぶん極小エリアしかなくって、それはサイババに象徴されるエリアだと思うんだけど

 

彼としてはそれすらどうでも良くなってる感じがあるのでもはや接触不可能、とまではまだ行かないかもだけどかなり困難。

 

まあしょうがないから私は私のやるべきことをするだけなんだけど。

 

なんか思いもよらない感情のぶつけ方をしてくるのでわたしも「え?どういうこと?」と混乱しがちです。

 

で、その都度ある程度の時間を費やして話をしてその場はなんとか収まることも多くなったかもだけど、

1日に2〜3回くらいある感じで、消耗します。

 

正直それに困ってる。

自分の1日のエネルギー総量のうち4割くらいそっち(ネガティブ処理)に消耗してる感じがあるので。

 

ほんとならその都度私はとことん話し合ってわだかまりを残さないとこまで感情を解体して、理性レベル以上のエリアで頭いい感じで効率よく動くとこに復帰したいんだけど、

 

元旦那2の抱える感情の重さと妄想力、期待とそこから裏返ったネガティブがハンパないと感じます。

 

単にタイプの違いなのかもだけど。

わたしは全部解体して分析したがる方なんですが、

「は?」ってなった時に、何でそんなことになってるのか状況を理解して共通認識を持つことで調和をもたらそうとしたら、それはそれですごい嫌がられます。

彼は彼の求める、彼を慰撫し、安心させる反応というのがあって、ただそれだけを求めてるので。

 

例えばこれは既に解決済みなんだけど、

バラティさんに仕事上で最近送ったお金が33万だったんですが、私は最初30万送ろうとしてて、でも思い直して33万送りました。

その増やした3万は、俺への当て付けだろう、と、元旦那2に言われて「は?」となったのがさっきだったんですが、ちょっと自意識過剰なんだと思ったのでそう言いました。

ちなみに増やした理由は、30万だったらインドルピ−に換算した時に手数料とか引いたら1.9ラックという半端な額になりそうだったから、どうせなら少し増やして2ラック以上にしようと思ったってだけの理由なんですけど。

 

そういう私には思いもよらない感情の絡まりができてて、知らないうちにどんどん膨らんで発酵してたりするのでなかなかハ−ドです。

 

18歳の息子1(元旦那1の子)と元旦那2はものすごくソリが合わないんですが、

 

似てるとこもあって、

 

相手の反応をネガティブに予測して、先回りしてそれに基づいた防衛的言動をする、というのがあります。

 

だから、何か一言言うことにたくさんの裏の意図や要望、ネガティブな前提がある場合が多くて、しかもそれに自分で気づいてないことも多く、やりとりがなんか最初から複雑な様相があります。

 

私としてはせめてその前提や裏の意図を意識した上で発言してくれたらまだやりとりがラクなんだけどなと思います。

 

いわば妄想に基づいた先読み言動の達人同士の手合わせみたいなもので、大変。

 

先日は息子1がリビングに来て、「今日、外はそんなに寒くないから換気していい?」と私に聞いてきました。

 

わたしは、換気するしないは本来的には外の寒さとは関係ない気もするが・・・と思ったり、彼の発してる感じがなんか気に触る感じがしたので、これはことが起こりそうな・・・と不穏さを感じました。

でも換気していけない理由もないし「どうぞ」と言いました。

 

そしたら間髪入れず元旦那2が「俺は風邪ひいてる!」ととキレ気味で息子に言って、ていうかほとんど怒鳴りつけていて、息子は「あ、そうですか」とか何とか言って、換気するのをやめました。

 

そこで客観的にはキレる理由もないと思うので、何一つ悪いことをしていない息子1に対してその態度はどうなのか、と、元旦那2にいうと、彼は、私のせいだ、私が前の晩にみんなに同じように言ってたじゃないか、その時から俺はずっと気分が悪い、みたいなことを言ってきました。

 

前の晩は、2人の息子が何時間もかけてご飯を食べて皿も下げないで動画を見たりしてダラダラしてたので、何度か皿を下げるように言って、それでも動かなかったから、ええ加減にせえよ、とキレました。

 

それは2人の息子に対してそのような理由でキレたんですけど、シンプルだし息子たちも何が起こったか理解してて、そのあとは別に誰も気分を悪くしてないと思うんだけど、

 

直接は何も言われてない元旦那2の動きが勝手に変わったのは感じてた。笑

何か私の機嫌を損ねないように取りなすような動きに。

 

だからそれで彼は勝手に自分が怒られて、私に言うことを聞かされた気分になって、その元凶である私に怒りが湧いてきて、それを一晩持ち越して熟成させてたのかなと思います。

 

むしろ、私は息子たちに理由があって言ったのに、全然言われてない自分が自分の妄想に動かされて勝手にそんなふうにならんといてよ、と思ったのでそう言いました。

 

元旦那2も私と生活を共にしたこの6年?ほどで、私はうやむやにできず毎回しつこく追求するとこがあるので、ちょっとずつその彼の妄想のヤバさやそれが自他に与える害を理解できてきたとこもあって、

私が認識する状況の説明をしてるうちに彼は圧を失って静かになって、とりあえずその場を離れました。

(上から目線で悪いけど、それも成長だと思う)

 

で、息子1がその場に残ったので、

 

とはいえ、息子の言動にも何か不自然でイラっとするものを感じたので、その原因を探りました。

 

実際、これはぶつかるな、と感じさせる何かがあったと思うので。

 

まずは私が彼の言動に実際イラッとして、でも窓を開けて換気することは何も問題ないからどうぞと言った、ということを伝えました。

 

外が暖かいから換気してもいいかと聞くのもなんか変だと思ったので、実際なんで換気しようと思ったか聞きました。

 

すると埃っぽくて空気が悪く感じたからだとのことだったので、

 

だったら「埃っぽいから換気していい?」とかストレートに言っても良かったんじゃないかと話しました。

外が暖かいから、と言うのは、何か言い訳みたいだし、

別にただ単に「換気していい?」と聞けばいいじゃないかと言いました。

 

そしたら息子は、それは自分のエゴのために言うみたいで抵抗がある、とのことでした。

 

だからって他の人のためになるとかそういう感じのアプローチも嘘があるし、そもそも他の人たちは換気の必要性を感じてなかったんだし、息子だけが換気したかったんだし、エゴはエゴでも構わないし、要求をストレートに伝えてもいいのに、

他の人をコントロールするところから入ってる感じがなんか変、と言いました。

 

つまりそれは自己防衛のためで、恐れか何かからの言動だよね?実質的には自分の要求を通すための軽い脅迫だよね?と伝えました。

 

だから元旦那2は「誰がお前のいうこと聞くかヴォケ」的な感情的な反発を見せたんじゃないかなと思いました。

 

実際よくよく聞いてみると、

「外が寒くないから窓を開けていいか」は、私への質問の形をとっていたけど、実際は元旦那2に聴かせるための言葉だったとのこと。

 

なるほど、じゃあ元旦那2は正確にそれに反応したということだな、と思いました。

 

もしその場に私と息子2しかいなかったら、誰にも何にも聞かずに窓を開けてたとのことでした。

 

いや、そこは聞いてよ、と思いました。

 

 

 

 

 

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元旦那2と、とうもろこしと、塩

5歳の息子2が何か抱えて幼稚園から帰ってきました。

新聞紙を開けてみると、とうもろこしだった。

 

☺️☺️☺️

 

とれたての美味しいうちに、すぐにお湯を沸かして塩茹でしてやろうとしてたら、

元だんな2が

「前にも言ったけど、俺は塩入れないから」

 

と言ったので

「あっそうなん。私は入れる」

 

と言ったら、また「俺は入れない」

と言ったので、「自分が茹でるときには入れずに茹でたらいいよね〜」

と、スル−して塩入れました。

 

私がおかしいのかな?

と、検索してみたら、茹でるときに塩入れる派と入れない派があるみたい。

 

そう伝えたら、塩を入れたら水分が外に出てすぐにシワシワになって美味しくなくなると言われた。

 

味が濃縮されるってことじゃない?笑

 

と答えたんだけど、めんどくさかった。

 

たぶん元旦那2は私のことを、こいつは人の話を聞き入れない、悪い人格の人間だと、苦々しく思ってる。

 

でも言葉の上では、彼の茹で方を聞かされただけなので、へえ、で良いと思うんだけど。

 

でも、おそらく彼の本意は私のやり方が劣ってるから、自分のやり方を受け入れるようにと婉曲に望んでる感じ?そういうなんていうか最初っからトゲがある言い方だったので。

 

それは分かるけどわたしアスペ気味なので婉曲表現に反応しないからって気を悪くしないで欲しいんですよね。

 

求められてる態度が何かは想像はつくんだけど。

 

こう言う場合は状況をどう理解すれば?

 

たぶん

 

「え、じゃあ、やってみようかしら😌

とかいう感じで女らしく反応すると気は悪くしなかったと思うんですよね。

 

でも無理〜😆

 

そこまで気を回すのはしんどいな。

 

ほんと気が合わなくて、清々しいほど。

 

 その後彼は頭痛いとかで具合悪そうにしてました。

 

たぶん、彼が欲しかったものって、もっと良いやり方があるって教えて、わたしがそれをやってみて、わあホントだ、「でしょう?」みたいになるのが一番良い結果だったかと思うんですが、

 

それにしても言い方が良くないわな。

伝え方のスキルをもっと磨いたほうがいいと思う。

 

そんで、わたしのアスペっぽいのは状況見てある種意図的に選択してるから。

 

 

 

 

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【元旦那2】暗黒経理に削られていくエネルギー

大量に送られてくる今日のバラティさんの写真の一部。

インドのコロナ対策規制緩和に伴い、プッタパルティのサイババアシュラムが一部一般にも再開されたタイミングで、バラティさんも地元クムバコーナムからプッタパルティに戻ったようです。

 

これで少し仕事がやりやすくなります。

 

今は、わたしは、元旦那2担当分の経理放置のツケがここにきて続々と襲ってきてとてもとてもツラい。。。

 

実質的にそれによる経済損失も少なくないし、私の余計なストレスやしなくていい二度手間三度手間の体力や時間の損失、その余波など、本当に無駄だなと感じます。

 

息子の高校の奨学金の審査も受けられない状況で、審査待ってもらってる間に状況を整えようとしてます。

 

黙ってぐっと踏ん張って黙々と作業するには1回や2回のことでなくて長期的なものなのでダメージが慢性化してて私のメンタルの踏ん張りが効きません。

 

なかなかツラい気持ちになるんだけど、

これってコロナの免疫不全みたいな感じよね、って思います。

 

身の内から攻撃されるから防げなくて、なすすべもなくグダグダになって消耗していく感じ。

 

もともと私は全部プロに丸投げ予定だったんだけど、元旦那2が自分がやるというので、ありがたく任せてみたらそれ以来毎年なんらかの形でツラくなってます。

 

この数年、助かった部分もあると思うけど、やっぱりプラマイだとプラスとはとうてい言い難い状況に。

 

去年からようやく税理士さんに入ってもらい(丸投げレベルで契約)さらにこの5月からは経理担当の外部スタッフさんにも入ってもらえたので助けてくれる人が増えたので心の支えになっています。

 

それでも現状のグダグダが酷くて、暗黒物質にみんなを巻き込んでるような気分。気持ちよく景気良く行ききれない申し訳なさがあります。

 

仕事は順調なのになあ。

そっちへのエネルギーが暗黒経理に削られてます。

 

経理なんてつまずくようなとこでもないし、たいしたことじゃないのに😭単にやればいいだけのものなのに。

 

こっからの不備でこんなに雪崩のように損失が起こってくるって、なかなかできないと思うんですよね〜〜〜!

やろうと思っても難しいと思う。

 

私は仕事運や金運はもともとかなり良い人なんですが、

元だんな2は元々の運としては良くはないと言えます。

 

そこらへんの運勢の差で、自然現象としての抵抗が起こってるんだろうなと思います。

元だんな2は私を根本的な人格から否定する気持ちが根強くあるということもあり。

 

認めない、みたいな。

 

そこ外れたら、わたしもすごく楽だし、彼の運も爆上がりなんだと思うんですけど。

今は私の力技で、抑圧や抵抗を引きずりながら無理やり進んでる感。

 

逆に言えば、ここの抵抗現象を超えて、きっちり今後の人生のステージを変えていきたいとこです。

 

それには私自身の覚悟も腹ももっとガッツリ決めてる必要もあるのかな。

 

ここしばらく気が滅入って仕事する元気も出せなかったんですが、

仕事はようやくまた手がつけられるくらいには回復しました。

 

と、動こうとすると途端に次々露わになる逆風というかつまづき。

日々の良いところだけにフォーカスしてやり過ごす手もあるんだけど、

いまはあえてツラいところを直視して改善していくチャンスなんだろなと思ってます。

嫌なとこはちゃんと嫌と認識して変えなきゃいけないから。

 

 

 

 

 

 

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【元旦那2】今また起きた不協和音の記録&考察。

息子2、今朝は機嫌良くようちえんにいきました。

(車の中はとっ散らかってるけど)

 

今また起きた不協和音の記録&考察。

 

息子1に頼まれて買った、スマホの保護フィルムがAmazonから届きました。ついでにわたし用のも買って、2枚入ってるはず。

 

そういうの元だんな2はすごい気にしてくれてて、いつ届くか、とか、届いたかとか。

ていうのは一回不在配達になってたのかな?

 

で、届いたので「何入ってるの?」と聞かれたので、わたしと息子1のスマホの保護フィルムだと答えたら、

 

おもむろに封筒を破って開封。

 

一言の断りもなしか〜

 

と思って、

 

「そういうの、開けるよねw」

と、断りなく勝手に開けたことに対して一応言いました。

 

実害があるわけではないけど、わたし宛の包みを勝手に開けられるのは気分の良いもんではないので。

 

家庭内の些細なことではあるけれど、実際、法に触れてると思うんですよね。

 

そしたら元だんな2は気分を害したようで、俺が他にいつ開けた!?とか言ったので、

 

全く同じシチュエーションはすぐには思い付かないけど、

 

例えば「これちょうだい」と、わたしが答える前にわたしの皿にある食べ物を箸で持っていくとか。

昔の話ですけど。

そういう無断で侵害される感じ、わたしものすごく嫌なので、

その時はその場で言って、以降そういうことをするのはやめてもらったことがありました。

彼にとっては親しみの表現くらいに感じてると思うので、こういうパターンで、わたしこういうのすごく嫌なのでやめてほしいと言われると、なんかすごく攻撃されて責められてると感じるみたいで、反発したり気分を害したりしがち。

雰囲気的には反撃に転じることも多い気が。

 

シチュエーションこそ違うけど、相手の主権を認めない態度からくるものであるという点は共通してると思うんですよね。相手の主権への尊重が欠落している。

 

彼にも先日伝えたんですが、彼はモラハラ傾向強いし、老害でもあるのでヤバい。

そのときは、私はそういうのは1ミリも嫌だから、無理なんで、私の邪魔を一切しないか、別の場所に暮らすか選んで欲しいと伝えました。

 

本人的には何らかの正義とか優しさの現れとしてそういうことをするから、嫌だからやめてほしいと言われると相手への憎しみが湧く、っぽい。

明らかに、自分を不当に攻撃してきた相手が悪い、と思ってる態度で気分を害して険悪な雰囲気になります。自分の正当性を保護するための防御反応と思うんですが。

 

今も、即、Max険悪になったので、

「これ(断り無しに自分宛の郵便物を開封されるのは気分の良いものではないということ、ていうか基本やっちゃいけないということ)は元だんな2にとっても有益な情報なんで、活用して欲しいんだけども」と言ったけど「分かりました😡」と怒ってたので、

そういう言い方の時はわかってないな、と思いました。怒りを内在化して、以降ずっと私を悪者として心の中で怨んで責めるパターンが多いです。

私は後に残したくないから大体その場で決着つけて終わらせる方です。

 

今日私がこれは言わなくちゃといつもより1割増しくらいに感じて、こういう干渉の仕方は私にとっては侵害と感じると、沈黙せず伝えたのは、昨日も少し気になることがあったからです。

 

昨日私は日帰りで東京に行っていて、帰りは夜10時過ぎになり、高速バスの降り場まで元旦那2が迎えにきてくれたのですが、息子2も乗ってました。まだ寝てなかったんだな〜と思ったんだけど深く考えずに帰路につきました。

 

元旦那2にしてみれば、車の振動で寝るかなと期待してたようです。

 

でも私が車に乗り込んで出発すると、息子2はすぐにタブレットで楽しそうにゲームを始めました。

 

そしたら、元旦那2は運転しながら後部座席に手を伸ばして「ちょっと貸して」と言ったので、息子はゲーム途中にも関わらず、素直にすぐにタブレットを渡しました。

息子2は、例えば食事中とか、「ご飯中は消そうか」と言ったら、いつも素直に秒でタブレットを消します。

私はその点、息子2の良いとこだなと思って、けっこう感心してます。

 

昨日は、元旦那2は息子から渡されたタブレットを息子2に返さずにそのまま助手席に置いて「もう寝なさい」と言いました。

 

私の隣で息子は号泣し始めました。

ゲームの途中にも関わらず、「貸して」と言われたから完全に親切な広い心で息子はタブレットを元旦那2に貸したんだと思うんですよね。

綺麗な心でサッと親切で大切なものを貸した感じ。

 

そしたら貸したっきり一方的に取り上げられて返してくれないわ、上からもの言われるわで、そら泣くわ、と、思いました。

 

息子にとっては裏切り行為としか思えないし、立場を利用して理不尽に酷いことされたとしか思えないよね、って。

 

別に親子が馴れ合う必要はないと私も思ってて、親は親の立場から子供の利益のために、時にはあえて制限を課すことも必要だとは思います。

 

適切に制限されたりルール を決められることは精神衛生上も、むしろ子供の支えになると思います。

 

でも、ルールってある種の契約なので、お互いを尊重して同意があることが大前提な気もします。

 

そしたらそれを大切なものとしてみんなで守れるし、

それがみんなのためになる、とみんなが感じられるし、誰も損なわれず、より高い状態でみんなが存在できると思う。

 

息子の件はしばらく様子みてて、もし怒って恨んで泣き疲れて結果的に眠るにしても、それって良くないと思いました。

 

寝入る瞬間の精神状態って、寝てる間中朝まで続くらしいので。

だから、寝る前ってリラックスして安らかな、不安や恐れのない幸せな気持ちで寝るのがベストだと思うんです。

 

なので、わたしは助手席に置かれて既に画面が暗くなったタブレットに後部座席から手を伸ばして取って、

「一回やったら、もう終わりにしいな?」と息子に手渡しました。

 

息子は「うん」と言って、ゲームを再開し、すぐ負けたみたいで1分もしないうちに終えて自分で電源を落としてタブレットを横に置きました。

 

もう泣いてない。

 

息子はとても簡単で、素直なとこがあるので、何も難しくないです。

 

ただ、やろうとしてることを邪魔されたりしたらすごい怒ります。

自分で決めたことを横取りされたくない感じ。

 

それは私も似たとこがあります。

 

絵とか描いてると最初から最後まで完成して満足するまで全部1人で隅々までやりたいし、

途中でもし誰かが勝手にそこに描き足したりしたらすごい冒涜された気持ちになります。

(最初から共同制作の場合は別)

 

集中を邪魔されると何もかもが嫌になる。

 

わたしはどっちかというと何もかもやってもらってその点、過保護に育ったかと思いますが、同時に心理的には放置でもあったので、おかげで自分の世界にどっぷり浸かることができていたと思います。

 

もしや放置じゃなかったのかもしれないけど。対人コミュニケーションが根本的に理解できなかったので、心理的な働きかけが一切自分に届いてなかっただけなのかもだけど。

 

元旦那2はすごいナチュラルにそのあたりの境界を侵害するので、逆にその破滅的な行為を迷いなく、検討の余地なく選択することが不思議で。

 

正義の行使として行うときもあるし、親切で行うときもあります。

 

でもどっちにしろ、される方は気分が良くないし、それを伝えると元旦那2はそう感じるお前が人間としておかしい、俺は悪くない、となりがちです。

 

多分他の選択肢がストックされてないんだと思うんで、だから自動運転で既にある反応や感じ方が繰り返されてるだけだと思うんで、まずは、他の反応や言動の選択肢もあるという可能性を知らせたい気持ちが私にはあります。

 

それを知るってことは別の人生の可能性を知るってことなので。

 

高校生の息子1も、親への甘えでナチュラルに侵害してきたり、私への尊重が欠けてるときがあるのですが、

 

息子1の場合はストレートにそう伝えるとしばらく反射的に反発して言い合いになったとしても、しばらくしたら私の意図を理解しておさまります。

 

横に行った話を戻すと、元旦那2のやめて欲しいところは、人の大事に思ってる何かを一方的に取り上げることや禁止すること、罰することで自分の意思が通るという発想かな。

 

自分が他者を一方的に罰する立場を持ってるというのがそもそも思い込みかもしれないって、伝えたい。

 

「じゃあどうしたら?」って、他の選択肢を知らない場合は途方に暮れてしまうかもしれないけど、やっぱり自分の中の動きを精査して、他人の意見やあり方を参考にして取り入れるしかないんじゃないかな。

 

元旦那2自身が、親に、大事なものを一方的に取り上げられる形で罰せられたこともあるらしく、

責められることも少なくなかったようだし?

 

そういう点では、人生の最初に搭載されたアプリが性能悪かったと言えると思います。

 

彼自身かなり神経症(毛が生えなくなるくらい頭をゴリゴリしたり、怖くて自分の姿が遠くからでも鏡で見れない醜形コンプレックスであったり)だったので、そこらへんの抑圧的要素を子供に伝えない覚悟は必要と思うんですよね。

 

 

 

 

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日々のジワジワくるダメージ・・・。

【どこに書いたらいいか分からないのでここに書いて手放す】

 

日々のジワジワくるダメージとして、

例えば今、経理関係をする必要があるんだけど、

 

議事録(税理士さんが適当に作ってくれた←適当じゃないか😂失礼笑)

 

に、会社印を押して保管しておくように税理士さんに言われたので、元だんな2に印刷してくれるよう頼んだんだけど、ビジネス用のチャットのどこにそれがあるか分からないとのことだったので、

「税理士さんとのチャットの・・・」と説明し始めると、元だんな2は遮って「それは見てる!」だか「やってる!」だか言葉を挟んでくるのでその都度心臓がギュッとします。

 

最後まで聞いて自分の順番が回ってきてから話してほしい。

もしくは、話を途中で引き継ぎたい場合は根本から切り落とすみたいな感じではなく、私の話の雰囲気を受け取ってそこにつなぐように話し始めてほしい。

 

無防備にふんわり話してる途中にそういう入ってき方をされると、雰囲気のギャップが、痛っ!ってなるので。

 

別のもので、家賃を個人契約から法人契約にする場合や、会社印を作り直して登録し直す場合にかかる手数料について話すときに、

 

これだけのお金がかかるかもしれない、ということを、タブーとか恐ろしいことを話してるみたいにヒリヒリした感じで話すのやめてほしい。

その様子に怖くなってまた心臓がギュッとなるので。

 

できるだけ何でも、好ましいもの、朗らかな気持ちにさせるものとして話したい。

実際、それらのことはむしろ有益な行動で、吉祥の事柄のはずなので。

 

なので、かかる経費についてもより健全な状態をもたらすものや、慶びごとのための出費として扱うようにしたいし、得られる対価を理解した上で喜びの気持ちで出金したい。

 

 

 

 

 

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