ミーナクシ女神のマントラ

マドゥライ、ミーナクシ女神のマントラはこれだそうです。

(by バラティさん)


meenakshi gayatri mantram,


Aum Unni-thriyai Cha Vidmahe

Sunthapa Priyaayai Cha Dhimahee

Thanno Meenakshi Prachodayath



ユーチューブでも発見!

なかなか好感持てる雰囲気。


いや、便利だなー。





ユーチューブでは上のテキスト2行目の


Sunthapa が、Shambhuh(シャンブッ(フ)) ってかんじになってて、Cha が省略されてる。


3行目の


Meenakshi が Devi に、最後の Prachodayath の th も省略されてます。



わたしだったら、その2通りの唱え方を考え合わして総合して、


Aum Unni-thriyai Cha Vidmahe

オーム ウンニットライチャ ヴィドゥマヘー


Shambhuh Priyaayai Cha Dhimahee

シャムブッ(フ) プリヤーヤイチャ ディーマヒー

 
Thanno Meenakshi Prachodayath

タンノー ミーナクシッ プラチョーダヤーートゥ




と、唱えるかな。


入れ替えたりして構成しなおして作ってますけど、悪影響はないと、思う。



ヴェーダやマントラは、本質さえつかまえていれば、
単語の順序などが前後してもあまり問われないです。


はずしてはいけないところと、はずしてもかまわないゆるいところが、あるんです。




たとえばSunthapaが何の意味か知りませんけど、たぶんシヴァの別名かなと。
そこにShambhu(Shambho)が交換して入れられてるので。


テキストでは Meenakshi になってるのが動画では DEVI になってますが、

これもどっちも女神だしOKなんでしょう。

わたしよくわからないけど、DEVIといえばもしかしたら一般的にパールヴァティを指すことが多いのかなと思いました。

というのはシヴァの奥さんがパールヴァティなのは定説ですが、

ミーナクシもシヴァと結婚してて、ヴィシュヌがお兄さんということになってたはず。
(わけがわかりませんが、名と形を超えてエネルギーで理解してください。笑)


だから、必然的に、パールヴァティとミーナクシは同一視されるし、
質として同じとみなされてて、それがミーナクシと表現されても、パールバティと表現されても、はたまたドゥルガーと表現されても、ぶっちゃけかまわないんだと思います。

動画の絵もドゥルガーになってますし。笑

パールバティが怖くなったらドゥルガーで、怒り狂ったらカーリー、みたいな。


そしてドゥルガーはカンニャクマリと同一視されています。

どっちがどっちでもいいみたい。



(ちなみにわたしは夢でサイババに初めて名前を呼ばれたときには「ドゥルガー、来なさい」と呼ばれた。 →2回目以降は「SAWAKO」になった )



脳の境界が常にゆるめられる仕組みがインド神話にはある。


しかしそれはエネルギーとしての本質をつかんでこそなので、

実質にすべては基づいて、そこから派生する名前や形をいろいろなふうに表現してるのを楽しんでるし、楽しみましょう、活用しましょう、ってことなんだろうとわたしは理解しています。


言ってみればアカシックレコードで過去現在未来並行世界など全体をいっぺんにひとまとまりとして見ちゃうのと、あえてストーリーにはまり込んで視野を区切ることでバラエティをそれぞれ別物としてバーチャルに体感して楽しむことができるような違いみたいな。



でもミーナクシテンプルでは坊さんは実際にはどう唱えてるのか聞いてみようかな。

腹出ぃさんに。





〜すべての女性が(男性も)カンニャクマリ、ドゥルガー、ミーナクシ、そしてパールバティの体現者でありますように〜

〜わたしたちがすべての女性に(男性にも)カンニャクマリ、ドゥルガー、ミーナクシ、そしてパールバティの体現を可視化できますように〜


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